江別創造舎

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国郡選定と北海道国郡図

2010年08月09日 | 歴史・文化
 旧幕時代の北海道地図は、文政9年伊能忠敬・間宮林蔵などの測量をもとにして幕府天文方高橋景保が作製した「大二本沿海実測全図」中の蝦夷全図におって海岸線はほぼ正確に描き出されました。

 安政6年松浦武四郎によって内陸部の山脈・河川・湖沼などが記入され、一応完成したのでした。
 箱館奉行により蝦夷地山川地理取調を命ぜられた雇松浦武四郎が、その結果を経緯度各1度を美濃紙一枚ごとに描いた分図総計26枚に大概図および凡例を加え、「東西蝦夷地山川地理取調図」と名付けて木版に刻み、刊行しました。

 松浦武四郎のこの知識は、開拓使においても活かされ、明治元年朝廷が北海道経営に着手するや招かれて箱館府判事に起用され、さらに明治2年開拓使が設置されると判官に任じ、今まで松前蝦夷地といわれていた地方に一道を設けて国郡を設置するためその案の作製を命ぜられました。
 武四郎は、既に安政3年蝦夷地に設けられていた場所の境目取調を行って報告しましたが、それを役立て、道・国・郡名を選定しました。その案が、殆ど松浦武四郎の原案どおり採用され、全道は11カ国86郡に分けられ、同年8月15日に公布されました。
 このことは、北海道にとって、画期的な出来事であり、これによって蝦夷地と呼ばれた化外の地に日本の行政区画が施されたのでした。

 武四郎は、国郡選定の報告と共に、北海道国郡図および北海道国郡略図を献上しました。
 北海道国郡図は、「明治2己巳晩秋奉命松浦開拓判官阿部弘撰」の凡例を持った、千島列島・樺太全島・沿海州の一部までも表したわが国北辺図でした。
 武四郎は、これを前後して北海道国郡略図および蝦夷山川地理取調図の要約である「蝦夷闔境山川地理取調大概図」を私刊して配布し、また種々の新北海道地図の刊行に助力しました。
 
 明治3年3月、武四郎は、開拓使判官を辞して野に下りましたが、明治8年5月に日頃尊崇する京都北野天満宮に直径3尺2寸5分の大神鏡を奉納してその裏に北海道国郡図を彫ってこの事業を記念しました。
 北海道の国郡選定はそれほど大事業であり、武四郎が献身的に努力した栄誉ある仕事でした。

(参考)
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註:北海道「新北海道史通説2第3巻」436-437頁.
写真:元禄御国絵図(新江別市史67頁図2-4を複写掲載)

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