天明期(1781年-1789年)以降になると、イシカリ十三ヶ所というように石狩の場所数をくくって表記するとともに、場所名・知行主名・請負人名を併せて記述する史料があらわれるようになります。
天明6年の『西蝦夷地場所地名産物方程控』には「石狩拾弐ヶ所」、天明末から寛政初年『北藩風土記』には「イシカリ十三ヶ所」、同じ頃の『松前随商録』には「石狩十六箇所」と記述されるなど、場所数の表記はまちまちですが、基本形は藩主直場所が一場所、藩士知行場所の計十三場所であったと考えられます。
天明〜文化期にかけての史料から、それぞれ石狩十三場所の場所名・知行主名・請負人名・運上金額を抽出し、知行主名を軸にその変遷を示したものです。
これらの場所は、現在地で言えばどの辺りになるでしょうか。
藩主直轄領のトクヒラは石狩川口、ユウバリは夕張川筋、シママフは島松川筋、カバタは石狩川沿岸の樺戸地方に比定でき、トイヒラは現砂川市の川名にあることから、この附近でしょう。
ナイホウ・モマフシ・チヒカルシ・シノロ・サツポロは、知行主名との関係が錯綜していますが、いずれもサッポロ川(のちのフシコサッポロ川」流域に位置していたと思われます。
註 :江別市総務部「新江別市史」72頁.
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