江別創造舎

活動コンセプト
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第二拓殖計画と造田奨励

2020年01月14日 | 歴史・文化

 昭和2年(1927年)、第2期北海道拓殖計画が樹立されました。

 この20カ年にわたる同計画の主要目標は、
 ①農耕適地の拡大
 ②畜産の農業経営への導入
 ③道内人口600万人の達成
 以上でした。

 農耕適地の拡大は、懇成地158万町步を占め、同計画の中核部分となります。
事実、計画では土功組合の補助が拡充しました。
それまでの灌漑排水工事補助に加え、造田、客土が加わり、その後、暗渠排水事業も補助対象となりました。

造田計画は、時宜を得ました。
小麦、小豆を例外とし畑作物の全てが下落するなか、昭和2年の米価は、10年前の大正5年(1916年)比で倍となりました。
加えて、坊主種の改良や脱穀調整の機械化など、造田のための一定の技術的な基礎を伴い、小作地の造田と、それに北限地帯と言われた十勝、網走へと面的な拡大に弾みがつきました。

 北限への伸展と同時に、米作の中心地帯である空知、上川では泥炭地の水田化が進み、やがて稲熱(いもち)病が問題化しました。

 造田熱の高まりの一方では、昭和2年に至り、超過負担に苦しむ土功組合が低利資金融資の対象となりました。
以降、他組合も含め毎年のように救済措置が講じられ、やがて土功組合は、本道農業の癌とまで酷評されるに至りました。


註 :江別市総務部「新江別市史」321-322頁.
写真:石狩川
   *石狩川本支流治水は昭和2年北海道第2期拓殖計画中心課題だった。

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