江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

さまざまな作家たち

2014年01月18日 | 歴史・文化

 40年代から50年代にかけ、さまざまな分野における。さまざまな作家の活躍がありました。

 まず文学関係で坪松一郎「石狩平野の子どもたち」(40年)、44年に没した支部沈黙の「支部沈黙作品集・上下2巻(」45年)、三愛女子高校今井保之の手書きの童話集「第1集・夕日の沈むとき」(47年)、48年11月顕彰会により飛鳥山に歌碑が建立された伊東音次郎の「伊東音次郎歌集(」49年)、笠井清の「札幌プロ文学運動覚書」(51年)、手島圭三郎「しまふくろうのみずうみ」(56年)、新館長次「江別川物語」(58年)などがあります。

 その他、戦後の町長候補の一人として名の挙がったことがある佐本政治が演劇側面史「かべす」(41年)を、当時元野幌在の藤本英夫が「銀のしずく降る」(49年)を、それぞれ世に出したのも記憶に留めたい。
その他、51年東野幌在の松田静偲が小説「緊急輸送指令」で北海道新聞文学賞の佳作に入りました。
大麻(おおあさ)在の所雅彦が「失われた夏」で北海道新聞日曜版懸賞小説に当選しました。

 55年には大麻(おおあさ)在の上西晴治が小説「コシャマインの末裔」で第14回北海道新聞文学賞を、57年には江別高校OBの田中和夫が「残響」で第16回北海道新聞文学賞を射止めました。
また、美術関係では、45年道立美術館で「北海道と近代洋画シリーズ(3)山田義夫展」が開催されました。23年春、江別市街で夭折したリアリズムの鬼の再評価がなされました。
市内では50年に中央公民館が主催で、山田義夫面影展が開催されました。

 江別第三中学校の教壇に立つ傍らモノクロの力強い表現で、太古の森や、森の中のふくろう、あるいはニンフなどをモチーフに北方的風土を造形していた版画家の手島圭三郎は、52年、市民会館で伊東音次郎の歌をモチーフに「新春ふるさと詩画展」を開きました。
そして、これを期に「教員生活にピリオドをうち、版画家として独立した手島は、その後多色刷りのメルヘンチックな作風をものにするとともに、福武書店から年2回のペースで絵本を出すなど、多彩な活動を展開しました。

 そのほか、21年、22年に全道展協会賞を連続受賞、その後長い教員生活から道議会議員(2期)をつとめ、晩年再び画業専一に戻った諏訪田勝衛は、北陽会をひきい市内の絵画運動を主導しながら、一種俳味すら感じる独特の風景画を制作、円熟の境地をみました。
また、写真関係では丸山隆二が第26回写真道展の大賞を受賞、高橋繁彦が57年に青年センターなどで初の写真個展「樹と雪」を開催しました。

註:江別市総務部「えべつ昭和史」569-570頁.
写真:飛鳥山公園伊東音次郎歌碑(後方は江別屯田開村記念碑)
 同上書570頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。


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