江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

子ども劇場

2014年01月16日 | 歴史・文化

 江別子ども劇場は、昭和51年2月、母親たちが中心となり、子どもたちに優れた舞台芸術の鑑賞の機会と、文化活動を通じた人間形成の場を与えることなどを目的に発足しました。

内容は、年4回の市民会館での定期公演や子どもまつり、サマーキャンプ、あるいはスキー教室などと、多彩な活動を展開していました。

 初期の活動の中心的な役割を果たした橘宏は、『子どもたちに、いろんな経験をさせたい。特に遊びは仲間作りとか、いろんな考えを創り出す根本です。子どもに一番いいもの、本物を与えたい。自然にしても、芝居にしても、遊びにしても、・・・・・。』それが、子ども劇場のポリシーでした。

 会員は、約1,000人。
江別、野幌、大麻(おおあさ)、地方(広島、南幌、当別など)の4ブロックに分かれ、それぞれの自主活動も行いますが、何と言っても呼び物は定期公演です。
例えば、52年の定期公演は次のとおりです。
 3月  芹洋子ファミリーコンサート
 5月  映画はだしのゲン(1)
 7月  劇団風の子 ブレーメンの音楽隊
 9月  劇団ブーク ババヤ王子
11月  劇団東京アンサンブル 大草原の小さな家

 以降、毎年、こうした定期的な公演を主催することになりました。
これは、第一に同劇場スタッフの渾身的な運営努力にいよりますが、と同時にこうした舞台芸術の鑑賞の機会を拡げるには、やはり器が不可欠であり、そうした意味で市民会館の果たす役割も、また大きいと言えるのでしょう。

 市民会館の存在を前提とした、この種の文化運動の発展は、やがて市民会館主催の自主文化事業の展開、あるいは江別演劇鑑賞会の創立などを促すことにもなりました。

 市民会館建設のインパクトは非常に大きなものがありました。
同じように、49年1月大麻(おおあさ)公民館の開館も、大麻(おおあさ)地区のさまざまな文化活動の展開を促しました。


註:江別市総務部「えべつ昭和史」564-565頁.
写真:昭和51年2月、江別子ども劇場誕生
 同上書565頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。

コメント
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