あと2時間余りで平成が終わる。
数日前から tontonは考え続けている。
「平成の始め、どうしていたか?
この30年間は自身にとって、一体 何だったのか?」
元年のころ、tontonは離婚した後で、
病弱の母と 会社勤めの狭間で 悩み 苦闘していた。
転勤を拒否し、ときには残業や出張を勘弁してもらうなど会社と同僚に迷惑を掛ける一方
家の飯作りと昼夜逆転の生活で身も心も ズタズタ、余裕もなく、
結果として、母に辛く当り、母に「自分は生きていない方が良い」と思うまでに
追い詰めて行った。
平成6年、夜遅くに東京出張から戻った自宅で、
「おかあちゃんは さっき死んだ」
と告げられ、呆然となった。
虚無感と 罪の意識に苛まれ、その後の2年程は
墓に詫びに通った以外は、どう生きていたのかも良く覚えていない。
その後、バイクに嵌って行って、たたただ走りまくって 我を忘れた。
このころ、バイクツーリングの記録として 拙ブログを開始した。
次第に、会社でも重要な仕事を任され、遣り甲斐も味わったうえで、
少し早めに退職した。
親父が死んだのは、その年の暮れだった。
その後、隣の空き地を開墾し、畑を作り、山歩きも始め、
今のブログに書いているような生活が始まった。
そて一昨年、二度目の伴侶を得て、この平成の終わりを迎える。
tontonにとって、平成の時代は、複雑な体験が続いた30年だった。
皆さんも、この機会に 自身の平成を振り返られては如何?
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以下、蛇足
日本は 世界中で 元号が残る唯一の国らしい。
tontonは普段は 平成とともに 西暦も使っていて、
有名人の誕生年からの年齢の計算などは 西暦が便利だと思っている。
元号と天皇制は深く関わるが、又 別の問題でもある。
天皇制については、人によって考えも違うかも知れないが、
tontonは平成天皇が示された「日本国と国民統合と「象徴」」の形を支持する。
日本国憲法第1条は、天皇を日本国と日本国民統合の「象徴」と規定する。
その地位は、主権者(主権在民)たる日本国民の総意に基づくものとされ(第一条)、
国会の議決する皇室典範に基づき、世襲によって受け継がれる(第二条)。
天皇の職務は、国事行為を行うことに限定され(第7条)、
内閣の助言と承認を必要とする(第3条)。
国政に関する権能を全く有さない(第4条)。
憲法の条文は誠に味気ないが、
選挙や政治情勢でコロコロと変わる総理大臣ではなく、
日本と言う国を形として 半永久的に代表する存在が有った方が良いと思う。
典型的な例が、国会の開会の宣言や、
震災などの悲劇に会った時のお見舞いなどである。
しかし「象徴」が人である以上、寿命がある。
この時々の天皇の時代に応じて、漢字を当てはめて時代を呼ぶことも
区切りとしてのその時代を認識し易く、なかなか日本らしくて良いのではないか。
tontonは神道であるが、宗教とは別次元の話として、
今の象徴天皇制を支持したい。
ただし、平成⇒令和の便乗商法は いかに経済活性化とは言え、
ええ加減にしてくれい!
私の平成を振り返ると、、、昭和から平成に変わった頃、当時の私は小学校高学年でピアノを習っていて(厳密には親の意向で3歳から習わされていて)、音楽漬けでつらかったなぁと^^;
その後、いったん音楽をやめて、ヤンキー未満ギャル以上程度にグレた(?)中学生になり高校生になり、高卒で就職するつもりだったんですが、高3の夏休み頃になって親が大学に行ってほしいと言いだし、就職希望届を勝手に取り下げられて進学せざるを得なくなり、受験勉強など何ひとつしてなく、筆記試験受けて入れる大学がなかったので、実技試験だけで入れる音楽の学部に入り、それが結果的に今の仕事につながってます。
本当は当初の希望:高卒で会社に就職、大学時代の希望:大学卒業後は会社に就職、だったんですが、それがかなわず、でも結果オーライというか、これでよかったのかなぁと^^;
色々と詳しく書いて頂いて恐縮です。
音楽に関わっておられるとは、羨ましい限りです。