普通は、橋は渡るものだが・・・⇒タイトルの意味は後程
元の会社の同期会「大人の遠足」、
今回は 明石海峡大橋ブリッジワールド。
「なんのこっちゃ?」と思われようが、それも後ほど。
集合場所のJR舞子駅で、我らが「大人の遠足」の新しい旗のお披露目。
古い旗が長年の風雪に晒されて、
表面が劣化しボロボロと剥がれ出したため、
この御仁が再作成して呉れた。
退職後以来、原則月2回開催で既に、200回を越えているが、
あくまで目標は高く、480回を目指している。
他に深い意味は無い。
1時過ぎからの大橋でのイベントまでの時間に、舞子公園を散策する。
千鳥通う白砂青松の舞子浜は、古くから詩歌に詠まれ、
陸路、海路を旅する人々にこよなく愛されて来た、
なかでも明治天皇はこの地をことのほか愛され、
7回にわたって行幸されたという。
そんな経緯もあり、兵庫県は明治33年(1900年)に、
この天下の景勝の地を初の県立都市公園として開園した。
公園内には明治・大正・昭和の3つの時代と、
和・洋・中の3つの文化の趣を持つ歴史的建築物が
修復または復元され当時と変わらぬ姿で公開されている。
まず最初は、木下氏の旧家
旧木下家住宅は、昭和16年に竣工した数寄屋造近代和風住宅。
阪神・淡路大震災以後、姿を消しつつある阪神間の和風住宅のなかで、
創建時の屋敷構えをほぼ完全に残す貴重な建物として、
平成13年12月に国の登録有形文化財に登録された。
前庭と中庭には創建時の庭造りの様子が残っており、
隣接する舞子公園と融合した緑豊かなたたずまいになっている。
続いて、「旧武藤山治邸」 旧鐘紡舞子倶楽部は、
鐘紡の中興の祖と言われ、
衆議院議員として活躍した武藤山治(1867年―1934年)が、
明治40年に舞子海岸に建てた住宅。
三つ目の 孫文記念館(移情閣)
八角形の天井の装飾が素晴らしい。
孫文(号は中山)は、中国、清末・民国初期の革命家、政治家。
台湾では国父、中華人民共和国では革命の父と呼ばれ、
その長い革命活動の中で、多くの日本人と関わりを持ち、
数度の亡命も含めて何度も日本を訪れている。
「移情閣」とも呼ばれる孫文記念館の外様は、この模型で良く分かる。
ノスタルジックな面影を漂わす3階建ての八角堂がシンボルで、
大正4年に神戸の貿易商・呉錦堂が建てた別荘。
昭和59年には「孫中山記念館」として一般公開され、
かつてここを訪れた中国革命家孫文に関連する資料を展示している。
平成5年「県指定重要有形文化財」、
平成13年「国指定重要有形文化財」に指定された。
どう見ても、八角形だが、地元では 六角堂と呼ばれているらしい。
三つの建物と歴史を学んだあと、公園内で昼飯
食後、いよいよ今日のメインイベント会場の明石海峡大橋に向かう。
大橋を目の当たりにして、つくづく思う。
「それにしても、人間の考えることはスケールが大きく、
しかも このアイデアをあの手この手で実現してしまうのだから 凄い!!」
ブリッジワールドでは、吊り橋のケーブルを支えているアンカレッジから、
主塔まで1キロを歩き、そこから海上300mの主塔に登る催し。
先ずは、講義室に入り、厳格な注意事項を聞く。
参加者本人の安全のみならず、
橋の下を航行する船や、橋の高速道路上を走る車に対する配慮が要るのだ。
講義室の前には、班分けされた参加者の氏名を書いた座席表が
掲げられている。
チョッキとカメラや携帯などを首から吊るすトラップが配られ、
ヘルメットを着用する。
直接頭に触れる部分は紙製で使い捨てになっているのも嬉しい。
最初に、一階の橋の科学館で橋建造の歴史、構造などを学ぶ。
瀬戸内海によって隔てられていた本州と四国は1988年(昭和63年)の瀬戸大橋、
1998年(平成10年)の明石海峡大橋、
1999年(平成11年)のしまなみ海道と、
本州四国連絡橋3ルートの完成により一体化された。
本州四国連絡橋は風、地震、潮流、複雑な海底地形などの自然条件、
航行船舶、漁労船など海峡を取り巻く厳しい建設条件などを
様々な技術開発と創意工夫により克服し、
調査から40年の歳月を費やし完成するに至った。
「橋の科学館」は、その本州四国連絡橋のうちでも
世界一を誇る明石海峡大橋を主体に本州四国連絡橋の建設に使われた、
世界最高水準の架橋技術を一堂に集め、
人々の知的向上心を高める学習の場として、
また架橋技術の広報の場として設置されたサイエンスミュージアム。
実際に風洞実験等を行ったという1/100模型、全長41mを展示するために、
この科学館の長さを決めたという。
全長3,911 m、中央支間1,991 mで世界最長の吊り橋。
最長とは、二本の主柱(主塔)間の距離1991mが世界一であるということだ。
1998年(平成10年)の開業以来、「ギネス世界記録」に認定・掲載されている。
建設費は約5,000億円。
本州と四国を結ぶ3本の本州四国連絡橋ルートの一つで
高速道路も供用されており、
交通量も本四架橋の橋の中では最も多く、
四国と近畿、本州を結ぶ交通の要になっている。
強い海流の海底を掘っての、
この主塔の基礎建設の際の苦労は 大変なものだったようだ。
更に、吊り橋の命 ケーブル
メインケーブルは片側1本で計2本、
1本につき290本のストランド(正6角形に束ねられたワイヤー)で構成されている。
そのストランドは127本のワイヤー(高強度亜鉛めっき鋼製)で構成され、
ケーブル1本の合計で36,830本のワイヤーを使用していることになる。
この橋のために、直径5.23 mmで
引張り強度は1mm2あたり180 kgのワイヤーが
新たに開発された。
1本のケーブルの直径は112.2 cmになり、
約6万トンの荷重を支える。
風雨から保護し、腐食(錆び)を防止するため、
表面をゴムで覆い、さらに内部に脱塩、乾燥した空気を常時送風している。
ケーブル架設の第一歩であるパイロットロープ(ポリアラミド繊維製)の渡海には、
世界で初めてヘリコプターが使用された。
メインケーブルを構成するワイヤー1本1本をつなぎ合わせた時の
合計距離は約30万km(地球を7周半に相当)にも及ぶ。
----今回は、ちょっと理系だ!!
海上300mからの絶景や 大橋を歩行で渡るスリルの一端を
画像からお楽しみください。
人間技のダイナミズムを体感し堪能した後の
この日の打上げは三ノ宮の居酒屋
興奮冷めやらぬメンバーの話は 当然盛り上がる。