dr.tontonの写真日記

日々の記録を写真とともに綴ります。

ゴミ入れタンス

2018-11-30 18:19:00 | ドクターの独り言

もう3年前だったか、
自宅リフォームの際に不要になった洋服ダンスを勝手口に出して、
空き缶、空き瓶、不燃ごみ等を収集の日まで入れる物入れとしてきた。
雨ざらしのため、天井、扉、底の木が腐ってボロボロになったので、
このほど改修。



頑強なコンパネ板を買ってきて、底と扉を入れ替え、側面補強の上、屋根を付けた。





扉は磁石でピタッと締まる。





洋服ダンスの吊り手が ゴミの仕訳に役立つ。







紅葉の箕面

2018-11-29 19:47:51 | 花の旅

箕面への滝道は 昨年の台風21号以来 不通となっていたが、
紅葉シーズン到来の先日、
やっと復旧工事の目処がついて 多くの人が訪れている。



それでも未だ 傷跡があちこちに残っている。





3キロ程の滝道も この目標があるからこそ 老いも若きも歩き抜く。 







この日は テレビでお馴染みの モーリーさんもロケで来ていた。



圧縮したスマホの荒い画像だが、少しでも 紅葉の高揚感が伝われば。







山本珈琲店は満席








ゆず 豊作

2018-11-29 19:28:17 | tonton畑

柑橘類の出来は 連続しないのか、
去年沢山実をつけたレモンだが 今年は実が一つ。
一方、ゆずの豊作振りが凄い。



搾ったら、ペットボトル3本にもなり、水炊きのタレに入れたら 激旨!
ふんだんな皮は 風呂でゆず湯。
冬至には一か月早いが、風邪気味の体には有難い。







熊野三山巡りの旅 No.3串本

2018-11-29 15:34:14 | ツーリング

熊野の旅 三日目は、勝浦から自宅への帰宅が第一課題。
何しろ 高速道路を使っても 休憩時間を入れると 5時間は掛る。
そこで、帰路の観光は 基本的に串本に絞ることに。
有名な橋杭岩



大島は潮岬の東に位置し、くしもと大橋で繋がる その名通りの大きな島 
ループした橋で対岸大島の高台に渡り、
大島の一番端の樫野釣公園センターまで走る。
ここに立ち寄った理由は二つ
一つ目は トルコ記念館見学





明治22年オスマン帝国皇帝の特使としてやってきたパシャ特派大使海軍少将は
3ヶ月、日本帝国の国賓として扱われた後、
9月横浜港を出発し、イスタンブールへの帰路に就いた。
巡洋艦「エルトゥールル号」(2,344トン)の乗員は、下士官及び水兵、その他合わせて650余名。
明治23年9月16日、エルトゥールル号は熊野灘に差しかかった。
その日は朝から曇りがちで風が激しく、海もひどく荒れ模様であった。
やがて、山のような波に揉まれた木造艦エルトゥールル号は、
同日午後すでに進退の自由を失い、風濤に翻弄されてぐんぐん
樫野埼灯台下の岩礁「船甲羅」へと押されていった。
この船甲羅は数百年来、海の難所として知られ、
艦長以下乗組員全員は死力を尽くして荒れ狂う魔人と闘ったが、
絶望的な状況下ではなす術もなく、同夜9時頃、
船甲羅の岩礁に乗り上げ、同10時半頃には沈没した。

この事故によりパシャ特派大使以下580余名が遭難しましたが、
地元住民の献身的な救難活動により奇跡的に69名の命が救われた。
これを切っ掛けに、トルコと旧大嶋村樫野(串本町)との友情と友好関係が
現在まで続くこととなる。





この物語は 映画化もされている。



トルコ軍艦遭難慰霊碑



公園内にはトルコの物産を販売する店があり、
トルコのソフトクリームというのを食べてみたが、
全然別物。
ランの根を粉にして練って凍らせてあるとかで、伸びるのが特徴。



勝浦で泊った宿でも土産として売っていたトルコの派手派手なお皿





遭難現場も間近に見える。



トルコ国の建国の父とされるケマル・アタチュルクの像が太平洋を望むように立っている。



大島立ち寄りの目的の二つ目は、樫野埼灯台
対岸の潮岬灯台よりは低いが、歴史はこちらの方が古く、
270度見渡せる景色も良い。



朝日夕日百選に選ばれているらしいが、
夕陽の時刻までは居られなかった。





一軒だけある食べ物の店でランチ
店のアイドルのウサギを形どったハム



そして樫野埼の地形をそのままお皿の上に再現したカレー。
ウィンナーで造られた灯台や記念碑も可愛い。
食べるのが勿体無いが、しっかり美味しく頂いた。




もうお気づきかも知れないが、
最近のブログは画像が冴えない。
デジカメが又駄目になっていて、これには聞くも涙の物語があるが、
詳しくはまたの機会に。



熊野三山巡りの旅 No.2熊野速玉大社、瀞峡、熊野本宮大社

2018-11-24 19:04:00 | ツーリング

熊野への旅の二日目は、新宮周辺へ。
先ずは、熊野三山詣での二番目として、熊野速玉大社





熊野信仰で大神とされる伊邪那岐神が日本書紀に登場する速玉之男らしいので、この神社名がつけられたといわれる。



この御簾には やたがらすが登場している。





厳かな中にも優美な速玉大社に続いて、かつてから念願だった瀞峡へ向かって熊野川上流へと走る。
残念ながら先の台風被害で 瀞峡巡りジェット船の本来の乗り場 志古 からの乗船はかなわず、
上流の北山川にある小川口からのショートコースになり、乗船時間も二時間から半減



乗り場と言っても、河原の石を少し掘ってあるだけ



見せ場に来ると、天井が開く。



川の両側には 奇岩が点在しており、夫婦岩、獅子岩、松茸岩などと名付けられていると、船内で案内が流れる。









上流の河原が広い場所に停泊して15分の休憩。
アユの塩焼き、ソフトクリームなどの販売、仮設トイレなどがある。







再び、船で下流の小川口に戻り、
そこから今度は 熊野三山最後の 熊野本宮大社を目指し走る。





熊野坐大神は、須佐之男命とされるが、その素性は不明。
太陽の使いとされる八咫烏を神使とすることから太陽神であるという説や、
中州に鎮座していたことから水神とする説、
または木の神とする説などがあるらしい。