御堂筋から一筋東のビル街にあるうなぎ屋「現長」
なぜか今日は雨の中 列が通りにまではみ出している。
そう 今日で100年の歴史に幕を閉じるのだ。
通りから店の入り口まで鰻の様に長い距離が有るが
当然それもぎっしり並んでいる。
待ってる間にメニューの値段表や閉店の挨拶状を見る。
この白っぽいパンタロンスーツの女性は某新聞社の
カメラマン。tontonと撮影の好位置を取り合った中だ。
結局 tontonと新聞社のカメラウーマンは写真だけ撮って
鰻を食べなかった。
東京のうなぎ屋に生まれた初代が 明治の半ばに親元を飛び出して
大阪へ。第二次世界大戦の時には店は閉めたが
たれは防空壕の横に穴を掘りタレ壷を隠し守ったという。
配給の米と醤油を交換しては、タレを継ぎ足していたという。
(平成20年9月12日読売新聞朝刊による)
なぜか今日は雨の中 列が通りにまではみ出している。
そう 今日で100年の歴史に幕を閉じるのだ。
通りから店の入り口まで鰻の様に長い距離が有るが
当然それもぎっしり並んでいる。
待ってる間にメニューの値段表や閉店の挨拶状を見る。
この白っぽいパンタロンスーツの女性は某新聞社の
カメラマン。tontonと撮影の好位置を取り合った中だ。
結局 tontonと新聞社のカメラウーマンは写真だけ撮って
鰻を食べなかった。
東京のうなぎ屋に生まれた初代が 明治の半ばに親元を飛び出して
大阪へ。第二次世界大戦の時には店は閉めたが
たれは防空壕の横に穴を掘りタレ壷を隠し守ったという。
配給の米と醤油を交換しては、タレを継ぎ足していたという。
(平成20年9月12日読売新聞朝刊による)