dr.tontonの写真日記

日々の記録を写真とともに綴ります。

しまなみ海道を歩くNo.5「伯方島から大島へ---悲劇の結末」

2017-05-30 17:52:52 | 山登り・ハイキング

しまなみ海道ウォーキング レポート最終回です。

旅の3日目の朝は、大三島 多々羅大橋の2キロ北の井ノ口港にある「富士見園」で迎えた。



館内階段の額縁に収められた絵や写真が目を引く。



西郷隆盛、勝海舟、大久保利通、桂小五郎等々が一同に会した記念写真は一体?



井の口港の風景
輝くドームは温水プールだったか、
船と海と島、見事な一枚になった。



多々羅大橋のたもとから南下して、伯方島へ渡る大三島橋へ向かって歩き始めると、
何やら若い青年達の整然とした隊列が。



三菱電機の新入職員研修の一環で、20数キロ歩くプログラムだそうで、
彼らと この後 数キロにわたって 抜きつ抜かれつのデッドヒート?
を繰り広げることになる。



大三島の南東 上浦地区海岸の見事な風景



大三島橋を背景に一枚。



しまなみ海道は、
島々にかかる橋がそれぞれに異なった趣で、ウォーキングの辛さを忘れさせて呉れる。











大三島橋を渡り切り伯方島に入ると、造船所のクレーンが並ぶ。



この日は気温もぐんぐん上がり、2日間に溜まった疲れもあって、
tontonはグロッキー気味。
道脇に暫く自販機が無かったため軽い脱水になり、
道の駅マリンオアシスはかた で水分補給と 
普段嫌いな餡が詰まったドラ焼きで糖分補給



向うに 大島へ渡る伯方・大島大橋が見える。





道の駅での休息後、再び歩き始めると
暫くなりを潜めていたインフルエンザ後遺症の頭のフラツキが出始めて
不安がよぎる。



あと大島さえ越えれば、来島海峡を渡って四国だ。
一方で、ますます気温は上がり、橋の上で倒れたら、救いも何もない。
散々迷ったが、ここで撤退リタイアを決意し、皆に別れを告げる。
76キロの行程中 51キロ地点、
1キロ程戻って道の駅から 福山行きのバスに一人乗る。



車窓に広がる瀬戸の海。
後方へ飛んでいく海岸の風景に、
さっきまでの辛い 遅々とした歩みは一体何だったんだろう
とつくづく思う。



3日掛けて歩いた行程が たった50分程で終わり、福山に着いた。



未だ少し ふらつきを覚えながらも、駅前の薔薇が疲れを癒して呉れる。























一緒に歩いたメンバーは今頃は、来島大橋に達しているだろうか。
その後 今治で南下し夜遅くフェリーで大阪港に 翌朝に着く。
本当に 元気な連中だ。
こちらは 志半ばでリタイアした悔しさの一方で、
初めて52キロを歩いて 
しまなみ海道の素晴らしい風景を体感できたことへの感謝の気持
が入り混じる。

拙ブログでの 76キロを歩く との誇大表示をお詫びします。



しまなみ海道を歩くNo.4大三島

2017-05-30 09:50:30 | 山登り・ハイキング

しまなみ海道ウォーキングのレポートの続き。
生口島から大三島への多々羅大橋を渡る。
橋の中央で、広島県尾道市から いよいよ愛媛県今治市へ入る。



吊り橋の一種である斜張橋で、全長1,480 mあり、斜張橋では日本一







渡り切ると多々羅しまなみ公園に出る。





とにかく 先ずは生口島で食べそびれた昼飯をかきこむ。
島ラーメンが旨かった。
貝柱、海老のほか 鯛なのか それとも此処の名物幻の魚 マハタなのか、
とにかく海の幸が満載で薄味のあっさりしたスープが良く合っていて旨い。



未だ時間は早いが、今日の宿に一旦チェックインするべく 井の口港まで歩く。



二日目の宿 富士見園に到着。
朝 因島の金山港を出発してから20キロ程。



しまなみ海道ウォーキングからは寄り道になるが、
時間もあるので バスで大山祇神社へ。
天照大神の兄神、大山積大神を祀る。
クスの巨木に囲まれた境内は静か。
本殿、拝殿は重要文化財。宝物館には国宝、重要文化財に指定された鎧兜など
武具が多数展示されている。













宿に戻り、ゆったりと海水温泉に入ってから、別棟の宴会場へ出向くと
今宵も海の幸がテーブルを飾る。















こうなると 歩くのが目的なのか、宴会が目的なのか、分からなくなって来る。





一日目20キロ、二日目20キロの今日までは何んとか皆に着いて歩かれたが、
最終日の明日は36キロが残っており、それを考えれば不安だが、
旨い酒に酔って 今夜は眠ろう。
No.5「伯方島から大島へ---悲劇の結末」へ続きます。



初夏の収穫

2017-05-26 09:54:14 | tonton畑
しまなみ海道ウォーキングレポートの途中ですが、
既に 帰って1週間にもなるので、ちょっとこの記事を挟まさせて下さい。


もう日中は28度にもなって 日中は畑仕事が辛い。
出来るだけ 午前の早い時間に引き揚げることにしている。

今朝の収穫
キャベツに虫がついて、未だ大きくなる筈だが、収穫を余儀なくされた。



ズッキーニ、玉ねぎ、かぶ、苺など 少しづつ。
アスパラも毎日のように獲れる。





中身は今一の様だが、初めて空豆を獲ってみた。



夜、丸焼きにして 塩をふって食べたら この上なく 旨かった。



しまなみ海道を歩くNo.3生口島

2017-05-24 21:25:05 | 山登り・ハイキング

ウォーキング旅の二日目の朝は早い。
6時半には朝飯、8時に民宿を出発。
先ずは 昨日 下を潜った生口橋を渡る。
例によって 橋の高さまでなだらかに登るサイクルロードの入り口で記念写真
いつものようにtontonは撮影役。
実にタフなおっさん連中だっ!!



例によって遠回りして30m程の橋の高さまで登り、
生口橋(いくちばし)で因島から生口島までの790mを渡る。
海峡内の橋脚予定地の地盤が想定していたものより軟弱であったため、
計画が見直され、海峡内に橋脚を置かない長大橋とすることになった。







中央の車道の両側に自転車歩行者道が整備されており、地元住民の生活道路として用いられている。





渡り切って 大きく回って 生口島の北西岸へ向かう。



明るく晴れ渡ってまるで南国のよう。
松がヤシであればなおのこと。







超豪邸に目を見張る。
地元の人の話では もう3、4年工事を続けているという。



瀬戸田地区の名産のレモンを使ったスィーツの店が好評らしい。



中でも このトルチェは観光バスが乗り付け、遠くからもお客さんが来られるという。





隣の島 伯方島産の塩を使った アイスクリームは絶対お勧め。
夏ミカンシャーベットとセットにしてもらった。





少し歩くと今度はレモンケーキなどの名店 島ごころ









店外の休憩所もお洒落だ。



この日の朝 早くに出発したのには訳が有る。
生口島の平山郁夫美術館や耕三寺などを訪問するためだ。



平山郁夫は、昭和5年瀬戸田町に生まれ、
瀬戸内の青い海や緑の島々の織り成す豊かな自然の中で少年期を過ごし、
神秘的な潮の流れや群青色の海など瀬戸内の風土によって平山郁夫の感性は、
育まれた。
その後昭和20年広島市で被爆。その後遺症に苦しめられたが、
やがて「仏教伝来」を初めとする平和を願う作品を多く描くことになった。





この日は 平和の祈り 展の最中。





http://hirayama-museum.or.jp/shimanami.html



大型の作品の展示に感嘆するのみ。(もちろん撮影禁止)
リフォーム後のtonton宅に一つ欲しいな、とか思うが スケールがデカ過ぎて家が負ける。

美術館を出ると直ぐに耕三寺
「耕三寺」は、大阪の元実業家 耕三寺耕三が慈母への報恩感謝の思いを込めて
建立された浄土真宗本願寺派の寺院で「母の寺」と呼ばれているそうだ。







奈良・平安時代の浄土教の寺院をオマージュして繧繝模様や丹色を取り入れ建立されている。



この日は内部には入らずに 先を急ぐことにした。
ここから次の大三島へ架かる多々羅大橋へ向かって南下するサンセットビーチは素晴らしい。









昼飯を当てにしていた道の駅が休んでいて、
皆の非常食を分け合って当座を凌ぐ。



いよいよ多々羅大橋が間近に見えて来た。





この辺りの山はレモンの木で覆われていて、
レモン谷 と呼ばれている。















橋の真ん中で 広島県から 愛媛県に渡る。



次の No.4大三島 へ続きます。



しまなみ海道を歩くNo.2因島

2017-05-24 16:29:14 | 山登り・ハイキング

しまなみ海道ウォーキング
尾道から向島へ渡ったところからスタートして、約7キロ歩いて因島大橋で因島へ渡る。
自動車道の下に歩道兼自転車道と原付専用道が二階建になっている。



空中50mを散歩しながら、横を観ると瀬戸の海と島々、そして航行する船





1.3キロの因島大橋を渡り切って勾配を降りた所にある大浜崎キャンプ場



この地点のロードマップによれば、次の生口島へ架かる生口橋のたもとまでは10キロ
今日の宿は生口橋の少し向うの金山港にある民宿だ。



海岸沿いを1キロ余り歩いて陸の方に方向を変える。



瀬戸内の温暖な気候のもとで元気なキャベツなどの野菜畑が並んでいる。



左手に白滝山をみる山間に因島フラワーセンターがある。
この日は閉園日



広島県因島市の花は除虫菊



除虫菊は かつては蚊取り線香の原料として栽培されたが、
今は種の保存の目的で栽培されているという。



因島の真ん中には 村上水軍の因島水軍城があり、
この辺りの街道沿いには 幟が林立
村上水軍は、戦国時代に瀬戸内海を支配した海賊衆





地図で道を確かめながら 少し筋肉に違和感を感じ始めた足を運ぶ。



高台の因島運動公園を越えると、道は下りに転じる。
この辺りの温室では 花苗が栽培され出荷作業





やっと海が見えて来た時、生口橋まで2キロの表示



歩行が少し辛くなってきて、海岸風景が少し暮れなずんで来た。



夕暮れの対岸には 明日歩く生口島が近く見える。



明朝渡る生口橋





橋の下を潜ると もう民宿は直ぐそこ



分かり難い場所の民宿をやっとこさ探し当てたのは もう6時過ぎ
急いで風呂に入り、待望の一日目の晩飯
流石 瀬戸内の民宿、地元の魚尽くし
造りは超豪華



驚きは 尾頭付きの魚が三匹
名を忘れたが 鯛の親戚の塩焼き



メバルの煮付け



ガシラの唐揚げは写真撮り忘れ
魚の腹身の甘辛煮



煮物





味噌汁も 美味しいアラが入っていた。



見て呉れよりも実質本位の超豪華な魚のオンパレードにビールも進み、
海道歩きの疲れも吹き飛ぶ。
No.3生口島 へ続きます。