初場所中の19日、元横綱大鵬の納谷幸喜(なや・こうき)氏が亡くなり、
昨夜 通夜、今日、葬儀が執り行われた。
史上最多 32回の優勝、6連覇2回、全勝優勝8回、45連勝など記録にも事欠かない。
1960年初場所の新入幕で初日から11連勝したころ、
大鵬が土俵に上がる時間帯は、テレビ相撲観戦で銭湯の女湯が無人になったという。
入幕後たった2年で横綱に登り詰める天才も、
辛い子供時代と 世界一と自負する努力の積み上げに裏打ちされていた。
それは、この写真を見れば分かる。
ウクライナ人の父と日本人の母の三男として樺太で生まれ、
ソ連軍の侵攻で北海道に引き揚げて以来、
母子家庭での貧しさから納豆売りなどして家計を支えた。
相撲界に入ったとき、184cmの身長に対して70数キロとガリガリの体形。
鍛え上げて、横綱昇進時は187センチ・133キロのバランスの取れた体。
とにかくどんな体勢になっても、我慢して自身の有利に持ち込む負けない相撲。
当時「巨人・大鵬・卵焼き」と世間で言われたと報じられているが、
「巨人」と並べる事は大鵬に対して失礼極まりない。
実際、大鵬自身も「人を集めて来て優勝する巨人と一緒にして欲しくない」
と珍しく気色ばんでいたらしい。
tonton10代の頃、貧しい自宅にテレビは無く、
お金持ちの近所の家のテレビの前で相撲に熱狂した。
恐らく国民の大半が観ていただろう。
しかし、tontonは、もう一人の横綱 柏戸が大好きだった。
しゃにむに 前に突進する豪快で男らしい相撲。
ときに玉砕するが 恐ろしい破壊力。
誠に おこがましいがtontonの理想の生きざまだ。
柏戸は男性ファンの人気が高く「大洋、柏戸、水割り(阪神という説もある)」
という言葉が存在していたらしい。
ちなみに、彼はエビの天ぷらが大好物で、一度に130匹食べたと言う。
さすがっ!
残念ながら 若くして 腎臓病に侵され、人工透析を続けながらも
1996年12月8日に58歳で死去。
お二人の大横綱に 哀悼!!!