dr.tontonの写真日記

日々の記録を写真とともに綴ります。

じゃが芋掘り

2017-01-30 20:08:13 | tonton畑

畑のじゃが芋は本来 この季節に掘るものではなかろう。
掘らずに放っておいたら、先日の雪で一瞬にして 萎れてしまった。

流石に部分的には傷んでいるが 二日がかりの結構な収穫。

姪っ子の子供も加わって芋堀り



一応、メークイン、北あかり、そしてアンデス赤の三種類

辛味大根と じゃが芋を両手に。






可憐で豪華 水仙!---灘黒岩水仙峡

2017-01-27 20:29:05 | 花の旅

久し振りの花の旅!
南淡路にある灘黒岩水仙峡にやっと行けた!
天候の具合などで延び延びになって、
もう見頃を少し過ぎたとのこと。
明石海峡大橋で淡路島にわたり、
まさに島を縦断して南淡路の海岸沿いを走る。



遠い道のりを車で飛ばしてやっと着いた水仙峡はもう春の気候。
急傾斜の東斜面を見上げる。



厳しい階段を登って 下方 東斜面を見下ろす。



更に登る。
ここは水仙峡 桃源郷



上り詰めると 突然南側に太平洋が現れる。



この水仙峡の真骨頂
海と水仙と そして梅







暫し この水仙峡の醍醐味をお楽しみください。













諭鶴羽山から太平洋を望み 紀伊水道に続く斜面約7haに、
約500万本のニホンズイセンが自生する。
日本にはこの様な水仙の大群生が三か所あるという。
北陸越前海岸、房総半島、そして此処。



帰路は 少し回り道して 福良漁港へ出て、名物海鮮丼に舌鼓を打って
再び高速道を飛ばした。








ABC上方落語をきく会---大人の遠足

2017-01-22 08:19:27 | 大人の遠足
久し振りの更新です。
以下、文中は敬称略。


大人の遠足 新春第二弾は「ABC上方落語をきく会」。
この会も、第1回目が1955年(昭和30年)12月1日に大阪高麗橋の三越劇場で
行われて以来、実に第115回目を迎える。

昭和28年に2代目桂春團治が没して、大看板が皆無となり、
没落寸前であった上方落語を何んとか復興させようと、
ABCラジオの松本昇三と澤田隆治が企画し、
引退同然だった4代目桂文團治と橘ノ圓都を上に置いて、
当時二つの派に分裂していた上方落語家の顔をそろえて始めた。
二つの派とは、
6代目笑福亭松鶴(当時、4代目枝鶴)と3代目桂春團治(当時、2代目福團治)らが
出演する戎橋松竹派と、
3代目桂米朝、5代目桂文枝(当時、3代目小文枝)らが出演する宝塚落語会派の2つだ。

この反響は大きく、年に2,3回のペースで
時には東京からの来演も交えながら着実に実績を重ねた。
昭和30年代には、
松鶴、米朝、春團治、小文枝のいわゆる上方落語四天王を中心に、
60年代後半になると、
笑福亭仁鶴、2代目桂枝雀、桂三枝(現・6代桂文枝)、2代目桂春蝶といった
次世代の若手たちの登竜門になり、空前の落語ブームといわれた時代の中心の落語会と
なった。
-----以上 ウィキペより----

大人の遠足のメンバーは12時開演を前に、梅田のシアタードマラシティに集合、
この日は、病床から果敢に立ちあがった友も5カ月振りにめでたく復帰して参加。

昼の部の会場は中高齢層が目立つ。



ナショナルの緞帳に歴史を感じる。



先ずは、年末のなみワングランプリにも出演し気を吐いた若手桂弥太郎の登場。
「転失気(てんしき)」がおならを意味することを知らずに知ったかぶりする面々を
面白おかしく演じる。桂弥太郎は桂吉弥の弟子だから米朝のひ孫弟子に当たる。
なかなか落ち着いた若手の登場だ。

熱演が終わると、ABCのアナウンサー三代澤と伊藤が登場し、
ここからABCラジオの生放送に入ると説明。



トップバッターは なみワングランプリで優勝して勢いに乗る桂三語、桂文枝の弟子。
出し物は二人癖
「つまらない」と言うのが口癖の者と「呑める」が口癖の者の丁々発止のやり取りで笑わせる。
「えぇ、人間なくて七癖とか申しますが、わしは癖がない、とおっしゃるお人でも、
七つぐらい癖をお持ちでございまして」で始まるのが師匠の文枝風らしい。





続いては平成6年入門の桂春蝶の「紙入れ」
新吉と得意先の奥さんとの不倫、そこへ帰って来る その旦那の三人が織りなす艶話。
とても昼の日中からラジオの生放送で演じる様なネタではない。
しかも今やベテランの域に達した桂春蝶の怪しいまでの色気に場内は
しーんと静まり返ったり、爆笑の渦になったり。
tontonは畑仕事の耳から入って来るラジオ関西のmcで春蝶は聞き慣れているし、
破天荒だった親爺さんの芸と 後に命取りになった阪神狂ぶりをよく知っているだけに
成長ぶりに感慨深いものがあった。



先代の桂春蝶



そしてこの日の企画、平成6年同期対決の桂かい枝の登場
茶屋迎いの一席で爆笑を誘う。
お茶屋に入り浸る息子若旦那を 店の者が迎えに行っては
ミイラ取りがミイラになるという上方落語でよくあるパターンのお話。



前半の取りは 重しとして出演したと司会者が言う桂きん枝
不動坊という冬の幽霊の話だが、申し訳ないが、大失望。
もともと落語家というよりタレントに向いている きん枝、
この様な 本格落語を競い合う大舞台は無理なのは 鼻から分かっている筈。
口調にもジェスチァーにも無駄が多く、客は話の中の世界に入って行けない。

一時漫才の台本作家を目指してシナリオ学校で学び、厳しい添削を受けていたtontonは、
漫才も落語も、一作の中に独自の世界を作り出し、その中に客を没入させてこそ、
と思っている。

折角熱くなった場内が寒々とした所で 中入り。



この中入りがまた問題だった。
900人が満席で、2時間たっての幕間、トイレへの殺到は素人でも想像が着く。
まして高齢層が多い中、小さいトイレの前には長蛇の列
しかも生放送で休憩は10分厳守、開演後は一席が終わるまで入場するなと言う。
急遽の場外トイレも可とかの手立ても焼け石に水。
列が長すぎる。
次回での善処を望みたい。

さて、中入り後は平成3年入門対決 桂文三 と 今や飛ぶ鳥落とす勢いの桂南天
桂文三(ぶんざ)は そのキャラクターと風貌から「踊る肉団子の甘酢あんかけ」または
「「肉団子。甘酢あんかけ中華風」と称されるとか。
実に人懐っこく明るい好人物振りが高座に出て、ついつい笑いに誘われる。
自身は下戸というのに、親子酒と言う酒好き親子の笑いどころの多いネタを
見事な酔っ払い振りで演じてみせた。



最後は今 脂が乗り切った桂南天の代書。
代書屋が 文字が書けない主人公の履歴書を代りに書く。
スカタンなやり取りに大爆笑が沸き上がり うねりとなる。
ラジオの録音に笑い声が大きすぎる位に入ったらしい。



桂南天の大名跡を二代目として継いだ南天は
大阪芸術大学映像学科を卒業し、
苦労して、1人しか弟子を取らない主義の桂南光に弟子入りを認められた。
仲間内での愛称「らくだはん」は、
大阪芸術大学落語研究会時代の「田舎家らくだ」という芸名に由来する。
そう言えば、何んとなく顔つきが「らくだ」に似ているから不思議だ。



「代書」は桂米朝 桂枝雀などの大御所が演じた有名な演目だが、
枝雀が、無筆の男を「生年月日」「学歴」といった言葉の意味さえ理解しない人間に
仕立てることで、笑いの飛距離を極端に伸ばしたとされている。

笑い続けて3時間余り、
シアタードラマシティの前で記念撮影
打ち上げ会場の かっぱ横丁 丸一屋へ直行した全快の友が映っていないのが残念



たまには我を忘れて笑う
これが進行しつつある呆けに少しでも効果があれば良いのだが・・・・・



雪のtonton畑

2017-01-15 10:54:49 | tonton畑

昨夜からの雪。
今朝起きてみるとtonton地区でも 珍しく積雪

今季初積雪のtonton畑



喫茶コーナーも極寒?



自宅上の道路は車の輪だちが2、3ついているだけで、足跡は皆無



昨日は強風だったので、
雪も吹き降りだった様で、屋根のあるガレージに停めた車にも積雪がみられた。







昼前に一度止んで、ネットの上の雪を落としたのに昼過ぎに再び降り始めた。





それでもせいぜい2cm程度の積雪。
スキー場はウハウハだろが、
雪の被害にあわれている皆さまにはお見舞い申し上げます。









初春の花

2017-01-12 20:25:14 | tonton畑

玄関先の初春の花
年末にコーナンで 葉ボタンなど それぞれ単品の売れ残りの特売品を買い集めて、
200円程のプラスチィックの鉢に自分で植えた物。



これは 正月に売れ残りの品を買った物を大きめの鉢に植え替えた。



我が家の畑や花壇のあちこちで この水仙が咲き揃い見頃を迎えている。



正月から毎日のように餅を食べ、
一昨日と昨日、「呑んで食べて」が度を越したので、今日は歩かなくては!
と家を出て、いつもの満願寺への道みすがら、
道脇のお宅にこれっ!
陶芸教室の先生のお宅に、見事な作品を飾ってある。
鶏年に因んだ、紅白の焼き物の鶏 に合わせた白菊と万両が可愛く洒落ている。
赤い靴も可愛い。



お墓参りに、自宅の水仙と 紅梅もお供えした。



この後、軽い山越えをして多田まで歩いて、
本来なら能勢電で帰るところを、能勢口経由で自宅まで歩くことに。
更に自宅までの急坂道を登って、
9キロ程の行程を歩いて、
食べ過ぎたお餅で張った腹に、やっと空腹感が戻って来た。