dr.tontonの写真日記

日々の記録を写真とともに綴ります。

明石海峡大橋に登る---大人の遠足、今回はちょっと理系

2019-09-23 17:41:00 | 大人の遠足

普通は、橋は渡るものだが・・・⇒タイトルの意味は後程

元の会社の同期会「大人の遠足」、
今回は 明石海峡大橋ブリッジワールド。
「なんのこっちゃ?」と思われようが、それも後ほど。
集合場所のJR舞子駅で、我らが「大人の遠足」の新しい旗のお披露目。
古い旗が長年の風雪に晒されて、
表面が劣化しボロボロと剥がれ出したため、
この御仁が再作成して呉れた。



退職後以来、原則月2回開催で既に、200回を越えているが、
あくまで目標は高く、480回を目指している。
他に深い意味は無い。



1時過ぎからの大橋でのイベントまでの時間に、舞子公園を散策する。



千鳥通う白砂青松の舞子浜は、古くから詩歌に詠まれ、
陸路、海路を旅する人々にこよなく愛されて来た、
なかでも明治天皇はこの地をことのほか愛され、
7回にわたって行幸されたという。
そんな経緯もあり、兵庫県は明治33年(1900年)に、
この天下の景勝の地を初の県立都市公園として開園した。

公園内には明治・大正・昭和の3つの時代と、
和・洋・中の3つの文化の趣を持つ歴史的建築物が
修復または復元され当時と変わらぬ姿で公開されている。

まず最初は、木下氏の旧家





旧木下家住宅は、昭和16年に竣工した数寄屋造近代和風住宅。
阪神・淡路大震災以後、姿を消しつつある阪神間の和風住宅のなかで、
創建時の屋敷構えをほぼ完全に残す貴重な建物として、
平成13年12月に国の登録有形文化財に登録された。
前庭と中庭には創建時の庭造りの様子が残っており、
隣接する舞子公園と融合した緑豊かなたたずまいになっている。









続いて、「旧武藤山治邸」 旧鐘紡舞子倶楽部は、
鐘紡の中興の祖と言われ、
衆議院議員として活躍した武藤山治(1867年―1934年)が、
明治40年に舞子海岸に建てた住宅。















三つ目の 孫文記念館(移情閣)
八角形の天井の装飾が素晴らしい。











孫文(号は中山)は、中国、清末・民国初期の革命家、政治家。
台湾では国父、中華人民共和国では革命の父と呼ばれ、
その長い革命活動の中で、多くの日本人と関わりを持ち、
数度の亡命も含めて何度も日本を訪れている。

「移情閣」とも呼ばれる孫文記念館の外様は、この模型で良く分かる。



ノスタルジックな面影を漂わす3階建ての八角堂がシンボルで、
大正4年に神戸の貿易商・呉錦堂が建てた別荘。
昭和59年には「孫中山記念館」として一般公開され、
かつてここを訪れた中国革命家孫文に関連する資料を展示している。
平成5年「県指定重要有形文化財」、
平成13年「国指定重要有形文化財」に指定された。
どう見ても、八角形だが、地元では 六角堂と呼ばれているらしい。



三つの建物と歴史を学んだあと、公園内で昼飯
食後、いよいよ今日のメインイベント会場の明石海峡大橋に向かう。





大橋を目の当たりにして、つくづく思う。
「それにしても、人間の考えることはスケールが大きく、
しかも このアイデアをあの手この手で実現してしまうのだから 凄い!!」





ブリッジワールドでは、吊り橋のケーブルを支えているアンカレッジから、
主塔まで1キロを歩き、そこから海上300mの主塔に登る催し。



先ずは、講義室に入り、厳格な注意事項を聞く。
参加者本人の安全のみならず、
橋の下を航行する船や、橋の高速道路上を走る車に対する配慮が要るのだ。
講義室の前には、班分けされた参加者の氏名を書いた座席表が
掲げられている。



チョッキとカメラや携帯などを首から吊るすトラップが配られ、
ヘルメットを着用する。
直接頭に触れる部分は紙製で使い捨てになっているのも嬉しい。







最初に、一階の橋の科学館で橋建造の歴史、構造などを学ぶ。

瀬戸内海によって隔てられていた本州と四国は1988年(昭和63年)の瀬戸大橋、
1998年(平成10年)の明石海峡大橋、
1999年(平成11年)のしまなみ海道と、
本州四国連絡橋3ルートの完成により一体化された。

本州四国連絡橋は風、地震、潮流、複雑な海底地形などの自然条件、
航行船舶、漁労船など海峡を取り巻く厳しい建設条件などを
様々な技術開発と創意工夫により克服し、
調査から40年の歳月を費やし完成するに至った。

「橋の科学館」は、その本州四国連絡橋のうちでも
世界一を誇る明石海峡大橋を主体に本州四国連絡橋の建設に使われた、
世界最高水準の架橋技術を一堂に集め、
人々の知的向上心を高める学習の場として、
また架橋技術の広報の場として設置されたサイエンスミュージアム。



実際に風洞実験等を行ったという1/100模型、全長41mを展示するために、
この科学館の長さを決めたという。





全長3,911 m、中央支間1,991 mで世界最長の吊り橋。
最長とは、二本の主柱(主塔)間の距離1991mが世界一であるということだ。
1998年(平成10年)の開業以来、「ギネス世界記録」に認定・掲載されている。
建設費は約5,000億円。

本州と四国を結ぶ3本の本州四国連絡橋ルートの一つで
高速道路も供用されており、
交通量も本四架橋の橋の中では最も多く、
四国と近畿、本州を結ぶ交通の要になっている。

強い海流の海底を掘っての、
この主塔の基礎建設の際の苦労は 大変なものだったようだ。



更に、吊り橋の命 ケーブル
メインケーブルは片側1本で計2本、
1本につき290本のストランド(正6角形に束ねられたワイヤー)で構成されている。
そのストランドは127本のワイヤー(高強度亜鉛めっき鋼製)で構成され、
ケーブル1本の合計で36,830本のワイヤーを使用していることになる。
この橋のために、直径5.23 mmで
引張り強度は1mm2あたり180 kgのワイヤーが
新たに開発された。
1本のケーブルの直径は112.2 cmになり、
約6万トンの荷重を支える。
風雨から保護し、腐食(錆び)を防止するため、
表面をゴムで覆い、さらに内部に脱塩、乾燥した空気を常時送風している。
ケーブル架設の第一歩であるパイロットロープ(ポリアラミド繊維製)の渡海には、
世界で初めてヘリコプターが使用された。
メインケーブルを構成するワイヤー1本1本をつなぎ合わせた時の
合計距離は約30万km(地球を7周半に相当)にも及ぶ。



----今回は、ちょっと理系だ!!









海上300mからの絶景や 大橋を歩行で渡るスリルの一端を
画像からお楽しみください。

























人間技のダイナミズムを体感し堪能した後の 
この日の打上げは三ノ宮の居酒屋





興奮冷めやらぬメンバーの話は 当然盛り上がる。



大人の遠足 台風の彦根---幻の鳥人間コンテスト等

2019-07-28 18:03:00 | 大人の遠足

7月27日、会社の同期会としては珍らしく土曜日の開催。
というのも、日テレ系列の「鳥人間コンテスト」の大会を観るためだ。
ところが何の因果か、台風6号が接近中とあって、
雨に弱いtontonとしては、参加するか否か、散々迷い倒した。
最後に参加の決め手になったのは、
この日初めてJRの青春切符を近くに住むメンバーと共通で使うことと、
家を出る頃には未だ、台風の気配がなかったため。

大会は彦根に近いびわ湖岸で開催され、
会場までは、テレビ局がシャトルバスを手配している。
JR彦根駅に近付くにつれ、雨が激しくなって来て、
今日の行事を見直すか否か?の判断を迫られる。
頑固、いや、意志の堅い幹事さんの
「バスが出ていたら、会場へ行こう」
の判断に従う。

これが発射台、と言うか 勢いを付けて ここから湖面に飛び出す。
この日は 滑空部門



早速、そこら辺のスタッフを捕まえて、記念写真。
皆の軽装が際立つ。
半ズボンの兵も。



全国の大学等からの参加者達が 恨めしそうに 発射台の方を見やる。



トラックには これから組み立てようとしていた翼などが乗せられている。



操縦者を映すカメラ



大会中止の訃報に 機材の撤収が忙しい。



我々野次馬は、何とか発射台に登れないかと、傾斜に向かうが
ガードマンに冷たく阻まれる。



横殴りの雨には、このポンチョが最強のアイテム。
彼が マチュピチュなどへの中南米旅行で買い求めたものだ。



仕方なく湖岸の松原沿いに彦根城方向に向かう我々 遠足メンバーは
飛行機を分解して運び出す参加者達とすれ違う格好に。
tontonがカメラを向けると、この いかついリーダーと思しき青年が
ピースサインで応えて呉れた。



分解した機材からは、如何に軽くして、如何に大きな揚力を得るか、
に対しての彼らの1年間の研究成果と苦労が うかがえる。







湖岸沿いの広い会場には、マナーマップが何か所も貼り出されている。



帰路のバスは待ち行列だし、
一応 如何に暴風雨の中とは言え、ここは遠足として、歩くのが筋、
とばかりに彦根城方向へひたすら歩く。
当然、他には歩いている人など皆無。
ある意味、狂気の沙汰だ!



滋賀大学OBが二名居ることも強みで、
夏季休暇中の大学構内に入り、
屋根のあるスペースで弁当を広げる。
たまたま通学してきた学生が、 
怪しいおっさん集団が学内で弁当を食っている図を観て、
驚きの表情を隠そうと、思わず 目をそらしていた。

続いて、彦根城を横目に歩いて、
彦根東高校を見学。
野球部が甲子園に出場する度に 立派な石碑が建てられている。



台風は、中部地方へ逸れているというのに、
勢力の強い雨雲が丁度彦根の上に居座っているらしく、
暴風と バケツをひっくり返したような雨が
一向に上がる気配がない。
ずぶ濡れの体を休めようと、雨宿りを兼ねて 地元の有名菓子店 たねやに入る。
和菓子専門と思いきや、二階に洒落たカフェがあり、
遠足メンバー達は 何時になくケーキセットをご所望。





甘いものが苦手で、紅茶のみをすすっているtontonに
メンバーの一人が パンにジャムを塗って、
「食べろよ」と拠出して呉れた。



同情を誘ったtontonはと言えば、
早々に 安物の傘が風でバラバラになり、
折角着込んだ登山用のジャケットも登山靴も 
防水が剥げ落ちて上下半身 靴の中まで ずぶ濡れ。
近くのコンビニに走って傘とカッパを買ったのも 既に 手遅れで、
体が冷えて寒気がしてきたため、
彦根から高槻まで皆と同行して、
ここで打ち上げ宴会するメンバー達と別れて、
早々に自宅に戻って、あらゆる手段で体を温めた次第。

台風の暴風雨など 物ともせず 半ズボンで乗り切る逞しいメンバーとの
体力の差を まざまざと感じた大人の遠足であった。




明日香散策 大人の遠足 No.2 おふさ観音、今井町町並み  

2019-07-08 19:54:00 | 大人の遠足

飛鳥資料館の素晴らしい展示をじっくり観て、外の亀石にも対面して、
土産店で恒例行事となった ソフトクリームを味わう。
この近くの吉野の葛(くず)入りだという。
吉野の葛は値も張るが、根がこんなに太いとは知らなんだ。



ここから飛鳥川沿いを歩く。

先ほどの亀石ではないか?
と思わせる大きな亀が道の真ん中で我々を歓迎してくれた。



飛鳥川沿いに小一時間歩いて、お房観音へ。
初夏と秋は バラの寺として有名だが、
この時期は境内全域に、全国の風鈴を集めて吊るして風鈴祭り、
この時期は風鈴寺とも呼ばれている。






奥には、日本庭園 円空園があり、ここにも数匹の亀が居る。







この日は 降られなかったものの、猛烈に蒸し暑く、メンバーは皆グロッキー気味。
時間も4時前となって、さていよいよ打ち上げ宴会に向かって行くと思いきや、
これから今井町を散策するという。
tontonは今まで知らなかったが、近鉄八木駅へ向かう途中の一角が、
「伝統を今に伝える 奇跡の町 」だという。
歴史が止まったままの様な町は 重要伝統的建造物保存地区。



古い町屋が300軒以上も 残っている。































時代錯誤を起こしそうな この町並みに目を付けて、
NHKの朝ドラ あさが来た、ごちそうさん や映画のロケ地 舞台となっていることも
初めて知った。



この日も 時代劇映画を撮影していて、
我々おっさん11人の大団体が通りかかると、
このスタッフに一旦 制止され、その後 早く早くと促されて
和服の綺麗な女優さんの顔も良く観ないまま 通過した。





珍しく5時を少し過ぎてから八木駅駅前 屋台寿しで 打ち上げ宴会







明日香散策 大人の遠足 No.1 飛鳥寺、甘樫丘、飛鳥資料館  

2019-07-05 18:21:00 | 大人の遠足

大人の遠足の前回行事のブログアップが遅れ、
昨日の行事と相次いでのブログアップとなる。

心配された天候も回復して、僅かに時折晴れ間も見られた昨日6月4日、
奈良の明日香村散策に出掛けた。

7世紀の飛鳥は、日本の政治・文化の中心だった。
そして1400年の歳月を経て、田園風景になった。

近鉄 橿原神宮前駅から明日香周遊バスで万葉文化館へ。
定例の休館日ではないのに、運悪く展示替えのための休館。



近くの亀形石造物を見学しようとすると、シートが掛っていて観られない。



横の階段を登って 酒船石を見学。
大きな舟形の石の上面に何やら溝などが掘り込んであって、
ここで酒を絞ったのではないか、とのことだが、石のスケールが尋常ではない。
実際に絞ったのは、油か薬かという説もあるらしい。





ここからの交通手段は 全て歩き。
飛鳥寺へ。
観光バスが横付けするだけあって、
近くには すっかり観光地化した売店が。





しかし、飛鳥寺は 千数百年前を偲ばせる佇まい。





本堂に入って、法話を聞く。
此処は撮影自由
有名なこの飛鳥大仏は鼻が高く インド風にも見える。



左右からの表情が微妙に異なるという説明だったが、?







聖徳大使象







寺から少しだけ離れた 蘇我入鹿首塚に歩く途中、
紫陽花や季節の花が美しい。





蘇我入鹿(そがのいるか)首塚
妙な名だが、あのイルカに因んでいるという説もあるらしい。



祖父 曽我馬子、父 曽我蝦夷の家系は天皇家に近付き、
遂に 実権を自らが持つに至った豪族。
それに輪を掛けた様な入鹿の傍若無人ぶりに、遂に645年、
宮中での儀式の最中に、入鹿は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と
中臣鎌足(なかとみのかまたり)らに殺された。
その際に ここまで首が飛んだとか。

甘樫の丘に向かって歩く。
この辺りを歩いていると、なんとなく古代の香りがする。
tontonは学生時代に、犬養孝先生の万葉の講義を満員の教室で
立ち見で聴いた覚えがある。
独特の高い声で 伸びやかに吟じられた歌声が 懐かしく、
今にも聞こえてくるようだ。





丘のてっぺんから、飛鳥寺を見下ろす。











飛鳥資料館
考古資料、美術資料、写真パネルなどで、飛鳥の歴史と文化を解説してある。



入館料が只になるとあって、個人情報満載の免許証を差し出す。
空中写真の床に ジオラマ模型などを配した 迫力ある展示







高松塚古墳



ここに来れば、明日香の全てが分かる仕組み





















明日香の歴史と自然を肌で感じる散策は まだまだ続きます。




びわ湖バレー 大人の遠足

2019-06-30 09:45:56 | 大人の遠足

山口旅のブログアップに手間取っていて、この記事のアップも今頃になってしまった。
しかも、このときは愛用のデジカメが三度駄目になっていて、
このブログの写真は、大人の遠足の仲間が撮影した画像を拝借した。
--------------------------------

6月20日 会社同期の大人の遠足、
今回は びわ湖バレー散策。

志賀駅に集合
駅から江若交通のバスでロープウェイ乗り場へ





曇天と 湖面の水蒸気のせいか、琵琶湖は残念ながらうっすらとしか見えないが、
一気に標高1100mまで登るのは 誠に快適である。、



打見山山頂にある スカイテラス
平日にもかかわらずの多くの観光客のお目当ては ここ



びわ湖を見渡せる、美しいテラス。
縁に足湯かと思わせる水場があるが、
手を浸けて見ると、湯ではなく水だった。



これから登る蓬莱山を背に、先ずは健康に感謝しながら記念写真



蓬莱山に登る途中には、アイデア豊富な遊具が一杯。



金を掛けずに、子供は勿論、大人も童心に還って熱中できるアイデア豊富な遊具は○。





冬はスキー場の此処は、リフトがあり、登りに自信のない人は楽に上れる。
歩くと、結構きつい。



何故か、この後の写真がパソコンの何処かへ隠れてしまい、
画像はこれでお終いだが、
この後、蓬莱山頂での昼飯のあと、スカイテラスまで下山し、
再び ロープウェィとバスでJRを乗り継いで、高槻 豊丸で打ち上げ宴会。

この日は、びわ湖が霞んでよく観えなかったのは残念だったが、
梅雨のさなかにしては雨に降られず、比良山系の爽やかな山の空気で
心も洗われた一日だった。