徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

最後の夢(第六十八話 静寂の鬼)

2006-01-08 23:58:57 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 否…とは言えなかった。
後継者翔矢に拘ったのは樋野側…城崎でも紫峰でもない。
万が一奇跡でも起きて翔矢が長として立つに足る者に成長をしたとすれば、それは樋野にとって喜ぶべきことと考えても良いのではないか…。
まあ…無理だろうが…。

 邦正があの体たらくでは後継がそれほどの者でなくても文句は言えまい。
あの邦正の許でここまで樋野が平穏に過ごしてこられたのは長夫人の珠江が黙ってしっかりと後見を果たしていたからだ。
 普段は良い男なのだが…怒るとまるで人が変わる。
翔矢じゃないが本当に人殺しもしかねないほどに滅茶苦茶なことを考える…。
陽菜の方がよほど長に向いていたのに早世したのは惜しいことだった。

 忠正は大きく溜息をついた。
他の長老衆とも顔を見合わせ暗黙の了解を得た。

 「翔矢が立ち直った場合には…樋野は翔矢を真の長として迎えましょう。
決して傀儡には致しません。 粗末にも扱いません。 
宗主…城崎の長…この旨誓って相違ございません。  」

 城崎は驚いたように修の顔を見た。
修は穏やかに笑みを浮かべながら頷いた。

 「では…翔矢の再教育…紫峰がお引き受けいたしましょう。
仮に翔矢が戻ってくるとして…それまでの間は樋野ではどなたが長代行になられますか?」

 忠正は考えた。
自分でもよいが…邦正の手前もある。珠江なら代理としては問題あるまい。
何事かあった時には自分が動けば済むこと…。

 「長の内室に…代行させようかと思っております。
珠江はわりと近い身内で樋野の血を引いておりますし、今までも本家の要でありましたから誰にも異存は無いかと…。 」

忠正は思うところを述べた。

 「それは重畳…。 忠正さんも当然…後見に就かれるのでしょうな。
なに…紫峰家としては樋野のお決めになることに口出しをするつもりはありませんが、今後の連絡先のこともありますからね…。 」

 珠江夫人が樋野の長の席についたところで樋野と城崎は紫峰を仲介として両家和解の手打ちを行う運びとなった。
 城崎としてみれば腹に据えかねることも多々あるが、ここでことを荒立てては両家は永久に和解の機会を失う。 
亡くなった陽菜の気持ちを思えば、これ以上の争いは無益…避けねばならない。
 兎にも角にも大事な息子たちが長の年月を経てようやく父親の城崎の許に帰ってくるのだ。
そう思うとこの手打ちの式には感慨深いものがあった。

 

 樋野本家の屋敷に今まさに手打ちの音が響こうとした時、突然、座敷に血相変えた長邦正が飛び込んできた。
邦正は狂気とも思える鬼の形相で周りのすべての者を睨みつけた。

 「手打ちなど許さん! 
忠正…おまえが居ってこのざまは何だ?  なぜ戦わん! 
紫峰の若造が如何な奇跡の力の持ち主と言えど戦わずして白旗を振るか?
 俺が倒れたらおまえが代わって指揮を取り、一族の最後のひとりまで命を賭して戦うのが樋野の流儀ではないか? 」

邦正が声を限りに怒鳴るのを忠正は平然と受け流した。

 「間違えるな邦正…。 紫峰衆は戦いを挑んできたわけではない。
樋野の若手の愚か者が血迷って攫ってきた娘御ふたりを救いに来たまでのこと…。
 悪いのは馬鹿なまねをした当方の若い衆だ。
長であれば詫びて当然のことであろう…。 それを何だ…いい年をして…。 」

 忠正の答えに言葉を失った邦正は他の長老衆の同意を求めるように彼らを見た。
誰もまともにその視線に答えず眼を逸らせた。
 邦正は怒りに震えた。
紫峰の若造や城崎の狸めの甘言に乗り、長である俺を無視するつもりか…。
樋野最強の力を甘く見たか…。

 「翔矢は渡さん! 翔矢は樋野の子だ! この俺の宝は誰にもやらん! 」

 邦正の怒りが頂点に達した。
いまや執念の塊と化した邦正はあろうことか自分に反対する忠正目掛けて念の爆撃を開始した。
 忠正は一瞬早くその場を逃れたが傍に居た長老のひとりが煽りを食った。
邦正の攻撃は的を得ず相手が誰であろうと関係ないようだった。
怒りに我を忘れた男は手当たり次第にものをぶち壊し、壁を破壊し、人を襲った。

 城崎の面々も紫峰側の者も攻撃を避けて障壁を張った。
忠正と珠江は長代行らしく客人である紫峰宗主の前に身を挺して出鱈目な邦正の攻撃を受けることの無いように護っていたが、そのことがさらに邦正の怒りの火に油を注いだ。
 樋野の誇りを忘れて強者に媚び諂うか…。
歯止めの効かなくなった力は同族をもさんざんに痛めつけ、何事かと駆けつけた樋野の中枢部の使い手たちをも巻き込んだ。
翔矢の場合とは違って彼等も長を取り押さえることには遠慮があるし抵抗もある。

 「翔矢! 欲しい物は金も物も不自由なく与えて育ててやった恩を忘れたか? 
久遠! 家出したおまえを拾ってやったのは誰だ?
おまえらふたりともあれほど可愛がってやったのに…俺の心を裏切るのか? 」

 久遠も翔矢も動揺を隠せなかった。
確かに…確かに優しい時の伯父は自分たちを可愛がってくれた。
まるでペットか人形のように猫可愛がりしただけだが…それでも恩があることには変わりはない。
 だが…ひとたび人が変わるとふたりとも死ぬほどつらい眼に遭わされた。
そのことも忘れることができない。

 翔矢の手が震え久遠はその肩を抱いてやった。翔矢の恐怖が伝わってきた。
久遠脳裏に思い出すだけで怖気奮うあのことが浮かび上がった。 
 あの時翔矢が久遠にしたこと…翔矢が伯父の顔を暗示したのは自分の罪を隠すためだけではなく…もしかしたら翔矢自身の…。
久遠は翔矢の顔を覗き込んだ…怯えた翔矢の顔…。

 思い出すな…と修の声が頭に響いた。
おまえの中の鬼を起こすな…。これ以上…鬼を肥やすことはない…。
僕がすべて引き受ける。鬼に食い荒らされるのは…僕だけでいい。
僕はもう…鬼そのもの…。

 久遠は驚いて修を見た。
修は悲しげに微笑んだ…。

 「忠正さん…珠江さん…離れていなさい…。
この男は…もはや救いようがない…。
おのれの怒りに任せて一族を滅ぼそうとするなど長のすることではない…。

 久遠や翔矢の受けた痛み…それが分からないとは人とも言えぬ…。
恩の押し売りはするものではない。
見返りを受けようとする者に恩を語る資格などは無い…。 」

 修の周りに名状しがたい冷気が漂い始めた。
紫峰の面々は修の中の鬼の覚醒を止められぬことを悟った。
長老衆も使い手たちもあたりの異様な寒さに身を震わせた。
 紫峰宗主の雰囲気がだんだんに変化するのを身の内から感じ取って忠正も珠江も畏れ慄いた。

 青く澄んだ焔が修の身体を覆った。
透と雅人は顔を見合わせた…あれは…あの最悪の奥義ではない…。
だが…恐ろしく青い焔…怒りの焔には違いない…。
どうするつもりだろう…。
ふたりは今までに眼にしたことのない清んだ焔に眼を奪われた。

 城崎も瀾も修の姿に紫峰の本当の恐ろしさを感じ取っていた。
憐れみも同情も感じられない…まして慈悲もなく…強いて言えば感情そのものが無いように思える。
透き通った青の焔…。

静寂の色…。

 邦正が狂気のように未だ暴れまわっていることを、その場のすべての人から忘れさせてしまうような別世界が修の周りにできあがっていた…。





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