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徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

二番目の夢(第十八話 闇の声)

2005-07-27 22:44:56 | 夢の中のお話 『鬼の村』
 修のたちの家に到着した時、隆平は夢を見ているのかと思った。
どでかいゲートの向こうに広がる立派な庭園と林の間にいくつかの建物が見える。
 だいたい庭の中を車で走るとは想像もしていなかった。まるでゴルフ場の中に屋敷が点在しているといった感じだ。

 母屋の玄関をくぐると、はると呼ばれる女中頭が迎えに出てきた。
隆平の家にもお手伝いさんが二人ほどいたが、それは女手がないために来てもらっていたにすぎず、何とか頭などというものとはほど遠かった。 
代々紫峰家に仕えているこのはるという人にはいかにもそれらしい風格があった。

 「はる。 この子が隆平くんだ。 よろしく頼むよ。」

修がそう言うと、はるはにこにこと笑って頷いた。

 「お待ちいたしておりました。 お部屋の用意はできておりますよ。」

隆平は恥ずかしそうにぺこっと頭を下げた。いかにも気後れしているようだった。

 「まあまあ…隆平さま…使用人に対してはもっと堂々となさいまし。
高飛車であってはいけませんが決して臆してはなりません。
よろしゅうございますか…紫峰家は…。」

 「はる。 その話は後で…。 部屋が先だ。」

修に促されて、はるは少し頭を下げ先にたって案内した。
そのはるを透と雅人が追い越した。
修は祖父に帰宅の挨拶をしに行ったようでついては来なかった。

 「隆平くん。 向かって右が僕の部屋ね。 で…隣が修さん。 」

透が指を指しながら言った。

 「その左が僕ので…えと…君の部屋はそのまた左! 早く来て開けてみて!」

 隆平が扉を開けるとすでにすぐにでも使えそうな状態になっていた。
寝心地のよさそうな大きなベッド、これは多分紫峰の子どもたちが皆大柄なので、特大サイズにしてあるんだろう。
がっしりした木製の机に教科書や学用品も揃えてある。箪笥には真新しい制服や日用品、洋服に至るまですべてが揃えてあった。

 「すごい…。僕なんて言っていいか…はるさんありがとうございます。
でも…本当にこれ…もらっていいのかなあ…?」

 「お礼には及びません。旦那さまは隆平さまをご家族としてお迎えあそばされました。どうかご遠慮なさいますな。」

 はるはまたにこにこと笑った。どうやら新しい坊ちゃまが気に入ったようだ。

 「はるさん。 パソコンないよ。 パソコン。」

雅人が言った。 

 「ご心配なく。間もなく届きますよ。 私では分かりませんので、黒田さまにお願いしておきました。
 何か欲しいものや足りないものがありましたらお申し付けくださいましね。」

そう言うとはるは部屋を出て行った。

 「げげ…。 親父が来るのか…。」

透が言った。隆平はちょっと不思議そうな顔をした。

 「透くんにはお父さんがいたの? 」

 「透は生まれたときから修さんの手で育てられたけど実の親父もいる。
親戚の小父さんって扱いになってるけどね。 黒田っていう面白いおっさん。」
 
雅人が隆平に説明した。

 「誰がおっさんじゃ! 」

背後から段ボール箱を抱えた黒田が現れた。

 「下にまだ箱がある。 持ってこいや!」

黒田がそう言うと透と雅人は走っていった。

 「さてと…隆平。 どこへセットするよ? 机でいいのか?」

 「え…あ…僕…学校でしか触ったことないから…どこへって言われても…。」

いきなり隆平と呼ばれて驚いたが、どことなく孝太に感じが似ていて憎めない人だった。

 「そうか…。そいじゃ机にしとこうな。邪魔んなったら移動ということで…。」

 「黒ちゃん。箱あけていい? 僕が接続していい?」

雅人がが込んできた段ボールを置きながら訊いた。

 「いいぞ。 隆平に分かるように教えながら組んでけ。」

 雅人は隆平にポートの位置やケーブルの種類を確認させながら楽しそうに接続を始めた。透は箱や包装を片付けながら横からごちゃごちゃ口を出した。

 修が性懲りもなく、また他人の子どもを引き取ったと聞いた時には、散々苦労したくせに物好きもいい加減にしろと言ってやるつもりだったが、子どもたちの仲の良い様子を見て黒田は少し安心し思い直した。
 
 接続は雅人に任せて、黒田は下の居間の方へ降りてきた。
睡眠不足と長時間の運転で疲れたのだろう、修はソファで居眠りをしていた。

 「まったく…おまえはいつも自分から苦労を背負い込んで…。」

ソファの肘掛の所においてあった膝掛けを、黒田はそっとかけてやった。




 真夜中過ぎに隆平の悲鳴を聞いたような気がして修は飛び起きた。
他の二人を起こさないように静かに隆平の部屋へ入っていくと、ベッドの上で隆平が脂汗を流して恐怖に震えていた。修を見ると縋るように手を伸ばしてきた。

 修はそっと抱きしめてやったが震えはなかなか止まらなかった。

 「隆平…隆平…大丈夫だよ。 誰も君を殴ったりはしないよ。」

 修はある程度こうしたことが起きる可能性もあると予測していた。
危険から解放されても隆平の中に積もり積もった長年の恐怖は簡単には消えない。
 長旅の疲れや、環境が変わったことによる緊張やいろんな要素が交じり合って、恐怖を呼び起こさせたのだろう。

 「修さん。大丈夫?」

雅人と透が起きてきた。

 「ああ…ごめん。起こしちゃったね。大丈夫…寝てていいよ。
今夜は僕がついてるから…。」

 「…分かった。 続くようなら交代するからね。」

 透にもかつて似たような経験があったから、今夜だけでは治まらないだろうと考えていた。精神的なショックからよく眠れなくなり、その時に修がずっと添い寝をしてくれていたのを思い出したのだ。

修に後を任せて二人は部屋へ戻っていった。

 「隆平…さあ…眠ろうな。 大丈夫だから…。 ここにいるからな…。」

 修はそっと隆平を寝かせてやると、自分も傍に横になり、幼い子どもにするように髪を撫でてやったり、背中をとんとんと叩いてやったりした。
 
 やがて落ち着いた隆平は寝息をたて始めた。その安心しきった寝顔を眺めながら、修もそのまま眠りに落ちた。



 紫峰家で初めての朝を迎えた隆平は、夕べ皆に迷惑をかけてしまったことを申し訳なく思い、はるが起こしに来る前から身支度を整えて急ぎダイニングへ駆け下りてきた。

 「お…おはようございます!」

 食卓では透と雅人がパンをくわえながら眠そうにだれていた。

 「おふぁよ。」

 「うぃっす。」
 
隆平は自分のせいで皆寝不足なんだと思った。

 「ごめんなさい…。 眠れなかったでしょ? 」

透と雅人は互いに顔を見合わせた後で隆平の方を向いて言った。

 「気にすることないよ。僕等もそういうことあったんだ。ちょっと前にさ。」

 「僕は一日だけだったけど…透は落ち着くまでめちゃかかったらしいぜ…。
超甘えっ子だから。」

 「おお言ってくれるぜ。 大声上げて泣きまくったくせに。」

 はるが咳払いをしながら奥から隆平の食事を運んできた。
隆平が席につくとこんがり焼けたパンがいいにおいを漂わせた。

 「旦那さまはすでにお出かけですが、もしお身体の調子がお悪いようでしたら今日の登校は控えるようにとのことでございました。」

 「いいえ…どこも悪くないです。 登校します。」

はるはにっこり笑って頷いた。
透たちにも同じような体験があると聞いたことで少し気は楽になった。
心配かけたくない一心で隆平は朝食をたいらげ、透たちと一緒に出かけていった。



 漆黒の闇の中でそれは怒りの唸り声をあげていた。あの嵐の夜に産声を上げたはずの大切なしもべたちが何者かによって強力に封印されている。
半分は解けるが半分は解けない。いらいらとした空気があたりに漂う。

 まだ復讐は終わっていない…。終わっていない…。

 隆弘が…首を取り忘れた連中の…息の根を止めるのだ…。

 根絶やしに…してやる…。

 魔物の餌食にしてやる…。

 …を殺した奴等を…。
 
 見殺しにした…奴等を…。

 鬼遣らい…で…。






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二番目の夢(第十七話 旅立ち)

2005-07-26 21:49:00 | 夢の中のお話 『鬼の村』
 隆弘が亡くなったことで、孝太を隆弘の暴挙から護るという西野の仕事は一応終了したはずであったが、何か気になることがあるのか彼は台風の最中だというのに村を調べてまわったりしていた。

 史朗は記憶に残る8つの塚のうち6つの塚に鬼の身体が埋葬されたと言っていたが、西野が見たところでは残る二つにも何かの気配が残っていた。

 真夜中近くになってずぶ濡れになった西野が宿に帰ってきた。
急ぎだというので修は彰久と史朗を呼んで西野の話を聞くことにした。

 「私見ではありますが、ここにおられる鬼将、華翁のおふたりに覚えがないということは、その後の時代に塚に合祀された者があるのでは?
 孝太さんや隆平さんに聞けばその正体が分かるのではないかと…。」

 彰久と史朗は驚いて顔を見合わせた。勿論、将平、閑平が死んだ後の空白の千年の間に何があったかは分からない。 

 「急いだ方がいいと思うのは、塚そのものが息を吹き返しつつあるということなのです。まだ芽は小さく思えますが、何かのきっかけで一気に育つということも考えられます。
 ひょっとしたらこれは自然災害に紛れて誰かが塚の魔物たちの復活を計ろうとしているのかもしれません。」

 西野はそこまで話すと軽く礼をして隅の方へ下がった。

 「彰久さん…。こんなことを伺うのは失礼なことかもしれませんが、鬼面川のあの複雑な祭祀は文書を読むだけで身につくものでしょうか?」

修が彰久に訊ねた。
 
 「孝太さんのことを言っておられるのですね?
 あの祭祀は実は私が考え出したものではなく、鬼面川に代々伝わっているものを私が継承しただけなのです。

 本来なら文書を読むだけでは到底すべてを身につけることはできません。

 鬼面川では何人かの長の候補に選ばれた子どもたちが幼い頃から指導者について祭祀を学び、身体に覚えさせていくのです。

 孝太さんは独学といっていましたが、誰か必ず指導者はいると思われます。」

彰久はそう答えた。

 「指導者は何も本家の者とは限りません。 候補者は複数選ばれていますから長にならなかった者たちは指導者として次代の育成にあたることもあります。

 また長が女性の場合、候補者になった者を配偶者に選ぶことも多々あります。」

史朗が補足した。 

 「僕はそれが隆弘だったのではないかと思うのです。」

修がそう言うと皆は驚いたように修を見た。

 「先代によって候補に選ばれながら、先代の死によってその地位を奪われ、
当代の娘婿として本家に入ります。

 当代には祭祀の知識はなく、娘もさほどではなかった。
当然すべての祭祀は内緒で隆弘がこなしてきた。 ですが自分の他には祭祀を行える者がない。

 隆弘は万一のことを考えて孝太に祭祀を覚えさせますが、孝太と妻との間に妙なうわさが立ち始める。
それで完全には修練を終えぬままに孝太を追い出した。」

皆の反応を見ながら修はそう続けた。
なるほどと彰久は頷いて修の後を繋いだ。

 「妻の産み月にちょうど鬼遣らいがあるのを利用して妻を殺し、妻を鬼に食われたということで悲しむ夫を演じる。 誤算だったのは子どもが生き残ってしまったこと…ですか。」

 「ええ…ただ、うわさだけを鵜呑みにして妻を殺すとは考えられないので、もっと他にも理由はあっただろうと思います。
そうでなければ孝太もその時に殺されているはずですから。

 若くして亡くなった先代はもしかしたら当代と娘に殺されたのかもしれない。
弟子だった隆弘は敵をとるため本家へ婿入りしたとは考えられないでしょうか?」

あくまで想像の域を越えませんがと修は付け足した。

 「修さん。僕等が塚をまわったときには、荒れてはいましたが何かの息吹は感じられませんでしたよね。
 隆弘は先代の教えに従って塚の封印だけは護ってきたのでしょうね。
ところが隆弘が亡くなると途端に封印が解け始めた。 」

史朗が言うと修は大きく頷いた。

 「そのことからも慶太郎の言うとおり、誰かが故意に封印を解いていると思われるのです。でも、その意図が解りません。」

 「どうでしょう。 修さん。 明日には僕等も帰らねばなりません。
相手の意図はどうあれ、取り敢えずは、こちらで仮の封印をしてしまいませんか?

 来月には鬼遣らいがあります。 その日にはまた隆平くんを連れてこの村へ来られるつもりでしょう? それまで相手の動きを止めてしまってはどうですか? 

 鬼遣らいでは封印や結界に関する祭祀も行います。 その前に仮の封印を解けばいいのです。 祭祀が本当に正しく行われるか…或いは故意に曲げられるか。
その時点で何が起こるか…ということで…。」

 彰久が言った。

 「そうですね。そうしておけば一応は安心でしょう。やってしまいますか。
おまえたちの出番だ。 用意をしなさい。」

 透と雅人が頷いた。
修たちは嵐の中を急ぎ出発した。
南の胴塚を始点にして、彰久と史朗、西野は東経由で南へ、修と透、雅人は西経由で北の鬼の頭の塚へ向かった。


 雅人はもともと封印と結界を張るのは得意だが、そこにさらに透が施錠する。この錠は警報の役目もする。
 修は二人の張った二重封印をひとつひとつ確かめながら、修練の成果を採点していった。

 鬼の頭の塚まで来るとメインとなるこの塚には鬼面川の力では解けないように
紫峰の封印、それも宗主の強力な封印を施し、さらに、修が修得している藤宮の封印をも重ねた。 

 すべての塚の封印を終えて、皆が宿に帰ってきた時にはすでに夜が明けていた。
ぬれた服を脱ぎ捨てるようにして布団にもぐりこみ、女将が朝食の用意ができたと呼びに来るまで泥のように眠った。



 二人の死者を出してけちの付いた長選びだったが、孝太に祭祀の素養があることが分かったために、それほど緊急を要しないということになり、今回の鬼遣らいに関しては孝太に任せることになった。

 目の前であれほどの所作を見せ付けられては、朝子も寛子も一言も文句が言えなかった。しかし、まだ正式に決まったわけではなく、孝太も村に戻って長になる気はさらさらないと言っているため、長選びはこの先もまだまだもめそうだった。

 旅立ちの日、孝太は隆平の荷物を運んでやりながら、孝太との別れを惜しんでいる隆平に言った。

 「俺や村のことは考えんでいい。 おまえは好きな道を選べ。
紫峰さんとこで勉強させてもらって生きたいように生きたらいいんだ。
村の皆がなんと言おうと村へは戻るな。 つらいだけだ…。 」

 「孝太兄ちゃん…孝太兄ちゃんに会えないのだけは寂しいよ…。」

孝太は笑った。

 「いつまでも小さい子みたいに…。 時々会いに行ってやるで。 
菓子も作って送ってやる。 
なあに…なんだかんだ行事の時には遊びに来たらいいが。 それは止めやせん。」

 旅館の外で待っている修たちの姿を見つけると、孝太は深々と頭を下げた。

 「紫峰さん。御面倒かけますが、この子のことはくれぐれもよろしくお願いします。 こっちの始末は俺がきっちりつけるで。 
どうか可愛がってやってください…。 この子が幸せになれるように助けてやってください。」

 修は大きく頷くと孝太の手を取った。

 「確かにお引き受けいたしました。孝太さん…無茶はなさらないでくださいね。あなたがいてこそ、隆平くんはがんばれるのですから。」 

そう言って微笑んだ。 孝太は驚いたような顔で修を見つめた。

 「またしても無駄足させて悪かった。いつもいつも手伝ってもらって済まんな。
今度来てもらえるときにはゆっくりしてってもらいたいもんだわ。
隆平。 元気でな。 紫峰さんの言われることをよう聞くんだで…。」

 数増が鬼遣らいの予定表と土産をを手渡し別れをつげた。
隆平は幼い時のように少しだけ孝太に抱きしめてもらった後、修の車に乗り込んだ。

 孝太の姿が見えなくなるまで隆平は手を振り続けた。

 隆平を乗せた車が出て行った後を孝太はいつまでも見守っていた。





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二番目の夢(第十六話 魔物の産声)

2005-07-25 23:50:49 | 夢の中のお話 『鬼の村』
 彰久たちが到着した時、隆平は西野の腕の中にいた。 酒瓶が割れて散乱し、竹箒を振り上げたまま隆弘が仰向けに倒れて事切れていた。
 
 すぐ後から修たちが駆けつけて来た。

 「慶太郎…これはおまえか?」

修は転がっている隆弘を指差した。

 「いいえ…。私が来たときはすでに…。」

西野はよいしょっと隆平を抱き上げ直した。

 「修さん。 取り敢えず、救急車でも呼びましょうかね。」

彰久が呟くように言った。

 「そうですね。 ちょっと手遅れの気もしますが…。」

 すかさず史朗が携帯で連絡をした。修も数増に連絡を入れ隆弘の倒れている様子などを伝えた。



 彰久と史朗とが現場に残ることにして、修たちは隆平を連れて本家へと戻った。
数増と孝太が慌てて飛んできた。

 「修さん。 酒持たせた俺が悪かったんだ。 村から出る者の前途を清める習慣があって…。
隆平を隆弘と二人っきりにさせてしまった。」

孝太は反省しきりだった。 

 「こちらさんは…?」

隆平を抱いている西野を見て数増が訊いた。

 「ああ…これはうちの者です。 慶太郎。 御挨拶を…。」

修が言うと西野は隆平を腕に抱えたままきちっとお辞儀をした。

 とにかく…ということで隆平を部屋に運び布団の上に寝かせてやった。

 「宗主…では私はまた仕事に戻りますので…。」

 「そうか。くれぐれも気をつけてな。この村全体によからぬ気配が漂い始めたようだから…。」

西野は頷いた。
 
 孝太は心配そうにこちらを見ていたが、土地の者でない彰久たちでは勝手が分からないだろうから隆弘の運ばれた病院の方へ向かうと数増が言うので一緒に付いて出て行った。

 修は透に氷水とタオルを持ってこさせると雅人に部屋の入り口を見張らせておいて隆平の手当てを始めた。

 頭と顔の血のこびりついた部分を丁寧に拭いてやりながら、裂傷を塞ぎ、身体中の打撲の痛みを和らげた。可哀想ではあるが、完全には治してやることはできない。
 紫峰としてはその力を簡単に外部に知られるようなことがあってはならないからだ。
修はあくまで親切で物好きな遠縁の金持ちという存在を演じていなければならない。
 
 しばらくすると彰久が戻ってきた。

 「心臓麻痺ということに納まりそうですよ。 ま…実際そうなんですが。」

彰久は修の隣に腰を下ろすと、思っている疑問を修に打ち明けた。

 「鬼の声が隆平くんの心の叫びだったとすると、なぜ隆平くんは樹の名を知っていたのでしょう。 
 無意識に呼びかけているのですから、知らない名前なら出ようはずがないと思いませんか?」

 「隆平くんは多分その名前を孝太さんから聞いていたのだと思います。
何か樹に関わるものが鬼面川のどこかにあるのでしょう。」

 彰久は唸った。鬼将は鬼面川の子々孫々に至るまで、親身になってくれた紫峰家への恩は忘れてはならぬとは書き残したが樹の名を記してはいない。
万が一追っ手に見つかった場合に備え、樹が助けてくれたことを記すことを避けたのだ。
 となると、鬼将への疑いが晴れた後、華翁が追記したものだろうか。

 「もうひとつは…この前村に来たときに、やはり鬼の声を聞きましたよね。
あの時には隆弘は隆平くんに何もしていなかったと思いますが?
 道夫くんが亡くなったすぐ後に本家で見たときには怪我などはしていませんでしたしね。」

 「道夫さんが僕に…長になるのは辞退しろって…。」

隆平が突然口を開いた。ようやく目が覚めた隆平は修の顔を見てぽろぽろと涙をこぼした。

 「じゃないと…殴るって…祖父さんの杖で僕を殴ろうとしたんだ。
でも。塚にあたって折れてしまった。 塚も欠けてしまった。
どうしよう…修さん…僕…父さんと道夫さんを殺してしまったかもしれない…。」

彰久はなるほどと頷いた。道夫に襲われた恐怖で無意識に助けを求めたのか…。
修はそっと隆平の手を握って言った。

 「大丈夫だよ。 君は何もやってない。 お父さんが亡くなった時には君はすでに動けない状態だったし、僕等は、君やお父さんのではないもうひとつの気配を感じたんだ。 もし君がふたりを殺したなら僕にはちゃんと分かるよ。
だから安心して、もう少し休みなさい…。」

 隆平はうんと頷くと再び目を閉じた。
修は小さな子どもにするように頭を撫でてやった。
 
 彰久は微笑ましそうにその光景を見ていた。そう言えば樹にも何人か子どもがいたな…と思った。 樹が早世した後あの子たちはどうなっただろう…。
あ…いかんいかん。 ぼんやりと思い出に浸っている時ではないと彰久は自分に活を入れた。 

 「鬼面川ではこれで何人もの人が亡くなっているわけですが…どうも病死とか自然死には思えないんですよ。」

 「彰久さんもそう思われますか? 鬼の仕業に託けて殺人が何件も起こったということでしょうね。 」 

 玄関の方がざわついて皆が戻ってきた気配がした。隆弘の死はすでに伝えられていたが、誰も悲しんでいる様子はなかった。

 「隆平をいびり倒している最中に心臓麻痺だと…。」

 「自業自得だわ。 自分の子を酷い目に遭わせたんだで。」

 「こんでやっと隆平も楽しく暮らせるってもんだわ。」

そんな声が聞こえてきた。

修は唇を噛んだ。修が怒りに震えているのを見て彰久は驚いた。

 『そんなことを言う資格がおまえたちにあるのか…。』

他の誰にも聞こえはしなかったが彰久にははっきりと聞こえた。

 「修さん…?」

 「つらいものですよ…逃げ場がないというのは…。」

修は自嘲するような笑みを浮かべた。

 「何があっても…何をされても…ただひとり黙って耐えるしかないんですから…。 」

この人は…隆平に自分を重ねているのだ。だから、隆平のことをほっておけなかったのか…。彰久はほんの僅かだが、修の心を垣間見た気がした。



 その夜は隆弘の通夜となった。長を選ぼうとするたびに起こる不幸に、末松はますます気分を悪くし、とうとう寝込んでしまった。
 これこそが鬼の祟りじゃあるまいかと村中の人がこそこそうわさした。
鬼は鬼面川の子孫を根絶やしにしようとしているのだと…。
通夜の席では死者に鞭打つようなさんざんな中傷が飛び交った。

 隆平が怪我と心労のために前後不覚に眠っているおかげで、それらの中傷を聞かずに済んでいることがせめてもの幸いだと修は思った。



 夜半過ぎから降り始めた雨は明け方になってますます勢いを増した。
隆弘の葬儀は、本家ということもあって、表向きは盛大に行われる予定だった。
鬼面川の流儀に則って、孝太と隆平が葬礼の祭祀を行うことにしていた。
よく眠ったこともあって、隆平は少し元気を取り戻していたが、額や頬に残るあざや傷がいかにも痛々しく参列者の目を引いた。

 当代にはその知識がなかったために、古式祭祀は先代が亡くなって以来のことで、珍しさも手伝って村中から参列者が来ていた。大雨だというのに誰が宣伝したのか観光客まで参列する始末だった。

 狩衣装束の孝太と隆平は、やはり狩衣装束の末松、彰久、史朗、修、透、雅人が
両脇に居並ぶ中、鬼面川の所作、文言を流麗にこなし、彰久や史朗を心から満足させた。参列者にはさながら平安絵巻を見ているように思えたことだろう。
元気のなかった末松も少し安堵したような目でふたりを見守っていた。

 滞りなく葬儀が終わると、村人のふたりを見る目が変わっていた。そればかりか村長が観光の目玉として古式祭祀を採り上げたいとまで言い出した。
 しかし、すでに観光化されてしまっている鬼遣らいは仕方ないとして、他の祭祀を観光として行う気はないことを強く言い渡した。



 降り続く雨はどうやら急速に接近する台風の影響のようだった。
修が西野によからぬ気配がすると言っていたように、村のあちこちで障害が出はじめた。台風は自然災害だから鬼面川にも紫峰にも管轄外のことではあるが、修や彰久は妙に荒れた塚のことが気になっていた。

 崩れた塚は大雨と風のせいでさらに酷く破壊され、封印されたはずの物の怪たちが復活を遂げて巷に溢れかえる…。
 彰久はそんな夢にうなされて目を覚ました。轟々と音を響かせて風と雨の攻撃が始まっていた。

 真っ暗な村のあちこちで風と雨の音に混じり合い、得体の知れない物たちの産まれ出る声が響き渡っていた。



次回へ






二番目の夢(第十五話  鬼の声の正体 )

2005-07-24 23:19:14 | 夢の中のお話 『鬼の村』
 数増と入れ替わるように西野が現れた。孝太が村に帰ってきているので、西野も夕べからここに泊っているのだった。

 「おはようございます。 宗主。」
 
西野は正座して丁寧に挨拶をした。 

 「おはよう。 慶太郎。 ご苦労さま。 どんな様子だい?」

 「はい。 二度ほど姿を現しましたが、私が近くにいるのであわてて引き上げていきました。
いまはソラが傍に付いています。」

修は深く頷いた。

 「そうか。 慶太郎…僕等が本家に行っている間は、少し休んでくれていいよ。 疲れたろう?
温泉にでも浸かってさ。」

 「有難うございます。 ですがそれは仕事が終わってからにさせて頂きます。
どうもよくない予感がいたしまして…。」

そう言うと西野は下がっていった。



 昼食が終わった頃に数増が再び現れた。本家の使いで迎えに来たのだった。
前に来ていた弁護士の大塚、村長の河嶋、朝子、寛子、末松、孝太がすでに集まっており、今回は道夫の代わりに弟の秀夫、孝太の妹の加代子、寛子の娘で美里も呼んであるという。 

 「なに…孝太からきちんと所作や文言ができれば、長は別に特別な力を持っていなくても構わんと聞いたのでな。
選択範囲をひろげたということだわ。 爺さまもそういうことならと賛成したで。」

 数増はそう言って笑った。彰久と史朗は顔を見合わせて頷きあった。

 本家の玄関をくぐると待ちかねたように隆平が現れた。修の顔を見ると微かに涙ぐんでいるように見えた。奥の座敷には一族の者が集まっていたが、修たちはまず手前の座敷に通された。
長を決める前に、隆平のことを先に決めようということだった。

末松を上座に村長と弁護士が並び孝太と隆弘も向かい合ってそこにいた。

 「紫峰さん。 隆平を大学まで預かると申し出られたそうだが本心かな。」

末松が訊いた。 村長と弁護士が探るような目で見た。

 「勿論ですとも。 ご了承頂ければ、すぐにでもお預かりいたします。」

 「わしはいい話しだと思うが、隆弘、おまえはどうだ。」 

隆弘はぶすっとした顔を崩さなかったが、代わりに嫌な顔もしなかった。

 「隆平次第だと思うとるで。 この人に付いて行きたきゃそうすりゃいい。」

 「紫峰さん。 こう言っちゃ何だが、紫峰さんと隆平は血の繋がりはない。
何で預かろうと思いなさった? いずれは養子にでもなさるおつもりですかな?」

弁護士が訊いた。

 「隆平くんの人柄が気に入ったからですよ。 家には同じ年の子が二人いますし学友にと…。
 それに紫峰と鬼面川は昔は付き合いのあったもの同士ですし、今でも彰久さんと僕は義理の兄弟ですからね。 遠縁としてお手伝いさせて頂いてもおかしくはないでしょう?
 養子の件は将来ないとはいえませんが、いまのところはそのつもりはありません。」

修の整然とした答えに弁護士は納得した。隆弘の許で暮らすよりはずっとましだろうと考えた。

 「外へ出すとなると学費や何やら用意してやらにゃならんで。 隆弘。 地元の学校のようなわけにはいかんだろう。 まあ一人息子だで、いくら出したっても惜しいことはなかろうが。
私立の英才学校だで転入費用やや寄付なんぞが相当なもんだと思うぞ…。」

 村長が言った。村長は隆弘が隆平のためにそれだけのことする気があるかどうかが心配なのだ。
弁護士や村長の話を聞いているだけでも隆平がどれほど酷い目に遭っているのかが分かって修はむかむかしてきた。

 「ご心配には及びません。 何もかもすべて紫峰の方で用意致します。 
隆平くんは身一つで来てくれればいいのです。 」

修がそう言うと村長は安心したようだった。

 「隆平。 おまえはこの人のところへ行きたいか? いい学校へ行かしてもらえるそうなで。」

隆弘がそっぽを向きながら隆平に訊いた。
  
 「行きたい…。」

小さな声で恐る恐る隆平は答えた。

 「なら…行け。 連れてってもらえ。 」

隆弘はそれだけ言うと息子が世話になるというのに修に挨拶もないまま部屋を後にした。
末松はその後姿を睨みつけた。

 「すまんな。 紫峰さん。 ああいう男だで。 隆平のことお願いしますわ。」

 数増が代わりに詫びた。  
修は彼等の目の前で藤宮本家の輝郷に連絡を取り、高校への転入手続きを依頼した。
藤宮は代々教育関係者が多く本家は大規模な学園を経営している。透たちが通っている高校もそのひとつだ。
役場での手続きは村長が、こちらの学校での手続きは孝太が引き受けてくれた。

 「本当は俺が面倒をみてやりたいが…村のうわさが怖くてできんのです。 
俺の子だと言う人がおってね。 そんなこと言われちゃ隆平がかわいそうだで…ね。」

孝太は寂しそうに言った。



 皆は奥の座敷へ移動し、末松が隆平の転校の件を座敷で待っていた一族の者に打ち明けた。
皆は事情を知っているらしく誰も反対する者はいなかった。一族の者は皆、知ってて知らんふりを決め込んでいただけなのだ。こみ上げてくる怒りを修は辛うじて押さえ込んだ。

 今回の長選びは、この前、彰久が孝太や隆平に話したことが功を奏したのか、鬼が選ぶなどという馬鹿げたことをやめて、話し合いで決めることになったらしい。
 ただ、もし隆平ということになると、隆平が進学のためにこの村にいない間、誰が代理をするかも決めなくてはならなかった。

 彰久と史朗とは最初から辞退していたので、ただ皆の話を聞いていたに過ぎなかったが、長になる気のない孝太以外は皆欲が絡んでなかなか話し合いがまとまらなかった。
 ことに道夫を失った朝子は秀夫を長にしたい一心だった。ところが当の秀夫は、長になって鬼遣らいのパフォーマンスをするのが嫌だと言い出して親子喧嘩に発展した。
 寛子が娘を長に立てようとしているのに、娘美里は話し合いよりも携帯のメールに夢中で、加代子は兄孝太に任せるとの一点張り。

 この有様に末松は気分を悪くして引き上げてしまった。そのために夕方まで休憩ということになって、皆は一旦、自宅や宿に戻ったりすることにした。



 それほどの距離でもないので、修たちは歩いて宿に帰ることにした。

 「修さん。 あなたの気持ちは分かります…。 でも、ああした気の毒な子は大勢います。
出会うたびに助けていたんではきりがありませんよ…。大変悲しいことですが…。」

彰久は老婆心からつい修に忠告した。

 「そうですね。 いつも助けるというわけには行かないでしょうね。 分かってはいるのです。それでも目の前で助けを求めているあの子を見捨てることなどできませんでした。
遠縁の子ということで今回は大目に見ていただけませんか…? 」

修はそう言って微笑んだ。

 宿の前まで来た時、突然、あの激しい頭痛が修を襲った。 透も両手で頭を押さえた。

 「修さん! 大丈夫ですか? 透くん! 動けますか?」
 
彰久は修を支え、史朗が透を支えて、ロビーの椅子まで連れて行った。
雅人は鬼の声の発生している方向を探った。

 「修さん! この声は鬼の頭の塚の方から来るよ!」

 「鬼の頭…?」

修は額を押さえながらも瞬時に発生源を探った。そして思い当たった。

 「彰久さん! 史朗くん! 大至急、隆平くんを探してください! これは隆平くんの心が助けを求めているんです。 誰かに襲われて危険な状態です。 早く!」

彰久と史朗は頷くともと来た方向へと急いで戻っていった。

 「雅人…他に何か感じるか? 」

 「もうひとつ…すごい悪意を持った力が動き出した。 ソラにも喰いきれないみたい。」

 修は頷くと自ら音に対して障壁を張った。 だいぶん慣れてきたこともあって、雅人の手を借りなくて済みそうだった。 透も雅人の物理の講義よりは修の方法を選んだ。
痛みが治まると三人は急ぎ鬼の頭の塚へと走った。



 鬼の頭の社に納める清めの酒を持った隆弘の後を、隆平はいつものようにおとなしくついていった。村を出る隆平のためにと孝太が渡したものだった。

 鬼の頭まで来た時、隆弘はその酒を塚の前で叩き割った。隆平はびくっとした。
鬼のような形相で隆弘は隆平に迫った。

 「育ててもらった恩も忘れて、一度や二度会っただけの男に付いていくだと!
おまえはやっぱり不義の子だわ! 」

隆弘はいつもより興奮しており、隆平を思いっきり殴りつけた。

 「おまえには汚い血が流れ取るわ。 鬼の子め! その血を搾り出してやるで! 」

 殴られ、蹴られ、それでも隆平は逆らおうとはしなかった。
諦めてでもいるように無抵抗に暴力を受け続けた。

 さらに興奮した隆弘は割れた酒瓶を手にすると隆平の身体に突き立てた。
隆平の身体に付けられた防御の印が働いてその瓶を砕いたため隆平はさして傷を負わなかった。
修が機転を効かして印を障壁に変化させたのだ。

 怒り狂った隆弘は備え付けてあった竹箒を手に取ると隆平をさんざんに殴りつけた。
隆平が気を失いかけたとき、隆弘は突如、箒を振り上げたまま仰け反った。
そして、その場にばたりと倒れこんだ。

 父親が倒れたのを目にしながら、隆平は動くこともできず、次第に意識が遠のいていった。
薄れていく意識の中で、誰かが抱き上げてくれたのだけは感じていた。




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二番目の夢(第十四話 虐待の理由)

2005-07-23 23:37:32 | 夢の中のお話 『鬼の村』
 「だからね…。単純に二つの音をぶつけ合ったって音は消えたりしないんだよ。」

鬼の声の防御対策のために、雅人はさっきからずっと音についての講義をしているのだが、透はなかなか理解できないようだ。

 「音の干渉ってのは単に音を消すだけじゃなくて強めるときにも使うんだから…。
簡単に言うとね。 相手の音と同じ周波数にもっていったところで、位相差を変化させて波長のちょうど半分くらいの所へ変えていくと音が打ち消しあって…。」

 「ああ~。 解かんねえ! いいってもう…。 物理だめ~!」 

 透は頭を抱えて叫んだ。透に言わせれば、理論がどうあれ結果が出ればいいのであって、簡単にと言うならば音に対する障壁を作れば済むことなのだ。
雅人はやれやれと言うように肩をすくめて透の部屋を出た。




 『お帰りなさいませ。』というはるの声。『慶太郎から連絡はない?』と訊く修の声がする。
慶太郎とは西野の名前だ。『はい。いまのところ動きはないようでございます。』

 雅人が時計を見るとすでに12時をまわっていた。このところ修の帰宅が遅くてまともに話もしていない。貴彦叔父に手足のようにこき使われているというのがもっぱらのうわさだが、修の場合、一旦仕事を始めたら切りのいいところまで片付けてしまわないと気がすまないという性格が災いしているのではないかと思う。

 今夜も多分すぐに風呂に入って寝てしまうだろう。透も雅人も遅い時間帯には迎えには出ない。
疲れた修を少しでも早く休ませてあげたいからだ。
案の定、しばらくすると修が部屋へ引き上げて来る音がした。ところが、今日の修は自分の部屋の前で少し躊躇した後、雅人の部屋の扉をノックした。

 「雅人…起きてるか?」

 「起きてるよ。」
  
修はそのまま雅人の部屋へ入ってきた。

 「隆平くんの部屋を透視できるか? この間ほど障壁は強くないと思うが…。」

 「やってみる…。」

雅人は意識を集中させた。修の言うように少しだけ障壁が弱くなっている。
ぼんやりとだが隆平の姿が見えた。

 「修さん。 見えたよ。 手を出して。 」

修の差し出した手を取ると修の意識の中に隆平の様子を伝えた。 
隆平の身体にはまた傷が増えていた。修の表情が曇った。

 「隆平くん…。 」

 『修さん!有難う…孝太兄ちゃんは無事なんだね。
孝太兄ちゃんに近づけないらしくて…怒ってたけど。 ほんとに有難う! 』

 「それで君は…またそんな酷い目に? 」

 『僕はいいんだ。 慣れてるから…。 』

 「すぐ治してあげるよ。 怪我のあとを消さない程度にしておくからね。」

 『うん…。』

 「この連休には必ず行くよ。 君を迎えにね。 だから待っていて。」

 『うん…。』

 隆平の消え入りそうな小さな声が修の胸を締め付けた。
雅人が透視をやめてからも修には痛々しい隆平の様子が見えるようだった。

修の目から一筋涙がこぼれ落ちた。

 「どうして? あんないい子を…。 」

 雅人には修が幼い時の自分と隆平を重ね合わせているように感じた。
同時に修の怒りの対象が隆平を痛めつけている相手だけではないようにも思えた。
 この前とは異なって、穏やかで落ち着いてはいるが修の胸のうちに潜む怒りと悲しみはそう簡単に消したり抑えたりできるものではない。
雅人を困らせないように努めて平静を装っているのだろう。

 「遅くに悪かったね…。 有難う。」

そう言って修は立ち上がり部屋を出て行こうとした。

 「あなたが怒っているのは…12歳のあなたに暴力を振るった相手に対してだけではではないんだね…。」

雅人は背後からそう声をかけた。

 「もっと以前から…本当言えば生まれた時から…あなたを顧みることのなかった周りの大人たちすべてに対しての怒り…。」

修は振り返って雅人を見た。雅人は瞬時に凍りついた。表情を失った作り物のような冷たい顔…。
自分の抜け殻ごと三左の魂を消滅させた時の顔だ。

 「覗いていいものと悪いものがあるよ…雅人。 僕の心の奥底を覗いて何が面白い?
 僕はおまえたちにSEXを覗き見されても何とも思わないけれど…僕の内面を覗き見されるのははっきり言って心外だ…。」

雅人は初めて修に対して恐怖心を抱いた。我が子とも思う透には絶対見せることのない顔。
修が再び出て行こうとした。

 「ま…待って! 修さん。 ごめん…。 ごめんなさい…。」

 形振り構わず修の腰にしがみ付いて雅人は何度も謝った。
修は振り向きざまに腰をかがめて雅人の顔を覗き込むと軽くキスをした。
『えっ?』と雅人が事態を飲み込めずにいると、修は悪戯っぽい目でにやりと笑った。

 「ジョーク! ジョーク! 雅人。 覗きのお返しだよ。 じゃ…お休み!」

修は手を振って、からからと笑いながら出て行ってしまった。
心臓に悪い人だと雅人は思った。



 修たちが再び村を目指したのは連休の前の夜だった。すっかり秋めいてきたので紅葉目当ての観光客による混雑を避けたいと思ったからだ。

 村にはまだ暗いうちに到着した。女将が到着時間にあわせて玄関を開けておいてくれたので、勝手に受付の上に用意されていたキーをとって部屋に向かった。すぐに休めるようにと布団も用意しておいてくれたので朝までゆっくり睡眠を取ることができた。

 朝食を終えた頃に数増が訪ねてきた。修が孝太と隆平のことで相談があると言って呼び出したのだった。
 数増は修から隆平の置かれている状況を訊ねられると、最初は言葉を濁したようにしていたが、虐待が事実だと言うことを話し始めた。

 隆弘は隆平を産んだことが妻を死なせた原因だと考えている。しかも、隆平が孝太の子どもじゃないかとも疑っているらしいのだ。それやこれやで機嫌が悪い時に、隆平が少しでもへまをすると殴ったり、蹴ったりするのだという。

 「この村では仲間意識が強いので見て見ぬふりをしとるんだわ。 隆平は可哀想だがわしらが下手に口だしゃ、隆弘に余計にやられるで。」

誰も庇ってやろうとしないのか!と怒鳴りつけたい気持ちを抑えて修は話を切り出した。 

 「隆平くんを預からせてもらえるようにお話し頂けないでしょうか? 家内の実家が有名な私立の進学学校を経営してましてね。 隆平くんも来年は受験だし、大学を目指すなら、そこで勉強をさせてあげたいのですよ。」

 差しさわりのないように受験に託けて修は数増に相談を持ちかけた。
なるほどと数増は思った。 大学へ行くならどの道一度は村を出なければならない。
隆平を助けるいい機会かもしれないと考えた。
末松の言うことなら隆弘も無碍にはできまいから、一応末松の了解を得てくると言いおいて帰っていった。


 

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二番目の夢(第十三話 心に巣喰う鬼)

2005-07-23 00:01:18 | 夢の中のお話 『鬼の村』
 ノックもせずに修たちの寝室へ飛び込んだのは別に他意があってのことではない。
母屋から急いで駆けてきて、玄関のところで多喜ののんびりした問答にとっ捕まって鍵を開けてもらっているうちに気が焦り、勢いドアに突進したところがたまたまドアが半開きだっただけで、不可抗力としか言いようがない。
 修が寝息を立てている傍らで髪を纏めている笙子お姉さまのお姿をばっちり拝見してしまった。お姉さまは『あら…。』と言って嫣然と微笑んだ。



 「で…僕の寝込みを襲った訳は…? 」

 ベッドに腰をかけて、呆れはてたように二人を見ながら修が訊いた。笙子に起こされ、二人に起こされ、今日は厄日だ…と修は思った。

 「これ…隆平くんからのメールなんだけどなんか変なんだ。 途中で切れたし、こっちが確認のために返信しても答えが返ってこないんだよ。雅人が遠隔透視を試みたけどぜんぜんだめで。」

 透が携帯を渡した。受け取ると修は、確かに切れ切れではあるが普通に読めば悩みの相談のようにも受け取れる文書を読んだ。

 「笙子…この子には防御の印をつけてある。今の状況を映像化できるかい?」

修の後ろで肌掛けに包まっている笙子に声を掛けた。

 「それ貸してね…。 修。手を出して。」

 笙子は片手に透の携帯を持ち、もう一方の手で修の手を握った。 

 「結構、強い障壁があるわ。 これを造った人は相当な力の持ち主ね。」

 修の脳裏に浮かんできたのは、部屋の片隅ですすり泣く隆平の姿だった。
はっきりとはしないが、誰かに暴力を受けた痕跡がある。
修の防御の印が反応しなかったのは、異能力による暴力ではなく、誰かに殴られたか蹴られたものだからだろう。

 隆平の哀れな姿を見た瞬間、修の中の鬼が頭を擡げた。怒りが全身を支配しようとした。
気付いた笙子が強く手を握ってそれを制した。
修は気を落ち着かせ、大きく息をすると隆平に語りかけた。



 部屋の片隅で隆平は泣いていた。殴られた傷の痛みより孝太に迷惑が掛かるのがつらい。

 『隆平くん…分かるかい?』

隆平は部屋を見回した。誰の姿もない。

 『この声は君にしか聞こえない。君も話したいことがあれば頭に思い浮かべて…。』

 「修さんなの? メール見てくれたんだね。」

 『怪我は大丈夫かい? 今…痛みを止めてあげる。』

隆平の身体から少しずつ痛みが消えていった。

 「すごい。修さん。こんなすごい人だったんだね。」

 『すぐに行ってあげられなくてごめんね。
いま僕がしてあげられることがあったら、なんでも話してみて。』

 「孝太兄ちゃんを護って! このままだと何をされるか分からない。 殴る蹴るじゃすまないかもしれない。」

誰に?とは訊かなかった。

 『分かった…。近いうちに必ずそっちへ行くからね。絶対に短気を起こしちゃだめだよ。
僕を信じて…きっと君を救い出すから…。』

隆平の心に微かな希望が湧いてきた。間違いじゃなかった。やっぱりあの人は僕のことを知っている。きっと助けてくれる。



 隆平との話しが終わっても修はしばらく身動きひとつしなかった。
俯いた顔を上げようともしない。笙子には心の中に湧き上がる怒りと憎悪の炎を必死に抑えているように見えた。

「なぜ…なぜ気付いてあげられなかったんだ。 あの子はきっと助けを求めていたはずだ。」

 雅人はおろか生まれたときから一緒に暮らしている透でさえも、修のこんな様子は始めて見た。
修の中に闇の部分があることは以前から雅人も気付いていたが、それは戦いのときに見せる非情さだと思っていた。
 過去の修練によるおぞましい体験が修の冷酷な一面を生んだのだと…。
しかし、それだけではなさそうだ。修のもっと人間的な部分に根ざした闇のように思える。 

 「大丈夫…きっと救えるわ。落ち着いて。 修。 透くんたちをを怯えさせてはいけないわ。」

笙子にそう言われて修は我に返った。

 「ああ…そうだね。 悪かった。 つい…。」

 「雅人くんたちも…もう子どもじゃないわ。 話してあげてもいいんじゃない?
あなたが黙っているとかえって心配するでしょう…? 」

修は一瞬迷っていたが、分かったと言うように頷いた。

 

 「僕が笙子を支え続けているように…笙子も僕を支え続けてくれているんだ…。
いつ動き出すか分からない…僕の心に巣喰う闇の鬼を…僕がいつでも抑えていられるように。」

 修はそう語り始めた。
 
 「透や冬樹を育てるのに手一杯で、なかなか友達を作るなんてことができなかった。
それでも12くらいの時に、近くに住んでいた高校生と知り合って結構仲良くなったんだ。

 時々だけど、宿題をみてもらったり、工作を手伝ってもらったり、本当に優しくしてくれたよ。
半年ほど行き来があったから、はるなら覚えているだろうな。 
紫峰の家へ遊びに来ると、小さかった透や冬樹のこともあやしてくれたりしてね。」

 少しだけ修は微笑んだ。

 「突然、彼は僕を裏切った…。 暴力で…。 今の僕からは想像できないだろうけど12歳の頃はクラスでも小柄なほうでね。
何があっても紫峰の力は人前では使えなかったから…腕力ではとても敵わなかった…。」

雅人は身体が硬直するのを覚えた。透が下唇を噛んだ。

 「彼が最初から悪戯目的だったとは思わない。 でも僕は許せなかった。
その時から僕の中には鬼がいる。 腕力に物言わせるような奴を見ると叩きのめしたくなる。
理性も何もかも吹っ飛んでしまいそうになる。」

二人の顔色が変わったのを見て修は安心させるようにおどけた調子で言った。

 「一年後には30センチほど伸びてさ。彼よりずっと身体が大きくなってたから余裕でぶっとばせたのにな。あいつはあの後すぐに引越したんだ。 残念この上ないね。 」

何か言わなければと雅人は思った。自分たちが深刻になってしまったら、きっと修を悲しませるだろうと…。

 「ふ~ん。それで禁欲主義と情欲主義の夫婦が誕生したってわけね…。」

 「そういうことだね…って…ほんと口悪いなおまえは…。」

修は笑いながら言った。

 「やだ…情欲主義って私のこと…? そんなこという人には…もう見せてあ*げ*な*い。」

そう言いながら笙子が指で投げキッスした。
雅人も透も真っ赤になった。

 「なに見せるって…?」

笙子が修に耳打ちした。

 「お勉強したね?」

修がわざとらしく睨んだ。
二人は無言で何度も頷いた。




 修はその夜のうちに孝太の周りにボディガードを派遣した。ひとりは言うまでもなく闇喰いのソラ。もうひとりは紫峰家の使用人のひとりで西野という若い男である。

 西野は紫峰家に代々仕える執事のような役割を担う一族の出身ではるの甥にあたる。
信頼できる男で腕っ節も強く頭も切れる。真夜中にたたき起こされたにも拘らず、文句のひとつも言わずに直ちに出発した。
 
 

 修の告白は、幼児期のあの酷い体験の話を聞いたときよりもある意味ずっとショッキングなものだった。
 透が修に甘えて過ごしている間に、当の修には頼るべき人も相談する人もなく、ひとり苦しみ、悩み、悲しみ…。そう考えると透は自分がどれほど恵まれていたかを思い知らされて、なおさらせつなかった。
 
 笙子のような世間から見れば非常識な超悪妻ともいえる女性でも、きっと修にとっては本当に安心できる伴侶なんだと雅人はようやく思えるようになった。
 若い雅人にはまだよくは分からないが、何もかもを受け入れて理解し合っている。そんな夫婦なんてめったにないだろう。生活はハチャメチャだが、いざというとき心が通い合っていれば、それはそれでいいのかもしれない。

悔しいけどやっぱり笙子さんには敵わないや…。

雅人は心からそう思った。 





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二番目の夢(第十二話 覗き見)

2005-07-21 23:36:21 | 夢の中のお話 『鬼の村』
 鬼の声の正体や鬼面川を取り巻く忌まわしい気配の謎を知るためにこの村を訪れた修たちだったが、道夫の急死によって時間を取られ、結局は何の解決も見ないままに今回は引き上げざるをえなかった。
 孝太や隆平のような頼もしい後継者たちに会えたのだけが救いで、彰久も史朗もそのことだけはおおいに満足していた。

 「再来月には鬼遣らいがあるで、それまでにはなんとか決めんならん。悪いがまた出直してもらえるか。」 

 数増はそう言うと自分の家で作った野菜などを沢山持たせてくれた。
末松の姿が道夫の葬儀のときから見えないので心配した彰久が訊ねると、どうやら体調を崩したということで臥せっているらしかった。

 「丈夫い人だで心配ないわ。いろいろあって疲れただけだで。寝とっても悪態はつけるでな。」

数増は笑った。

 隆平は名残惜しそうに透や雅人と別れを告げ、孝太は彰久や史朗に伝授の礼を言った。
彰久は自分たちが帰った後、孝太や隆平に万一のことがないように内緒でまじないをかけ、修も握手に紛れて二人の身体に防御の印を遺した。
隆弘は土地の土産物を隆平に持たせてよこしたが本人は姿も見せなかった。




 釈然としない旅の後ではなんとなく落ち着かない気分ではあるが、翌月の連休辺りに再び一緒に村へ行くことを約束して、皆はいつもの生活へと戻っていった。

 職場で会う人毎に、休暇はどうでしたと訊かれるたびに、修は『いや実は知人の葬式でね。』と答え、『来月半ばくらいにまた行かなければならないんだよ。』と伏線を張った。
やっぱり休暇は普段からきっちりとっておくべきだなと改めて思った。  

 紫峰家の古文書の鬼面川に関する部分ををコピーして隆平宛てに送ったのは帰宅してから2~3日してからのことだが、隆平だけでなく孝太からも早々に丁寧な礼状が届いた。
 この二人の手紙にはあの末松からの手紙のようなおどろおどろしい気配はなく、どうやら鬼面川の若い層にはそれほど問題はないように感じられた。



 修たちの町でもこのところ朝夕はめっきり涼しくなって、うっかり窓を開けて眠ったりすると風邪をひきそうだった。特に紫峰家の洋館は少し奥まった林の中にあるので、街中よりはずいぶんと気温が低くなる。管理人兼お手伝いの多喜は主のための秋冬の仕度に余念がなかった。

 修が生まれたこの洋館は、修の結婚が決まった時に祖父の計らいで大改装され、子どもの頃のあの暗いイメージはすべて払拭されていた。多喜としては修の両親の頃からここで働いていることもあって、全く姿を変えてしまった洋館を見るのは寂しいことだったが、代わりにちょくちょく修が姿を見せるようになったのが何より嬉しかった。

 笙子が帰って来る時にはこの洋館が新婚夫妻の居間や寝室になる。家具も厳選されたものが備え付けられ、壁紙や絨毯、カーテンなど落ち着いた美しい装飾が施され、いつでも主人夫妻を迎える準備は整っていたが、笙子が若奥さまとしてここにじっとしていることなどほとんどなかった。
 
 「雅人くんに怒られちゃった。 『いい加減にしてよね。』だって…。」

笙子が呟いた。

 「ねえ…。 修。 私、別に悪気はなかったんだけどなあ。」 

 柔らかな肌掛けの感触と笙子の肌の温もりが、修を半ば眠りの世界へ引きずり込もうとしていた矢先、笙子は思い出したように言った。

 「ん~。 何の話…? 」

 「だから…雅人くんを嗾けるっていう…冗談よ。」

『ああ…その話か…。』と、修は思った。

 「微妙な年頃なんだよ。それでなくても君のその一風変わった感覚について行くのは大変だ。」

欠伸を噛み殺しながら修は言った。
笙子はむっとした顔をしていきなり修を跨いでドカッと腰を下ろした。
 
 「誰が大変だって? どこ探したって、こんなに分かりやすいお姉さまはいないわよ。」
 
修は笙子の重みにちょっと顔を顰めたが、両手でぽんぽんと笙子の両方の腿を叩いて言った。

 「ギブアップ! 笙子! 降参!」

笙子はそのまま修の上に身体を重ねた。

 「別にいいと思わない? 好きか嫌いかってだけで…。 単純明快に。」

 「う~ん。 悪いこととは思わないけどね。 性別という社会的規範をぶっ飛ばすほど同性を好きになってみないと僕にも何とも言えないなあ…。 そこまでの経験はまだないからな…。 
好きになっちまえばそれまでなんだろうけど。 」

修はぼんやりと天井の方を見ていた。

 「誰かさんを好きになってみたら?」

 「…本気で僕を怒らせたい?」

 修の声が怒気を帯び、笙子に向ける眼つきが険しくなった。
こういう時の修とは下手に議論はしない方が得策…。
笙子は鼻先でふふんと笑うと思いっきり自分の身体を修に押し付けた。
修は再び天井を仰いだがその目にはもう怒りの色は浮かんでいなかった。 
  
 「誰かさん見てるわよ…。」

 笙子の囁くような言葉に修は辺りを探った。
二人が慌てふためく気配と『やべえ!』と言う声をキャッチした。

 「あいつら…またか…。」

 修は呆れたように溜息をついた。
腹を抱えて笑う笙子を尻目に、修は二人めがけて拳骨とメッセージを送った。

 「ここから先は18禁!」



 修の拳骨とメッセージを受け取った二人は、じんじんする拳骨の痕を撫でながら『やあ~。まずったぜ。』と言い合った。『勉強しそこなった。』

 「なあ…あれおまえのことだろ…。」

透が訊いた。雅人は無言で頷いた。

 「修さんて人はさ。男惚れされるタイプなんだよな。
普段は静かで穏やかなのに、いざとなると気っ風はいいし、度胸はあるし、面倒見がいい。
 ちょっと女に優しすぎるのが玉に瑕…。
おまえってばここへ来た当初から修さん命だったし…。僕もずいぶんやきもち焼いたけどさ…。」

透は思い出し笑いをした。
 
 「あの人は、僕のこと絶対に恋愛の対象には見てないよ。 僕の方が一方的に惚れてるだけ。
いいんだよ。僕は修さんの右腕になって役に立ちたいだけさ。恩返しができればそれで…。
ただね…笙子さんの悪戯が気に喰わないんだ。」

 笙子の悪戯に悪意はないが、そのことで修が傷つくのを雅人は黙って見ていられなかった。 
修は何度傷つけられても何も言わない。ただ笑って許してしまう。
それが修の優しさなのか、弱さなのかは分からないけれど、見ているほうがたまらない。
 或いはひょっとしたら、女のすることなんて目くじら立てるほどのことじゃないとでも思っているのかもしれないが…。
 
 「あ…。メールだ。 隆平くんからだぜ。」

隆平のメールは入力間違いが多くて、ひどく慌てているような感じがした。

『父がかんかんに怒っています。
僕が孝太さんから祭祀の所作と文言を教わっているのがばれてしまったのです。
今は孝太さんも出入り禁止で…会うこともできません……。
父が……。』

 なぜか内容も途切れ途切れで、まるで誰かの目を盗んで助けを求めているようにも思えた。
透は内容確認のメールを送ったが返事はなかった。

 「どうしよう。雅人。ここから隆平くんのことが分かるかい?」

 「普通なら分かるはずなんだけど…誰かに邪魔されてるみたいで。」

 二人はなんだか胸騒ぎを覚えた。修に伝えるべきかどうか…。

 「取り敢えず、修さんのところへ行こう!」

 「だ…だって今お取り込み中で…。」

 「そんなのいつだってできるんだからさ。行こうぜ!」


雅人は強引に透を引っ張った。
二人は暗い林の道を修のいる洋館に向かって急いだ。
いつもならそんなにかからない道のりがものすごく長く遠く感じられた。




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二番目の夢(第十一話 鬼面川の祭祀伝授 )

2005-07-20 22:15:00 | 夢の中のお話 『鬼の村』
 鬼が住む所と言えば古来さまざまな土地に、いろいろな伝説が残ってはいるけれど、最も身近な場所は自分の心の闇の中だ。
 この鬼はちょっとしたきっかけでそこに生まれ、人知れず成長する。胸の内に鬼を飼っている本人でさえ気付かぬうちにいつの間にか手に負えないほど大きくなっていることもある。
 大きさに差はあれ、どんな人の胸にも存在し、ひとたび生れ出たら完全に消しさることはできない。ただ押さえ込むことができるだけである。

 他人から見れば非の打ち所なく、誰からも愛され、尊敬され、慕われているはずの修にさえ心に持つ闇はあり、巣食う鬼もまた存在する。
 時折、頭をもたげる鬼を押さえつけ、なだめ賺して眠らせる。自分の中に蠢くこの鬼との戦いは修が生きている限り果てしなく続き、決して終わりを見ることはない。

  

 葬儀は道夫が本家の人間ではないこともあって簡素に行われた。弔問客も本人とは馴染みの薄い人ばかりなので焼香を終えるとすぐに引き上げ、ほとんど身内だけでの野辺の送りとなった。

 初七日の法要も重ねて行われたが、これも焼香が終わると身内でさえもさっさと帰途についた。
どうやら道夫という人にはあまり人望がなかったようだ。

 法要の振る舞いも旅館からの仕出しで簡素に済ませ、酒の廻った年配の人たちは酔い覚ましの昼寝をしにそれぞれの好きな場所へと散っていった。

 「せっかく来てもらったのにえらい目に合わせたで悪かったなあ。疲れなさったろうが。
いろいろ手伝ってもらってすまんかった。」

 彰久や修たちを前に、孝太は申しわけなさそうに言った。
隆平も丁寧に頭を下げた。
 
 「なに。 気にしないで下さい。 僕等も身内でお客じゃありませんからね。」

彰久がそう言うと孝太は嬉しそうに笑った。

 「隆平さんに聞いたのですが、孝太さんは鬼面川の祭祀に詳しいお方だとか…?」

 修が孝太に訊いた。彰久が驚いたように修を見た。

 「ははは…少しばかり勉強しただけで。大祖父さんの代までは祭祀も細々続いとったようですが、先代がはよ亡くなったで、後をする者がおらんようになって。俺も見よう見まねですがね。」

 「失礼ながら、史朗くんと僕の前でそれを再現してもらえませんか?」

 彰久が言うと孝太は驚いたように訊いた。

 「祭祀と一口に言ってもいくたりもあるので。 全部お見せするとなると相当な時間がかかりよりますが…? それに俺のは独学ですから正しいかどうか…。」

 「是非にもお願いします。 僕たちには確かめたいことがありまして…。」

 彰久と史朗は孝太に深々と頭を下げた。孝太は恐縮した。

 「俺のでよければやらしてもらいますけど…。それじゃ…鬼の頭の塚の社へ…。」



 鬼の頭の塚はさすがに観光の目玉だけあって綺麗に整えられ掃除も行き届いていた。
隣接する社も小さいながら美しい造りでよく手入れされてあった。
隆平が鍵を開け皆を中へと案内した。
彰久、史朗と修たちは拝殿に額づくとそれぞれの様式で拝礼した。

 「それでは…始めさせてもらいます。」

孝太は緊張した面持ちで拝殿に向かった。隆平は脇で介添えを務めた。

 鬼面川の様式では拝殿で儀式を始める際にはまず御大親(みおや)に対し、諸式を行ってよいかどうかの伺いをたて、その許しを得て諸式を執り行う。 伺いをたてる文言、所作は定められたとおりに行わなければならない。
 
 彰久、史朗の目は厳しく孝太の所作に向けられていた。

 透や雅人も黙って見ていたが、鬼面川の儀式の運び方が紫峰や藤宮のそれとは全く異なるので、過去に縁のあった一族でありながらこれほどの違いがどこから生まれるのか不思議に思った。

 孝太はかなり熟練しているようで、よどみなく所作を運び文言を語り、諸式をこなして行った。

 「…拝し奉り…。」

 「違う!」

突然、彰久の厳しい声が飛んだ。孝太は驚いて彰久を見た。隆平も思わず身震いした。
 
 「華翁…やって見せてあげなさい…。」

 彰久に言われて、史朗が前に進んだ。
孝太の所作と史朗の所作は本当に微妙な動きが異なるだけで、傍から見ればどこがいけないのか分からないくらいだった。しかし、彰久は史朗の所作に満足げに微笑んだ。

 「孝太さん…今一度同じところを…。」

 彰久の表情には有無を言わせぬ強いものがあって、孝太は素直に頷いて史朗の所作を真似た。

 「では次へ…。」

 それから何度も何度も孝太の所作には厳しい叱咤の声が響き、史朗がそのたびに手本を見せた。
普通なら、なんだこいつら偉そうにと思われるところだが、彰久も史朗も異常なまでに熱を帯びており、孝太も必死でその声に応え続けた。

 すべての所作を覚え終わるまでに何時間かかったことだろう。
彰久が合格を出したときには、孝太は息を切らし、汗にまみれ、立ち上がるのもやっとだった。

 「孝太さん…。よくぞここまで自力で学ばれました。」

いかにも嬉しそうに彰久が言った。史朗も満足げに微笑んだ。

 「いやあ…有難うございました。分からぬ所も多かったので助かりました。
それにしてもどこで祭祀の所作や文言を…?」

 不思議そうに孝太は訊ねた。彰久の一家がこの村を出たのは父親が子どもの時である。
それなのに彰久たちは正確に祭祀を語ることができる。

 「父が子どもの時に先代から教わったのではないかと思います。勿論、それが祭祀であることは本人はほとんど知らなかったでしょうが…。僕たちは作法として習いましたけれど。」

 彰久は修を見ながらそう言った。修が少し微笑んで頷いた。

 「孝太さん…隆平くん。 僕も史朗くんもすでにこの村を出た人間ですから、長としてこの村へ帰ることはできません。 ですが…どうしても同じ鬼面川の人間として申し上げておかなければならないことがあります。」

 彰久は真剣な顔で孝太と向き合った。孝太は居ずまいを正した。

 「まず第一に鬼面川は特殊な力を持っている人の集まりではないのです。
 確かに鬼将つまり将平には不思議な力がありました。しかし、その子閑平にはそれほどの力がありませんでした。

 閑平が将平と同じように祭祀を行えたのは、天の力、地の力を借りたからなのです。
あなたが学んだその所作と文言には、その人自身には力がなくても天と地と御大親の力を最大限に利用するための力が込められています。

 天に感謝し、地に感謝し、御大親に礼を尽くすことで、誰でも鬼面川の力を使えるはずです。
力を持っていない人でも心根がよく信頼に足る人であれば長に立てるべきです。

 次に、誰が考え出したか知りませんが、鬼が決めるなどという儀式は絶対在ってはならないことです。仮に鬼というものが本当に存在したとすれば、自分をを封じる者を自分で選べということになります。
 そのような馬鹿げたことを続けていたら、この村はいつか鬼にとっての楽園と化すでしょう。
鬼面川の存在意義が失われることになります。

 鬼面川の使命は天地への感謝と御大親への礼によって村の安全を祈ること、たとえ鬼であっても亡くなったものへの供養を忘れないこと。 あの古い塚のひどい有様はなんですか? 
あれでは鬼でなくとも祟りたくなりますよ…。

 是非 あなた方若い世代が鬼面川を正しい方向へと導いていってください…。」
 
 彰久の言葉に孝太と隆平はいちいち頷いた。
この二人なら、きっと鬼面川を立て直せるだろう。 鬼面川の魂の基盤さえ揺らがなければ、たとえ観光化が進んでも鬼面川のなすべきことだけは護られる。
彰久はそう考えた。

 
 「こんな所で何をしとる!」

隆弘の怒鳴る声が響いた。 少し腹を立てているようだった。

 「お客に観光案内だわ。 一族だのに彰久さんたちはここへ来たことがないそうなで。
俺が連れてきたんだわ。 よかろうがよ。」

孝太は知らん振りしてそう答えた。皆に黙ってろと言うように目で合図を送った。

 「それだったら 俺にひとこと言っとけや。 驚くに。 」

隆弘は言った。

 「済まんな。 隆弘さん。 まあ母屋へ帰るで。」

 「まあ晩餉だで。 仕度が出来とるで。」

そう言いながら戻っていった。

 孝太はにやりと笑うと皆の先頭に立って社を出、丁寧に拝殿に礼をした。
隆平が再び鍵をかけた。

辺りはすでに暗く、秋の近いことを告げる虫の音だけが響いていた。
 




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二番目の夢(第十話 悪戯)

2005-07-19 23:26:46 | 夢の中のお話 『鬼の村』
 「…おお、それであわくって出てきたんだ…。悪いけど電話、また後で掛けるで…ほんじゃな…。隆平! 隆平! おるか!」

玄関の方で騒がしい男の声がした。隆平は急いで玄関に向かった。

 「孝太兄ちゃん! 帰ってこれたの? 寛子小母さんも一緒だったんだね。」

 「道夫が死んだって聞いたもんで急いで店閉めてきたんだ。 寛子さんは駅前で拾ってきたわ。
ほい…新作の菓子。今度店で使おうと思っとる。」

男はどかどかと足音を響かせながら座敷に姿を現した。男の後ろからおとなしそうな中年の女性がついてきた。座敷に見知らぬ男が何人もいるので少し戸惑ったような顔をした。

 「彰久、史朗、これはうちの孫で孝太。他所の町で洋食屋をやっとる。後ろのはわしの亡くなった姉の娘で寛子だ。
 孝太…寛子、この二人が木田の彰久と史朗だ。そちらのお三方は彰久の方の親戚で紫峰さん。」

 孝太と寛子は膝をおって丁寧に挨拶をした。寛子は挨拶を済ますとすぐに朝子の傍へと寄り添ってなんやかんやと話を聞いてやっていた。

 「それじゃ爺さま。道夫は抜け駆けして長選びの儀式を先にひとりでやろうとしていたのか。」 
 末松からいろいろ話を聞いた孝太は憤慨した。結局今日の長選びは中止にするしかないだろうと末松は言った。

 「親爺。ほんで長選びは誰と誰がすることになっとったんだ?」

孝太は父親の数増の方に振り返った。

 「予定では道夫と彰久、史朗、隆平、おまえだで…。」 

 「俺もかよ。親爺の代がおらんじゃないか。まあ…朝子さんと寛子さんと親爺しか残っとらんから仕方ないが…。」

 村の人たちと葬儀屋とで通夜の準備が整えられ、道夫が祭壇の棺に安置されると一同はその前に集まった。隆弘が住職を連れて戻ってきたのはそのすぐ後だった。
 修は彰久が怒り出すのではないかと冷や冷やしたが、さすがに現代に生まれただけあって、寛容に仏式を受け入れていた。

 鬼面川にはもともと独自の葬礼に関する様式と作法があるが長い間に廃れてしまったらしい。
彰久や史朗にとって面川は、鬼面川とは全く異なる一族に成り果てていた。

 『いまさら口出しすることではありませんが…修さん…誰かには伝えておきたいですねえ。』

彰久の顔がそう言っているように思えた。史朗もどこか納得いかない様子だった。



 通夜の客がだいたい引けたのは9時をまわった頃だったか、それまで忙しく隆弘とともに立ち働いていた隆平が台所の脇の小部屋に修たちを呼んだ。

 「孝太兄ちゃんの作ったお菓子です。よかったら一緒に。」

そう言ってお茶を淹れてくれた。

 「孝太兄ちゃんは僕が小さいときからよく面倒をみてくれた人なんです。
こうやって時々お菓子を持ってきてくれます。僕は未だに子ども扱いされてますが…いい人です。」

透はチラッと修を見た。穏やかに笑っていた。

 「実は…孝太兄ちゃんは鬼面川のすべての祭祀を独学で学び、実際に祭祀を行うことのできる人なんです。そのことは他の誰も知りません…。 長になる気がないので黙っているんです。」

 「君は彼から伝授を受けたんだね?」

修は期待を込めて訊いた。隆平は頷いた。

 「僕に力があると気付いた孝太兄ちゃんは父に内緒で少しづつ教えてくれました。
今の面川では廃れてしまった祭祀のほとんどが孝太兄ちゃんの手で文書化されています。
ただ、独学なので細部まで正しいのかどうかが分からないのです。」

 「紫峰の古文書に鬼面川に関するものがあるよ。何かの役に立つかもしれないね。帰ったらコピーを送ってあげよう。」

修は口ではそう言ったものの、できれば孝太と隆平には彰久と史朗から直に学んでもらいたいと思っていた。



 棺に収められた道夫の遺体をじっと見つめていた彰久には、道夫が世に言う突然死とやらで死んだようには思えなかった。
 朝子が傍につききりなので遺体に直に触れることはできないが、朝子が殺されたと口走ったのもまんざら考えられないことではないと感じていた。

 そう考えると、先代つまり彰久と史朗の祖父の死も、隆平の母の死も、当代の死因でさえ、疑わしく思われてきた。

 末松は当代に力が存在しなかったことを問題にしていたが、鬼面川全盛の時代、鬼面川の一族で本当に強力なチカラを持っていたのは将平ひとりだったのだ。
 閑平に多少なりと呪詛の力が備わっていたとしても紫峰家や藤宮家のように代々必ず力を持つ宗主を輩出するというわけには行かなかっただろう。

 どうも面川の人々は鬼面川のなすべきことを誤解しているのではないかと彰久は思った。 



 長選びの儀式が急遽通夜に変更になったために、鬼と対峙することもなかった修たちは深夜近くになってから宿に戻ってきた。明日の葬式の時間だけ確認すると、お互いに挨拶を交わして早々にそれぞれの部屋に引き上げた。

 透も雅人も慣れない土地での騒ぎに巻き込まれてよほど疲れたのか、珍しく布団へ入るなり寝息を立て始めた。
 いまどきの季節でもこのあたりの夜は寒いくらいで、修は二人を起こさないように気を付けながら布団を掛け直してやり、まだどこか子どもの面影を残す二人の寝顔をいとおしそうに見つめてから、そっと部屋を後にした。

 同じ階の踊り場にある大きな張り出し窓風の椅子に腰掛けて修は携帯を取り出した。
聞き慣れた呼び出し音が切れると笙子の声が耳に飛び込んできた。

 『メール見たの?』

 「今気が付いたんだ。 遅くにごめん…。 寝てたかい?」

 『まだ宵の口よ。多分必要になるだろうと思って皆の礼服を送ったわ。朝一で届くはずよ。』

 「ふ~ん…。いつもながら手回しがいいね。有難う。助かるよ…と言いたい所だけど…。

 …史朗ちゃんを嗾けた犯人は君だね? 様子見たさにずっとこちらの方にアンテナ張ってたでしょう? 」

 『あ…分かっちゃった? だって史朗ちゃんてば健気なんだもの。 ずっと修のこと好きだったのよ。』

 「君の恋人でしょう…? 史朗ちゃん可哀想に真っ赤になって泣きそうだったよ。 史朗ちゃんだからまだ許せたようなものの他のを送り込んだら承知しないからね。」

 『他のなんて頼まれたって送らないわよ。 史朗ちゃんが一番。 ね…やっちゃいました?』

 「寝てません! 君ね…普通…夫にそういうこと言うか? 」

 『うふふ…。 あ…そうだ…もうひとりいるわ。 とっても健気で可愛い子が…。』
  
 「笙子…それは許さない。 いくら君でも絶対に…。 冗談にでも…。」

 『分かってるって。 そんなことしないわよ。 じゃあね。 お休み。 ダーリン!』

 「…。」

 携帯が切れた後の音が耳に響いて修の胸を締め付けた。ふーっと溜息をついて修は眉間を押さえた。
 時々笙子は修に対してものすごく意地悪なことを思いつく。愛情の裏返しであることは分かっているのだけれど、さすがの修もやりきれない思いをすることがたまにある。
 
 それでもその笙子の闇の部分が修にだけ向けられていれば、それはそれで受け流してしまえば済むことだ。笙子にそういう面があることを修も十分承知して一緒になったのだから。
 しかし、時には他の人を巻き込むことがある。史朗のこともそのひとつだ。
そして今度は…。

 その時、修は人の気配を感じて自分の部屋の方向を見た。踊り場の入り口に雅人が立っていた。

 「雅人…寝てたんじゃないのかい?」

 「今度は…僕にあんなことをさせるつもりなの? 笙子さんは…?」

 聞かれていたと言うよりは、雅人に知られないでいることの方が難しい。雅人は人の心を読めるし、五感が素晴らしく発達していて、勘も鋭い。

 「まさか…。そこまでの悪戯はしないだろうよ。」

修は笑った。雅人は真剣な表情で修を見た。

 「もしもそうだったら? 史朗さんのように僕を受け入れるの? それとも拒絶するの?」

 「ないない。 ありえないって…。」

修ははぐらかすように言った。

 「真面目に答えて…。僕は史朗さんのようにプラトニックなタイプじゃない。
透のように息子として育ててもらったわけでもない…。」

 修はまた溜息をついた。そのとおりだ。雅人には最近まで母親がいたから、透のように何から何まで修が面倒みてきたわけではなかった。
 修が透と雅人をどれほど平等に扱おうと努力しても、たとえ物理的にはそれが可能でも、こんなに短い期間では親子関係を築くことは不可能に近い。

 「本音を言えば…まだ決心がついてない。だからどう答えていいのかわからないよ…。
世間的に言えば僕は拒絶するべきなんだろうね。

 言葉は悪いけど…そのときの気分で決めちゃうかもな…。抱きたければ抱く…そうでなければ…。 
 なぜだろうね…今だってこんなにおまえたちのこと…おまえのことが可愛くて仕方ないのに…。なぜこんなことしか言えないんだろう…。」

 修はがっくりと肩を落とした。少し涙ぐんでもいるようだった。修に無理難題を押し付けていると雅人には分かっていた。
 本当は何があっても断固拒絶すると言いたいのだろう。相手が透ならはっきりとそう言うに違いない。 けれど雅人には…。
 修は雅人がどんな思いで紫峰家に引き取られてきたかを知っている。
恩のある修のために命を差し出す決意で修の許へやって来たのだ。そんな健気な雅人の想いを無下にはできない。

 「ごめん…。無理言って…。分かってるよ…。どんな答えが出たとしても…修さんは僕のこと…僕と透のことを愛してくれてる。それだけは忘れないよ…。」

雅人は幼い子どものようにそっと修の首に腕を回し頬を摺り寄せた。




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二番目の夢(第九話 犠牲者)

2005-07-17 23:23:09 | 夢の中のお話 『鬼の村』
 修と透の頭の中で響く鬼の声と雅人が二人の耳にセットしたプレイヤーの音、お互いに干渉し合うレベルに巧くもっていければ、二人の苦痛は治まるはずだ。雅人は慎重に力をセーブしながら音の波長を変えていった。

 「修さん。 何事もありませんか? 大丈夫ですか?」

 玄関から無事を確かめるような彰久の声がした。雅人が返事をしなかったことで異常を察した彰久と史朗は急ぎ部屋へ上がってきた。 

 「これは…鬼の声か…。」

 微かだが、彰久にも、史朗にも唸るような音が聞こえてきた。
修たちの様子を見た彰久は驚いて鬼の声に対する結界を張ろうとした。

 「だめだ! 結界を張るのは一時的な防御にしかならない。 いま修さんたちに触れないで!
巧く干渉し合えば音は消える。 そうすれば二人は自力で防御できる!」

彰久も史朗も分かったというように頷いて成り行きを見守った。
 雅人は真剣に波長を探った。鐘のようなくぐもった音がプレーヤーの音とぶつかり合って次第に弱まっていく。やがて、痛みが薄れた二人は自力で防御を始めた。

 「雅人…有難う。もういいよ…。」

修の声を聞いて雅人はほっと息をついた。透も起き上がってイヤホンをはずした。

 「雅人…本家の様子を覗いてくれ。それに鬼の頭の塚を…何が起こった?」

雅人は頷いて意識を集中した。

 本家では忙しそうに家の人たちが働いている。多分儀式の後の宴の用意をしている。
ここはなんでもないみたい。 鬼の頭の塚は…塚の上の方が砕けてる。 その他は…。

 「塚の前に人が倒れている。 道夫とかいう若い男…だめだね…もう息がないよ。
あっ…誰かがこの人を見つけた…すぐに大騒ぎになるよ。」

 皆は顔を見合わせた。
 
 「本家から連絡があるまでは動かないようにしましょう。力のことを知られてはまずい。」

修が言うと皆は了解したというように頷いた。

 「それにしてもその鬼の声はなぜ修さんと透くんだけに強い反応をおこすのでしょう?
雅人くんはほとんど影響を受けていないようなのに…。」

 史朗が不思議そうに呟いた。雅人が憮然として言った。

 「僕が純血種じゃないからさ。僕の母親は紫峰の血を全く引いていない。
純血種のこの二人とは反応の度合いが違っていて当然だよ。

 さっき…鬼の声の出所が分かった。彰久さんと史朗さんの中から響いてくるんだ。 
波長が近いために本人は気付きにくい状態にあって、傍の方が影響を受けることになる。」

 「電車の中でのポータブルプレーヤーって感じだね? 聞いてる本人はなんでもないけど漏れ聞かされる方は傍迷惑…。」

透が訊いた。雅人はニッと笑ってうんうんと頷いた。

 「誰かがこの二人に呼びかけていたということか? それを僕が受け取ってしまった…と? 」

修がそう訊ねた。雅人は我が意を得たりという顔をした。

 「修さんは、今までにも史朗さんとは付き合いがあったわけでしょう? 
だから、史朗さんへの呼びかけを受け取ってたんだと思うんだ。
 祖父ちゃん程度なら風邪を引いてちょっと頭が痛いってくらいで気付きもしないだろうけど…。
修さんは一族の中でも最高に感度がいいし、よく似た波長を持つ透にも影響が出たってわけ。」

雅人は話し終えると疲れたと言わんばかりに大きく息を吐いて仰向けにねっころがった。

 「いや…なんとお詫びしたらよいのか…。僕等のせいだったんですね。」

彰久は申しわけなさそうに言った。

 「いいえ…彰久さんや史朗ちゃんのせいではありませんよ。
鬼の声がたまたま僕の波長と合ってしまっただけなんですから。
 とにかくあなた方に呼びかけていた者を見つけ出さなくてはなりませんね。
本物の鬼でないことは確かだと思いますよ…。」

修のその言葉に二人は大きく頷いた。 

 ばたばたと足音を立てながら転がるようにして女将がやってきた。

 「紫峰さま…木田さま、えらいことだわ…! 鬼の頭の塚で道夫さんが亡くなられたそうで! まだ儀式には早い時間だのに何だってひとりであんな所へ行ったんでしょうかねえ。

 取り敢えず、皆さんにも大至急本家の方へいらして欲しいとのことで! すぐ車を出しますでね。」

 それだけ伝えると女将は慌しく戻っていった。
 
 「では…出かけるとしますか。」

修はそう言って皆の顔を見た。




 本家の玄関をくぐると、奥座敷の方から朝子の泣き喚く声と数増の窘める声が聞こえてきた。
 
 「殺されたんだわ。 昼まで元気だったんだ。 病気なわけないで!」

 「何言っとる! 医者の先生が突然死だと言ったでないか。」

 お手伝いさんの案内で修たちは一族の集まっている座敷へ向かった。
朝子は自分の息子の死を受け入れられず、相手かまわず喚き散らしているようだった。
 
 彰久たちの姿を見つけるとキッと睨みつけた。

 「疫病神! あんたたちが来たから鬼が怒ったんだよ! 村を捨てたくせにさ!」

 「やめんか! 木田の一家は当代に追い出されただけだ。 好きで出てったんじゃないで。」

数増は怒鳴った。それでも気が済まない朝子は、手を振り上げて彰久と史朗に詰め寄ろうとした。

 修は朝子と彰久たちの間に割って入って、穏やかに朝子を見つめた。
やり場のない怒りと悲しみが朝子を取り巻いていた。人を叩きそこなった朝子の手が修の胸に置かれた。修はその手を取って両手で包み込んだ。

 「叩いていいですよ…。この手で…。あなたの気持ちが楽になるなら…。」

朝子は驚いて修を見た。慈愛に満ちた修の瞳が真っ直ぐ朝子に向けられていた。
何もかも受け入れられたような気がして、肩の力がすうっと抜けていった。
 修は両手を放すと微笑んだ。朝子はへなへなとその場にへたり込んだ。後は叫ぶ気力も失せたのか、息子の遺体の前へと這うようにして近付いていき、ぼんやりと遺体を見守っていた。

 「仏の技だて…。」

 末松が呟いて修を見た。面川の人々は朝子を黙らせた修に不思議なものを覚えた。
鬼面川の言い伝えに残る紫峰家の青年というだけで、他の事は誰も何も知らなかったが、この青年の持つ独特な雰囲気になぜかしら畏敬の念を感じざるをえなかった。
 



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