数増と入れ替わるように西野が現れた。孝太が村に帰ってきているので、西野も夕べからここに泊っているのだった。
「おはようございます。 宗主。」
西野は正座して丁寧に挨拶をした。
「おはよう。 慶太郎。 ご苦労さま。 どんな様子だい?」
「はい。 二度ほど姿を現しましたが、私が近くにいるのであわてて引き上げていきました。
いまはソラが傍に付いています。」
修は深く頷いた。
「そうか。 慶太郎…僕等が本家に行っている間は、少し休んでくれていいよ。 疲れたろう?
温泉にでも浸かってさ。」
「有難うございます。 ですがそれは仕事が終わってからにさせて頂きます。
どうもよくない予感がいたしまして…。」
そう言うと西野は下がっていった。
昼食が終わった頃に数増が再び現れた。本家の使いで迎えに来たのだった。
前に来ていた弁護士の大塚、村長の河嶋、朝子、寛子、末松、孝太がすでに集まっており、今回は道夫の代わりに弟の秀夫、孝太の妹の加代子、寛子の娘で美里も呼んであるという。
「なに…孝太からきちんと所作や文言ができれば、長は別に特別な力を持っていなくても構わんと聞いたのでな。
選択範囲をひろげたということだわ。 爺さまもそういうことならと賛成したで。」
数増はそう言って笑った。彰久と史朗は顔を見合わせて頷きあった。
本家の玄関をくぐると待ちかねたように隆平が現れた。修の顔を見ると微かに涙ぐんでいるように見えた。奥の座敷には一族の者が集まっていたが、修たちはまず手前の座敷に通された。
長を決める前に、隆平のことを先に決めようということだった。
末松を上座に村長と弁護士が並び孝太と隆弘も向かい合ってそこにいた。
「紫峰さん。 隆平を大学まで預かると申し出られたそうだが本心かな。」
末松が訊いた。 村長と弁護士が探るような目で見た。
「勿論ですとも。 ご了承頂ければ、すぐにでもお預かりいたします。」
「わしはいい話しだと思うが、隆弘、おまえはどうだ。」
隆弘はぶすっとした顔を崩さなかったが、代わりに嫌な顔もしなかった。
「隆平次第だと思うとるで。 この人に付いて行きたきゃそうすりゃいい。」
「紫峰さん。 こう言っちゃ何だが、紫峰さんと隆平は血の繋がりはない。
何で預かろうと思いなさった? いずれは養子にでもなさるおつもりですかな?」
弁護士が訊いた。
「隆平くんの人柄が気に入ったからですよ。 家には同じ年の子が二人いますし学友にと…。
それに紫峰と鬼面川は昔は付き合いのあったもの同士ですし、今でも彰久さんと僕は義理の兄弟ですからね。 遠縁としてお手伝いさせて頂いてもおかしくはないでしょう?
養子の件は将来ないとはいえませんが、いまのところはそのつもりはありません。」
修の整然とした答えに弁護士は納得した。隆弘の許で暮らすよりはずっとましだろうと考えた。
「外へ出すとなると学費や何やら用意してやらにゃならんで。 隆弘。 地元の学校のようなわけにはいかんだろう。 まあ一人息子だで、いくら出したっても惜しいことはなかろうが。
私立の英才学校だで転入費用やや寄付なんぞが相当なもんだと思うぞ…。」
村長が言った。村長は隆弘が隆平のためにそれだけのことする気があるかどうかが心配なのだ。
弁護士や村長の話を聞いているだけでも隆平がどれほど酷い目に遭っているのかが分かって修はむかむかしてきた。
「ご心配には及びません。 何もかもすべて紫峰の方で用意致します。
隆平くんは身一つで来てくれればいいのです。 」
修がそう言うと村長は安心したようだった。
「隆平。 おまえはこの人のところへ行きたいか? いい学校へ行かしてもらえるそうなで。」
隆弘がそっぽを向きながら隆平に訊いた。
「行きたい…。」
小さな声で恐る恐る隆平は答えた。
「なら…行け。 連れてってもらえ。 」
隆弘はそれだけ言うと息子が世話になるというのに修に挨拶もないまま部屋を後にした。
末松はその後姿を睨みつけた。
「すまんな。 紫峰さん。 ああいう男だで。 隆平のことお願いしますわ。」
数増が代わりに詫びた。
修は彼等の目の前で藤宮本家の輝郷に連絡を取り、高校への転入手続きを依頼した。
藤宮は代々教育関係者が多く本家は大規模な学園を経営している。透たちが通っている高校もそのひとつだ。
役場での手続きは村長が、こちらの学校での手続きは孝太が引き受けてくれた。
「本当は俺が面倒をみてやりたいが…村のうわさが怖くてできんのです。
俺の子だと言う人がおってね。 そんなこと言われちゃ隆平がかわいそうだで…ね。」
孝太は寂しそうに言った。
皆は奥の座敷へ移動し、末松が隆平の転校の件を座敷で待っていた一族の者に打ち明けた。
皆は事情を知っているらしく誰も反対する者はいなかった。一族の者は皆、知ってて知らんふりを決め込んでいただけなのだ。こみ上げてくる怒りを修は辛うじて押さえ込んだ。
今回の長選びは、この前、彰久が孝太や隆平に話したことが功を奏したのか、鬼が選ぶなどという馬鹿げたことをやめて、話し合いで決めることになったらしい。
ただ、もし隆平ということになると、隆平が進学のためにこの村にいない間、誰が代理をするかも決めなくてはならなかった。
彰久と史朗とは最初から辞退していたので、ただ皆の話を聞いていたに過ぎなかったが、長になる気のない孝太以外は皆欲が絡んでなかなか話し合いがまとまらなかった。
ことに道夫を失った朝子は秀夫を長にしたい一心だった。ところが当の秀夫は、長になって鬼遣らいのパフォーマンスをするのが嫌だと言い出して親子喧嘩に発展した。
寛子が娘を長に立てようとしているのに、娘美里は話し合いよりも携帯のメールに夢中で、加代子は兄孝太に任せるとの一点張り。
この有様に末松は気分を悪くして引き上げてしまった。そのために夕方まで休憩ということになって、皆は一旦、自宅や宿に戻ったりすることにした。
それほどの距離でもないので、修たちは歩いて宿に帰ることにした。
「修さん。 あなたの気持ちは分かります…。 でも、ああした気の毒な子は大勢います。
出会うたびに助けていたんではきりがありませんよ…。大変悲しいことですが…。」
彰久は老婆心からつい修に忠告した。
「そうですね。 いつも助けるというわけには行かないでしょうね。 分かってはいるのです。それでも目の前で助けを求めているあの子を見捨てることなどできませんでした。
遠縁の子ということで今回は大目に見ていただけませんか…? 」
修はそう言って微笑んだ。
宿の前まで来た時、突然、あの激しい頭痛が修を襲った。 透も両手で頭を押さえた。
「修さん! 大丈夫ですか? 透くん! 動けますか?」
彰久は修を支え、史朗が透を支えて、ロビーの椅子まで連れて行った。
雅人は鬼の声の発生している方向を探った。
「修さん! この声は鬼の頭の塚の方から来るよ!」
「鬼の頭…?」
修は額を押さえながらも瞬時に発生源を探った。そして思い当たった。
「彰久さん! 史朗くん! 大至急、隆平くんを探してください! これは隆平くんの心が助けを求めているんです。 誰かに襲われて危険な状態です。 早く!」
彰久と史朗は頷くともと来た方向へと急いで戻っていった。
「雅人…他に何か感じるか? 」
「もうひとつ…すごい悪意を持った力が動き出した。 ソラにも喰いきれないみたい。」
修は頷くと自ら音に対して障壁を張った。 だいぶん慣れてきたこともあって、雅人の手を借りなくて済みそうだった。 透も雅人の物理の講義よりは修の方法を選んだ。
痛みが治まると三人は急ぎ鬼の頭の塚へと走った。
鬼の頭の社に納める清めの酒を持った隆弘の後を、隆平はいつものようにおとなしくついていった。村を出る隆平のためにと孝太が渡したものだった。
鬼の頭まで来た時、隆弘はその酒を塚の前で叩き割った。隆平はびくっとした。
鬼のような形相で隆弘は隆平に迫った。
「育ててもらった恩も忘れて、一度や二度会っただけの男に付いていくだと!
おまえはやっぱり不義の子だわ! 」
隆弘はいつもより興奮しており、隆平を思いっきり殴りつけた。
「おまえには汚い血が流れ取るわ。 鬼の子め! その血を搾り出してやるで! 」
殴られ、蹴られ、それでも隆平は逆らおうとはしなかった。
諦めてでもいるように無抵抗に暴力を受け続けた。
さらに興奮した隆弘は割れた酒瓶を手にすると隆平の身体に突き立てた。
隆平の身体に付けられた防御の印が働いてその瓶を砕いたため隆平はさして傷を負わなかった。
修が機転を効かして印を障壁に変化させたのだ。
怒り狂った隆弘は備え付けてあった竹箒を手に取ると隆平をさんざんに殴りつけた。
隆平が気を失いかけたとき、隆弘は突如、箒を振り上げたまま仰け反った。
そして、その場にばたりと倒れこんだ。
父親が倒れたのを目にしながら、隆平は動くこともできず、次第に意識が遠のいていった。
薄れていく意識の中で、誰かが抱き上げてくれたのだけは感じていた。
次回へ
「おはようございます。 宗主。」
西野は正座して丁寧に挨拶をした。
「おはよう。 慶太郎。 ご苦労さま。 どんな様子だい?」
「はい。 二度ほど姿を現しましたが、私が近くにいるのであわてて引き上げていきました。
いまはソラが傍に付いています。」
修は深く頷いた。
「そうか。 慶太郎…僕等が本家に行っている間は、少し休んでくれていいよ。 疲れたろう?
温泉にでも浸かってさ。」
「有難うございます。 ですがそれは仕事が終わってからにさせて頂きます。
どうもよくない予感がいたしまして…。」
そう言うと西野は下がっていった。
昼食が終わった頃に数増が再び現れた。本家の使いで迎えに来たのだった。
前に来ていた弁護士の大塚、村長の河嶋、朝子、寛子、末松、孝太がすでに集まっており、今回は道夫の代わりに弟の秀夫、孝太の妹の加代子、寛子の娘で美里も呼んであるという。
「なに…孝太からきちんと所作や文言ができれば、長は別に特別な力を持っていなくても構わんと聞いたのでな。
選択範囲をひろげたということだわ。 爺さまもそういうことならと賛成したで。」
数増はそう言って笑った。彰久と史朗は顔を見合わせて頷きあった。
本家の玄関をくぐると待ちかねたように隆平が現れた。修の顔を見ると微かに涙ぐんでいるように見えた。奥の座敷には一族の者が集まっていたが、修たちはまず手前の座敷に通された。
長を決める前に、隆平のことを先に決めようということだった。
末松を上座に村長と弁護士が並び孝太と隆弘も向かい合ってそこにいた。
「紫峰さん。 隆平を大学まで預かると申し出られたそうだが本心かな。」
末松が訊いた。 村長と弁護士が探るような目で見た。
「勿論ですとも。 ご了承頂ければ、すぐにでもお預かりいたします。」
「わしはいい話しだと思うが、隆弘、おまえはどうだ。」
隆弘はぶすっとした顔を崩さなかったが、代わりに嫌な顔もしなかった。
「隆平次第だと思うとるで。 この人に付いて行きたきゃそうすりゃいい。」
「紫峰さん。 こう言っちゃ何だが、紫峰さんと隆平は血の繋がりはない。
何で預かろうと思いなさった? いずれは養子にでもなさるおつもりですかな?」
弁護士が訊いた。
「隆平くんの人柄が気に入ったからですよ。 家には同じ年の子が二人いますし学友にと…。
それに紫峰と鬼面川は昔は付き合いのあったもの同士ですし、今でも彰久さんと僕は義理の兄弟ですからね。 遠縁としてお手伝いさせて頂いてもおかしくはないでしょう?
養子の件は将来ないとはいえませんが、いまのところはそのつもりはありません。」
修の整然とした答えに弁護士は納得した。隆弘の許で暮らすよりはずっとましだろうと考えた。
「外へ出すとなると学費や何やら用意してやらにゃならんで。 隆弘。 地元の学校のようなわけにはいかんだろう。 まあ一人息子だで、いくら出したっても惜しいことはなかろうが。
私立の英才学校だで転入費用やや寄付なんぞが相当なもんだと思うぞ…。」
村長が言った。村長は隆弘が隆平のためにそれだけのことする気があるかどうかが心配なのだ。
弁護士や村長の話を聞いているだけでも隆平がどれほど酷い目に遭っているのかが分かって修はむかむかしてきた。
「ご心配には及びません。 何もかもすべて紫峰の方で用意致します。
隆平くんは身一つで来てくれればいいのです。 」
修がそう言うと村長は安心したようだった。
「隆平。 おまえはこの人のところへ行きたいか? いい学校へ行かしてもらえるそうなで。」
隆弘がそっぽを向きながら隆平に訊いた。
「行きたい…。」
小さな声で恐る恐る隆平は答えた。
「なら…行け。 連れてってもらえ。 」
隆弘はそれだけ言うと息子が世話になるというのに修に挨拶もないまま部屋を後にした。
末松はその後姿を睨みつけた。
「すまんな。 紫峰さん。 ああいう男だで。 隆平のことお願いしますわ。」
数増が代わりに詫びた。
修は彼等の目の前で藤宮本家の輝郷に連絡を取り、高校への転入手続きを依頼した。
藤宮は代々教育関係者が多く本家は大規模な学園を経営している。透たちが通っている高校もそのひとつだ。
役場での手続きは村長が、こちらの学校での手続きは孝太が引き受けてくれた。
「本当は俺が面倒をみてやりたいが…村のうわさが怖くてできんのです。
俺の子だと言う人がおってね。 そんなこと言われちゃ隆平がかわいそうだで…ね。」
孝太は寂しそうに言った。
皆は奥の座敷へ移動し、末松が隆平の転校の件を座敷で待っていた一族の者に打ち明けた。
皆は事情を知っているらしく誰も反対する者はいなかった。一族の者は皆、知ってて知らんふりを決め込んでいただけなのだ。こみ上げてくる怒りを修は辛うじて押さえ込んだ。
今回の長選びは、この前、彰久が孝太や隆平に話したことが功を奏したのか、鬼が選ぶなどという馬鹿げたことをやめて、話し合いで決めることになったらしい。
ただ、もし隆平ということになると、隆平が進学のためにこの村にいない間、誰が代理をするかも決めなくてはならなかった。
彰久と史朗とは最初から辞退していたので、ただ皆の話を聞いていたに過ぎなかったが、長になる気のない孝太以外は皆欲が絡んでなかなか話し合いがまとまらなかった。
ことに道夫を失った朝子は秀夫を長にしたい一心だった。ところが当の秀夫は、長になって鬼遣らいのパフォーマンスをするのが嫌だと言い出して親子喧嘩に発展した。
寛子が娘を長に立てようとしているのに、娘美里は話し合いよりも携帯のメールに夢中で、加代子は兄孝太に任せるとの一点張り。
この有様に末松は気分を悪くして引き上げてしまった。そのために夕方まで休憩ということになって、皆は一旦、自宅や宿に戻ったりすることにした。
それほどの距離でもないので、修たちは歩いて宿に帰ることにした。
「修さん。 あなたの気持ちは分かります…。 でも、ああした気の毒な子は大勢います。
出会うたびに助けていたんではきりがありませんよ…。大変悲しいことですが…。」
彰久は老婆心からつい修に忠告した。
「そうですね。 いつも助けるというわけには行かないでしょうね。 分かってはいるのです。それでも目の前で助けを求めているあの子を見捨てることなどできませんでした。
遠縁の子ということで今回は大目に見ていただけませんか…? 」
修はそう言って微笑んだ。
宿の前まで来た時、突然、あの激しい頭痛が修を襲った。 透も両手で頭を押さえた。
「修さん! 大丈夫ですか? 透くん! 動けますか?」
彰久は修を支え、史朗が透を支えて、ロビーの椅子まで連れて行った。
雅人は鬼の声の発生している方向を探った。
「修さん! この声は鬼の頭の塚の方から来るよ!」
「鬼の頭…?」
修は額を押さえながらも瞬時に発生源を探った。そして思い当たった。
「彰久さん! 史朗くん! 大至急、隆平くんを探してください! これは隆平くんの心が助けを求めているんです。 誰かに襲われて危険な状態です。 早く!」
彰久と史朗は頷くともと来た方向へと急いで戻っていった。
「雅人…他に何か感じるか? 」
「もうひとつ…すごい悪意を持った力が動き出した。 ソラにも喰いきれないみたい。」
修は頷くと自ら音に対して障壁を張った。 だいぶん慣れてきたこともあって、雅人の手を借りなくて済みそうだった。 透も雅人の物理の講義よりは修の方法を選んだ。
痛みが治まると三人は急ぎ鬼の頭の塚へと走った。
鬼の頭の社に納める清めの酒を持った隆弘の後を、隆平はいつものようにおとなしくついていった。村を出る隆平のためにと孝太が渡したものだった。
鬼の頭まで来た時、隆弘はその酒を塚の前で叩き割った。隆平はびくっとした。
鬼のような形相で隆弘は隆平に迫った。
「育ててもらった恩も忘れて、一度や二度会っただけの男に付いていくだと!
おまえはやっぱり不義の子だわ! 」
隆弘はいつもより興奮しており、隆平を思いっきり殴りつけた。
「おまえには汚い血が流れ取るわ。 鬼の子め! その血を搾り出してやるで! 」
殴られ、蹴られ、それでも隆平は逆らおうとはしなかった。
諦めてでもいるように無抵抗に暴力を受け続けた。
さらに興奮した隆弘は割れた酒瓶を手にすると隆平の身体に突き立てた。
隆平の身体に付けられた防御の印が働いてその瓶を砕いたため隆平はさして傷を負わなかった。
修が機転を効かして印を障壁に変化させたのだ。
怒り狂った隆弘は備え付けてあった竹箒を手に取ると隆平をさんざんに殴りつけた。
隆平が気を失いかけたとき、隆弘は突如、箒を振り上げたまま仰け反った。
そして、その場にばたりと倒れこんだ。
父親が倒れたのを目にしながら、隆平は動くこともできず、次第に意識が遠のいていった。
薄れていく意識の中で、誰かが抱き上げてくれたのだけは感じていた。
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