ノックもせずに修たちの寝室へ飛び込んだのは別に他意があってのことではない。
母屋から急いで駆けてきて、玄関のところで多喜ののんびりした問答にとっ捕まって鍵を開けてもらっているうちに気が焦り、勢いドアに突進したところがたまたまドアが半開きだっただけで、不可抗力としか言いようがない。
修が寝息を立てている傍らで髪を纏めている笙子お姉さまのお姿をばっちり拝見してしまった。お姉さまは『あら…。』と言って嫣然と微笑んだ。
「で…僕の寝込みを襲った訳は…? 」
ベッドに腰をかけて、呆れはてたように二人を見ながら修が訊いた。笙子に起こされ、二人に起こされ、今日は厄日だ…と修は思った。
「これ…隆平くんからのメールなんだけどなんか変なんだ。 途中で切れたし、こっちが確認のために返信しても答えが返ってこないんだよ。雅人が遠隔透視を試みたけどぜんぜんだめで。」
透が携帯を渡した。受け取ると修は、確かに切れ切れではあるが普通に読めば悩みの相談のようにも受け取れる文書を読んだ。
「笙子…この子には防御の印をつけてある。今の状況を映像化できるかい?」
修の後ろで肌掛けに包まっている笙子に声を掛けた。
「それ貸してね…。 修。手を出して。」
笙子は片手に透の携帯を持ち、もう一方の手で修の手を握った。
「結構、強い障壁があるわ。 これを造った人は相当な力の持ち主ね。」
修の脳裏に浮かんできたのは、部屋の片隅ですすり泣く隆平の姿だった。
はっきりとはしないが、誰かに暴力を受けた痕跡がある。
修の防御の印が反応しなかったのは、異能力による暴力ではなく、誰かに殴られたか蹴られたものだからだろう。
隆平の哀れな姿を見た瞬間、修の中の鬼が頭を擡げた。怒りが全身を支配しようとした。
気付いた笙子が強く手を握ってそれを制した。
修は気を落ち着かせ、大きく息をすると隆平に語りかけた。
部屋の片隅で隆平は泣いていた。殴られた傷の痛みより孝太に迷惑が掛かるのがつらい。
『隆平くん…分かるかい?』
隆平は部屋を見回した。誰の姿もない。
『この声は君にしか聞こえない。君も話したいことがあれば頭に思い浮かべて…。』
「修さんなの? メール見てくれたんだね。」
『怪我は大丈夫かい? 今…痛みを止めてあげる。』
隆平の身体から少しずつ痛みが消えていった。
「すごい。修さん。こんなすごい人だったんだね。」
『すぐに行ってあげられなくてごめんね。
いま僕がしてあげられることがあったら、なんでも話してみて。』
「孝太兄ちゃんを護って! このままだと何をされるか分からない。 殴る蹴るじゃすまないかもしれない。」
誰に?とは訊かなかった。
『分かった…。近いうちに必ずそっちへ行くからね。絶対に短気を起こしちゃだめだよ。
僕を信じて…きっと君を救い出すから…。』
隆平の心に微かな希望が湧いてきた。間違いじゃなかった。やっぱりあの人は僕のことを知っている。きっと助けてくれる。
隆平との話しが終わっても修はしばらく身動きひとつしなかった。
俯いた顔を上げようともしない。笙子には心の中に湧き上がる怒りと憎悪の炎を必死に抑えているように見えた。
「なぜ…なぜ気付いてあげられなかったんだ。 あの子はきっと助けを求めていたはずだ。」
雅人はおろか生まれたときから一緒に暮らしている透でさえも、修のこんな様子は始めて見た。
修の中に闇の部分があることは以前から雅人も気付いていたが、それは戦いのときに見せる非情さだと思っていた。
過去の修練によるおぞましい体験が修の冷酷な一面を生んだのだと…。
しかし、それだけではなさそうだ。修のもっと人間的な部分に根ざした闇のように思える。
「大丈夫…きっと救えるわ。落ち着いて。 修。 透くんたちをを怯えさせてはいけないわ。」
笙子にそう言われて修は我に返った。
「ああ…そうだね。 悪かった。 つい…。」
「雅人くんたちも…もう子どもじゃないわ。 話してあげてもいいんじゃない?
あなたが黙っているとかえって心配するでしょう…? 」
修は一瞬迷っていたが、分かったと言うように頷いた。
「僕が笙子を支え続けているように…笙子も僕を支え続けてくれているんだ…。
いつ動き出すか分からない…僕の心に巣喰う闇の鬼を…僕がいつでも抑えていられるように。」
修はそう語り始めた。
「透や冬樹を育てるのに手一杯で、なかなか友達を作るなんてことができなかった。
それでも12くらいの時に、近くに住んでいた高校生と知り合って結構仲良くなったんだ。
時々だけど、宿題をみてもらったり、工作を手伝ってもらったり、本当に優しくしてくれたよ。
半年ほど行き来があったから、はるなら覚えているだろうな。
紫峰の家へ遊びに来ると、小さかった透や冬樹のこともあやしてくれたりしてね。」
少しだけ修は微笑んだ。
「突然、彼は僕を裏切った…。 暴力で…。 今の僕からは想像できないだろうけど12歳の頃はクラスでも小柄なほうでね。
何があっても紫峰の力は人前では使えなかったから…腕力ではとても敵わなかった…。」
雅人は身体が硬直するのを覚えた。透が下唇を噛んだ。
「彼が最初から悪戯目的だったとは思わない。 でも僕は許せなかった。
その時から僕の中には鬼がいる。 腕力に物言わせるような奴を見ると叩きのめしたくなる。
理性も何もかも吹っ飛んでしまいそうになる。」
二人の顔色が変わったのを見て修は安心させるようにおどけた調子で言った。
「一年後には30センチほど伸びてさ。彼よりずっと身体が大きくなってたから余裕でぶっとばせたのにな。あいつはあの後すぐに引越したんだ。 残念この上ないね。 」
何か言わなければと雅人は思った。自分たちが深刻になってしまったら、きっと修を悲しませるだろうと…。
「ふ~ん。それで禁欲主義と情欲主義の夫婦が誕生したってわけね…。」
「そういうことだね…って…ほんと口悪いなおまえは…。」
修は笑いながら言った。
「やだ…情欲主義って私のこと…? そんなこという人には…もう見せてあ*げ*な*い。」
そう言いながら笙子が指で投げキッスした。
雅人も透も真っ赤になった。
「なに見せるって…?」
笙子が修に耳打ちした。
「お勉強したね?」
修がわざとらしく睨んだ。
二人は無言で何度も頷いた。
修はその夜のうちに孝太の周りにボディガードを派遣した。ひとりは言うまでもなく闇喰いのソラ。もうひとりは紫峰家の使用人のひとりで西野という若い男である。
西野は紫峰家に代々仕える執事のような役割を担う一族の出身ではるの甥にあたる。
信頼できる男で腕っ節も強く頭も切れる。真夜中にたたき起こされたにも拘らず、文句のひとつも言わずに直ちに出発した。
修の告白は、幼児期のあの酷い体験の話を聞いたときよりもある意味ずっとショッキングなものだった。
透が修に甘えて過ごしている間に、当の修には頼るべき人も相談する人もなく、ひとり苦しみ、悩み、悲しみ…。そう考えると透は自分がどれほど恵まれていたかを思い知らされて、なおさらせつなかった。
笙子のような世間から見れば非常識な超悪妻ともいえる女性でも、きっと修にとっては本当に安心できる伴侶なんだと雅人はようやく思えるようになった。
若い雅人にはまだよくは分からないが、何もかもを受け入れて理解し合っている。そんな夫婦なんてめったにないだろう。生活はハチャメチャだが、いざというとき心が通い合っていれば、それはそれでいいのかもしれない。
悔しいけどやっぱり笙子さんには敵わないや…。
雅人は心からそう思った。
次回へ
母屋から急いで駆けてきて、玄関のところで多喜ののんびりした問答にとっ捕まって鍵を開けてもらっているうちに気が焦り、勢いドアに突進したところがたまたまドアが半開きだっただけで、不可抗力としか言いようがない。
修が寝息を立てている傍らで髪を纏めている笙子お姉さまのお姿をばっちり拝見してしまった。お姉さまは『あら…。』と言って嫣然と微笑んだ。
「で…僕の寝込みを襲った訳は…? 」
ベッドに腰をかけて、呆れはてたように二人を見ながら修が訊いた。笙子に起こされ、二人に起こされ、今日は厄日だ…と修は思った。
「これ…隆平くんからのメールなんだけどなんか変なんだ。 途中で切れたし、こっちが確認のために返信しても答えが返ってこないんだよ。雅人が遠隔透視を試みたけどぜんぜんだめで。」
透が携帯を渡した。受け取ると修は、確かに切れ切れではあるが普通に読めば悩みの相談のようにも受け取れる文書を読んだ。
「笙子…この子には防御の印をつけてある。今の状況を映像化できるかい?」
修の後ろで肌掛けに包まっている笙子に声を掛けた。
「それ貸してね…。 修。手を出して。」
笙子は片手に透の携帯を持ち、もう一方の手で修の手を握った。
「結構、強い障壁があるわ。 これを造った人は相当な力の持ち主ね。」
修の脳裏に浮かんできたのは、部屋の片隅ですすり泣く隆平の姿だった。
はっきりとはしないが、誰かに暴力を受けた痕跡がある。
修の防御の印が反応しなかったのは、異能力による暴力ではなく、誰かに殴られたか蹴られたものだからだろう。
隆平の哀れな姿を見た瞬間、修の中の鬼が頭を擡げた。怒りが全身を支配しようとした。
気付いた笙子が強く手を握ってそれを制した。
修は気を落ち着かせ、大きく息をすると隆平に語りかけた。
部屋の片隅で隆平は泣いていた。殴られた傷の痛みより孝太に迷惑が掛かるのがつらい。
『隆平くん…分かるかい?』
隆平は部屋を見回した。誰の姿もない。
『この声は君にしか聞こえない。君も話したいことがあれば頭に思い浮かべて…。』
「修さんなの? メール見てくれたんだね。」
『怪我は大丈夫かい? 今…痛みを止めてあげる。』
隆平の身体から少しずつ痛みが消えていった。
「すごい。修さん。こんなすごい人だったんだね。」
『すぐに行ってあげられなくてごめんね。
いま僕がしてあげられることがあったら、なんでも話してみて。』
「孝太兄ちゃんを護って! このままだと何をされるか分からない。 殴る蹴るじゃすまないかもしれない。」
誰に?とは訊かなかった。
『分かった…。近いうちに必ずそっちへ行くからね。絶対に短気を起こしちゃだめだよ。
僕を信じて…きっと君を救い出すから…。』
隆平の心に微かな希望が湧いてきた。間違いじゃなかった。やっぱりあの人は僕のことを知っている。きっと助けてくれる。
隆平との話しが終わっても修はしばらく身動きひとつしなかった。
俯いた顔を上げようともしない。笙子には心の中に湧き上がる怒りと憎悪の炎を必死に抑えているように見えた。
「なぜ…なぜ気付いてあげられなかったんだ。 あの子はきっと助けを求めていたはずだ。」
雅人はおろか生まれたときから一緒に暮らしている透でさえも、修のこんな様子は始めて見た。
修の中に闇の部分があることは以前から雅人も気付いていたが、それは戦いのときに見せる非情さだと思っていた。
過去の修練によるおぞましい体験が修の冷酷な一面を生んだのだと…。
しかし、それだけではなさそうだ。修のもっと人間的な部分に根ざした闇のように思える。
「大丈夫…きっと救えるわ。落ち着いて。 修。 透くんたちをを怯えさせてはいけないわ。」
笙子にそう言われて修は我に返った。
「ああ…そうだね。 悪かった。 つい…。」
「雅人くんたちも…もう子どもじゃないわ。 話してあげてもいいんじゃない?
あなたが黙っているとかえって心配するでしょう…? 」
修は一瞬迷っていたが、分かったと言うように頷いた。
「僕が笙子を支え続けているように…笙子も僕を支え続けてくれているんだ…。
いつ動き出すか分からない…僕の心に巣喰う闇の鬼を…僕がいつでも抑えていられるように。」
修はそう語り始めた。
「透や冬樹を育てるのに手一杯で、なかなか友達を作るなんてことができなかった。
それでも12くらいの時に、近くに住んでいた高校生と知り合って結構仲良くなったんだ。
時々だけど、宿題をみてもらったり、工作を手伝ってもらったり、本当に優しくしてくれたよ。
半年ほど行き来があったから、はるなら覚えているだろうな。
紫峰の家へ遊びに来ると、小さかった透や冬樹のこともあやしてくれたりしてね。」
少しだけ修は微笑んだ。
「突然、彼は僕を裏切った…。 暴力で…。 今の僕からは想像できないだろうけど12歳の頃はクラスでも小柄なほうでね。
何があっても紫峰の力は人前では使えなかったから…腕力ではとても敵わなかった…。」
雅人は身体が硬直するのを覚えた。透が下唇を噛んだ。
「彼が最初から悪戯目的だったとは思わない。 でも僕は許せなかった。
その時から僕の中には鬼がいる。 腕力に物言わせるような奴を見ると叩きのめしたくなる。
理性も何もかも吹っ飛んでしまいそうになる。」
二人の顔色が変わったのを見て修は安心させるようにおどけた調子で言った。
「一年後には30センチほど伸びてさ。彼よりずっと身体が大きくなってたから余裕でぶっとばせたのにな。あいつはあの後すぐに引越したんだ。 残念この上ないね。 」
何か言わなければと雅人は思った。自分たちが深刻になってしまったら、きっと修を悲しませるだろうと…。
「ふ~ん。それで禁欲主義と情欲主義の夫婦が誕生したってわけね…。」
「そういうことだね…って…ほんと口悪いなおまえは…。」
修は笑いながら言った。
「やだ…情欲主義って私のこと…? そんなこという人には…もう見せてあ*げ*な*い。」
そう言いながら笙子が指で投げキッスした。
雅人も透も真っ赤になった。
「なに見せるって…?」
笙子が修に耳打ちした。
「お勉強したね?」
修がわざとらしく睨んだ。
二人は無言で何度も頷いた。
修はその夜のうちに孝太の周りにボディガードを派遣した。ひとりは言うまでもなく闇喰いのソラ。もうひとりは紫峰家の使用人のひとりで西野という若い男である。
西野は紫峰家に代々仕える執事のような役割を担う一族の出身ではるの甥にあたる。
信頼できる男で腕っ節も強く頭も切れる。真夜中にたたき起こされたにも拘らず、文句のひとつも言わずに直ちに出発した。
修の告白は、幼児期のあの酷い体験の話を聞いたときよりもある意味ずっとショッキングなものだった。
透が修に甘えて過ごしている間に、当の修には頼るべき人も相談する人もなく、ひとり苦しみ、悩み、悲しみ…。そう考えると透は自分がどれほど恵まれていたかを思い知らされて、なおさらせつなかった。
笙子のような世間から見れば非常識な超悪妻ともいえる女性でも、きっと修にとっては本当に安心できる伴侶なんだと雅人はようやく思えるようになった。
若い雅人にはまだよくは分からないが、何もかもを受け入れて理解し合っている。そんな夫婦なんてめったにないだろう。生活はハチャメチャだが、いざというとき心が通い合っていれば、それはそれでいいのかもしれない。
悔しいけどやっぱり笙子さんには敵わないや…。
雅人は心からそう思った。
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