彰久たちが到着した時、隆平は西野の腕の中にいた。 酒瓶が割れて散乱し、竹箒を振り上げたまま隆弘が仰向けに倒れて事切れていた。
すぐ後から修たちが駆けつけて来た。
「慶太郎…これはおまえか?」
修は転がっている隆弘を指差した。
「いいえ…。私が来たときはすでに…。」
西野はよいしょっと隆平を抱き上げ直した。
「修さん。 取り敢えず、救急車でも呼びましょうかね。」
彰久が呟くように言った。
「そうですね。 ちょっと手遅れの気もしますが…。」
すかさず史朗が携帯で連絡をした。修も数増に連絡を入れ隆弘の倒れている様子などを伝えた。
彰久と史朗とが現場に残ることにして、修たちは隆平を連れて本家へと戻った。
数増と孝太が慌てて飛んできた。
「修さん。 酒持たせた俺が悪かったんだ。 村から出る者の前途を清める習慣があって…。
隆平を隆弘と二人っきりにさせてしまった。」
孝太は反省しきりだった。
「こちらさんは…?」
隆平を抱いている西野を見て数増が訊いた。
「ああ…これはうちの者です。 慶太郎。 御挨拶を…。」
修が言うと西野は隆平を腕に抱えたままきちっとお辞儀をした。
とにかく…ということで隆平を部屋に運び布団の上に寝かせてやった。
「宗主…では私はまた仕事に戻りますので…。」
「そうか。くれぐれも気をつけてな。この村全体によからぬ気配が漂い始めたようだから…。」
西野は頷いた。
孝太は心配そうにこちらを見ていたが、土地の者でない彰久たちでは勝手が分からないだろうから隆弘の運ばれた病院の方へ向かうと数増が言うので一緒に付いて出て行った。
修は透に氷水とタオルを持ってこさせると雅人に部屋の入り口を見張らせておいて隆平の手当てを始めた。
頭と顔の血のこびりついた部分を丁寧に拭いてやりながら、裂傷を塞ぎ、身体中の打撲の痛みを和らげた。可哀想ではあるが、完全には治してやることはできない。
紫峰としてはその力を簡単に外部に知られるようなことがあってはならないからだ。
修はあくまで親切で物好きな遠縁の金持ちという存在を演じていなければならない。
しばらくすると彰久が戻ってきた。
「心臓麻痺ということに納まりそうですよ。 ま…実際そうなんですが。」
彰久は修の隣に腰を下ろすと、思っている疑問を修に打ち明けた。
「鬼の声が隆平くんの心の叫びだったとすると、なぜ隆平くんは樹の名を知っていたのでしょう。
無意識に呼びかけているのですから、知らない名前なら出ようはずがないと思いませんか?」
「隆平くんは多分その名前を孝太さんから聞いていたのだと思います。
何か樹に関わるものが鬼面川のどこかにあるのでしょう。」
彰久は唸った。鬼将は鬼面川の子々孫々に至るまで、親身になってくれた紫峰家への恩は忘れてはならぬとは書き残したが樹の名を記してはいない。
万が一追っ手に見つかった場合に備え、樹が助けてくれたことを記すことを避けたのだ。
となると、鬼将への疑いが晴れた後、華翁が追記したものだろうか。
「もうひとつは…この前村に来たときに、やはり鬼の声を聞きましたよね。
あの時には隆弘は隆平くんに何もしていなかったと思いますが?
道夫くんが亡くなったすぐ後に本家で見たときには怪我などはしていませんでしたしね。」
「道夫さんが僕に…長になるのは辞退しろって…。」
隆平が突然口を開いた。ようやく目が覚めた隆平は修の顔を見てぽろぽろと涙をこぼした。
「じゃないと…殴るって…祖父さんの杖で僕を殴ろうとしたんだ。
でも。塚にあたって折れてしまった。 塚も欠けてしまった。
どうしよう…修さん…僕…父さんと道夫さんを殺してしまったかもしれない…。」
彰久はなるほどと頷いた。道夫に襲われた恐怖で無意識に助けを求めたのか…。
修はそっと隆平の手を握って言った。
「大丈夫だよ。 君は何もやってない。 お父さんが亡くなった時には君はすでに動けない状態だったし、僕等は、君やお父さんのではないもうひとつの気配を感じたんだ。 もし君がふたりを殺したなら僕にはちゃんと分かるよ。
だから安心して、もう少し休みなさい…。」
隆平はうんと頷くと再び目を閉じた。
修は小さな子どもにするように頭を撫でてやった。
彰久は微笑ましそうにその光景を見ていた。そう言えば樹にも何人か子どもがいたな…と思った。 樹が早世した後あの子たちはどうなっただろう…。
あ…いかんいかん。 ぼんやりと思い出に浸っている時ではないと彰久は自分に活を入れた。
「鬼面川ではこれで何人もの人が亡くなっているわけですが…どうも病死とか自然死には思えないんですよ。」
「彰久さんもそう思われますか? 鬼の仕業に託けて殺人が何件も起こったということでしょうね。 」
玄関の方がざわついて皆が戻ってきた気配がした。隆弘の死はすでに伝えられていたが、誰も悲しんでいる様子はなかった。
「隆平をいびり倒している最中に心臓麻痺だと…。」
「自業自得だわ。 自分の子を酷い目に遭わせたんだで。」
「こんでやっと隆平も楽しく暮らせるってもんだわ。」
そんな声が聞こえてきた。
修は唇を噛んだ。修が怒りに震えているのを見て彰久は驚いた。
『そんなことを言う資格がおまえたちにあるのか…。』
他の誰にも聞こえはしなかったが彰久にははっきりと聞こえた。
「修さん…?」
「つらいものですよ…逃げ場がないというのは…。」
修は自嘲するような笑みを浮かべた。
「何があっても…何をされても…ただひとり黙って耐えるしかないんですから…。 」
この人は…隆平に自分を重ねているのだ。だから、隆平のことをほっておけなかったのか…。彰久はほんの僅かだが、修の心を垣間見た気がした。
その夜は隆弘の通夜となった。長を選ぼうとするたびに起こる不幸に、末松はますます気分を悪くし、とうとう寝込んでしまった。
これこそが鬼の祟りじゃあるまいかと村中の人がこそこそうわさした。
鬼は鬼面川の子孫を根絶やしにしようとしているのだと…。
通夜の席では死者に鞭打つようなさんざんな中傷が飛び交った。
隆平が怪我と心労のために前後不覚に眠っているおかげで、それらの中傷を聞かずに済んでいることがせめてもの幸いだと修は思った。
夜半過ぎから降り始めた雨は明け方になってますます勢いを増した。
隆弘の葬儀は、本家ということもあって、表向きは盛大に行われる予定だった。
鬼面川の流儀に則って、孝太と隆平が葬礼の祭祀を行うことにしていた。
よく眠ったこともあって、隆平は少し元気を取り戻していたが、額や頬に残るあざや傷がいかにも痛々しく参列者の目を引いた。
当代にはその知識がなかったために、古式祭祀は先代が亡くなって以来のことで、珍しさも手伝って村中から参列者が来ていた。大雨だというのに誰が宣伝したのか観光客まで参列する始末だった。
狩衣装束の孝太と隆平は、やはり狩衣装束の末松、彰久、史朗、修、透、雅人が
両脇に居並ぶ中、鬼面川の所作、文言を流麗にこなし、彰久や史朗を心から満足させた。参列者にはさながら平安絵巻を見ているように思えたことだろう。
元気のなかった末松も少し安堵したような目でふたりを見守っていた。
滞りなく葬儀が終わると、村人のふたりを見る目が変わっていた。そればかりか村長が観光の目玉として古式祭祀を採り上げたいとまで言い出した。
しかし、すでに観光化されてしまっている鬼遣らいは仕方ないとして、他の祭祀を観光として行う気はないことを強く言い渡した。
降り続く雨はどうやら急速に接近する台風の影響のようだった。
修が西野によからぬ気配がすると言っていたように、村のあちこちで障害が出はじめた。台風は自然災害だから鬼面川にも紫峰にも管轄外のことではあるが、修や彰久は妙に荒れた塚のことが気になっていた。
崩れた塚は大雨と風のせいでさらに酷く破壊され、封印されたはずの物の怪たちが復活を遂げて巷に溢れかえる…。
彰久はそんな夢にうなされて目を覚ました。轟々と音を響かせて風と雨の攻撃が始まっていた。
真っ暗な村のあちこちで風と雨の音に混じり合い、得体の知れない物たちの産まれ出る声が響き渡っていた。
次回へ
すぐ後から修たちが駆けつけて来た。
「慶太郎…これはおまえか?」
修は転がっている隆弘を指差した。
「いいえ…。私が来たときはすでに…。」
西野はよいしょっと隆平を抱き上げ直した。
「修さん。 取り敢えず、救急車でも呼びましょうかね。」
彰久が呟くように言った。
「そうですね。 ちょっと手遅れの気もしますが…。」
すかさず史朗が携帯で連絡をした。修も数増に連絡を入れ隆弘の倒れている様子などを伝えた。
彰久と史朗とが現場に残ることにして、修たちは隆平を連れて本家へと戻った。
数増と孝太が慌てて飛んできた。
「修さん。 酒持たせた俺が悪かったんだ。 村から出る者の前途を清める習慣があって…。
隆平を隆弘と二人っきりにさせてしまった。」
孝太は反省しきりだった。
「こちらさんは…?」
隆平を抱いている西野を見て数増が訊いた。
「ああ…これはうちの者です。 慶太郎。 御挨拶を…。」
修が言うと西野は隆平を腕に抱えたままきちっとお辞儀をした。
とにかく…ということで隆平を部屋に運び布団の上に寝かせてやった。
「宗主…では私はまた仕事に戻りますので…。」
「そうか。くれぐれも気をつけてな。この村全体によからぬ気配が漂い始めたようだから…。」
西野は頷いた。
孝太は心配そうにこちらを見ていたが、土地の者でない彰久たちでは勝手が分からないだろうから隆弘の運ばれた病院の方へ向かうと数増が言うので一緒に付いて出て行った。
修は透に氷水とタオルを持ってこさせると雅人に部屋の入り口を見張らせておいて隆平の手当てを始めた。
頭と顔の血のこびりついた部分を丁寧に拭いてやりながら、裂傷を塞ぎ、身体中の打撲の痛みを和らげた。可哀想ではあるが、完全には治してやることはできない。
紫峰としてはその力を簡単に外部に知られるようなことがあってはならないからだ。
修はあくまで親切で物好きな遠縁の金持ちという存在を演じていなければならない。
しばらくすると彰久が戻ってきた。
「心臓麻痺ということに納まりそうですよ。 ま…実際そうなんですが。」
彰久は修の隣に腰を下ろすと、思っている疑問を修に打ち明けた。
「鬼の声が隆平くんの心の叫びだったとすると、なぜ隆平くんは樹の名を知っていたのでしょう。
無意識に呼びかけているのですから、知らない名前なら出ようはずがないと思いませんか?」
「隆平くんは多分その名前を孝太さんから聞いていたのだと思います。
何か樹に関わるものが鬼面川のどこかにあるのでしょう。」
彰久は唸った。鬼将は鬼面川の子々孫々に至るまで、親身になってくれた紫峰家への恩は忘れてはならぬとは書き残したが樹の名を記してはいない。
万が一追っ手に見つかった場合に備え、樹が助けてくれたことを記すことを避けたのだ。
となると、鬼将への疑いが晴れた後、華翁が追記したものだろうか。
「もうひとつは…この前村に来たときに、やはり鬼の声を聞きましたよね。
あの時には隆弘は隆平くんに何もしていなかったと思いますが?
道夫くんが亡くなったすぐ後に本家で見たときには怪我などはしていませんでしたしね。」
「道夫さんが僕に…長になるのは辞退しろって…。」
隆平が突然口を開いた。ようやく目が覚めた隆平は修の顔を見てぽろぽろと涙をこぼした。
「じゃないと…殴るって…祖父さんの杖で僕を殴ろうとしたんだ。
でも。塚にあたって折れてしまった。 塚も欠けてしまった。
どうしよう…修さん…僕…父さんと道夫さんを殺してしまったかもしれない…。」
彰久はなるほどと頷いた。道夫に襲われた恐怖で無意識に助けを求めたのか…。
修はそっと隆平の手を握って言った。
「大丈夫だよ。 君は何もやってない。 お父さんが亡くなった時には君はすでに動けない状態だったし、僕等は、君やお父さんのではないもうひとつの気配を感じたんだ。 もし君がふたりを殺したなら僕にはちゃんと分かるよ。
だから安心して、もう少し休みなさい…。」
隆平はうんと頷くと再び目を閉じた。
修は小さな子どもにするように頭を撫でてやった。
彰久は微笑ましそうにその光景を見ていた。そう言えば樹にも何人か子どもがいたな…と思った。 樹が早世した後あの子たちはどうなっただろう…。
あ…いかんいかん。 ぼんやりと思い出に浸っている時ではないと彰久は自分に活を入れた。
「鬼面川ではこれで何人もの人が亡くなっているわけですが…どうも病死とか自然死には思えないんですよ。」
「彰久さんもそう思われますか? 鬼の仕業に託けて殺人が何件も起こったということでしょうね。 」
玄関の方がざわついて皆が戻ってきた気配がした。隆弘の死はすでに伝えられていたが、誰も悲しんでいる様子はなかった。
「隆平をいびり倒している最中に心臓麻痺だと…。」
「自業自得だわ。 自分の子を酷い目に遭わせたんだで。」
「こんでやっと隆平も楽しく暮らせるってもんだわ。」
そんな声が聞こえてきた。
修は唇を噛んだ。修が怒りに震えているのを見て彰久は驚いた。
『そんなことを言う資格がおまえたちにあるのか…。』
他の誰にも聞こえはしなかったが彰久にははっきりと聞こえた。
「修さん…?」
「つらいものですよ…逃げ場がないというのは…。」
修は自嘲するような笑みを浮かべた。
「何があっても…何をされても…ただひとり黙って耐えるしかないんですから…。 」
この人は…隆平に自分を重ねているのだ。だから、隆平のことをほっておけなかったのか…。彰久はほんの僅かだが、修の心を垣間見た気がした。
その夜は隆弘の通夜となった。長を選ぼうとするたびに起こる不幸に、末松はますます気分を悪くし、とうとう寝込んでしまった。
これこそが鬼の祟りじゃあるまいかと村中の人がこそこそうわさした。
鬼は鬼面川の子孫を根絶やしにしようとしているのだと…。
通夜の席では死者に鞭打つようなさんざんな中傷が飛び交った。
隆平が怪我と心労のために前後不覚に眠っているおかげで、それらの中傷を聞かずに済んでいることがせめてもの幸いだと修は思った。
夜半過ぎから降り始めた雨は明け方になってますます勢いを増した。
隆弘の葬儀は、本家ということもあって、表向きは盛大に行われる予定だった。
鬼面川の流儀に則って、孝太と隆平が葬礼の祭祀を行うことにしていた。
よく眠ったこともあって、隆平は少し元気を取り戻していたが、額や頬に残るあざや傷がいかにも痛々しく参列者の目を引いた。
当代にはその知識がなかったために、古式祭祀は先代が亡くなって以来のことで、珍しさも手伝って村中から参列者が来ていた。大雨だというのに誰が宣伝したのか観光客まで参列する始末だった。
狩衣装束の孝太と隆平は、やはり狩衣装束の末松、彰久、史朗、修、透、雅人が
両脇に居並ぶ中、鬼面川の所作、文言を流麗にこなし、彰久や史朗を心から満足させた。参列者にはさながら平安絵巻を見ているように思えたことだろう。
元気のなかった末松も少し安堵したような目でふたりを見守っていた。
滞りなく葬儀が終わると、村人のふたりを見る目が変わっていた。そればかりか村長が観光の目玉として古式祭祀を採り上げたいとまで言い出した。
しかし、すでに観光化されてしまっている鬼遣らいは仕方ないとして、他の祭祀を観光として行う気はないことを強く言い渡した。
降り続く雨はどうやら急速に接近する台風の影響のようだった。
修が西野によからぬ気配がすると言っていたように、村のあちこちで障害が出はじめた。台風は自然災害だから鬼面川にも紫峰にも管轄外のことではあるが、修や彰久は妙に荒れた塚のことが気になっていた。
崩れた塚は大雨と風のせいでさらに酷く破壊され、封印されたはずの物の怪たちが復活を遂げて巷に溢れかえる…。
彰久はそんな夢にうなされて目を覚ました。轟々と音を響かせて風と雨の攻撃が始まっていた。
真っ暗な村のあちこちで風と雨の音に混じり合い、得体の知れない物たちの産まれ出る声が響き渡っていた。
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