徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

一番目の夢(第三十五話 治療)

2005-06-20 14:08:50 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 金属音ともガラスの割れる音とも付かぬ音が響いた後で、割れた車の窓から修は自力で這い上がってきた。

 二人は駆け寄って修が車を脱出するのを手伝った。
車から少し離れた所で、修は力尽きたように地べたに腰を下ろした。

 「雅人…大丈夫か?怪我は無いか?」

苦しそうに肩で息をしながら修が訊いた。

 「大丈夫だよ。何とも無いよ。修さんこそ大丈夫?」

雅人は逆に聞き返した。

 「大丈夫。少し身体が痛むくらいで…。手を貸してくれ。すぐに修練場に戻ろう。」

透と雅人が同時に手を伸ばした。修は二人の手を取ったが立ち上がれなかった。胸を押さえ、その場に蹲った。

 「修さん!」

透が身体を支えた。意識はあるようだが呼吸の様子がおかしい。

 「雅人。僕らで運ぼう。」

 「救急車を呼んだほうが…。」

雅人に言われて少し迷ったが、透は修練場を選んだ。

 「救急車を襲われたら一巻の終わりだ。」

雅人が修を背負い透が支えた。

 「僕の力じゃたいした治療はできない。黒田なら十分な治療ができる。君連絡してくれないか?」

雅人は透に言った。

 「だめだよ。黒田は今は屋敷内に出入りできない。奴の目が光ってるから。」

携帯を手にしたものの急にボタンを押す手を止め、透は悔しそうに言った。

 「笙子さん…。そうだ。笙子さんならできるかも。」

雅人は透を見た。透も頷いた。透は修の背広のポケットから携帯を取り出した。腰の辺りのポケットに入っていたせいか幸いなことに壊れていなかった。
 
 呼び出し音がなった。ほんの1~2秒がものすごく長く感じられた。相手のキャッチした音が聞こえ、透はほっとした。こちらが話す前にしっかりした口調の女性の声が聞こえた。

 「透くんね。」

笙子の第一声だった。

 「修に何かあったのね。いま、そっちへ向かってる。
よく聞いて。修練場に入ったら決して外へ出てはだめよ。

 私が行くまで絶対に修の傍を離れないで。いまの修では遠くまでチカラを及ぼせない。傍にいれば護ってくれるわ。

 狙われているのはあなたたちだということを忘れないで。
黒田が修練場に結界を張ったわ。中に居れば安全よ。」

一方的に話すと携帯は切れた。
二人は顔を見合わせると修練場へと急いだ。




 修練場に修の身体を横たえ雅人は、あの暗闇では分からなかったが、自分のシャツが修の血で濡れているのを見て、修がかなり失血していることに気が付いた。

 「とにかく血を止めなきゃ。」

雅人の手が震えた。思うようにチカラが使えない。

 「雅人。落ち着け。」
 
 透が雅人の手を押さえた。雅人は頷いたが震えは止まらなかった。
何度も試みるが、修に怪我を負わせたという自責の念に駆られてうまく対処できない。
これでは普通の止血方法をとるしかない。

 「布を…何か布を持ってくる。」

 雅人は思い余って外に出ようとした。
透が手を掴んで止めようとした時、修が少し起き上がったような気配がした。

 「行くな!…出るな…雅人!」

 修が声を絞り出すように言った。

 「大丈夫だから…ここにいなさい。はなれては…だめだ。」

 それだけ言うと、再び崩れるように仰向けに転がった。
二人は急いで修の傍に駆け寄った。
修の容態の悪さは失血だけが原因ではないようだった。
 
 突然、ソラが飛び込んできた。修の枕元まで駆けていきそこに陣取った。
続いて笙子が現れた。笙子は不安げな二人を見て微笑んだ。
 
 「いい子にしていたわね。」

笙子は真っ直ぐ修のところに行き傍らに座った。修の額や腕に触れながら、雅人に向かって話しかけた。

 「雅人くん。いいこと。これはあなたのせいではないわ。修の油断よ。
相手を特定できなかった修自身のせいなの。気にすることは無いわ。
そうよね?修。」

修が『そのとおりだ。』と言うように頷いてみせた。
初対面の笙子が自分の心を軽く読み取ったことに雅人は驚いた。
  
 修の胸に触れた瞬間、笙子の表情が曇った。二人の心臓が高鳴った。

 「そんなに酷いの?」

 透が恐る恐る訊いた。

 「私は医者じゃないからよくは判らないけど、あばらが2~3本軽くいっちゃってるようだわ。
固定しないで動かしたのはまずかったかもね。」

 修の身体のあちらこちらを調べた後、笙子は二人の方へ向き直った。二人は思わず及び腰になった。

 「さてと、本格的に始めるわよ。
 呼吸がうまくいかない状態では自己治癒は難しかったでしょうね。
それでも止血だけは自分でしたようだから。

 怪我をしている場所を正確に知りたいの。
修の服を脱がせてやって。あんまり動かさないように注意してね。
服なんて破いてしまえばいいから。

 修。もう気を失っても大丈夫だからね。眠っちゃっていいわよ。」

 透と雅人は破れにくい背広だけを手早く脱がしてしまうと、修に振動を与えないように慎重に布を破り、血で張り付いた衣服をはがしていった。 
しばらくすると二人は困ったように笙子を見上げた。笙子は事も無げに言った。

 「ああそれ?それはいいわ。そこは問題ない。元気だから。」

 修が思わず噴き出した。が、相当痛むのかその後ひどく顔をしかめた。

 『修さん。こんな時に笑ってる場合かよ。』雅人は呆れて二人を見比べた。
怪我人を笑わせる笙子も笙子なら、笑う修も修だと思った。

 『まあまあ抑えて。命に別状なしってことさ。そうカリカリすんなって。』透が言った。

 「透くん。もう外へ出ても大丈夫だから、母屋へ行ってはるさんに事故の事知らせてきて。
後始末の手配と、修がすぐに休めるようにしてもらって。」

透は頷くと急いで母屋へ向かった。ソラがその後を追って行った。

 「それでは…と。雅人くん。細かい傷はあなたの仕事よ。
内部の隠れた怪我を見落とさないでね。」

 雅人も頷いた。さっきとは打って変わって落ち着いて治療ができた。
その様子をみて笙子はよしよしというように頷きながら微笑んだ。
 
 笙子はまず胸の治療を始めた。
子供たちの前では安心させるために余裕を見せたものの、修の状態は決して楽観できるものではなかった。 

 『修。あなたは本当に凄い人だわ。こんなになってもまだ意識を保ってる。』

 二人を護ろうとする執念のようなものを笙子は感じた。

 やがて治療が進むにつれて、修の呼吸が多少なり楽になってくると、修の身体自体が再生へ向けて活動を開始した。




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一番目の夢(第三十四話 危機)

2005-06-19 14:59:45 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 透が帰ってくるような気がして修は眠らずに待っていた。
別に確証があったわけではない。ただそんな気がしていた。
真夜中を過ぎているというのにこの屋敷にはあちらこちらに明かりともっていた。

 表門の前で車の止まる音がした。修の口元に微かな笑みがうかんだ。

「送ってくれて有難う。」

「いいさ。またおいで。休日以外はあそこにいるから。」

 そんな会話が聞こえるようだった。
車が出て行く音がする。透の急ぎ駆けて来る音が修の耳に心地よく響いた。
 やがて、『こんな遅くまでいけませんね。』と窘めるはるの声がした。透は勢いよく階段を駆け上ってきた。

 扉の前で一呼吸。『さあ、どんな言い訳をするつもりだい?』修はわざと無表情な顔を作った。

 「ただいま。修さん。」

扉の向こうから透が声をかけた。

 「お帰り…。」

 おずおずと扉が開いて透が入ってきた。
修はパソコンのキーを打つ手を止めず、無言のまま透の方を見なかった。

 修が怒っているように見えて声をかけにくいのか、透も黙って近付いてきた。
『あっ。』と思った瞬間透が後ろから修に抱きついた。

 「…お父さん…。」

修の手が止まった。修の口元がゆがんだ。笑顔とも泣き顔ともつかぬ形に…。唇が震えた。
 
 「馬鹿言って…。おまえの父さんは黒田しかいないよ。」

 「ごめん…嫌だよね。年のそんなに違わない僕から父さんと呼ばれるのは…。」

肩をかかえるように抱きついている透の腕に自分の手のひらを重ねながら、修は否定するように首を振った。

 「そうじゃないよ。そんな自覚が無かったからさ。僕はおまえを育てたけど父親としてじゃない。赤ん坊のおまえが可愛いくてほっとけなかっただけだから。」

透は腕を解いた。修は振り返って透の顔を見つめた。

 「愛しているよ。透。その気持ちに偽りは無いけれど、僕は黒田にはなれない。」
 
 「それじゃ僕は誰の子さ?黒田も親父と呼ぶなって言うし。」

幼い子のようにふくれ面をする透の顔を見て、修は思わず笑みを漏らした。

 「そうか。それは困ったな。じゃ…ひとまず仮の父さんにでもしといてくれ。
そのうち黒田と交渉することにしよう。本物なんだからちゃんと名乗れと言ってやるよ。」




 翌日、朝から雅人の機嫌が悪かった。一緒に家を出たものの学校まで一言もしゃべらず、帰ってからもろくすっぽ口をきかなかった。

 修練場の壁にもたれていつものようにぼんやりしていても、雅人からいらいらした空気が伝わってきた。その原因の一端が透にあることは明らかだった。

 「言いたい事があるんならはっきり言えばいいだろ。いつもおまえの方からなんだかんだ言ってくるくせに何だよ。」

透は言った。

 「別に。君に言いたいことなんてないよ。」

雅人は口を尖らせた。本当は言いたいことが山ほどありそうだった。

 「うそだね。その顔に書いてある。」

 「ほっといてくれ!」

 勢いよく立ち上がると雅人は修練場を飛び出した。

 「待てよ!修さん帰ってくるぜ!」

透が後を追ったが雅人は知らんふりして表門の外へと出て行ってしまった。
雨のせいか辺りはすでにうす暗くなっていた。



 雅人は林道沿いに町の方へと歩いていた。携帯がやかましく雅人を呼んだ。
腹立ち紛れにOFFボタンを押して心の中で叫んだ。 『おまえなんかに分かるもんか!』
 無性に腹が立って仕方が無い。いつもいつも修の目は透に向けられている。僕は蚊帳の外だ。

 『何がお父さんだよ! よく言うじゃないか! 夕べどこへ行ってたんだ!』
僕の方がよっぽど修さんのことを考えてるよ。そうだろ。それなのに…。
僕が囮になるのは透のため?僕は捨石なの?僕はどうなってもいいってわけ?
 『違う。そんな人じゃない…。分かってるんだけど。』



 町の方から紫峰家のある広大な私有地に向かう道はそれほど広いとは言えないが、近隣の人々のために一応バスが通っている。修もこの道を使って通勤していた。
 少し奥まった所は林道なっているため、夜になると暗いのが難点で、ところどころに街灯が灯っていても街中を走るようなわけにはいかなかった。

 修は修練場で待っているだろう二人のことを考えていた。まもなく本儀式を行う手筈になっていて、修練もそろそろ仕上げ段階に入ろうとしていた。

 雅人はその持ち前の器用さと度胸のよさで透よりはるかに先を行っている。それだけに先走る虞があり、かえって心配な面もある。
 逆に、透はいつまでもくよくよ考えていてなかなか前へ進めないが、一旦、自分のものにすると思わぬ力を発揮する。それぞれの持ち味を引き出してやるのはなかなか骨の折れる仕事だ。 

 ふと前方に人影のようなものが見えてきた。真っ直ぐこちらへ向かって来るように思える。
こちらに気付いているのかいないのか。一応は立ち止まったようだが避けようとはしていない。 
 『雅人!』
修ははっきり雅人だと感じた。スピードを抑えようとした。
 『ブレーキが…。』
止められない。サイドブレーキを引こうとするが動かせない。
 『雅人!避けろ!雅人!』
クラクションを鳴らす。しかし、人影は動かない。修は三左に向けてその呪縛を解こうとした。
 『この呪縛は三左のものではないのか?』  
目の前に雅人の怯えた顔が迫った。




 いつの間にか道路の真ん中を歩いていた雅人は遠くからこちらに向かって自動車が近付いてくることに気付いた。何気なく避けようとした時愕然とした。 
 動けない。車に向かって歩くことはできるのに避けられない。車はどんどん近付いてくる。
 『どうなっているんだ?』
恐怖で全身から汗が噴き出した。意識を集中させようと試みるがそれすらうまくいかない。

 あの車は…あれは修さんの…。呼吸が乱れ、雅人はパニックに陥った。
 『この暗さじゃ修さんには僕が見えない。修さん。修さん。聞こえない?』
ますます身体が強張って、まるで人形になってしまったかのようだ。
車のクラクションが激しく警告する。逃げろと…。
じりじりと時が迫る。『逃げなきゃ。何とかして逃げなきゃ。』

 『もうだめだ…。』
雅人がそう思ったとき、修の車は道を外れ、林道沿いの大木にぶつかって横転した。
明らかに雅人に気付いた修が事故を避けようとしてわざと林道を逸れたのだ。
 
 「修さん!」
大声で叫ぶと雅人の手足から枷が外れたように動けるようになった。
転がるようにして車の方へ駆け寄った。
エンジン音が止まった。

 「修さん。大丈夫?」

しんと静まりかえった林道に雅人の声がこだました。
修の返事は無い。

呆然と立ちすくむ雅人の背後から透の叫び声と足音が近付いてきた。





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一番目の夢(第三十三話 父二人)

2005-06-17 19:08:00 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 今日はどうしても修練をする気になれない。夕べ眠れなかった疲れもあって透はぼんやりと通り過ぎる景色をを眺めていた。乗っているのは家とは全く反対の方向を目指すバスで、どこへ行こうとしているのか自分でも分かってはいない。

 聞き覚えのあるバス停で降りた後、当てもなくぶらぶらと歩き始めた。何気なく見上げるとそこは黒田のオフィスの近くで自分が父親の所へ向かっているのだとようやく気付いた。

 ベルを鳴らすと黒田はそこにいて驚きながらも透を迎え入れてくれた。

 「逃げ出したおまえが、わざわざ会いに来てくれるとは光栄だ。」
透のためにお茶を入れながら黒田は機嫌よく言った。俯いたまま透は黙っていた。

 「何があったんだね? ん? 」

 「強く…なりたい。」

 黒田が訊ねると透は蚊の泣くような小さな声で言った。
やがて透は夕べのことをぼそぼそと話し出した。父親は相槌を打ちながら息子の話にじっと耳を傾けた。




 暗くなっても帰ってこない透を探して、雅人は心当たりあちこちに電話をかけたりしてみたが透はどこにもいなかった。
  修が帰宅しても修練を始めるわけにもいかず雅人はやきもきして透の帰りを待っていた。
 
 「雅人。いいんだよ。さぼりたいときもあるさ。」

 「言わせてもらうけど甘いよ。修さん。寛容なのと甘やかすのとは訳が違う。
透はただでさえ甘えん坊なのに。」
 
雅人のその言葉に修は悲しげな笑みを浮かべた。

 「そうだね…。でも…透は父親のところに…多分何か相談でもあるんだろう。」

 雅人は驚いた。
『知ってたんだ。』実は雅人も気付いてはいた。しかし、口にすれば修を悲しませると思い黙っていた。実の親に会いに行った透の行動を修はどう考えているのだろう…。

 「気を使わなくていいよ。雅人。僕は黒田にやきもちなんか焼かないからね。」



 

 息子の失敗談を聞いて笑うわけにはいかないが、黒田としては相手が修で不幸中の幸いだったと内心ほっとした。他の者ならあの世行きだったのかも知れない。

 「それで…自信無くしたわけか。」
 
 「雅人みたいになりたいんだ。雅人は修さんにそっくりで…何でもできる。」

黒田の口元にあのにやけた笑みが浮かんだ。『やきもち半分…悩み半分。』

 「雅人は強いわけじゃない。弱い自分を見せないように努力しているだけだ。今のところはな。
修は…まあ強いと言えば強いが弱い所も全く無いわけじゃない。

 おまえ…修だって泣くことがあるのを知っていたか?」 
 
 透は驚いたように黒田を見た。
そのことは自分の胸にしまっておこうと思っていたが、この子のためには話してやった方が薬かもしれない。黒田はそう思った。
  
 「あの前修行の夜、修はここで泣いていた。冬樹が死んだのは自分のせいだと言ってね。
自分がおまえたちを甘やかして鍛えなかったからだと…。

 俺は違うと思うね。修のせいじゃない。

 修はいつでも真剣におまえたちと向き合っておまえたちを育ててきた。ことの良し悪しを教え、必要以上に手を出さず、おまえたちに生きる術を学ばせてきたはずだ。

 自分の身を捨てて必死でおまえたちを護ってきた。それでも助けられなかった。ならば、それが冬樹の運命だったとしか言いようが無い。 

 そうだろ?」

透は力なく頷いた。 

 「だが、親の身としてみれば悔やみきれぬ思いが残るものなんだ。たとえ不可抗力だったとしてもな…。
 誰がどう慰めようと修の心からその痛みを消すことなんてできない。時が少しは癒してくれるだろうが…永久に忘れることなどできない。」

 「葬式の時だって毅然としていたんだ。修さんがあんたに…他人に涙見せるなんて…信じられないよ。強い人だもの。」
 
 修が弱みを見せるなどありえないと透は思った。透にとっての修はヒーロー的存在だった。

 「あの夜は修もぼろぼろ状態だったからな。何日も断食した後でおまえの衝撃波をまともに受けて、気休め程度の手当てだけでよく耐えていたものだよ。
ここで倒れたりしなきゃ俺も気付かなかった。

 それだけでも修は十分強いさ。

 だけど、修は人間だ。ほんの少し弱みを見せたからって何が悪い?
いつまでもおまえの理想像を押し付けられたんじゃ修だってたまらん。

 修や雅人が強く見えるのは、自分の弱さを嘆くのではなく、その弱い部分を補うように絶えず自己研磨しているからだ。生きるためにな。

 おまえは嘆いているだけ。人が何とかしてくれるのを待っているだけ。いつでも修が助けてくれると思っている。

 おまえが他力本願なのは修の育て方のせいじゃないぞ。おまえの自助努力が足りないせいだ。
要するに怠け者なんだ。」

 透は下唇を噛んだ。腹は立つけれど確かに黒田の言うとおりだ。『本当は雅人にも言われていたことなんだ。』
いつまでたっても自立できないのは修のせいではない。自覚が足りないせいだ。
何があっても自分で乗り切っていこうという自覚が足りないから何かあるとすぐにパニックに陥ってしまう。

 「このままのおまえではいくら大きなチカラを持っていても役にはたたん。
下手をすれば冬樹のように殺される。

 弱けりゃ格好つけずに弱さ前面に曝け出してもいい。おまえは何としてもしぶとく生き抜け。強さより図太さだ。図太けりゃ弱さなんぞいくらでもカバーできる。

 修が本当におまえに望んでいることはそれだけだ。

命落として修を泣かすようなことをしたら俺が許さん。」

 透は父親の顔をまじまじと見た。離れて暮らしていてもこの人は自分のことをどこかで見ていたに違いない。そう感じた。

 「親父と呼ぶべきなのかな。」

ポツリと透は呟いた。

 「俺を父親だと思うなよ。今までどおり黒田で十分だ。
おまえの親父は修だ。まあ、お袋的なところも多分にあるが…。」

黒田は声を上げて笑った。

 「修さんは…親父じゃかわいそうだよ。若いんだから。」

 「そりゃそうだな。あはは。」

笑いながらも黒田は決心していた。
『透の父親は修。それでいい。俺は親戚の小父さんでかまわんさ。』と…。





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一番目の夢(第三十二話 ちょっとした事故)

2005-06-16 12:08:39 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 修練場の壁にもたれながら透と雅人は修の帰りを待っていた。術を使うには危険を伴うので修のいない時には何もしてはいけないと固く約束させられていた。

 学校から戻ると宿題などを先に終わらせ、夕食を済ませ、修練場で修の帰りを待つ。そんな生活がどれくらい続いているだろう。

 自分たちにはまだ内緒で宿題や課題を片付けてくれる悟や晃がいるけれど、修は仕事だからそうもいかない。残業で帰って来られなかったりすることもある。

 「今日は…。」

 「デートだったりして…。」

 顔を見合わせて二人は笑った。

 「なあ雅人…おまえ何か知ってるだろ?」
透は訊いた。雅人はじっと透を見ていたが、思い切ったように応えた。

 「修さんはさ…その人が好きなんだよ。何もかもちゃんと分かってて、それでも好きなんだ。
だから僕は何も言えない。」
 雅人は人の心を読むことができる。修のようにガードが固くても雅人に対してそれほど警戒していないから少しは分かる。

 「でも、修さんはまだプロポーズしたわけじゃないんだろ?」

 「してないよ。」
 修が突然現れたので二人とも飛び上がった。片手に子犬を抱いている。もう一方の手には子犬の入った籠を持っていた。

 「そんなに気になるかい?」

修は笑いながら子犬と籠を渡した。雅人が受け取った。

 「だってさ。うわさが…。」

そう言いかけて透は雅人に止められていたことを思い出した。

 「笙子の恋人が男女を問わないってことだろう。今も女の子がひとりいるよ。
そんなにいけないことか?」

修は二人に問いかけた。二人は唖然とした。

 「別にいいと思うけどな。好きになった相手が偶然男だったり、女だったりするだけの話だ。
僕にもそういうところが全くないとは言えないよ。現におまえたちとか。」

『ううっ』と思わず二人は引いた。

 「あはは。冗談。冗談。でもな。ほんとに好きになっちまえばそれまでってこと。」
修はさも可笑しそうにカラカラと笑った。

『この人ならありえる。』と二人は思った。 



 
 「さて、今日はこの可愛いワンちゃんたちにお相手願おう。」

子犬は二匹とも籠の中に入れられて、可愛い顔を覗かせていた。

 「この二匹は同じ親から生まれている。大きさも柄もよく似ていて瞬時には見分けがつきにくい。だが、この二匹にも微妙に魂の波長に違いがある。まずは術を使う前によくその波長の違いを確認すること。」

 二人は真剣に子犬の波長を探り始めた。これまで植物から始まって、昆虫、鯉、鳥類と段階を追ってより複雑な思考回路を持つ生き物に挑戦してきた。

 瓜二つとも言える子犬の波長を感じ分けるには、より鋭敏に感受する能力を働かせなければならない。感受する能力に長けている雅人にとってはそれほど難しいことではないが、攻撃力が主力になっている透にとっては多少なりと努力が必要だ。

 ある程度二人が波長の差を感じ分けられるようになると、修は子犬を籠から出して自由に走り回らせた。動き回る子犬の波長の差を捉えさせるため修がわざと子犬二匹と戯れる。
 修の波長と子犬の波長が入り乱れてさらに捉えにくくなり、透は何度も探り直さなくてはならなかった。
 
 鳥に挑戦した時も手が震える思いだったが、子犬となるとさらに緊張が増した。再び籠の中に入れられた子犬たちの温かい魂の感触が二人の手に残って消えなかった。

 籠で動きを止められていた子犬で成功をすると、修はまた子犬を外に出してじゃれ付かせた。
遊び好きの子犬たちは修にまとわりつき楽しそうに跳ね回った。


 やっと子犬にも慣れてきた二人は入り乱れる波長の中からそれぞれの子犬を選び出した。
透が自分の子犬の魂に触れようとした瞬間それは起こった。透は愉快そうに子犬と遊ぶ修の方に一瞬気をとられてしまったのだ。

 急に修の身体が崩れ落ち床に倒れこんだ。雅人が叫びながら修に駆け寄った。何が起こったのか分からず透はパニックに陥った。

 「修さん!聞こえる!戻ってきて!ここだよ!」 
  
雅人は必死で大声を上げた。修の身体はピクリとも動かない。人形のようになって転がっている。

 「透!ボーっとしないでおまえも呼べ!修さん!ここだよ!」

透は頷いた。だが声が出なかった。 
透はショックで動けない。多分方法も思い浮かばないだろう。自分がやるしかない。雅人は決心した。

 「透。見てろよ。」

 雅人はすべての意識を慧眼と呼ばれる部分に集中した。ここには第三の目があると言われている。目を閉じて自分たちの周りを探り、修の波長を捉えようと試みた。
それはすぐ傍にあるのを感じた。
 
 「修さん…。そこだね。笑ってる場合じゃないでしょ。透がショック死する前に戻ってもらうからね。」

 雅人は両手の掌をそっと上に向け何かを包み込む動作をし、そのまま両手を修の額へとそっと差し伸べた。修の魂を修の身体へといざなっていたのだが、大パニック中の透には何も見えていなかった。
 
 大きく呼吸をしたあと修の身体が動き始めた。雅人はほっと息をついた。

 「透。もう大丈夫。」

 「雅人…有難う。ほんとにどうしようかと…。」

 修が頭を抑えながら、ゆっくり起き上がった。

 「今のはちょっと痛かったな…。透。頭ぶつけたし。」

 「修さん。ごめん。ごめんよ。」

 透は半泣きだった。修は叱らなかった。突然のトラブルに対処できない透の弱さは育てた自分の責任だと感じていた。この弱さが克服できなければ、どれほどのチカラがあろうと意味がない。

 「雅人。おまえはもう大方のことには対処できる。よく落ち着いて行動した。」 

 「ほっておいてもよかったんだけどね。修さん自分で帰って来るっしょ。」

雅人の言葉に修は微笑んだ。
 
 チカラでは劣っているはずの雅人が、透よりはるかに優れた働きをする。透は内心複雑だった。本当に自分は宗主として一族を率いていけるのか。雅人が宗主になるべきじゃないだろうか。
 透は自分がなかなか修から自立できないでいることや、肝が据わってないことを自覚していたし悩んでもいた。

 ふと冬樹のことを思い出した。無力な冬樹は一族からいつも透と比較されながら、それでも宗主にはおまえがなるのだと言われ続けてきた。どんな思いで毎日を過ごしていたのだろう。

透は、何を言われても笑顔を絶やさなかった冬樹の本当の心を、今になって垣間見たような気がした。



次回へ
 

一番目の夢(第三十一話 藤宮のうわさ)

2005-06-15 13:53:58 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 透たちが術のこつを掴みはじめ、ようやく修練も軌道に乗り始めた頃、藤宮の隠居所には再び主だった同志が集まった。この頃になると、三左の藤宮に、特に笙子に対する嫌がらせが頻繁になり、藤宮としても黙って見過ごすわけにはいかなくなってきた。

 「笙子のことだから大事はないが、藤宮としても手をうつことにした。修も気がかりだろうからな。」
いつでも穏やかな人だが今日はとりわけ機嫌のよい輝郷の言葉に次郎左も満足げに頷いた。

 「ご高配痛み入ります。」
修が頭を下げ礼を述べた。なぜか貴彦だけが渋い顔をしていた。
 
 藤宮の人たちが何か妙に愛想のいいことに透も雅人も違和感を覚えた。後ろに座っている悟と晃を振り返ると、彼らがそれぞれに耳打ちした。

 『聞いてないのか?修さんと笙子さんの結婚話だよ。』『知らねえよ。』
 『本人同士はまだ決めてないらしいんだけどね。』『お祖父さまたちが乗り気でさ。』
 『聞いてないよ。』

 「こら。坊主たち。うるさいぞ。今日はおまえたちには特に話はないから、あっちで遊んできなさい。」
 輝郷がまるで幼い子供を嗜めるようにそう言ったので、四人は隠居所を後にした。



 悟は透たちを自分の部屋に案内した。
部屋へ入り際、晃が廊下を見回して誰も近くにいないことを確認した。
 
 「訊きたいだろ?」
悟が笑いながら言った。透も雅人もうんうんと頷いた。

 「三左の馬鹿が修さんの気を君たちから逸らさせるために、藤宮との結婚話を持ち込んだんだよ。相手は僕らの従姉で、修さんの幼馴染、笙子さんというんだ。」
すぐ後を引き継いで晃が言った。

 「その笙子さんというのが大変な人でさ。藤宮でも一、二を争うすごいパワーの持ち主なわけ。
性格も容姿もすごくいい人なんだけどさ。ちょっと問題が。」
晃は話を止めて皆を見回した。

 「両刀使いらしいんだな。しかも結構遊び好きであっちこっちに付き合ってる姉ちゃんだの兄ちゃんだのがいるらしくてさ。」

『ええーっ!』
透も雅人も思わず叫びそうになるのをやっと堪えた。

 「これは藤宮だけのうわさだよ。うわさ。世間じゃ、浮いた話一つないお嬢さまで通ってるから。」
悟が念を押した。

 兄弟の話では、藤宮としては不名誉なうわさが世間に出る前に笙子を嫁に出してしまいたいというのが本音で、紫峰家から話があった時には渡りに船、例え、あの三左の申し出でも表向きには宗主からの話ということ、一族あげて大乗り気らしい。

 『修さんはそのことを?』
透が訊こうとするのを、雅人が止めた。

 「単なるうわさだ。透。修さんには何も言うなよ。おまえたちもだ。」

 「なんでさ。そんな人と結婚したら…。」
透が雅人に食って掛かった。

 「透。これは修さんの問題だ。僕らが口を出していいことじゃない。」
雅人は皆に有無を言わせなかった。『何か知ってるな。』透はそう感じた。

 「あっ…それはそうとさ。おまえたち調子はどうなの?」

 「そうそう。今日、儀式の日が決まるんだろ?僕たちまた手伝いに行くことになってるんだ。」
二人が気まずくなりそうなので藤宮の兄弟は急いで話題を変えた。

 「それがさ…マジやべえの。」

 透も雅人も『よくぞ訊いてくれました。』と言わんばかりに勢い込んで話し始めた。日頃愚痴もこぼせない彼らにとってはいい鬱憤晴らしだった。
勿論、相伝の内容や修の過去に触れることはしなかったが。 



 隠居所では最終儀式の段取りと立ち合う長老衆の名前などが決められていた。例のこともあって藤宮側は終始和やかだった。

 「これで大方決まったな。後はあのお二人さんのがんばり次第ということだ。」
輝郷が言った。一同はほっと息をついた。

 「今一度、大叔父さまにお伝えしておかなければならないことがあります。」
修が次郎左のほうに向き直った。

 「何ごとかな。」
次郎左はただならぬものを感じ取った。こういう時の修には有無を言わさぬ迫力がある。
大叔父次郎左といえど姿勢を正さざるをえないほどの威圧感を感じる。
その場の皆に緊張が走った。

 「三左は悪人とはいえ、大叔父さまにとっては血を分けた兄弟です。親しくなさっていなくともそれなりに情がおありでしょう。

 もし、眠れる一左を救い出すことができれば、三左の魂はその時点で行き場を失います。
うまく冥界へ行けばよし。そうでなければ奴のことだ。また他のものに憑依する。今度は一族のものとは限らない。

 紫峰家の奥儀が門外不出なら、紫峰家が出した悪もまた門内で絶たねばなりません。」

 「それはおまえの言うとおりだ。」
次郎左は頷いた。

 「絶つと決めた以上はたとえ相手が身内であろうと決して手加減は致しません。
その場で何が起ころうと大叔父さまにはその旨肝に銘じておいて頂きたい。
よろしいですね。」

 次郎左は完全に気圧された。『手加減をしない…。この男が本性を現すというのか。』
身のうちに震えが起こり額に汗がにじみ出た。
 修の持っているチカラが並でないことくらいは次郎左も知っている。自分よりはるかに大きなチカラだということにも気が付いている。おそらくは長老衆も…。

 だが、それに触れるのが怖ろしくて誰も確かめたことはない。確かめる必要も無かった。
穏やかな樹の御霊の存在だけで十分だった。

 樹の御霊の怒りに触れるなど禁忌のこと。

『もはや…避けられぬか。』
次郎左の胸の内に底知れぬ恐怖が渦巻きだした。 



  
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一番目の夢(第三十話 心の鍵)

2005-06-14 12:49:02 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 「すっかり遅くなっちゃった。つき合わせてごめんね。」
 後部ドアを開けて荷物を運び入れながら、笙子はソラに声をかけた。

 「何の…こちらはご馳走にありつけて満足さ。」
 ソラは笙子が用意してくれたクッションに身体を沈めながらニタニタ笑った。

 「ねえ。食べる?」
 運転席に座るとソラの方を振り向いて、笙子はチョコレートを一粒差し出した。ソラは大きな口を開けた。

 「お味はどう?」
 興味深げに笙子が訊ねた。ソラは神妙な顔をしていたが、やがてべえっと舌を出した。

 「この前喰わせてもらったアイスクリンはまあまあだったが、こいつはだめだ。」

 笙子は笑いながらハンドルに向かった。車はゆっくりと走り出した。

 『このお嬢さんはいい人だが、俺の好みを分かってないな。』とソラは思った。
考えてみれば透も冬樹もいろんな種類のドッグフードを買ってきては食べさせてくれたが、それほどに美味いとは思わなかった。『おれは犬じゃねえから。』 
 
 『まあ、この時代の人間に俺のことを理解しろってほうがどだい無理なんだよな』
  
 そんなことを考えていた矢先、ソラは誰かの大きな悪意を感じて車の外を見た。ソラの乗っているこの車じゃないことは確かだ。前、後ろ、右に他の車が走っている。ソラは三台をそれぞれ探った。後ろの一台がやたらふらふらと妙な運転をしている。

 「お嬢さん気をつけろ!後ろの車だ。」
大声で注意を促した。

 「分かってる。運転手を探って。状態は?」

 「運転手意識なし…奴だぜ!」

 こんな混雑した所で何かあれば周り中を巻き込んだ大事故になる。どこか逸れる道は…。
笙子は先のほうに小さな交差点を見つけた。

 後ろの車はどんどんスピードを上げてくる。あわや接触というところで左折できた。
しかし、後ろの車がさらに接近してくる。こちらに車を停める時間さえ与えてくれない。

 「ソラ、次の信号。覚悟しておいて。衝撃が来るわよ。」

 笙子が落ち着いた声で言った。前方の信号が赤になった。後ろの車が笙子の車に追突したその時、笙子の身体から凄まじい光が放たれた。相手の車が横転し傍を通りかかった別の車に接触した。笙子の車は歩道に乗り上げてはいたが大破はしていなかった。

 近くにいた人たちが駆けつけてきてくれて、車を降りた笙子に声をかけてくれた。
『大丈夫です。有難う。』そう応えながら笙子が110番に連絡しようとすると、誰かがすでに連絡していたらしく、パトカーや救急車の音が遠くに聞こえた。

 ぶつけられた笙子ともうひとりの運転手には幸いなことにたいした怪我はなかった。
横転した車の運転手は意識がなく、救急車で早々に運ばれていった。状況や目撃者の証言から警察では例の運転手が、居眠りしていたか、何かの病気で意識を失っていたかだと判断された。
大事をとって笙子たちも救急車に乗せられて病院へ搬送されることになった。
笙子は可愛そうな犠牲者であるあの運転手が無事であるようにと祈った。



 笙子が例の運転手の車をひっくり返したその時、三左は同時にその衝撃波によって吹っ飛びそうになった。思ったより藤宮の姫は腕が立つ。
 失敗だと分かって舌打ちしたものの、このことが修の耳に入れば修の動揺を招くだろう。
それは三左にとっては愉快この上ない話だ。 
 小さな動揺でも数重なれば大きな不安となる。修の目を逸らすためには効果的な方法と言えるだろう。 
『ちょくちょく苛めてやるかの。』
修の困り果てた顔を想像して三左は笑い転げた。  




 「無罪放免よ。ソラ。」
病院の玄関で待っていたソラに笙子は笑いながら声をかけた。

 「何事も無くてよかったな。お嬢さん。」
そう言いながらソラは駐車場の方をあごで示した。修が迎えに来ていた。
 
 「あなた連絡したの?」
不思議そうに笙子は訊いた。

 「黒田だよ。眠れる一左から信号が来たんだと。」
そう言うとソラは一目散に修の所へ駆けて行った。修が腰をかがめてソラをなでているのが見えた。
 笙子を車に乗せる時に『大丈夫か?』と訊いた後、修は無言のままで、笙子の話に相槌は打つものの、何かずっと他のことを考えているように感じられた。


 
 笙子は普段、仕事場に近い所で一人暮らしをしている。実家は紫峰家の近隣にあり、修は大事をとってそちらに送っていこうと思っていた。
『でもね。明日が大変だから…。』
笙子がそう言うので仕方なく彼女のマンションへと向かった。 

 黒田は藤宮本家にも連絡を入れたらしく、手回しよく事故後の処理が済んでおり、マンションの管理人の所へ笙子の車の中の荷物が届けられていた。
 笙子が話好きの管理人に捉って事故について話をしている間に、修は管理人から受け取った荷物を笙子に代わって部屋へと運んだ。

 「なんだかんだ言いながら、あんた鍵持ってんだ。」

ソラは意味有りげににんまりと笑った。修はソラに一瞥をくれただけで、奥の部屋まで荷物を持っていった。

 「ごめんね。修、ありがとう。いまコーヒーでも入れるね。」

笙子が玄関から声をかけた。玄関からキッチンへ入る所で笙子を出迎えた修は躊躇わず笙子を抱きよせた。

 「悪かった。僕が…考えなしに君の名前を出したために…。」

修の腕の中で笙子は微笑んだ。

 「言ったでしょ。私は大丈夫。それに考えなかったわけじゃないでしょう?
笙子なら何とかしてくれるだろうって…そう思ってたでしょう。」

 『図星…だ。敵わないね。君には…。』心の中で修は呟いて笙子から腕を離した。

 「他に言うことはない? 修? あなたが黙り込む時は、たいてい、言いたいことがあっても口にできないでいる…。」

 『それも…あたり。でもね…。』修は何もないというように首を横に振った。『本当に言いたいことは…今は言えない。』

 「相変わらずね。」

笙子がいきなり修の顔を引き寄せ唇に軽くキスした。

 「いいこと。あとはおあずけよ。どうせ泊ってはいかないんでしょう。」

 「笙子…そういうことじゃなくて…。僕は…。」

うろたえている修の顔を見て笙子はくすくすっと笑った。

 「冗談よ。もっと肩から力を抜きなさいな。あなたは真面目すぎるわ。」

そう言いながらも笙子は急に真顔になった。

 「修。何があってもあの子たちから目を放してはだめよ。今のあの子たちではまだ三左には太刀打ちできない。相伝を終えて自分たちの本当の力を知るまではね。
 それまで私のことは忘れていて。頭から消しといて。黒田さんにもわざわざ連絡しなくていいと私から言っておくわ。
あなたはあの子たちの親なんだから。」
 
 笙子の気持ちを有難いとは思う。笙子の力を信じないわけでもない。こんなふうに笙子を護りたいと思うことはただの自己満足だと分かっている。でも…。
 
 「帰る。」

修は静かに言った。 

 「気をつけてね。今日は有難う。このワンちゃん借りとくから。」

笙子がそう応えた時、すれ違いざまに修はもう一度笙子を抱き寄せた。

 「好きだよ笙子…好きだけど…今は忘れる。」

修が耳元で囁いた。笙子は微笑んだ。

 「初めて聞いたわ。さあ…帰りなさい。」

笙子は両手でパンパンと修の背中を軽く叩いた。
笙子から離れると、修はそれ以上振り返ることもなく、『じゃあな…。』と言って部屋を後にした。



 修のいなくなった玄関先で、力が抜けたように笙子はへたり込んでいた。

 「あれでよかったのかよ。お嬢さん。鍵を渡した仲なのにさ。」

ソラが心配そうに訊いた。

 「いいのよ。あの鍵は修の心の鍵なの。修はあの鍵を開けてここに来るたびに他の人に言えないことを、ここで少しだけ私に話していくの。ほんの少しだけね。
でも…今日は珍しく…口をすべらせたみたい…。」

ソラをなでながら笙子はまた優しい笑みを浮かべた。




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一番目の夢(第二十九話 託された思い)

2005-06-11 15:25:59 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 三日目に入っても透も雅人も相変わらず珍奇なアート作品を作り続けていた。

 修としてはどこをどうするとガーベラがこのようなわけの分からない物体に変化するのか不思議に思うところではあるが、まあそれはそれとして一笑に付すしかない。二人が気付くまで。
 

 可笑しな様相を呈するガーベラを前になにやら真剣に考えていた雅人が、閃いたと言わんばかりに透の肩を叩いた。

 「透。あのさ…おまえが前修行してた時に精神修養以外に何か教えてもらった?」

透は三日間の修行を思い出し、断片的ながら詳しく雅人に伝えた。

 「…で、修さんの波長と僕の波長を融合させて…。」

 「それだ!」

どれだという目で透は雅人を見たが、雅人は浮き浮きした様子で話し出した。

 「透。それだよ。ガーベラの波長に僕らの波長を合わせてみよう。」

 「合った時点で相手を引っ張り出すのか!」

 雅人の合図で二人はいっせいにガーベラに向かった。静かに呼吸を整え、相手の波長を探り始めた。ところが、ガーベラの波長に合わせようとした瞬間、凄まじい衝撃を受け二人とも弾き飛ばされてしまった。
 

 驚いて起き上がると修が血相変えて二人の間に立っていた。修は力が抜けたようにその場にがっくりと腰をおろした。
 
 「気をつけなきゃだめだ…。おまえたちは今お互いの魂を抜こうとしていたんだよ…。」

 まるで全力疾走した後のように息を切らしていた。

 修に言われて自分たちがとんでもない間違いを犯すところだったことにぞっとした。

 「おいで…。二人とも…。言っておかなければならないことがある。」

 修はまだ動悸が収まらないようだった。二人はしおらしくうなだれて修の前に座った。



 二人を前にして、修はまだ迷っているようだったが、やがて口を開いた。

 「この前、雅人が訊いたね。五歳までにマスターできたかと…。そのとおりだよ。
僕は正確には三歳頃に相伝を受けた。成長するまで待ってる時間がなかったんだ…。
父も母もいつ殺されるかわからないことに気付いていたから。
 
 前修行なんかない。事前の修練もない。僕はたった三歳。
そんな状態なのに、僕の相手はガーベラなんかじゃなかった…。」

 修の身体が震えているのが分かった。二人は息を飲んだ。

 「僕の最初の相手は可愛がっていたペットたちだった。最初から成功なんてするはずがない。
僕はこの手で大事な友達たちを殺してしまったんだ…。
悲しくて、苦しくて、逃げ出したかった。でも…許されるはずもない。

 そんな僕の心の弱さを見抜いたのか、次に僕の相手になったのは父だった。」

 透と雅人の唇から呻くような声がもれ出た。修の恐怖が自分たちにも伝わってくるのがはっきり分かった。

 「他のものに殺されるならおまえに殺された方がましだと父は言った。
 僕がペットたちを死なせてしまってから何分も経っていないのに、どうして父を相手にこんな危ないことができる?

 泣いて頼んだよ。やめさせて欲しいと…。

 『時間がないんだ…。おまえにすべてを伝えておかなければ、一族が滅ぼされてしまう。紫峰家だけの問題じゃない。 このままほうっておけば、無関係な人々まで巻き込むことになるんだよ。
 おまえはその力で皆を護っていかなくてはならない。おまえのその力の礎になるなら俺は死んでもいい。俺を殺しても決して後悔するな。これは俺が望んだこと…。』

 …だけど僕に何ができる?」

 あまりの悲惨な光景に透も雅人も言葉を失った。
 
 「祈るしかなかった…。全身が震えた。怖ろしくて…。
三歳児の記憶がこんなにはっきりしているところを見るとその恐怖も相当なもんだったんだろう。
 極限状態に追い込まれた僕は樹としての記憶を蘇らせた。どうにか…父を殺さずに済んだよ。」

 修は大きく溜息をつくと二人を見つめた。  

 「おまえたちは今やっと方法を見出したが相手を選別することを忘れた。
最初に言ったとおり相手にしているのは命だということを忘れてはいけない。少しでも間違いがあれば相手の命を奪い、相手だけでなく対象外の誰かを殺すことだってある。
 
 逆に相手が強ければ自分が死ぬことだって有りうる。それほど危険なことなんだよ。
 
 慌てなくていい。あせる必要は無い。くれぐれも細心の注意を払うこと。
これから先、植物から動物へと対象を変えていく。もし、おまえたちが命に敬意を払わないようであれば、或いは真剣さが足りないようであれば、僕がおまえたちの相手になる。

 僕は本気だからね。」

 ガーベラの成れの果てに目を向けながら、『それだけは絶対に嫌だ。』と二人は思った。
それまでだってふざけていたわけではないが、対象が植物ということで軽く考えていたのは確かだ。そのためにもう少しでお互いに殺し合うところだった。

 ことに透は前修行を受けたにも拘らず、その成果が身についていなかったことを思い知らされて情けなかった。修さんや皆にあれだけ手助けしてもらったのに…と。

 雅人は…別のことを考えていた。
紫峰家が代々宗主を立ててこの術を継承し、門外不出として封印してきたのは、この危険な術を世間の目から隠し、悪用されるのを避けるためだったのだろう。では、なぜ…完全に排除してしまわなかったのか。この世から消してしまえば何の問題もなかったのではないか。

 「そうだね…。その答えは相伝の中にある…おまえにも分かるよ…時が来ればね。」

雅人の心を読んだのか修は穏やかにそう言った。
 

 
 
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一番目の夢(第二十八話 相伝開始)

2005-06-10 16:05:30 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 紫峰家の祈祷所の封印が再び解かれ、透と雅人は相伝のための修練を開始することになった。
前修行の時とは違い、今度はおおっぴらにこの建物を使うことができる。
透と雅人はやや緊張した面持ちで扉を開けた。

 前修行を行った祈祷室の脇にあるもう一つの修練場で修が待っていた。勿論、今回は修も実体のままだ。修の前には三つ一輪挿しが置かれてあって、それぞれにガーベラの花が挿してあった。

 「ここから先はもう前修行ではない。すでに相伝を開始したものと心得なさい。」
二人の顔を交互に見ながら修は静かに語り始めた。二人は姿勢を正した。

 「雅人は前修行をしていないが、前修行の目的は精神面の足りない部分を補うことにある。人によって修行内容が違うのは当前のこと。
だから正式ではないが、あの長老会議の夜に…終わらせたと言えなくはない。」

 雅人は顔を赤らめて視線を落とした。胸の中に押し込めておいたものを吐き出すように、思いっきり泣いたことを言っているのだと分かった。透が何も言わないでいるのはすべてを知っているからなのだろう。透のチカラならそんなことは朝飯前だ。



 「ここに活けてある花を見ておいで。」
修はそう言うと静かに目を閉じた。

 修の前に置かれている三本のガーベラのうち、修に一番近いものがあっという間にしおれ、枯れ、ついには茶色く干からびてしまった。

 透も、雅人も、この程度ならいけそうだと秘かに思った。

 やがて、二人の目の前でガーベラは再び復活を始めた。まるで時を戻しているかのようにみずみずしさを取り戻し、色づき、花をもたげ…。

 「いま、おまえたちはこのくらいのことなら自分たちにもできると感じているだろう。
それはそれでいい。それだけのチカラがなければ相伝など問題外なのだから。
 ただし、これから起こることとの現象の違いをよく観察しておきなさい。」
修は目を開くと、彼らの心を見透かしたかのように言った。 

 修は深く呼吸をすると再び目を閉じた。今度は片手をガーベラにかざしている。

 ガーベラは頭を垂れることもなく、枯れることもなく、外見的には変化が見られないように思えた。しかし、形はそのままなのに生きた花という感じがしなくなり、まるで造花のように輝きを失った。

 『魂を抜かれた。』と二人は感じた。

 修が手のひらを上に向けるとかすかに揺らめく光のようなものが見えた。それはガーベラの方にスーッと吸い込まれていき、作り物のようだったガーベラに生気が宿った。

 二人は息を飲んだ。『こんなことできるだろうか。』
幽体離脱という現象は、宗教における修練や科学的な刺激を脳に与えることによって可能であると聞いている。現に修が前修行の時にやって見せた。

 だが、それはあくまで自分自身の魂を自分でコントロールする能力や、特殊な装置があってのことで、自分以外の何者かの魂をどうこうするというものではない。

 透も雅人もちょっとしたいたずらで誰かを転ばしたような経験はあるが、そんなお遊び程度の能力とは次元が違い過ぎる。

 「さあ、そこにある花を使ってやってみなさい。慎重にね。どんな相手に対しても御霊には礼を尽くすこと。更に気をつけなければならないことは相手から抜いた御霊を無くさないこと。
おまえたちが扱っているのは命だということを決して忘れないこと。」

 修にそう促されてガーベラを前にしたはものの、二人とも初っ端から戸惑っていた。
雅人が先に始めたが方法が掴めず、どうしてもガーベラが枯れてしまう。それは透も同じだった。
繰り返し繰り返し何度も何度も試みるが、修が見せてくれたような結果には到らなかった。

 修は黙ったままじっと二人の修練する姿を見ていた。二人がどれほど同じ失敗を繰り返そうと、はたまたとんでもない現象を引き起こそうと、怒りもしなければ、それ以上教えようともしなかった。



 「初日は…まあ…こんなものだな…。」

 二人のさんざんな失敗のおかげでピカソ張りのアート作品に仕上がったガーベラを一瞥しながら修は呟いた。

 「修さんは…こんな難しいことを本当に…五歳までにマスターしたの?」
肩で息をしながら雅人が訊いた。疲れてひっくり返っていた透も半身を起こして修の顔を見た。

 何かのショックを受けたように突然修の肩が震え出した。二人は驚いて顔を見合わせた。

 「僕には…時間がなかった…。失敗なんて…許されなかった…。」

 下唇を固く噛み締め、思い詰めたように床に視線を落としていた。
透たちには、修が何か過去のことを思い出しているように見えたが、それは決して楽しいものではなかったようだ。

 和彦が亡くなるまでの修の過去については誰も知っているものはいなかった。どのような環境で、どのような教育を受けて育ったのか一切謎だった。

 過去に触れられただけでこれほど動揺する修の姿を、生まれたときから一緒に暮らしている透でさえ見た事がなかった。いらぬことを思い出させてしまったと雅人は後悔した。
    
 しばらくして不安そうに自分を見つめている二人の視線に気付いた修はようやく我に返った。

 「ああ…ごめん…考え事をしてた。」

何事も無かったかのようにいつもの穏やかな笑みを浮かべた。
 
 透も雅人もその場ではほっとしたものの、この相伝という儀式が修に何か想像を絶する苦しみを与えたのだということだけは察せられて、不安な気持ちを完全には消し去ることができなかった。 




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一番目の夢(第二十七話 藤宮の女傑 )

2005-06-09 12:57:43 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 「説明してもらいましょうか?」
怒気を帯びた声で笙子が言った。

 黒田が部屋の隅で意味ありげにニタニタ笑っていたが、すぐに部屋を出て行った。
昼間、携帯に怒りを込めた笙子からのメールが入っていた。『話があるから出て来い。』と言わんばかりの内容で。

 『まずい。』と修は思った。
笙子の名前を勝手に使ったことをすっかり忘れていた。他人のいる場所で事情説明というわけにもいかず、黒田のオフィスを借りたのだった。

 「ああじれったい。もういい。手を出して。」

 笙子は修の手を取ると修の意識を読んだ。ただ相手の意識を読むだけならどこにも触れる必要は無いが、どこかに触れていればより正確に素早く読み取れる。特に意識の防御壁の高い能力者に対しては…。

 しばらくするとはっとしたように修の顔を見た。

 「藤宮にとっても…由々しき事態だわ。」
そう言うと手を離した。

 「私の方は…。」

 「分かってる。やられたな…。逆手に取られた。」

 修も笙子の方の事情を読み取っていた。三左は笙子の両親に笙子を修の嫁にと申し出たのだ。両親は乗り気で大喜びしている。ぬか喜びとも知らないで。
 この時期に護らねばならない相手が増えるのは、正直、修にとって頭が痛い話だ。透と修からは絶対に目を放すわけにはいかない。一族にも目を光らせていなければならない。

 「修には浮いた話のひとつもなかったからね。仕事ばかりで。これでカムフラージュができてよかったかもね。 
まあ…私の方もこれからは要らざる縁談話が来なくて済むわ…。」

あははと声をあげて笙子は笑った。

 「ごめん。巻き添え喰わせて。」

 心からそう詫びた。三左が笙子を的と決めた以上、笙子にどんな災いの手が及ぶかしれない。それもこれも修の責任だ。しかし、今の修に笙子を護りきる余裕があるかどうか。

 「次郎左お祖父さまの一家が関わっているなら、これは藤宮の問題でもある。私が何かの役に立つならそれでいい。」

 修の意識を読んだのか、笙子はさらに続けて言った。

 「見くびらないでね。あなたに護ってもらうほど藤宮の領袖は無能ではないから。」

 確かに笙子の持つ力は藤宮一族では最強のレベルだし、修と比べてもなんら遜色ないと分かっている。それでも修が心配するのは、もう誰も失いたくないという気持ちの表れだった。
 
 笙子は両の手のひらで修の頬を優しく挟んだ。

 「修…後悔するなら最初から私の名前なんて使わないことね。
すべてをひとりで護ろうとすること自体が思い上がりなのよ。そんなこと人間にはできやしない。
 誰かのチカラを借りることは決して恥ずかしいことじゃないわ。私に手助けを頼んだと思いなさい。」

 いつもそうだった。子供の時からお互いに助け合ってはきたけれど、おおらかな笙子の性格がどれほど修の心を救ってくれたか分からない。真面目な性格ゆえにすべてを抱え込んでしまう修の心をそっと緩めて解放してくれる。

 修はそっと笙子を抱きしめた。    

 「笙子…すまない。君を護ると言ってあげられなくて…。」

 二人はまるで恋人同士のようにしばらく抱き合っていたが、笙子が元気づけるように修の背中をパンパンと叩いたのを合図にあっけなく身を離した。

 
 「おや、おまえ来てたのか…。修。あんたの犬が来てるぜ。」
誰かと話す黒田の声がした。二人に気を使って隣の部屋に引っ込んでいた黒田がソラを連れて戻って来た。  
 
 「何これ?犬じゃないでしょ?」
ニタニタ笑う不思議な生き物にさすがの笙子も一歩引いた。

 「闇喰いだよ。これから先、君のボディガードを務めてくれる。ソラというんだ。大丈夫。このでかい図体は他の者には見えない。」

 修はソラの頭をなでながら紹介した。

 「お嬢さん。よろしくな。」
ソラはサモエドのような愛嬌たっぷりの顔で挨拶した。

 「わりと紳士的なようだわ。あなたその雲のような毛皮が素敵よ。」
笙子は恐る恐る手を伸ばしてソラをなでてみた。ふんわりといい感触だった。

 ソラはこのお嬢さんが気に入ったようで、修にもよくするように足元に擦り寄った。

 「ソラ…頼むよ。」
修がソラに言った。

 「任せな。あんたの大切な人だ。俺も気入れるぜ。」
ソラが応えた。


 黒田が食事を用意してくれていたが、笙子には次の約束があるらしく、黒田に侘びを言うとソラを従えて慌しく帰っていった。その逞しく凛々しい後ろ姿を見て、まさに藤宮の女傑と呼ばれるにふさわしいと黒田は思った。
 
 修は笙子がこのままずっと無事であるようにと祈っていた。
笙子の温もりがまだ腕に残っているような気がした。





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一番目の夢(第二十六話 不幸の真相 )

2005-06-08 17:10:00 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 「よく降るなあ…。」
貴彦が自分の背後にある大きな窓を振り返って溜息をついた。この窓は防音になっているが激しい勢いで窓を叩く雨を見ていると、今にも音が聞こえてきそうである。
終わったばかりの会議資料に再度目を通していた修も窓の外を見つめた。
『雨…か。』
数年前のあの日、やはりここで貴彦と雨を見ていた。
忘れもしないあの日…。



 大学を卒業してすぐに貴彦の勧めで留学することになり、二年間だけ貴彦宅に透と冬樹を預けた事がある。二人と離れて生活するのは気楽なようで、むしろ気がかりなことが多かった。
毎日のようにメールを送り、長期の休みには必ず帰国し、二人が寂しくないように心砕いた。
 それでも初めて自分の時間を持てたわけだし、誰も自分のことを知らない自由な場所での生活は結構楽しかったと言えるだろう。

 だが、それも黒田が修を訪ねてくるまでのことだった。
黒田は衝撃的な情報を運んできた。

 『紫峰家の宗主一左は自分自身の身体の中に封印されている。今、一左の身体を動かしているのは三左という男だ。』

それは俄かには信じがたいものだった。眠れる一左が黒田の夢を通じて信号を送ってきたのだ。

 実は修も、両親や徹人、豊穂から宗主の言動には十分気を付けるようにと忠告されていた。しかし、一左が偽者だと知らされたのはそれが初めてだった。

 過去の経緯から黒田は紫峰家には寄り付かなかったせいもあって、一族からもほとんど忘れられた存在だった。それだけに動きやすい立場にあったのは確かで、本物の一左が彼を選んだのもあながち間違いではない。
 ただ、黒田自身も三左のことはよく知らず、これほど何年も経ってから信号を送ってきた一左の真意も量りかね、迷った挙句、修が海外に出たのをきっかけに訪ねて来たのだという。

 急に帰国すれば何事かと勘ぐられてもまずいので、取り敢えずは修が予定通りに留学を終えて帰国するのを待ち、貴彦とも相談して計画をたてようということになった。黒田は先に帰国し、可能な限り一左と三左が入れ替わったと思われるその接点を調べておくと言った。


 留学を終えるなり、矢のように飛んで帰った修は、偽一左に帰国の報告をするのももどかしく、急ぎ貴彦を訪ねたのだった。

 貴彦の驚きと嘆きは想像以上で、事情を聞くなり絶句して椅子にへたり込んだまましばらく動けなかった。

 雨が絶え間なく窓を濡らし、貴彦と修の心を濡らし…。二人はただ呆然と雨を見ていた。

 どのくらい経ったのか、黒田が訪ねてきたおかげで二人は我に帰ることができた。
黒田は当時の様子を知っている人たちから聞き出した話をできるだけ要約して報告した。

 黒田の報告に、貴彦の記憶と修の記憶を重ね合わせていくと、家族を失い続けた理由がおぼろげながら見えてきた。

 次郎左が言っていたように、入れ替わったのは三左が野垂れ死にしたとの連絡を受けて一左が遺体を引き取りにいった時に違いない。その頃にいた使用人の話では、帰宅してからの一左はまるで人が変わったようだったという。

 蕗子が殺されたのは長年連れ添った夫婦の勘で三左の正体に気付き始めたからではないか。蕗子が生前に『あれはお父さまではない。』と呟いたのをはるが耳にしていた。

 修と両親は、両親が結婚した時に偽一左が母屋の近くに新築した別館で暮らしていた。徹人がせつとの婚約を決めたので、別館を新婚夫婦に明け渡し母屋に戻ることにした矢先、相次いで亡くなった。偽一左は一族の中で最も大きなチカラを持つ二人に正体が暴かれるのを怖れ、同居を避けるために殺したのだろう。

 徹人と豊穂の場合はどちらも後継として相伝を受けていなかったが、相伝を知らない三左にはどうすることもできず切羽詰っての犯行と思われる。偽一左にとって必要だったのは次に自分が乗り移るための身体、つまり徹人夫妻の子供だけだった。


 
 あの日修たちは紫峰家を不幸に陥れてきた闇の正体を知った。それ以来、辛抱強く、慎重に水面下での戦いを続けてきた。
 しかし、宣戦布告した今、何事も無くこのまま相伝の儀式までたどり着けるとは思えない。三左は気付き始めている。必ず何か手をうってくる。

 『僕が本当に樹なら、なぜ彼らを護れなかった?』

冬樹とせつ…。その疑問が今も修を責め苛む。

 『もう誰も死なせない…。』

滝のように激しく流れ落ちる雨の壁を見つめながら修はそう心に誓った。

 
 


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