徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

一番目の夢(第二十五話 悪巧み )

2005-06-06 17:56:48 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 六回目の寝返りでベッドから落ちそうになったのを雅人はかろうじてこらえた。時計はまだ夜の9時を過ぎたばかり、いつもならまだ風呂にも入ってない時間だ。
 透と顔をあわせているのがなんとなく気まずくて、早々に部屋に引き上げてしまったが、何をする気にもなれないのでベッドの上でゴロゴロしていた。

『何か飲んでこようかな。』と思った時、扉の外で修の声がした。

 「起きてるか?」

 「うん。」

 返事をしながら雅人は起き上がった。扉を閉めれば部屋は窓から入ってくる月明かりだけだったが、修はあえて明かりをつけようとはせず、そのままベッドまで来るとゆっくりと腰を下ろした。
 窓からの光だけで修の端正な顔を見ていたRPG好きの雅人は、修が人間だということをつい忘れそうになった。いけ好かない長老連中倒すごとにポイント+5、いや+10は欲しいかな…。

 「せっちゃんは本当にいい人だったよ…。」

 唐突にそう言われて、雅人は『えっ?』と現実に戻った。せっちゃんというのは雅人の母のことだとすぐに分かったが、修が母をちゃん付けで呼ぶのを初めて聞いた。

 「面倒見がよくって働き者だった。徹人さんはのんびりしてたから、せっちゃんのそういうところに惚れたんだろう。」
修は懐かしそうに言った。

 「修さん。覚えているの?まだ小さかったのに?」
雅人は不思議そうに訊ねた。

 「なぜだろうね。断片的にいろんなことを思い出すんだよ。僕の記憶というよりは、樹の記憶かもしれないけど。」
修は笑った。

 雅人は母を思い浮かべた。修の言うとおり働き者だった。
冬樹が亡くなって間もない頃、突然の事故で亡くなってしまった。ひょっとしたらそれも三左のやったことかもしれないと雅人は秘かに思っている。
 独りぼっちになった雅人を迎えに来てくれた時、囮になってくれと修は言ったが、本当は雅人の自尊心を傷つけないようにという修の心配りだったのかもしれない。

 『透も冬樹もこういう気遣いの中で育ったわけね。そりゃ自立心無くすわな。』
軽い反発心から、ほんのちょっと修に意地悪をしてみたい気持ちになった。

 「眠れないんだけど…。修さん抱っこしてくれないかなあ?」
雅人はからかうように言った。修はきっと笑うだろう。でかい図体して何馬鹿言ってるんだって。

 だが…修は笑わなかった。

 「いいよ…おいで。」

『マジかよ。冗談だぜ。』
雅人はたじろいだ。
 
 月明かりの中で修が笑みを浮かべたような気がした。あっと思った瞬間、力強く雅人の手を引き抱き寄せた。『冗談、修さん、マジ冗談だから…』と喉まで出かかったとき、修が搾り出すような声で言った。
 
 「悔しかったなあ…雅人。」

 修の一言で雅人の心の何かかはじけた。修の胸の鼓動が聞こえた時、不覚にも涙が溢れ出した。見られたくなくて顔を上げられなかった。声を出すまいと堪えても嗚咽の声は唇の端から漏れ出でた。身体だけは人一倍大きい雅人。強がってばかりで弱みを見せたがらない。けれども彼はまだ十六歳。大人たちの心無い中傷にによく耐えた。
 
 「もう…いいよ…。修さん。ありがと。」
泣くだけ泣いてしまうと、雅人は深呼吸して修から離れた。
 「ひとりで大丈夫だから…心配しないで。」

 修はそっと立ち上がり、軽く雅人の頭をなでてやるとその場を離れた。ドアノブに手を掛けた時、背後から雅人の声が追って来た。

 「母さんのこと覚えていてくれてありがとうね。」

修は振り返らず、お休みとでも言うように手を振った。

 



 三十年近く宗主として紫峰家に君臨してきた男は、いま、自分の入り込んでいる一左の身体が思うようにならないジレンマに苦しんでいた。必要が無くなればいつでも追い出せると思っていた一左の魂はびくとも動かず、自分の方がこの身体を捨てるためには新しい身体が必要だ。

 三左が欲しかったのは宗主としての一左の知識だったのだが、一左は自らを封印することによってそれを防止した。
 
 おまけに今になって、一左の孫たちが反旗を翻し、一族もそれを後押ししている。これほど長い年月の後にまさかとは思うが、自分の正体を誰かに見抜かれているようで、三左は薄気味悪さを感じていた。

 誰かが…とすれば考えられるのは修だ。しかし、修は生まれてから一度も本物の一左には会ったことがない。誰かが入れ知恵しなければ疑うこともしなかっただろう。

 では、いったい誰が…。次郎左か…?あの男なら或いはとも思うが、これまでずっと疎遠だったのに、そう簡単に気付くだろうか。

 貴彦…にはほとんど会ったことのない叔父と父親を完全に見分けるチカラはないし、黒田なんぞは、今日の今日まで敵同士だったはずだ。

 もし、眠れる一左が誰かに信号を送っていたとしたら…?誰に…?
考えれば考えるほど、相手の特定ができなかった。

 『まあいいだろう。相手が誰であろうと全員あの世へ送ってやれば済むことだ。
それには早く雅人の身体を手に入れなければならん…。どうやって?』
 
 冬樹を落とすのはわけないことだった。せつを殺すのも簡単だった。奴らには何のチカラも備わってなかったからだ。だが雅人は馬鹿だが冬樹ほど無力ではない。いざとなったら何が起こるか分からない。冬樹の遺体を封印したのは修だろう。雅人の時にもきっと何か手をうってくる。

 修の注意を雅人からそらすための何か。透や雅人に並ぶほどの心動かす何か…。

 そう考えた時、三左の頭に浮かんだのは例の藤宮の笙子の顔だった。
『ああ、これなら…上手くいくに違いない。あの姫を使えば…の。』
 
三左はひとりほくそ笑んだ。修の困惑した顔が目に見えるようだった。

『わしがちょっとばかし手助けしてやろうぞ。修よ…。』

ニヤニヤと厭味な笑みを浮かべながら三左は受話器を手にした。





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一番目の夢(第二十四話 心意気)

2005-06-03 10:42:31 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 「それでは、紫峰の奥儀継承者として申し上げる。」

 修の口から『奥儀継承者』という言葉が語られると、長老衆は姿勢を正し、目礼し、一左の時とは全く違った態度で神妙に聞き入った。長老衆の集まる会合には初めて立ち会った透や雅人にも、修が紫峰家の重鎮たちに特別な存在として受け入れられていることが分かった。

 一左が驚愕のあまりものも言えないでいるのが傍目にも明らかだった。宗主として紫峰家に君臨しながら、修が相伝を終えているということに全く気付いていなかったのだ。しかも、そのことを自分以外の長老格が皆知っていて、宗主たる自分を差し置いて話を進めようとしている。一左にとっては耐えがたい屈辱だった。


 「そもそも、紫峰の宗主とは伝えられた奥儀を決して外へ出すことなく、ひたすら世間の目から遠ざけるために存在するもの。封印された扉の鍵であって、それ以外の何ものでもありません。

 もし悪用するものがあれば、この世にどれほどの弊害をもたらすか分からぬほどのものゆえに、鍵となる者は当然それ相応の力の持ち主でなければならない。

 しかし、正面に強力な鍵が一つ存在したとしても、それを補佐するものがなければ到底、背面、側面からの進入には耐えられない。
 ここに後見の意義があるのです。宗主と同等、或いはそれ以上の力を持つものが周辺を警護することによって、鍵は安心して鍵の役割を果たすことができる。」


 修はここで一息ついた。長老衆も緊張を解いた。修には隣にいる一左の身体が怒りに震えているのが感じられた。『その怒りのすべてをできれば僕に向けてくれ。』と修は願っていた。

 「では…おまえが鍵になると何が不都合だと言うのだ?」
次郎左が訊ねた。一同の目が修に集まった。


 「大叔父さま…仮にこの場から僕が宗主を受け継いだとして、今の透や雅人に、或いは悟や晃に後見が務まるとお思いですか?」
 修は穏やかに訊き返した。次郎左は返答に窮し、長老衆は互いに顔を見合わせながらぼそぼそと囁きあった。
 いかにこの先長生きしたとしても次郎左がそのまま後見を務めるには無理がある。
かといって、貴彦や黒田の世代には後見として相伝を受けたものがいない。和彦の後見として相伝を受けたのは後に和彦の妻となる咲江だった。すでにこの世の人ではない。

 「逆に透や雅人が宗主なら僕が後見にたてば済む。極めて効率的だと思いますが…。」
修の意見に長老衆は言葉を失いただ唸った。もはや誰も修に宗主継承を無理強いすることはできなかった。『では誰に…』と長老衆の目が透と雅人の方へと戻された。

 
 
 末席で成り行きを窺っていた黒田には、一瞬修が不敵な笑みを浮かべたような気がした。だれも気が付いてはいないが修はまだ何か企んでいる。

 黒田がそう感じた途端、修は一同の前に手を付き深々と礼をした。その場に緊張が走った。


 「長老衆…宗主継承について、お許しを願いたきことがございます。
このたびの相伝については異例のことなれど、透、雅人両名に行いたいと思っております。
 
 ご存知のように紫峰家では多くの者が早世し、このようなことが後にまで続くようであれば、家の存続にも支障をきたすことになります。
 
 どちらが後継となるかは別として、いざという時に代わりを務められる者が必要なのです。
宗主として恥ずべき者にならぬよう修一身に代えて二人を育て上げます。

 どうか、修の我儘をお聞き届けください。これは亡き徹人、豊穂夫妻そして黒田に対する修の心意気と思し召して。」


 修は頭を下げ続けた。透と雅人も思わず一緒に平伏した。
その場の者が皆凍りついたかのように、しんと静まり返っていた。長老衆が完全に修に気を呑まれていることは疑いもなかった。

 「いや、なに、おまえがそうしたいと言うのであれば俺に異存はないが…。」
次郎左がまず気を取り直したように言った。

 「わしにも異存はない。修の好きにしたらよかろう。」
岩松も賛同した。

 「もともとわしらは修に紫峰を任せると決めておったからの。」
赤澤老人も頷いた。

 その場に集まった紫峰の重鎮たちは皆修に全権を委ねることに同意した。長老衆を味方につけ、今や修は名実ともに一族の頂点に立った。もう仮の当主ではない。
 こうなると一左は形だけの宗主ということになる。しかも、その地位も間もなく透か雅人に譲らなければならなくなる。『早々に手をうたなければ』と一左は考えた。

 怒りを抑えきれぬ一左は無言で立ち上がり、修を憎々しげに睨み付けた。修はいつものように目を伏せることもなく、受けて立つと言わんばかりに一左の顔を見返した。一左は手に持っていた扇子を修めがけて投げつけ、怒りに身体を震わせながらその場を後にした。

 一左が消えてしまうと進行役の貴彦が用意させてあった祝い膳を運ばせ、修は雅人や透とともにそれぞれの席を廻り、ひとりひとり客人をもてなした。
 黒田の席に来た時、黒田は誰にもに気付かれぬように修の手を握った。
『やったな!』と黒田の目が語りかけた。修は笑みを浮かべて頷きながら、黒田の手をしっかりと握り返した。

 客たちは一左の暴挙でしらけたその場の雰囲気を消し去るかのように和やかに歓談を始め、何も知らないまま、饗された酒や膳を楽しみ、紫峰家のもてなしを満喫した。





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一番目の夢(第二十三話 受け継ぐもの)

2005-06-02 13:50:00 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 「まあ、僕のことはどうでもいいです。そんなことを話しに来たわけじゃないんだから…。
冬樹の喪も明けた事ですし、そろそろ雅人のお披露目をしたいと思いますが、招待客はこれでよろしいですか?」

 修は先ほどソラに見せた一族の招待客リストを一左に差し出した。一左はリストを見ていたが、その中に気に喰わない名前を見つけた。

 「あの黒田を呼ぶのか?」
老眼鏡の上から探るように修を見た。

 「いけませんか?黒田家も紫峰の血族です。無視できない家柄ですよ。」
修から平然とそう言われると、さすがの一左もだめだとは言えなかった。
 「仕方あるまい…の。」

 「それから、皆さんに召し上がって頂く料理ですが、いつもの吉祥の料理長に…。」
不機嫌な一左を無視して、修は淡々と話を続けた。
 「ああ、もういい。後は任せる。いいようにしてくれ。」

 一左が面倒くさそうに言いながらリストを投げてよこしたので、修は一礼して一左の部屋を後にした。雅人のお披露目会に露ほども疑いを持っている様子はない。
そのまま自分の部屋に戻ると、修は急ぎ貴彦、輝郷、黒田に向けてメールを送った。
『商談成立』と…。



 その日、紫峰家の駐車場はさながら高級車の展示会のようだった。外庭に面した広間では正装した一族の者たちが集い、久々の再会に挨拶を交わしながら思い思いに会話を楽しんでいた。修が手配した一流の料理などが饗されて、客たちは最高のもてなしを受けてはいたが、そこにいたのは一族の中でも遠い関係の人々で、重鎮たちは中庭を臨む奥の間に集まっていた。

 上座中央に一左が、その両脇に雅人と修、透は修の横に。彼らを挟んで血族の代表が国構えに並び、宗主一家に注目していた。貴彦が進行役を勤め、挨拶をした後、一左が雅人を血族に紹介した。

 「これがわしの後継となる雅人じゃ。」
上機嫌で一左がそう言ったとき、次郎左の向かいに座っていた長老格の岩松が不満そうに訊ねた。

 「一左よ。今度こそ嫡孫である修を選ぶものと期待しておったが、これはどうしたことかの?」

すると、その隣の赤澤老人もそれに続いた。

 「そのとおりじゃ。修がだめなら透もおる。両親ともに紫峰の血を受け継ぐ者。何の問題もないはずじゃが?」

二人の長老に詰め寄られて一左は一瞬たじろいだ。

 「雅人は、わしの跡継ぎだった徹人の子じゃ。何の支障があるかの?」
修と透のことについてはあえて触れず、逆に、二人に訊き返した。

 「徹人の子といっても雅人の母親は使用人ではないか。」
岩松が吐き捨てるように言い放った。

 透は思わず雅人を見たが、雅人は微動だにしていなかった。じっと目を伏せ屈辱に耐えていた。

 「私らも同意見だ。岩松にしてみれば娘の豊穂が産んだ透が、使用人の子より下に置かれるなんぞ耐えられんことだろう。黒田の一族にしたって侮辱されたようなものだ。」

 それまで黙っていた他の血族たちが次々騒ぎ出した。場は騒然となった。なんだかんだと反論はしているものの、血族の予想外の反応に一左の動揺は隠せなかった。
 興奮した一族の代表たちは一左を非難するだけでなく、雅人とその母親に対してもいわれのない誹謗、中傷を容赦なく浴びせた。


 透は再び雅人を見た。雅人は表情一つ変えずにいた。こんな事態になるとは思っても見なかった。いつもならすばやく対処する修もなぜか黙したまま動かず、偽一左は激して役に立たず、このままでは騒ぎが収まりそうになかった。
 互いの声さえ聞き取れないほどになった時、透はドンと背中を押されたような気がした。『止めよ!』と言う声が聞こえたようで、修の方を見たが修は知らぬ顔を決め込んでいた。

 「お静まりください!」
透の口から唐突に言葉が飛び出した。透自身が驚いた。途端に周囲の目が透に集中した。『ええい、なるようになれだ。』透は腹をくくった。

 「岩松のお祖父さま。どうか雅人を侮辱するような発言はお控えください。雅人と僕の間には貴賎などはないのです。樹の御霊の御心に背くような恥ずべきことを口にしてはなりません。」
まるでどこかの宗教本のようだと思ったが、樹の名は周りの大人たちを黙らせるには十分な効果を上げた。

 「おお。これはわしが悪かった。おまえの言うとおりじゃ。」
岩松は感心したように目を細めて孫を見た。最長老の岩松が黙ったので、いきり立っていたほかの連中も穏やかさを取り戻した。

 騒ぎが収まったのを見計らってか、それまで何も語らずにいた次郎左がその場の同意を得るように皆を見回した後、修の方に向き直った。

 「修…おまえの考えを聞こうか…。この二十年余り紫峰家はおまえが取り仕切ってきた。
一左がなんと言おうと、そのことはこの場の皆が知っている。
実質、おまえが紫峰の主であったわけだが、今更、宗主になるのを辞退するのはなぜだ?」

 次郎左の突然の行動は修のシナリオにはなかった。おそらく、根回ししたときに長老たちと目論んだに違いない。一族の総意としては、やはり修を宗主にというところなのだろう。
皆の前で貶された形となった一左の怒りと驚きが手に取るように分かる。

 修が宗主になると言えば長老連中は安堵し、この場は収まる。だが、怒りにわれを失った三左が皆に対してどんな行動に出るか分からない。次郎左に少し揺さぶられただけで躊躇いも無く、長年共に暮らしてきた肉親冬樹を殺した男だ。長老連中にもチカラは備わってはいるが、一左を押さえ込んだ三左のチカラは侮れない。

 いまの修はこの場にいる全員を人質に取られているようなものだ。さすがの次郎左も兄一左が封じ込められていると分かっていながら三左と戦うことはできないだろう。透や雅人も同じこと。
 修が情を断ち切れば、たとえ犠牲者が何人か出たとしても容易に三左を倒せるかもしれないが、その場合には本物の一左の命も無いものと考えた方がいい。

 それに…自分が宗主になることには、それほどの意味が無いと修は思っている。
頭の固い長老衆に自分の意見をどこまで理解してもらえるか…。
大きく息をすると修は、伏せていた顔を上げ、待ち構える紫峰の重鎮たちと対峙した。




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一番目の夢(第二十二話 思い込み)

2005-05-31 12:47:19 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 どのくらいそうしていたのだろう。肩を抱いた黒田の腕にに修がそっと自分の手を置いたので黒田は修から離れた。この青年の両肩はどれほどの重荷に耐えてきたのだろう。どこにでもいる青年と少しも変わりないその肩に。黒田の両の手には修の肩の感触が残っていた。

 「みっともない所をお見せした…。」
修は照れたように微笑んだ。

 修には親に抱かれた記憶が無い。親を失ったその時から修は紫峰の仮の当主として、何もしない一左に代わり一族を仕切ってきた。赤ん坊の透や冬樹を育て始めた時には、修自身がまだ小学生だったのだ。どんな育ち方をしたからといって誰が修を責められよう。黒田の胸は痛んだ。

 「修…許してくれ。何もかもあんた一人に背負わせた俺が悪かった。」
黒田は心から頭を下げた。修の前に土下座した。
 「後悔なんてするなよ。悪いのはあんたじゃない。何もかも犠牲にして俺の子を育ててくれたじゃないか。護ってくれてたじゃないか。いい子に育ったよ。親の俺が保証する。」
 
 突然の黒田の行動に修は少なからず面食らった。思わず床に膝をおって今度は修の方が黒田の両肩に手を置いた。

 「顔をあげてくれよ…お願いだから。黒田……。」
黒田の肩を揺すった瞬間、突然、目の前が暗くなり修は意識が遠のくのを感じた。黒田が異変に気付いて修を抱きとめた。

 「修…。まさか今朝の…手当てしてないんじゃないだろうな。」

 「雅人が…少し…だけど時間がなかったから…そのままで仕事してた…。」

他人事のように修は言ったが、相当きつかったに違いなく黒田がソファの上に座らせると、そのままぐったりと沈み込んだ。

 「あのな。修よ。魂が受けたダメージはそれ以上に実体に響くんだって解ってるだろ。仕方のない奴だ。今、診てやるから。あっ。自分でやるなよ。それ以上体力使うな。」

黒田は念を集中させると修の額に片手を触れた。
それから探るように胸へ、腹へ、両の手へ、両足へと移動させ、最後に額に戻った。
黒田の手から出た白い光がゆっくりと修の身体へと吸い込まれていった。




 満天の星空の下でソラは修の帰りを待っていた。うつらうつらと居眠りをしながら。
修の無断外泊が、この紫峰家ではよほど珍しかったのか、今朝から母屋が妙に騒がしかった。
事故か、女か…などと使用人までが話の種にしていた。

 『二十代も後半の男が一晩帰らなかったくらいで…どうかしてるぜ。この家は…。』
男の外泊などソラの生まれた時代には当たり前のこと。樹も窮屈な時代に生まれ変わったものだと気の毒がった。『ともあれ、樹は真っ先に自分のところへ来るだろう。』
 
 ソラの思ったとおり、修が祠にやってきた。少し離れた暗がりに車が止めてあるのを見ると、急ぎの話だなとソラは感じた。

 「よお。樹。うまい言い訳けは思いついたか?」
ソラは思わせぶりにニタリと笑った。

 「言い訳けなどしないよ。それより、おまえこの連中がわかるか?」
一族の重要人物がリストアップされた紙を差し出した。ソラはしばらくじっとその文字を追っていたが、やがて大きく頷いた。

 「この連中の真意を探って欲しい。次郎左が根回しをしたはずだが、偽一左に傾倒する者もいるだろう。」
修がそう言うとソラは立ち上がった。 

 「こいつらの闇を喰っちまっていいか?」
ソラは振り返りながら問いかけた。
修は笑って応えた。

 「連中におまえを捕まえるチカラはない。好きなだけ喰えよ。但し、後で腹を下すなよ。」

 ふふんと鼻先で笑ってソラは出かけていった。
その後姿を見送った後、修は急ぎ帰途についた。




 玄関先で、お帰りなさいませというはるの声を聞いたときから、修は自分が見世物になったように感じていた。修の外泊によほど興味があるのか家中の目が修に向けられている。
 『平和な連中だ…。』修は思った。 

 一左は自分の部屋で書物を読んでいたが、話があると言って入ってきた修の方を見て、なにやら薄笑いを浮かべた。
 
 「夕べはどこぞの姫の所へでもお泊りかの?」

 「まあ、そんなところです。」

下衆の勘繰りと嫌悪しながらも修は何食わぬ顔で応えた。

 「ほお。修にもとうとうそのような姫ができたか。だが、おまえの相手は誰でもいいという分けにはいかぬぞ。それ相応の…。」

 「笙子です。なにかご不満でも…?」

 一左の言葉を遮って修は口から出任せを言った。笙子は悟や晃の従姉で、次郎左の孫にあたる。
藤宮の一族の中でも特に傑出した存在で、修とは昔から気の合った友人である。笙子なら万一の時にでも口裏を合わせてくれる。

 「藤宮の姫か…。それでこの頃、次郎左がやたらと出しゃばってきよるわけだ。」

 一左がそう呟いた時、修は心の中でほくそ笑んだ。結婚話だと勝手に思い込んでくれたのは幸いだった。その気になってあちらこちらに手を回すだろうが、それはそれでどうとでもなる。

 『これで藤宮と行き来する口実ができた。次郎左が紫峰家に干渉する理由も…。』
 
 一左が自らの思い込みで作ってしまった隠れ蓑を使えば、修たちはずっと動きやすくなる。
修はいま一左の部屋へ来た本来の目的を切り出そうとしていた。 




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一番目の夢(第二十一話 嵐の前2)

2005-05-30 18:00:00 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 「大叔父さまたちは、樹と修さんのことをなぜ知っていたのだろう?」
気を落ち着かせながら透は呟いた。 
 
 「誰も知っちゃいないさ。相伝の時には樹の御霊を招霊するから、儀礼的にそう呼んだだけだ。
まあ、次郎左だけは少しは感じとっているかもな。」
雅人は事も無げに種明かしをして見せた。

 「何でも知っているんだな。おまえが宗主になってしまえばいいのに。」
透が毒づくと、雅人はニヤニヤ笑うのをやめて真剣な表情になった。

 「君が知ろうとしないだけさ。何でもかんでも修さんに頼りきりだから…。冬樹もそうだったんだろうけどね。おんぶにだっこ…それじゃあ、真実は見えてこないぜ。お坊ちゃん!

 君には宗主になるチカラはあっても、そのブレーンとなる力量がないんだよ。ブレーンが最高なら、宗主はドンと構えて動かなくていい。本当に重要な決定だけをすればいいんだ。
ブレーンたるものにはトップを支えていくだけの技量が備わっていないとね。

 修さんはそれを見抜いているから、自分では宗主にならない。勿論、僕もそうだ。」

 雅人の言い方には決してとげがあるわけではなかったが、透は全身を鞭打たれたような衝撃を受けた。修が雅人を連れてきた理由は、単に囮に使うというだけのものではないことが今になって理解できた。

 「と…もう一つの理由。君が宗主にならなければ、君のお母さん、豊穂さんが泣く泣く紫峰に嫁いだ意味も、僕の母が追い出された意味も無くなってしまうだろう?
 これは豊穂さんに対する修さんの気持ちでもある。」
雅人はまたニヤニヤ笑いを始めた。

 いけ好かない奴だと透は思った。しかし、雅人の言うことはいちいちもっともで、反論しようにもその根拠を見出せない。

 「こんな会話、あいつに聞かれたらやばいな。」
返す言葉に窮した透はふと、ここが一左と同じ屋根の下だということを思い出した。

 「大丈夫。奴がどんなに聞き耳を立てようと、口喧嘩にしか聞こえないようにしてある。」
どこまでも用意周到な雅人だった。

 「透…君や修さんのようなまとまった大きなチカラは残念ながら僕には無い。だが、幸いなことに多種多様なチカラが備わっている。それ相応のレベルでね。だから、修さんの片腕として働いていける自信がある。
 僕は決して君をけなしているわけじゃない。自覚して欲しいだけだ。どの道決まっていることなら、君は君の意志で宗主になれよ。今のままじゃ成り行き上仕方なくって感じだぜ。」
 
 図星だった。この期に及んでも透の気持ちは定まっていなかった。敷かれたレールの上を黙って歩いているだけで、宗主に成ろうとする理由がいったい何なのか自分でも理解していなかった。。

 「ま…トップがそんなんじゃ組織は潰れるね。いくら最高のブレーンが居てもさ。
修さん命の掛け損かもね。」
呆れたように雅人が言った。

 
 
 仕事を終えた後、修は黒田のオフィスを訪ねていた。そこは以前に透が軟禁状態にされていた屋敷ではなく、黒田の表向きの仕事場兼住居で今までにも何度か訪れたことがあった。
 時計が22時を告げたとき、二人は今現在の本物の一左が置かれている状況を確認し終え、今後についての一応の話がついたところだった。

 「透の修行がたった三日というのは不安材料だな…。」
黒田は何気なく呟いた。

 「済まん。僕がもっと早くから手を打っておけばよかったんだが…。」
修は自分の非を詫びた。

 「いや…あんたはよくやってくれたよ。いい子に育ててくれた。」

黒田にそう言われて、修は黙ってうつむいてしまった。

 「修…?」

 「僕は…透を甘やかし過ぎた…。冬樹も…。もっと早くから鍛えておくべきだったんだ。
そうすれば…死なせずに済んだ…。」
ずっと自分の胸にしまっておいた悲しみが修の中から溢れ出した。
涙が止め処なく修の頬を伝った。


 「修…あんたのせいじゃない。」
黒田は思わず修の肩を抱いた。
『済まなかった…』と何度も心で繰り返しながら…。





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一番目の夢(第二十話 嵐の前1)

2005-05-29 16:20:53 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 一左は風邪を引いて休んでいるという透の部屋を訪れた。透は布団の中から天井を見つめていたが、熱があるのか顔色も悪く、とても仮病には見えなかった。
 
 「調子はどうかの?」
一左が声をかけると、力なく微笑んでみせた。

 「大丈夫…すぐ治りますよ。」
透はいかにも風邪をひいているような鼻声で答えた。

 「まあゆっくり休め…。」
それだけ言うと一左は部屋を後にした。


 階下では、どこが風邪だというくらい元気な雅人が昼食を平らげている最中だった。

 「おまえは元気じゃの。」

一左が呆れたように言うと、雅人はにやりと笑った。

 「透さんは本物。僕は半分仮病だからね。」

 「まあ、それだけ喰えば風邪も吹っ飛ぶだろうて…。ところで、わしが留守の間、屋敷の方があまりに静かだったので何事かあったのではないかと心配しておったのだが…。」
 単純な雅人に鎌を掛けるように一左は何食わぬ顔で訊ねた。

 「ああ、それなら、お祖父さまが居ないから使用人たちに休暇をあげたんだ。鬼の居ぬ間に洗濯しといでとか言ってね。だから、屋敷には僕らとはるさんが居ただけ。皆喜んでたよ。」

 『なるほど』と一左は納得せざるを得なかった。使用人たちが居なかったのなら、あの時屋敷の気配がいつもと違っていたのも頷ける。
 『それにしても軽薄な奴だ。ぺらぺらしゃべりおる。修は内緒で休暇を与えたに違いないのに。』
 一左は雅人を冬樹の代わりとして引き取ったことに間違いは無かったと感じた。この無能力な男なら何とでも自分の思うとおりに動かせるだろう。
目の前で無心に料理をほおばる少年を見つめながら一左はそんなことを考えていた。



 辺りが薄暗くなっても、明かりをつける気力も無く透はただ天井を見つめていた。
『修さんが黒田を殺すはずは無かったのに…。』
透は自分が修に攻撃したことをずっと後悔していたのだ。

 「透さん。入るぜ。」
扉の向こうから雅人の声が聞こえた。雅人は心配するはるに代わって食事を運んで来たのだった。

 「いい加減にしたら?透さん。」

 「さん付けはやめろ!いらいらするんだよ!」
透は思わず怒鳴った。殊更怖気づく様子も無く、透のベッドの端に腰を下ろすと、雅人は挑みかかるような口調で話し始めた。

 「君はさ、自分のことばかり考え過ぎ。修さんを攻撃したって?それで自己嫌悪に陥ってるって?笑わせんなってんだよ。」

 「おまえ、喧嘩売ってんのか!」
透は跳ね起きて雅人を睨み付けた。

 「気付いてないだろう?あの修さんが君の攻撃を避けられないと思うのか?わざとだよ。君や黒田だけに苦しい思いをさせないために、自らに罰を下したのさ。ガードすることもなく…。」

 二の句が継げなかった。修は本当に命がけなのだ。あらためて修の決意を知ったような気がした。雅人の言うとおりなら修の本体は相当なダメージを受けているはずだ。あの時、何事も無かったように出かけて行ったが…。

 「大丈夫…。僕が少しだけ手当てをしておいた。君、もう少しチカラをコントロールできるようにならないと…。そのうち修さんを殺しちゃうよ。」

 『余計なお世話だ』と言いたくても今はそれどころではなかった。
なぜ気付かなかったのだろう。自分を責める前に、修の身体を気遣うべきではなかったのか。自分自身の感傷の世界にどっぷりつかって、周りのことを何も見ていなかった。
 それにひきかえ、雅人のこの冷静さはどうだ。当事者ではないにせよ、大局的に状況を判断して的確にことを運んで行く。とても自分と同じ年には思えないくらいだ。

 一左は雅人を馬鹿の大飯喰らいとしか考えてない。
雅人もそれを知っていてわざと馬鹿を装っている。修の指示なのか自分の意思でなのかは解らないが、相当に頭の切れる奴であることには間違いない。

 透にとって何よりも憎らしいのは、雅人のそういうところが修とよく似ていて、修との血の濃さを証明しているように思えることだった。
それが単なる嫉妬に過ぎないことだとは解ってはいたが…。




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一番目の夢(第十九話 発覚の危機)

2005-05-28 14:33:00 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 まだ夜も明けやらぬ内に修行の続きは始まった。
皆少しは休息したとはいえ、さすがに三日目ともなると疲労の色は隠せない。特に経験の浅い若い連中は余計な力を使ってしまうために消耗が激しく、取り敢えずは所定の位置についたものの最初の緊張感は薄れつつあった。
 
 その中にあって修はいつもと変わりなく、透の前にその姿を現した。音も無くその場に座すと静かな口調で語り始めた。
 
 「透…。もし、私が悪鬼となったら、そなたは私を…私の魂を消滅させられるか?」
透は返答に詰まった。

 「紫峰の宗主として最も大切なことは、己の感情を捨てても、とるべき道を過たぬ事。
いかに大切な絆があろうとも、それを断ち切らねばならぬ。そなた…できるか?」

透は困惑していた。正しい答えは解っているのに答えることができなかった。

 「透…。私は今、罪を犯すとしよう。そなたの父黒田の命をもらう。そなたは黒田を護り、私を倒さねばならぬ。さもなければ本当に黒田は死ぬぞ。」

 そう言うが速いか、修は立ち上がり黒田のほうへ進み出た。黒田は微動だにしなかった。結界を張っている黒田は戦うことができない。

 修は黒田に対してまずは弱い衝撃を加えた。黒田は苦痛に耐えていたが、それが芝居でないことは確かだった。透は言葉を失った。
『できないよ!あなたを傷つけるなんて!あなたと戦うなんて!』

 「なぜ攻撃しない?これはお遊びではないのだ。」

 そう言うとさらに強い力を黒田に浴びせた、さすがの黒田も声を上げた。しかし、透は身動き一つできなかった。修の表情が険しくなった。

 「そなた宗主の責任を何だと思っている!人の命がかかっておるのだぞ!」

 修の身体から怒りとも思える炎が立ち上がった。修は黒田めがけて炎の矢を飛ばした。それは黒田の身体を貫き傷口からはどくどくと赤い血が流れ出た。うめき声とともに黒田は倒れ掛かったが、寸でのところで耐えていた。
 『透…。攻撃しなくてもいい。俺のことは気にするな…。修はおまえにとって大事な人だ…。』
黒田が苦しそうな息の中から透に思念を送ってきた。

 「おしまいだ!!」

修がそう叫んだ時、修の身体が何かに弾き飛ばされた。あっという間の出来事だった。


 一瞬、その場がしんと静まり返った。修はゆっくり立ち上がり、いつもの笑みを浮かべて透を見つめた。たちまち透の目に涙が溢れ、大声あげて泣き出した。

 「こんなの嫌だ!こんなの間違ってるよ!」

 「そなたは今、宗主の役目を果たした。それでいい。」

 目の前にいるのは修の実体ではない。だから、透の攻撃が実体にどのくらいダメージを与えたのか予想もつかない。透の胸は激しく痛んだ。

 修は黒田の前に屈み込むと黒田の傷に手を触れた。傷はすぐに消え、跡形も残らなかった。

 「済まなかったな。苦しい思いをさせた…。」

修がそう言うと、黒田は首を振って答えた。

 「辛いのはあんたの方だろ。修よ。」

その言葉に笑みを以って応えた修だったが、黒田には泣いているようにも思えた。



 その時、ドンドンと激しく扉が叩かれ、外から雅人の大声が聞こえた。

 「皆さん!早くここから出てください!あの男が帰ってくる!」

その声を合図に、皆急いで祈祷所を出た。全員が外に出ると修は祈祷所に封印をした。祈祷所はまるで百年もの間使われていないかのように静まり返った。

 「気配はまだそんなに近くはありません。しかし、それほど時を待たずして、ここに現れます。すれ違ったりしてはまずい。」

修は頷いて、次郎左たちに指示を出した。

 「大叔父さま。例の日に合わせて一族を集めてください。三左に対する口実は僕が考えます。
貴彦叔父さん、僕らはすぐに会社へ戻りましょう。透たちは風邪でも引いたことにして部屋にこもっていればいい。悟、晃。本当に有難う。黒田、後でな…。」

 それだけ伝えると修の姿はいったん消え、母屋の方から実体が駆け出してくるのが見えた。
それほどのダメージを受けている様子は見られないと誰もが思った。透も少しはほっとした。
雅人だけは何かに気付いたようで、すれ違う瞬間になぜか修の身体に触れた。

 その場のものはそれぞれ散り、後にはソラだけが何事も無かったように昼寝をしていた。
使用人たちはすでに帰ってきており、屋敷にはいつもと変わりない生活の気配が戻ってきた。



 それから小半時もたった頃、一左を乗せた藤宮の高級車が紫峰家に到着した。一左が車を降りたとき、屋敷の様子がいつもと変わりないことに一先ずは安心したものの、漠然とした不審の念を拭い去ることができなかった。




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一番目の夢(第十八話 継承者の孤独)

2005-05-27 16:18:12 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 宿泊先の老舗高級旅館で一日目をゆっくりと温泉に浸かって過ごした一左は、藤宮の時子のもてなしにすっかり満足し、二日目には連れ立ってゴルフに出かけた。
 何事も無い平穏な時間は確かに一左をリラックスさせたが、その日の夕刻になった頃から、あまりにも穏やか過ぎることに少なからず苛立ちを覚え始めた。
 紫峰家に思念を凝らしてみても何の動きも感じられないが、まるで人の気配が無いかのようにも思われて一左をいっそう不安にさせる。
『静か過ぎる。』と一左は一人呟いた。



 二日目の修行は、透にとって難しいものではなかった。波長を合わせて念を融合させることに比べれば、複雑に絡み合う思念の中から特定の念を選び出して払い飛ばすことぐらい何のことも無い。前日の長時間にわたる苦闘がうそのようだった。

 皆ほっとした様子で、透が課題を終えるのを見つめていた。透がほとんど眠れなかったように、立ち会っている者たちもおそらく2~3時間しか寝ていないのだろう。一様に疲れた表情をしていた。続けて次の段階へ進ませようという声も上がったが、結界を張っている雅人たちの体力のことを考えて、少し休ませるべきだという意見がまとまった。
 
 他の者が一時帰途につくと、透と雅人も母屋に帰った。はるが夕食を用意して待っていた。食卓には、すでに修がいて、何かを飲みながら新聞を読んでいた。二人を迎えるといつもの笑顔で『お疲れさん』と言っただけで、早々に部屋に引き上げてしまった。

 食卓には修が飲み残したコップが置かれてあったが、どう見ても水しかはいってなかった。

 「気が付いた?透さん。」
雅人が食卓につきながら言った。
 「何が…?」  
透は疲れのせいもあって面倒くさそうに言った。

 「修さんだよ。修行が始まる前の日からほとんど食べてないよ。はるさんが、野菜スープとか、
果物なんかのジュースを作って無理やり飲ませようとするんだけど、口にしているのは塩水…。」

 「何で?そんなことしたら身体に悪いじゃないか。あんなに体力使ってるのに…。」
雅人に怒ったところで仕方が無いが、透は思わず責め口調になった。

 「潔斎だよ…。でもそれだけじゃない。身体が食物を消化し吸収するというエネルギー消耗を断つことによって、全身の感覚の働きを活性化させているんだ。誰にもまねできないぜ…。」

 透の箸を持つ手が止まった。いきなりハンマーで殴られたような気がした。何も知らなかった。
修が透の修行のために食まで断っているとは…。
 それにしても昨日今日一緒に暮らし始めたばかりの雅人が修の行動をしっかり把握しているのはなぜなんだ。
 軽い嫉妬のようなものが胸に沸いてくるのを透は慌てて打ち消した。

 「まあ、僕のことをどう思ってもらっても構わないけどさ…透さんは食べなきゃいけないぜ。
じゃなきゃ、修さんに迷惑がかかるよ。」

 まるで透の心を見透かすかのように雅人はにやりと笑った。席を立たんばかりだった透はその言葉で座りなおし食事を始めた。
あきれるほど食欲旺盛な雅人を前に、透はほとんどお茶で料理を飲み下していた。



 明かりの消えた部屋で修はひとり瞑想していたが、なぜか胸が騒いで無心になることができないでいた。
 『このままで良いのか?』という迷いが修の中に生じていた。
相伝を行えばいたずらに透に重荷を背負わせることになる。この時代に生まれて、このような古いしきたりが本当に必要なのか。
 『何も知らないままでも生きていけるものを…。』
この孤独と重荷は自分ひとりが墓場まで抱えていけば、それでいいのではないか。

 しかし、それは許されることではなかった。修が拒否したところで次郎左が…もし救い出せれば本物の一左が透や雅人に伝えるだろう。辛いのは同じだ…。

 透は耐えていけるだろうか。いいや…透はもう大人だ。おまえに耐えられたことができないはずが無いだろう。いい加減…子離れしろよ…。あの子を信じてやれ…。
 一生庇い続ける方がどれほど楽なことか…いいや、それだけは絶対にしてはならない。

 これほどの葛藤が修の心の中で起こるとは、正直、修自身予想もしていなかった。
継承者の孤独を嫌というほど味わっているだけに、できるなら透にはそんな思いをさせたくない。
だが、そんなことを言っている場合ではないのだ。透への相伝には雅人や一族の者の命がかかっている。

『もはや逃げ道は無い…。』
修はそう自分に言い聞かせた。



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一番目の夢(第十七話 樹の御霊)

2005-05-26 11:45:44 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 「もう一度…。」

 修の声が透の耳に響いた。這いずるようにして修の前に戻った透だが、間断なく激しく打ちのめされた身体からは、もはや起き上がる気力も体力も失せていた。

 「やはり、一晩では無理か…。」
次郎左が思わず呟いた。

 「黙れ!」

修が突然激しい口調で次郎左を怒鳴りつけた。次郎左は思わずひれ伏した。
 
 「透…。そなたは思い違いをしている。心のどこかで私と修を区別していて、私に心を開いてはいない。私がそなたを弾き飛ばしているのではなく、そなたの心と身体が私を拒絶している。」

 透の中で思い当たるものがあった。生まれ変わりというものがあるとしても、修と樹ではまるで別人のように思えて、無意識のうちに心を閉ざしてしまう。
 樹の御霊が嫌いだとか、力負けするのが悔しいとかではなくて、いわば面識の無い他人に心を覗かれているような不安感が拭いきれない。

 修は立ち上がり、透のすぐ傍へと移動した。修の手が透の頭に触れると透は身震いした。 

 「透…思い出しなさい。その痛みと苦しみを誰に伝えたい…? 誰に解ってもらいたい?
私に挑むのをやめて私を受け入れてごらん…。」

修の手が優しく透の髪をなでた。透は混沌とした意識の中で、ぼそぼそと呟きだした。

 「だめなんだ…。心配するから…。もう…ひとりでがんばらなきゃ…いけない…。だって…。」

 透はなぜか泣いている自分を感じた。
野原の真ん中でひとりぼっちで泣いている。ちっぽけな僕。
 『痛いよ…。痛いよ…。おたむたん…。』
目の前に中学生くらいの修がいる。いつものように優しく微笑んで頭をなでてくれる。
 『転んだのか?よしよし…。大丈夫…すぐ治るよ。』
おまじないで僕の痛みは消えていく。抱っこしてもらえば消えていく。おんぶだっていいんだ。
 『おんぶしてやるよ。おうち帰ろうな…。』

 今一度、修の身体から強い光が放たれた。部屋全体を震わすほど強大な光量であるにもかかわらず、透はまるでそれを待ち望んでいたかのように吸収していく。やがてそれは透の全身を満たし溢れ出した。

 光が少しずつおさまっていくに従って、透の意識もはっきりしてきた。気がつくと身体中の痛みが消えている。身体にずっしりと疲労の後は残っているものの、擦り傷一つなくなっている。
不思議なことに、修の姿もすでにその場から消えていた。

 「よくやった。これで前修行の第一段階は終わったぞ。」
次郎左が嬉しそうな声を上げた。黒田も貴彦もほっとした表情で透を見た。

 「今日のところは、三左に気付かれずに済んだ。だが、まだ先は長いぞ。」

 貴彦が透の肩を叩いた。
結界が解かれ、皆疲れきった顔で外に出た。三左や孫たち、黒田はその場から早々に引き上げていった。貴彦も母屋には寄らなかった。

 透と雅人は急いで母屋に戻った。確かめたいことが沢山あった。靴を脱ぐのももどかしく、二階へ駆け上がると真っ直ぐに修の部屋へ向かった。

 「修さん。修さん居る?」
 返事は無かった。恐る恐る扉を開けて透は静かに修の部屋へ入って行くと、整然とした部屋のベッドの上で修は疲れきったように突っ伏していた。
多分修は三左が気付いた時に備えて、自分の魂だけを祈祷所に送り込んでいたのだ。いかに修といえども、それは体力的にも精神的にも極限の行為といっていい。
 『僕らを護るために…。』
透は何も言えず、服のまま眠ってしまっている修にそっと毛布を掛けてやった。





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一番目の夢(第十六話 魂の波長)

2005-05-25 18:36:48 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 何も知らない藤宮の時子から親切にも家族宛に、一左が無事温泉へ到着したので安心して欲しいという連絡がはいった。

 時を同じくして、透の周辺が俄かに慌しく動き始めた。

 『宗主が留守の時ぐらいは皆を労ってあげないとね。』などという尤もらしい理由で、修から特別ボーナスと休暇を与えられた使用人たちは喜んで思い思いに出かけていった。

 はるだけは母屋に残っていたが、留守居役としては適任者だった。古くから紫峰家に仕えている家系の女だけに、正当な権利を奪われた気の毒な総領さまこそが正しい系統だと考えているらしく、修には忠実そのもの。利口な女で機転も利く。亡くなった修の祖母蕗子から一左に不審なところありと耳打ちされていたようだが、そのことは噯にも出さずにいた。


 紫峰家の奥まったところにある祈祷所か礼拝所のような離れにはすでに次郎左を始め皆が顔を揃えていた。建物の入り口にはソラが陣取り、閉じられた外の扉と中の扉との間には中央に雅人を配して悟と晃が控えていた。
 奥の間には、上座に次郎左、貴彦、黒田が座し、その前に透が向かい合うようにして座っていた。輝郷は万が一妻から連絡があったときのために自宅にいて、ここに同席はしていなかった。
 
 「雅人がこの建物に結界を張った。悟と晃が何かあったときのために補助に入る。この部屋自体にも黒田が結界を張っている。ここは完全に外とは隔絶されておる。」
次郎左が一つ一つを確認するかのように言った。

 「では、前修行を始めるぞ。」
次郎左のその言葉に透は目を見張った。

 「前修行…大叔父さま…では今までのは…?」

 「あんなものただのお遊びじゃ。奴めにでたらめを教えてやったまでのこと。」
そう言って次郎左はカラカラと笑った。
 「冗談はさておき急がねばならぬ。三左もいつまでも気付かぬほど馬鹿ではないぞ。」

 次郎左がなにやら合図をすると貴彦も黒田も姿勢を正した。 

 「それにな。おまえに相伝を行うのは俺ではない…。」

 では誰が…と言いかけて透は自分の背後から近づいてくる人の気配にはっとした。
それまで姿の見えなかった修が確かに今自分の後ろにいる。修はそのまま透の脇を通り越し、上座へ進んだ。
 上座中央にいた次郎左が席を空け、その場の大人たちは皆修に対して深々と頭を下げた。
修は静かに中央に座し、真っ直ぐに透を見つめた。

 「我が紫峰の祖 樹の御霊にお願い奉る。この者に相伝の資格ありと思し召さば、前なる修行の道を授けたまえ。」
次郎左は床板に額をぶつけそうなくらい深く礼をしながら、修に対して言上奉った。

 透の動悸が激しくなった。確かにソラは修を樹と呼んでいた。修が樹の生まれ変わりかも知れないことはソラの話からも想像できた。しかし、そのことは誰も知らないはずではないか。

 「透…何をしている。樹の御霊に無礼があってはならん。拝礼を…。」
貴彦が低い声で囁いた。

 あわてて頭を下げようとするのを修がそっと手を差し伸べて止めた。いつものように穏やかに微笑んだ修は立ち上げって透のほうに数歩進み出で、透の前で再び座した。
 
 「言いたき事、聞きたき事、多々あろうが、今は時間が無い。唯一つ話しておくとすれば、修自身はすでに相伝を終えている。和彦が死ぬ前に修にすべてを託したのだ。まだ二つ三つの幼子であったが…。」

 修はまるで他人のことを話すように自分の過去を語った。樹の霊に憑依されているのかとも思ったが、修の澄んだ瞳は正気であることを物語っている。

 「すべては修自身から聞くがよい…。黒田…扉の前へ…。」

その言葉が発せられるや否や、黒田は扉の前へ陣取った。扉を挟んで雅人と黒田は背中合わせになった。次郎左は左、貴彦は右の隅へと退き、透と修を中心に三角形を結んだ。


 「透…私の霊力とそなたの霊力には少なからず差がある。能力(チカラ)の差を埋めるのではなく、私と波長を合わせるようにすればよい。慌てずにゆっくりと…。」

 修の全身から淡い光が立ち上り、それはあっという間に美しく強い光となって透の身体を包み込んだ。透は目を閉じ、その光を感じ取り、波長を合わせようと試みた。ところが修の光の波動と透の波動があった瞬間、いきなり透の身体は弾き飛ばされてしまった。

 「透…もう一度。」

 何度も何度も透はありったけのチカラを使って修の波長を捕らえようとするが、まるっきりかみ合わない。次郎左の前へ、貴彦の前へ、そして、一番その無様な姿を見せたくない黒田の前へと受身をする間もなく弾き飛ばされる。

 繰り返すたびに転げまわされ、透はあちらこちらぶつけて打ち身だらけになっていった。何度挑んでもうまくいかない。ああかこうかと試しては見るが、一向に修と波長が合わない。修行を始めてからもうどのくらいたったのだろう。痛みと疲れで、目が回りそうになってきた。

 「もう一度…。」

 いつもは優しい修も今ばかりは鬼のように厳しく容赦ない。透は休むことも許されず、ただ繰り返し繰り返し修の放つ光に挑んでいくしかなかった。



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