2月15日の午前中に、青森市幸畑にある八甲田山雪中行軍遭難資料館に出かけました。
仮死状態で生き残った後藤房之介伍長の大きな銅像(レプリカ)がありました。
展示は1階の1つの部屋にまとめられ、わかりやすいものとなっていました。
まず驚いたことは、犠牲者は青森出身者よりも岩手出身者が多かったということでした。
第5連隊は青森高校のところにあったため、犠牲者のほとんどは青森出身者だと思い込んでいたんですね。
2月15日の午前中に、青森市幸畑にある八甲田山雪中行軍遭難資料館に出かけました。
仮死状態で生き残った後藤房之介伍長の大きな銅像(レプリカ)がありました。
展示は1階の1つの部屋にまとめられ、わかりやすいものとなっていました。
まず驚いたことは、犠牲者は青森出身者よりも岩手出身者が多かったということでした。
第5連隊は青森高校のところにあったため、犠牲者のほとんどは青森出身者だと思い込んでいたんですね。
亀ヶ岡の土器は格別な存在感があります。
次の写真は縄文時代晩期から弥生時代の土器とのことです。端正な形に感じられます。
その時代にも達人がいて敬われていた?
縄文人の顔は、後世よりも現代的に感じられます。
鹿の骨の櫛だそうです。
貝塚の断面とのこと。
青森県立郷土館はたいへん贅沢な空間です。
独り占めをされたい方には冬期の平日がお勧めです。