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椿峰のまち

所沢・椿峰ニュータウンでのまちから見えてくるものをお伝えするブログです。

主人から聞いた話〔2〕

2014-04-30 17:15:50 | 藤村瞬一
私のすく目につくところに、旧制広島高等学校の資料がありました。

これは、昨年、主人の老化防止を兼ねて「はだしのゲン」10巻を購入し、
旧制高校生として被爆体験があるのだから、この本について感想を聞かせてほしい
と持ちかけたから、であったかもしれません。
いつもなら、私のそういう押し付けがましさを嫌がる主人でしたが、きちんと読んでくれました。
細かいところでこれはちょっと違う、ということがあったようですが、ほぼ事実通りでまじめに書いてある、とのことでした。


資料の中で、目を引くのが引率の山下教官による生徒動員日誌です。
平成10年発行 監修 生徒動員日誌刊行会 発行者 広島高等学校同窓会 とあります。


広島高等学校と原爆については こちら 

「生徒動員日誌」の刊行にあたって、から
戦争中、学徒動員令により旧制中学・高校・大学生は各地工場に行って、軍需品や兵器の製造に携わり、また家庭疎開の後片付けをした。昭和二十年三月には全国で三百十五万六千人が動員対象学徒になった。広高生は下松の東洋鋼鈑、呉の海軍工廠と向洋の日本製鋼所へ勤労動員された。この動員日誌は生徒のの状況を学校へ報告するために引率教官によって記録されたものである。これは、その性格上、執筆者の見聞したことを、人名・地名・時刻を含めて具体的かつ客観的に記し、当時の状況を生々しくかつ克明に物語る貴重な記録である。


p.40
八月六日(月) 晴
一、本日公休日、二年生指導ノ寮ノ行事アル筈ナリシモ、寮宣誓署名式オクレ、本日三寮ノ署名式ヲ行フ為メ、他ノ一年生ニハ
外出ヲ許スコトトナル。
このとき、主人は一年生で署名式に出なければならない中にいたのだそうです。せっかくの休みなのに、と思っていたのだとか。
一、朝食後、六時頃ヨリ三々伍々広島市ヘ外出ス。
このころには、広島県安芸郡府中町にあった日本製鋼所広島工場の寮の一部を広高の寮として、広島市の寮から「寮旗」を移して名前をもとのように薫風寮としていたのだとか。主人はあれこれの寮歌を歌うことがありましたが、その中には現代風なメロディのものがありました。
(中略)
一、午前七時、第二報告寮軍事講習場ニテ警報発令ヲ聴ク。
一、八時十分頃、空二爆音ヲ聴キ居タルモ、ソノ爆音最モ近クナリ頭上カト思ハレル頃、閃光アリ。二、三十秒ノ後、大音響ト共ニ爆風。直チニ地上ニ伏ス。広島ノ空ニ白煙天ニ冲スルヲ見ル。
第二報国寮近辺ノガラス戸全部壊レ、家屋小破ス。

(つづく)


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主人から聞いた話〔1〕

2014-04-24 10:53:53 | 藤村瞬一
主人から繰り返し聞かされた話を書いてみたいと思います。


旧制の中学校時代には、勤労動員でいくらかの賃金が支払われる仕組みであったとのこと。
主人のいた中学の校長は、全校生徒の賃金を預かっておきます、と決めていて
小学校の教師であった主人の父は、勤労動員で賃金をもらっているはずだ、ということで
小遣いを減らしたのだとか。学校によって校長の裁量で決めたことだったんでしょうね。

ところが、その中学校の校長はドサクサに紛れて着服してしまったのだとか。
混乱が予想されるときに、先見の明?で公金をしっかり預かっておく人たちがいる、のかもしれません。

勤労動員については こちら

中学校の配属将校は、絶対に服従させようとするために
まず身体の大きい生徒たちを理由もなく鉄の棒で殴りつけたのだそうです。
主人は中学時代、身体が小さかったのでなんとか免れることができたとのこと。
戦後、当然のことながらその将校は追いかけられたそうです。

配属将校で検索してみたら次のような体験が見つかりました。→こちら

勉強が封じられた上に、日常的に理不尽な暴力にさらされる中学時代であったようです。



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思い出すことなど

2014-04-06 11:50:10 | 藤村瞬一
昨年の11月から12月にかけて主人は入院して検査を受けておりました。
入院前から出ていた認知症のような状態は、低ナトリウム血症のためとのことでした。
低ナトリウム血症とは こちら 大量の尿が出ていたことが思い当ります。

入院中、できるだけ認知症をくい止めたいという思いからいろいろと話を聞き出していたんですが・・・・・

盛んに非常勤講師の口がないか、というので
85歳になっているのだからそんな働き口を考えなくてもいいでしょ
といったやり取りを繰り返しておりました。

よく考えてみると、そのとき主人は定年間近の60歳代後半であると思っていたようなのです。

私は自分の高校での非常勤講師の体験から、高齢の男性の先生方が頑固で耳が遠くなっていて
生徒の声が聞こえず、一方的に叱っていた姿を見ておりましたので
主人が68歳の定年後に働くことには反対でした。
68歳まで働ける職場にいただけでもありがたいことでした。

実際、主人は定年後の働き口を探すこともなく、主人の潔さをずっと評価していたのです。

ところが、入院中の主人とのやりとりから主人はずっと気になっていたのだと
いうことがわかりました。
確かに、そのころ息子たちは大学生であり、まだまだ学費が必要でした。

私は自分の仕事に精を出すことになって、主人の気持ちなど考えもしなかったことを
そのときに初めて気づいたのです。

主人が定年後に働くのは全く望んでいなかった、
私が自分の仕事に夢中になる期間ができてよかった
とはっきり伝えておけばよかったのだ、と思いました。

それぐらいは伝わっているはず
と思うのはまちがいでした。

寝たきりになったベッドで仕事をしなくて大丈夫かと繰り返す主人に
申し訳なく思いました。


男女同権ということと長く結婚生活を続けることは矛盾だらけのようなところがありますね。
しかし、矛盾に苦しむということもまた人生には必要なのではないでしょうか。

夫婦間で考えをしっかり伝えて話し合う、ということは男女同権の第一歩だと思います。



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葬式 我が家の場合 〔4〕

2014-03-25 18:55:50 | 藤村瞬一
所沢市の火葬場は こちら

自宅から所沢市の火葬場まで
ワゴン型の霊柩車に1人、 予約したタクシー3台に3人ずつ乗ることにしました。

霊柩車の運転手の方がやはり奥様を亡くされたときのお話をされて
いました。手術後急変して亡くなったのだとか。

配偶者が亡くなるということはかなりこたえるものと聞いていましたが
いっぽうではあちこちでその話を聞いてほしい、という面があります。

話すことで気持ちの整理をつける、といったことなのでしょう。
これは災害で被災した方たちも同じなのではないでしょうか。

私の場合もあちこちで話を聞いてもらい、さらにこうしてブログで書きこんでいます。
話を聞くというボランティアは大事ですね。→ こちら


所沢市民の場合、火葬場と待合室の料金は(5000円+2000円=)7000円で心付も必要がないとのこと。
これはたいへんありがたいことだと思います。

お昼だったのですが、後の食事を考えて、待合室でお嫁さんに用意してもらったお菓子とお茶で
主人の思い出などを聞いていただきました。

大きな骨壺が用意されていてそれぞれ大きな骨から箸で拾って入れていきましたが、
主人の骨はしっかりしているとかで、係の方に何度も押し込んでいただくことになりました。


一般的には、この後、家に帰って、親族一同で仕出しの御膳での食事ということのようですが
寒い時期でもあり、主人との思い出があれこれある掬水亭での食事をすることにしました。

平日だったので、所沢市の斎場に掬水亭の送迎バスをお願いできました。

お店によっては、お骨と一緒の入店は断られることもあるとのことですが
個室での予約なので大丈夫でした。掬水亭については こちら

また、陰膳を用意してもらえたので良かったと思います。
お天気がいまいちでしたが、笑顔の写真が喜んでいるように感じられました。

我が家では、たまたま2人のお嫁さんの実家が川越と入間ということで
葬儀には出席をお願いし易いということがありました。
いざという時には心強い気がしております。

帰宅後、お骨のための祭壇が用意されていました。


多くの方に助けてもらっての葬儀が無事終わりました。


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葬式 我が家の場合 〔3〕

2014-03-20 16:55:00 | 藤村瞬一
自宅の主人のベッドが置いてあった部屋に、このような祭壇ができました。


自宅での葬儀を考える方も多くなってくるとすれば、もう少し小さめの祭壇が望ましいと思います。
時間の余裕がけっこうあったので、自然な表情の写真を選ぶことができました。

密葬前日には多くの方にお参りいただきました。
お隣の方は足が不自由になられていましたが、お参りしていただくことができて
よかったと思います。
また、息子の小学校時代の友人たちにも何人か来ていただきました。

葬儀当日は朝から雨がぱらついていました。
集まったのは息子夫婦2組、お嫁さんのご両親2組、私の弟、私を合わせてちょうど10人でした。

中氷川神社から若い神主の方がみえて40分ほどの神葬祭が行われました。

耳が遠くなっていたので若い朗々とした声での祭詞に満足している
それとも照れていた、どちらだったんでしょうか。

お昼の12時に棺が家から運び出されました。ちょうど雨が上がっていてほっとしました。
主人は想像力があるほうだったせいか、ずっと以前から棺の運び手を気にしておりました。
確かに高齢化社会では、親族でも体力的に無理であったりします。
息子2人と葬儀社の方、運転手の方で無事運び出すことになりました。
ご近所の方たちにお見送りをいただいて感謝しております。


息子たちもご近所方たちから声を掛けていただいておりました。
子どもの頃をよく知っている方たちです。

葬儀というものは、地域のつながりを再構築する働きがあるのかもしれません。


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葬式 我が家の場合 〔2〕

2014-03-10 20:32:55 | 藤村瞬一
葬儀社は、主人に生前から了解をとっておりましたところで
所沢市山口にある、会心というところにお願いいたしました。 → こちら 

自宅で1日葬の10名程度の密葬という形をお願いしました。

2月22日に亡くなって、26日祭壇の設置ということで準備の時間がけっこうありました。
 

お知らせや主人の略歴などをつくったりして、また二男夫婦が部屋の片づけや掃除をしてくれました。

本棚の移動は無理なのでまわりに白い幕を張ってもらいました。

27日の1日だけの葬儀なのですが、前日の祭壇の設置の済んだ夕方に
ご近所の方とまちづくりの方にお知らせしてお別れをしていただきました。

祭壇と神主さんの立つスペースでほぼ部屋の半分を占めることになりましたが
座るのは苦手なので折りたたみ椅子をお願いし、なんとか10脚が並びました。


いわゆるマナーの本をあれこれ購入していましたが
不合理と感じる部分は参考にしませんでした。

天候不順の折、布製の靴とかバックとか無理だと思います。
場合によっては外で待つということもありますし。

今のマナーといっても昭和30年代後半もしくは40年代からのことで
それ以前は地方だったからか間に合わせの部分が多かったと記憶しております。

例えば子どもの私が見聞きした葬式では、親族の女性の喪服は着物でなければならないといって
貸衣装屋さんから借りて違う紋のままだったりしていました。
あるいは、義理だけは欠くなといって多額の香典を借金して用意する人たちがいたりしました。


マナーの本では、パンツスーツは避けるべきとありますが
高齢化社会となって、葬儀場では温かいところばかりではないので健康上からもパンツスーツは推奨すべきと思います。

コート着用は失礼だとのことですが、寒いところでは着用するべきではないでしょうか。
それも無理をして黒のコートでなくてもよいと思います。

遠路出かける場合では、地味目の服装で構わないと思ったりします。
主人の母の葬儀のとき、普通のスーツを着ていた80歳代の方がいて見習いたいと
思ったほどです。

喪服用の黒服は、オールシーズン対応だったりするので
極端に暑かったり寒かったりする日ではたいへんです。

また、ホールを借りる場合には、椅子席が足りず、かなりの高齢者が
長時間立っている、というケースがありました。


縁のある方の葬式に無理なく出て見送る、そういう形が望ましいのではないでしょうか。


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葬式 我が家の場合 〔1〕

2014-03-06 07:13:33 | 藤村瞬一
葬儀のために遠路出かけてもらうのは主人は好みませんでした。
残された住所録には、赤いシールはすぐ連絡 黄色いシールはのちに連絡
というふうに分類されています。

30年暮らしたニュータウンで顔なじみの方が多いということもあり
ご近所の方とボランティアでお世話になった方だけに以下のようなお知らせをしました。



皆様

この所沢で幾日もの雪片づけをするとは思ってもみませんでしたが
少しずつ春が感じられるこのごろでございます。

12月中旬から自宅にて療養中の夫 藤村瞬一 が2月22日に逝去いたしました。
ここに生前賜りましたご厚情を感謝し、謹んでお知らせいたします。

なお葬儀は神式により
通夜祭のない1日祭として、
2月27日親族のみによる密葬を午前11時から12時まで執り行い、
出棺は12時の予定にしております。

なお26日午後4時から7時まで
お時間がありましたらお別れにお出かけいただければと存じます。
どうぞ平服でお願いいたします。
ご香典お供物などは固く辞退申し上げますのでよろしくお願い申し上げます。
また、こちらも接待の準備はいたしませんのでどうか失礼をお許しください。

30年もの間、この椿峰の住民としてお世話いただきながらあまりお役に立てなかった主人でしたが、
もしかしたら、介護と葬儀のご参考の1つとして役立てていただけるかもしれません。

日ごとに弱っていましたが、点滴などせずに訪問看護と訪問医療を受け
スタッフの皆さんにも私にも「ありがとう」と毎回いうことができました。
椿峰ニュータウンは主人にとってたいへん気に入ったところでありました。

ほんとうにありがとうございました。

                      
                             



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ぶきっちょさんの在宅介護〔13〕

2014-03-05 06:46:40 | 藤村瞬一
過去の記事と重複しているあれこれが多くて申し訳ありません。

介護用のベッドは、腰痛予防のため上下に動くものが望ましいと思います。
また、病院でもそうでしたが、170センチの主人でもベッドの長さが足りないように
感じました。足が出て冷えるといったことがあります。

日本の住宅事情のため、ベッドが使えなかったりする場合は長期の在宅介護は
無理ではないでしょうか。
寝具についても配慮が必要だと思います。


痩せて骨が浮き上がってくるようになって、かかとなどの痛みを訴えました。
バスタオルを巻いたものを組み合わせてかかとを浮かすようにしたところ治りました。

看護師さんから胃からの吐血に注意が必要といわれていましたが、
毎食ビールをコップ3センチほど、お酒を夕食時に盃2杯程度を飲んでいました。
在宅介護でのホスピスのあり方のご参考までに。

柔らかいハムやロ-ストビーフ、カツオのたたきが食べられました。
主人は入れ歯をしておりませんでした。
親類の者が入れ歯がのどに詰まって亡くなったということがあったのだそうです。

こちらの料理を喜んでおりました。
カキのソテー → こちら
豚ひれ肉のピカタ → こちら

圧力鍋でかたまり肉を柔らかく煮たものをよく食べました。


お昼にはワンタンやあんまん、おはぎといったものも食べました。

とはいえ、せっかくあれこれ材料を買ってきて時間をかけてつくっても
食べなかったりすることもありました。

ビスケットやせんべいと牛乳のほうがよい、ということも。

息子たちには、目新しい味のお弁当を買ってきてもらうこともありました。

病院で出されたきざみ食、ひき肉料理は好まないようでした。

在宅では、好きな時間に好きなものを食べられるということが何よりではないかと思います。

主人の場合は長くないことがわかっていたので、わがままに付き合うことができましたが
介護期間が長くなるとたいへんかもしれません。

介護者も一緒に食べられる症状に合わせたおいしい給食があればありがたいですね。



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ぶきっちょさんの在宅介護〔12〕

2014-03-04 18:13:50 | 藤村瞬一
忘れないうちにオムツに関して学んだことを書いておきたいと思います。

なかなかパソコンで調べるという時間がありませんでしたので
わかりやすいオムツの使い方を教えてくれるところが今ごろになって見つかったりします。→ こちら

紙オムツは驚くほど進化していました。
形から大きく分類して3つあります。

①オムツカバーに当たるもの  漏れを防ぐためギャザーを立てて使うようになっています。



②パンツ式のもの 伸縮式になっていてすぐ下ろせるようになっています。



③当てるだけのパット これは厚さ、幅が違うものがさまざまにあります。


男性の場合、三角に折って切り込みを入れ挟むようにして使うとこのパットだけの交換で済む場合があります。



夜間は初めのうちはオムツを取り換えていましたが、工夫して当てると
朝まで大丈夫だということがわかりました。

夜間は、①に③のパットをあてる+③を三角に折ったパット+③をお腹の上に横に置く の計4枚
で大丈夫でした。



日中はしだいにポータブルトイレや携帯用のし尿容器を使うことができるようになって、②で間に合いました。
また②の場合、細かいギャザーがかゆみを引き起こすことがありましたので、下着にパットということも
ありました。


オムツから漏れた場合、着替えだけではなく布団やシーツ類を替えることになるので
オムツの使い方は大事だと思います。

主人は幸い、腰を上げることができたのでオムツの交換はすばやくできました。
共同作業のような感じがしていたものです。

清拭のための洗剤の使い過ぎには注意が必要だと思いました。

また、認知症の症状と尿量は比例するようなところがありました。

主人の場合、血圧や血糖など薬は飲まなくなっていましたし、家では発熱することはありませんでした。
そのためかどうかわかりませんが、ぼんやりするということはなくなりました。

ただ便秘が気になっていて、溜まった堅い便が肛門の内側から押すとのことで
マグネシウム製剤を飲み、看護師さんに摘便をしてもらっておりました。

最期のあたりでは私も下手ながら摘便をして親指の先の大きさのものを5、6個取り出しました。

その後、初めて下痢をしてそれがオムツのギャザーにしっかりと収まっていたのは
ありがたいことでした。

とはいえ、そういったオムツを処理するには慎重さが必要です。

古新聞や古いバスタオルなどの用意が欠かせません。

たんぱく質を食べたがり、炭水化物はそれほど食べなかったせいか、尿に比べて便の量は
少なく感じました。


便臭についての悩みを聞いておりましたが、思ったほどではありませんでした。

2月でしたが暖かい日は窓を開けて空気の入れ替えをしていました。


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ぶきっちょさんの在宅介護〔11〕

2014-03-02 20:00:29 | 藤村瞬一
11月初めに主人の体調が思わしくなく、急速に足が悪くなってしまいました。
近くの内科医院で検査をして帰ってから2階の自分の部屋でベッドからずり落ちて
しまうようになり、息子に来てもらいましたが階段を降ろすことはできそうもありませんでした。

そのころ、ベッドの上に敷いていた薄めの敷布団が尿でぐっしょりなるほどの失禁でまた認知症のような症状が出て
戸惑うばかりでした。
高齢者の大量の尿はよくあることのようです。

救急車で運ばれた所沢中央病院での検査で、低ナトリウム血症とのことでした。
塩を多めに振りかけて食べていたのはそういう理由だったのかもしれません。

さまざまな検査の後、肝臓に腫瘍があり、余命半年ぐらいとのこと。

主治医の先生、病院の相談員の方や看護師の方、ケアマネジャーの方と一緒に
今後の方針を考える時間を取っていただいて、在宅での介護を選びました。

延命治療はせず、またできるだけ薬は使わないで最期まで家で過ごすことを
訪問看護の方や訪問医療の長沢先生にお願い致しました。


2年ほど前に帯状疱疹で主人が苦しんでいたとき、ひどい薬疹と高熱を出したことが
あって、薬を受け付けられないほど肝臓あたりが弱っているとうすうす感じておりました。

病院で看護師さんや介護の方たちの熱心なお世話もあって元気を取り戻していましたが
寝たきりの症状のまま、退院のころも私や息子との会話がかみ合わないままでした。

多くの方たちに支えられての介護が始まってのあれこれは過去の記事の通りです。

年賀状はほとんど書けない状態でしたが、今年の手帳も買って細かい字も書けるように
回復しました。

何とか仮性認知症から回復することができたといえるかもしれません。
あれこれ調べながらのことでしたので、主人の例も参考にしていただければ幸いです。

(効果が感じられたもの)
・カレンダー、時計  ・季節がよくわかる窓 ・テレビ、新聞 ・鏡 
・会話、食事  ・きめの細かい体温調節 ・排泄処理の工夫
・ゆるやかで静かな時間 ・使いやすい筆記具(ボールペンや蛍光ペンなど色のあれこれあるもの)
・若い人たちによる入浴サービス
・看護師さんとの会話、体操指導

土曜日の大雪の日は訪問医療にあたっていて、家の前の道路は車が入れないほど雪が積もっていました。
家の前で雪かきをしていたら、長沢先生と看護師のYさんが遠くから歩いて来られるのが見えました。
車を途中で降りられたのだそうです。

主人もびっくりしておりました。ありがたいびっくり、というものはかなり効果的なのではないでしょうか。

例えばミキサーでつくるバナナとりんごのジュースも喜んでいましたが、しだいに
飲みにくさを訴えるようになり、声も次第に出にくくなっておりました。

2月19日あたりから腹痛を訴えて、胃腸性のカゼのような症状が出て21日夜から軽い嘔吐があり
22日の昼近く、最期は吐き出せず私ひとりが看取ることになりました。

まだ時間があると思っていたので残念でたまりません。




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