明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



琴の名人でもある琴高仙人は、龍を捕まえに行き、鯉に乗って水中より現れる。昔、佐久で食べて美味かったので検索してみると、活け鯉から活け締め、血抜した鯉も入手出来る。しかしどうも私の知る鯉と形が違い体高が高い。まあいずれにしても鯉は何とかなる。常に人物の表情優先ですでに鯉の向きなどすでに決まっている。 しかしやはり問題は蝦蟇仙人の蝦蟇蛙である。蛸もそうだが、生きたままでは厄介である。かといって、昔、残虐非道をし過ぎた。食べて成仏させるならともかくモチーフ的にも殺生は避けたい。合成するとなると、立体作品は展示出来ないが、蝦蟇蛙まで作るのならば展示が出来る。 調子良く、頭部が出来るのは良いが、少々走り過ぎなので、本日は敢えて作らず。



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世田谷文学館の館長に亀山郁夫さんが就任された。以前、新潮文庫のカバーをやらせていただいた。この時、以前から一度試みたい、と思っていたことを提案した。それは著者と、作中に投場する人物との共演である。 ドストエフスキーは実際の写真を見ると、大金をスって茫然としているかのように口が半開きで、気を確かに、とアンモニアを嗅がせ、若干文豪感を盛った。肖像画を見ると、画家達は皆私と同じことを考えたな、と思う。それと顎髭は、実際はこんな密でなく、ポヤポヤだが、粘土製の都合上濃くしたが、今なら毛を貼り付けただろう。 旅のイメージから、亀山さんには編集部に入手してもらった鞄に旅支度調で、新潮社内の窓際に立っていただいた。背景は渡辺温『赤い煙突』を流用した。病弱な少女がベッドから見える窓外の3本の煙突を、両親と自分に見立てて毎日眺める。それをロシアのイメージで寒々とした針葉樹林に変えた。ドストエフスキーの座る椅子の背もたれは、近所で朝定食を食べたついでに背もたれの角を撮らせてもらった。


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日本の七福神にあたるのが中国の八仙人だが、七福神はただノホホンと目出たいばかりで、仙人の怪奇性はない。鉄拐仙人は脚の悪い乞食の死体を借りて蘇るし、八仙人ではないが、蝦蟇蛙抱き抱える仙人もいる。仙人ではないが寒山拾得も同様に、爪は伸び放題、ボロを着て汚らしい。それは皆、超俗の境地を表しているところが肝心である。 母は幼い私に対し暗に“外の世界に興味がないという顔をしていてはいけない”と教えたのは、それでは世俗の世界を生き抜いていけない、という親心だったであろう。そしてあちら側の住民こそが、まさに寒山拾得や仙人達である。初めて買ってもらった大人向けの本、一休禅師を思い出し、唐突に作り始めたのも、正月に竹竿にしやれこべを掲げて京の町を歩く、子供の私を痺れさせた一休の超俗性であったろう。 私はここでこのモチーフを得て、すっかり子供の頃に戻った心持ちである。私の超俗世界の住民というモチーフの取り組みには、コロナ禍という状況が一役買っているのは間違いなく、いずれそれが判る時も来るだろう。



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今まで無表情な人物ばかり作って来たが、思い出してみても初個展から次の個展に二、三人いたかもしれないが、無表情な方が、見る人の想像力をもつて見て貰えることに早々に気付き、以来無表情一筋である。依頼仕事としては雑誌、単行本の表紙として植村直己、吉本興行の当時の大崎社長は笑って貰うほかはない。 そのくらい無表情な男専門の私であるが、今は一転、連日表情のある人物ばかり作っている。これはモチーフが現実とは異なるシチュエーションであることが影響しているが、江戸川乱歩いうところの”夜の夢こそまことを大幅に飛び越えてしまった。“個展40周年を前にして、モチーフと共に、初の試みとなるだろう。 本日、朝から作っていたのは、水中より鯉の背に乗って思い切りよく飛び出した人物である。鯉なら蝦蟇蛙と違って、長野は佐久辺りから取り寄せ、撮影後腹中に納め、ニッコリすることも可能であろう。

 

 



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子供の頃夢見た”何処かの王様に石の塔に幽閉され、算数、宿題しなくて良いから、ここで一生好きなことをしておれ、図書室の本は読み放題、クレヨン、鉛筆、画用紙、粘土も使い放題じゃ!“ なんてコロナが一役買って、近い状態である。何かを作るか本を読んでいれば、子供の頃から寂しいという気は全くしない。もっとも、蝦蟇仙人作って、撮影に本物の蝦蟇蛙使うとしたら触るの嫌だな、なんていっている人間が寂しいとしたら、それは何かの間違いであろう。 最近施設にいる母と会えずにいて、つくづく解ってきたのは、子供の私の将来を心配し、外側の世界に興味がない、という顔はしてはならない、ということを私がチック症になり、瞬きが止まらなくなるくらい口を酸っぱく伝えようとしたのだ、と思うのである。おかげで最低限の演技を身に付けることは出来た。しかしメッキは剥がれるもので、“外側なんかにレンズを向けず、眉間にレンズを当てる念写が理想”などど、口走る始末。だがしかし、親不孝といったところで、たかだか可愛らしいお人形作る程度のことであるし、ここまで来たら演技プランもクソもないぜ、と仙人作りながら思う私であった。



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昨日の蝦蟇仙人、後頭部にモジヤモジヤした毛を貼り付ける予定である。この蛙じみた仙人の顔は実はモデルがいる。今から20年以上前だろう。東京駅から発車した車中から見た、一車線置いた向かいのホームに立つ人達の二列目にオールバックの男を見た。人の隙間から見えたのは2秒位だったろう。妙な男が居る。いつか何かの機会にこの男の顔を使ってやろうと思ったが、ようやくその機会がやって来た訳である。勿論そのままではなく蛙が混ざってはいるけれど。そんな訳で、もし犯罪を犯そうと思ったなら、私に現場を見られない方が良さそうである。   まだ寒山拾得を手掛けるのは早い。もう少し、ランカークラスとの試合をこなしておきたい気がしている。しかし間違いなく射程圏内に入って来た。
 
 


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蝦蟇仙人に再び着手。一体目は予定と違って福々しく穏やかな表情になってしまって、これは何かのおりに他の場面に流用しようとキープ。 今回もアドリブで作るうち、フト犬は飼い主に似るだか、飼い主は犬に似るだか聞いたことがあるな、と思い付いて蝦蟇仙人を検索してみると古今の作品がいくらでも出てくるのだが、蝦蟇仙人だからといって、ことさら蝦蟇蛙みたいな仙人は見つからなかった。もっとも蝦蟇の化け物や生まれ変わりではないので当然ではある。しかしそれならば、と私の蝦蟇仙人は蝦蟇蛙じみた人物に決め方向転換。 それにしても一から作家を作った場合、年に六体がせいぜいであり、そのうち頭部の制作に七割近い時間がかかっていた。それを思うと、長いお務めを果たし、娑婆に放たれ暴れまわる菅原文太の如き勢いである。当たるを幸いも良いところで、陶淵明に一休さん~挙げ句に蝦蟇仙人という始末である。しかし頭では何をやっている、と呆れながら、生き物としての私の判断はいつも通り正しいようである。暴走しているようで、そのせいで寒山と拾得の背中が見えてきた気がするからである。しかしまだ寒山と拾得には取りかかるな。理由は知らないが、へそ下三寸の私がそういっている。



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常に頭部が出来れば出来たも同然といっているが、その頭部がすでに六体分に達した。ほとんどが架空の人物とはいえ、こんなことは初めてである。 寒山拾得をどうすれば良いか、水槽の金魚を眺めているうちに何か浮かぶだろう、と思っていたら、最初に作ったのが、予定にも何もなかった『虎渓三笑図』の笑う三人である。すでに何でこうなったか忘れており、そのうちブログを読み返して見るしかないが、返す刀でおそらく前の週には考えもしなかったであろう鉄拐仙人がほっぺた膨らませ、口から己の魂、分身を吹き出している所を作り、ブレーキの壊れた暴走車のように、今度はシヤレコウベを竹竿に掲げ正月の京の町を歩く所を作ろうと一休宗純の頭部を作り始め。行き当たりばったりもここに極まって来たが、経験上、へそ下三寸辺りの衝動に任せた方が結果は必ず良く、最終的に辻褄が合うことも知っている。寒山拾得とは何か。当初の問題は、考えていたって意味がなかった。それが寒山拾得である。そして当たるを幸いムラッと来るモチーフに手を出してみて、おそらく寒山拾得も面白そうに見えたのだろう。それで良いのだ。



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砂町銀座で百円でパクチーを売っていた。長くはもたないので、何にでも放り込んでいる。煮玉子と塩らっきょうも買う。らっきょうは刻んでチャーハンに入れたりもする。 蝦蟇仙人の蝦蟇は三本脚で、金運を呼ぶということになっているらしい。白い蝦蟇も散見するが理由が判らない。私が判ることといえば中国の顔輝がそう描いたから、ということくらいで、もっと昔は蛙ではなく女仙人だったという説もある。しかし以降の絵師が影響を受けたように、肩に担いでいたり、一本しかない後ろ足で踊っていたり、まことに顔輝の作り出した(と思われる)イメージは面白い。 寒山拾得他、今回手掛けよう、としているモチーフは、実在者を手掛けていた時と違い、何故こうしている?本当はどうだった?などということは全く考えず、これが伝統、歴史である、とばかりに先達の奇想に乗っかり、巨大な蝦蟇蛙を肩に担いだ妙な男を嬉々として作れる訳である。 



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久しぶりに根を詰めたせいで、二日ほど寝てばかりいた。年を取るとはこういうことをいうのであろう。まあ出来た作品さえ良ければ問題はない。何かを得るには何かを差し出さなければならないのは当然である。    蝦蟇仙人の頭部に着手したものの、架空の人物の場合、行き当たりばったりで、なんだか予定より福々しく穏やかな表情になってしまい、布袋さんならともかく。まあこれはこれで、笑顔の人物を数体しか作ったことがないので、別のモチーフに、とこのままキープしておくことにした。これで『虎渓三笑図』用と合わせて、笑顔が四人に達し、おそらく今まで作った笑顔と同数位だろう。私が最近手掛けているモチーフは、元々吉兆を表していることが多く 、長寿を象徴した髭の伸びた老人、丸々と太った子供や仙人が描かれるのであろう。それにしても長い間、実在した人物で修行?したせいか、架空の人物は、全く淀みなく制作が進む。これも随分様々な物を差し出して来た賜物であろう。



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私が良く使う手に、本物を使えば良い所を作ったり、作れば良い物をわざわざ本物を使ったりする。私なりの写真用幻惑術?の一つである。ホントのことはどうでも良いし、そもそも創作物なのだからウソも何もない。蝦蟇仙人のガマ蛙は、当たり前のように本物を使うつもりでいたが、円谷英二と葛飾北斎には、前日活け締めされた蛸を瀬戸内海から取り寄せたが、蝦蟇蛙も、動き回られたらかなわないので締めることになるが、撮影後食う訳にもいかない。そういえば、蛙を平気で触っていた子供の頃の記憶で、蛙の腹を撫でると、麻酔がかかったようにダラリとなったような記憶があるのだが、ポーズをとらせているうちに我にかえって暴れ出すだろう。あの頃の幼馴染みを連れて来て、撮影の間、蛙を持っていて貰う手もあるだろうが、私と同様、あの頃、蛙、ザリガニ、虫その他の者共に、あらゆる残酷非道なことを繰り返したせいで、特に蛙は今は触るのも嫌になっているに違いないのである。”悪いことは大人になる前に、なるべく早めに済ませておくべきである“というのを本日の結論としておく。


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ある作家作品をこうなりました、とある方にお見せしたら“胸に迫る力と深いユーモアがあります。”といっていただいた。考えて見ると、男達が生きると、宿命的に醸すことになる可笑し味に、幼い時にすでに気が付いていた気がする。もっとも私がいくら生意気であっても、ある種の気配であって、可笑し味とは感じていなかったが。これは男性特有のものであり、女性には感じられない。宿命的に醸す類いの滲み出る可笑しさでないと安心して笑うことなど出来ない。  頭部がすでに出来ている李鉄拐(りてっかい)こと鉄拐仙人は、口から己の分身、魂を吐き出し、老師に会いに行く。七日経って戻らなければ身体を焼くように弟子に命じる。ところが弟子の母親が危篤になり、六日目に焼いて、母の元に帰ってしまう。戻って来た鉄拐は、仕方がないので傍らにあった脚の悪い乞食の死体に入って蘇る。鉄拐とは鉄の杖のことをいう。私には私が手掛けるべき可笑しな話だ、と思えるのである。いずれその反対側には蝦蟇を操る蝦蟇仙人が来る予定である。昨年末は寒山拾得をどうすれば良いのか?金魚を眺めて待とう、と思っていたが、まさか蝦蟇仙人、一休禅師まで作っているとは。一寸先はなんとやらである。



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鉄拐仙人と蝦蟇仙人がペアで描かれるようになったのは、どうやら中国の顔輝がそう描いたかららしい。理由は不明とされている。面白いのは、以降の中国、日本の絵師達が、先達の何処をコピーしたかによって、その絵師達それぞれの思い、また特徴が現れることである。私も千年単位の絵師達の末席に、どさくさに紛れて座ろう、と企んでいる訳で、そういう目で見て、絵師各々の目論見も見えてくる。私にとっても、この部分は伝統に準じた方が面白い、なんて部分がある。 昨日550円で落札した掛け軸鉄拐仙人も、その眉間にシワ寄せほっぺた膨らませた横顔は、顔輝の鉄拐に準じている。それはユニークな絵師雪村でさえ鉄拐の横顔は顔輝調である。しかし私はというと、せっかく実在者のカセが外れたばかりである。姿形は好き勝手にやらせて貰いたい。    本日は蝦蟇仙人の頭部に取りかかろうと思ったが、締め切り前の作家二人の画像の微調整に一日費やしてしまった。投函前のラブレターも、あまり躊躇してはならないが、結果的には正解であった。



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ラブレターは即投函せず、一晩寝て頭を冷やすべきである。見直して見ると、ここはこうした方がよかつた、というところが出てくる。二点で迷っている。締め切りまで日があるので迷うことにする。 これでまた仙人な日々に戻ろう。おおよそ頭部が出来ている鉄拐仙人、に続き蝦蟇(がま) 仙人こと劉海蟾(りゅうかいせん)の頭部にかかろうか、と思っていたらヤフオクで鉄拐仙人の掛け軸を550円で落札した。ウォッチリストも私だけ。中国の作だと思われるが、出品者が何も判っていないリサイクル業者で、こんなのが一番良い。どうやらクロネコの経営するリサイクルショップらしい。蝦蟇仙人の頭部が出来たら、そろそろ虎に乗る豊干禅師に行くか。せいぜい自分を焦らしながら、良きところで、やおら襲いかかるように、個展タイトルになるであろう寒山と拾得を作るか。私は何をいっているのであろうか?”何故だか一休宗純の頭部もすでに出来ている。何処へ行くのかは、行けば判るさ、と誰かがいっているが、そんなことはいわれなくても知っている。下手な頭さえ使わず衝動に従っていれば道は外すことはない。



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