明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



仙人をあと二人ぐらいは、と思うのだが、これぞというターゲットが見つからない。その間、出来ている頭部の仕上げを進める。禅宗には、高僧を絵画や像として残す習慣があったようで、そのため後年想像を交え描かれた物と違いリアルな肖像が残されている。一休宗純もその一人で、有名な、ジロリとこちらを見る肖像画は、肖像画の傑作鏑木清方の『三遊亭圓朝像』に匹敵するだろう。同時にもう少し後年を描いているのか、いくらか歳を経たような木像があり、現在は痕跡しかないが、髭や髪など、本人の物を植えていたそうである。私も当然この二点を参考にする訳だが、年齢も違い、その違い見比べながら落としどころを模索している。 この一休は、竹竿にシヤレコウベ掲げて立つ姿しか予定していない。日本画のような無背景を考えているが、余裕があれば京都の街を背景に、というのも考えても良いだろう。小学4年頃、伝記を読んで私の頭に浮かんだ一休が目の前に現れる訳である。「あの時頭の中に在ったのはこれだよな?」



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