明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 




ある作家作品をこうなりました、とある方にお見せしたら“胸に迫る力と深いユーモアがあります。”といっていただいた。考えて見ると、男達が生きると、宿命的に醸すことになる可笑し味に、幼い時にすでに気が付いていた気がする。もっとも私がいくら生意気であっても、ある種の気配であって、可笑し味とは感じていなかったが。これは男性特有のものであり、女性には感じられない。宿命的に醸す類いの滲み出る可笑しさでないと安心して笑うことなど出来ない。  頭部がすでに出来ている李鉄拐(りてっかい)こと鉄拐仙人は、口から己の分身、魂を吐き出し、老師に会いに行く。七日経って戻らなければ身体を焼くように弟子に命じる。ところが弟子の母親が危篤になり、六日目に焼いて、母の元に帰ってしまう。戻って来た鉄拐は、仕方がないので傍らにあった脚の悪い乞食の死体に入って蘇る。鉄拐とは鉄の杖のことをいう。私には私が手掛けるべき可笑しな話だ、と思えるのである。いずれその反対側には蝦蟇を操る蝦蟇仙人が来る予定である。昨年末は寒山拾得をどうすれば良いのか?金魚を眺めて待とう、と思っていたが、まさか蝦蟇仙人、一休禅師まで作っているとは。一寸先はなんとやらである。



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