常に頭部が出来れば出来たも同然といっているが、その頭部がすでに六体分に達した。ほとんどが架空の人物とはいえ、こんなことは初めてである。 寒山拾得をどうすれば良いか、水槽の金魚を眺めているうちに何か浮かぶだろう、と思っていたら、最初に作ったのが、予定にも何もなかった『虎渓三笑図』の笑う三人である。すでに何でこうなったか忘れており、そのうちブログを読み返して見るしかないが、返す刀でおそらく前の週には考えもしなかったであろう鉄拐仙人がほっぺた膨らませ、口から己の魂、分身を吹き出している所を作り、ブレーキの壊れた暴走車のように、今度はシヤレコウベを竹竿に掲げ正月の京の町を歩く所を作ろうと一休宗純の頭部を作り始め。行き当たりばったりもここに極まって来たが、経験上、へそ下三寸辺りの衝動に任せた方が結果は必ず良く、最終的に辻褄が合うことも知っている。寒山拾得とは何か。当初の問題は、考えていたって意味がなかった。それが寒山拾得である。そして当たるを幸いムラッと来るモチーフに手を出してみて、おそらく寒山拾得も面白そうに見えたのだろう。それで良いのだ。