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明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



幼い頃頭に浮かんだイメージはどこに消えていってしまうんだろうと思った。本当に在るのに。しかしレンズを外側に向ける外の世界専用ツールであるカメラでは、せいぜいやれるのは仮託したり比喩的な表現である。なので眉間に直接レンズを当てる念写が理想と長年標榜してきた。建長寺で蘭渓道隆のプリントが風になびいた時、自分の中に本当に在ったことを証明したな、と開山蘭渓道隆にいわれたように思えた。京都大徳寺の大燈国師が五条橋で物乞いの中に紛れている様子も、私の中に本当に在ることを確認したい。 臨済宗中興の祖白隠禅師の『乞食大燈図』に挑戦する、なんてことは禅の修行をしていない私だからいえるのだろう。ただ崇めていたらそれまでだ、と大谷翔平もいっている。建長寺以後、連日うなされ続けた経験も無駄にはしない。



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