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明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



猪の子供を瓜坊というが、やはりストライプがあった方が瓜っぽいだろう。大燈国師の好物の真桑瓜にスイカっぽく入れる。 昨年まで7、8年被写体から陰影を排除する手法を用いていたが、陰影が描かれることがなかった鎌倉室町時代の人物には、むしろ陰影を与えるべきだ、と今年に入って6月の建長寺の展示に向け撮り直した。 一説によると、日本人が初めて陰影を描いたのは水面に映る影を描いた英一蝶といわれているが、私は小3の時、図工の時間に水面に映るボートの影を描いたら、なんでこんなもの描いた、と私の絵を常々子供の絵じゃない、といっていた学年主任に問い詰められた。こんな目にあうのも子供だからだ。しかしグレることなく真っ直ぐに育った結果、ホームレス姿の京都大徳寺の開山様、大燈国師を作っているのであった。


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夜中に地球上でこんな物を作っているのは私だけだろう、という甘美な孤独感は何物にも代え難い。『乞食大燈像』の立体の作例は今までないのでは、と伺ったが、未踏のモチーフの宝庫である。 そもそも頭の中にあるイメージはどこへ消えて行ってしまうのだろう?という幼い頃の疑問に対し、それを頭から取り出し可視化し〝やっぱり在った“と確認することに、結局一生を費やすことになった。その代わり一度結果を確認し目的を果たしたものに対して実に冷たく、くるりと背中を向けタバコを一服、もう帰っていいよ。という有様で、年月と共に制作したデータはだいぶ失われてしまった。 とりあえず朝起きて顔を洗う前にまず眺め、食事も眺めながら、そして後ろ髪を引かれながら就寝。この状態が最もストレスのない状態で、気分転換など全くしたくない。今は『乞食大燈像』と蜜月状態である。



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最近は、展示前提に人物像を制作しているので、仕上げも地味に進めている。着彩のことも考える。マクワウリは様々な種類があり、室町時代はどうだったのかは判らないが、よく見る真っ黄色のものより、ちょっとスイカじみた物の方が原種に近いっぽく?見えそうである。とりあえず1作目の『乞食大燈像』は、そんな大燈国師に憧れ影響を受けた、一休宗純の竹竿に骸骨の『初鴉』と並べてみたい。撮影が終わったら髭を取り除き頭部を元に戻し、正装姿の大燈国師も作りたい。来年橋の下での『大燈雨宿り図』を制作することになれば、再び髭を生やせば良い。 いずれ大燈国師を含め、一休宗純を軸として脱俗超凡の世界の住人として寒山拾得などで個展を考えてみたい。



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手にマクワウリや托鉢の鉢、腰に瓢箪、背中には巻いたゴザを背負っているので仕上げの後、個々の着彩を済ませ、装着して完成ということになる。臨済宗中興の祖に対抗するつもりなどないが、白隠禅師の『乞食大燈像』とはまったく趣の異なるものとなった。 ここのところ作るものがことごとくターニングポイントにあるように思えてしまうが、性能が今一つの頭さえ使わなければ道を外すことはない。逆にいえば行先が見えないといえるが、先が見えるようではむしろ困るのである。 白隠禅師へのオマージュという意味もあり『乞食大燈像』としたいところだが、ある老師のユーチューブの法話を拝見していたら乞食は避けていたので、昨今はまずいのだろう。であるなら『真桑瓜と大燈国師』とでもしておこうか。



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好きな物を作っていようと、結局あれを作れば良かった、これも、と死の床で苦しむに決まっている。という思いを長年抱き続けたが、その原因は小四で読んだ『一休禅師』の “門松は冥土の旅の一里塚〜“だったと気付いたのは、まさに竹竿に骸骨の一休を作っていた昨年だった。『一休禅師』を読んだってわかる訳がない、と止めたことを覚えていた母は、昨年暮れの27日に穏やかな顔で死ぬなんて大したことはない、というメッセージを残して亡くなった。その2週間後その後もう一回、冠動脈の手術を経験した頃には死の床で〜という思いは雲散霧消。6月に建長寺での個展を終え、一休つながりで大燈国師を作り、とどのつまりは脱俗超凡の世界だと。間違いなくシナリオライターはいる。それはおそらく外側ではなく臍下三寸、丹田あたりに居る。

 



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昨年暮れに亡くなった母は、私がチック症になるほどうるさかった。父が脱サラし、共働きとなり目が届かないことにも気を揉んでいた。学校に相談し、授業中連れ出され妙な施設に行き、様々なテストをされたり。しかしこれは治る類いのものではないと悟ったか、後には応援してくれるようになった。私は母が世間に迷惑をかけるような人間になることを心配していたとずっと思い込んでいた。そんなはずないのに。しかし母が心配していたのは、そんなことではなく、始業のチャイムが鳴っても図書室から出て来ず〝王様に石の塔に幽閉され、算数宿題しないで良いから、ここで一生好きなことだけやっておれ“なんて夢見るようなところだったのではないか?挙句に作りたいのは〝脱俗超凡の世界の住人だ“などとぬかしながら『乞食大燈』を作っている。 


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どこかの王様に石の塔に幽閉され「宿題や算数なんてやらなくて良いから、ここで好きなことだけやっておれ。クレヨン絵の具鉛筆画用紙は使い放題、図書室の本は読み放題じゃ。」なんていうのを夢見た幼い私だったが。 22年、初個展から40周年の『Don’t Think, Feel!寒山拾得展』(ふげん社)はコロナ禍により石の塔から出ないことを推奨された状態で制作した。 以降、もう実在した人物から脚を洗い。架空の人物で行くつもりでいたが、建長寺の開山蘭渓道隆を知り、生前描かれた頂相を元に作品化し、6月建長寺龍王殿での個展となった。その流れから、大徳寺の開山大燈国師を作っており、臨済宗高僧シリーズ 制作中の趣だが、実のところ、寒山拾得や仙人を作りたい、と思ったのは、その脱俗超凡の姿ではなかったか?悟りを開いてなお物乞いと共に五条橋の橋の下で20年修行した大燈国師のまさに脱俗超凡の姿を作っていて、ハッキリ思い出している。

 



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ラブレターは一夜明けてから投函せよ、といったのは酔っ払った二十代の私である。昨晩生やした大燈国師の髭が整い過ぎている。不揃いで手入れがされていない感じに修正した。禅宗の僧侶はいかなる状況であっても身だしなみは、といわれてしまうのではないか、と躊躇してしまうところであるが、臨済宗中興の祖、白隠禅師が、かなり汚い『乞食大燈像』を描いている。それに小四で読んだ『一休禅師』がやたらと汚いイメージが残っており、人形を窓際に置いて本当のチリホコリをためて撮影したが、それも元はといえば一休が尊敬する大燈国師の橋下で20年の修業が由来となっているのではないか。髪や爪が伸び放題である寒山拾得は脱俗超凡の境地として描かれてきた、久しぶりに寒山拾得を手がけてみたい気がする。



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背中に背負う巻いたムシロを作る。ザンバラにしたムシロで、橋の下居住者的雰囲気が出る。右手には托鉢用の鉢を持たせるので二個のマクワウリをツルがついたまま手にかけることにした。右手は白隠の『乞食大燈像』の印を結んだ手を参考にした。剥がして元に戻しやすいように下地を塗った上に顎髭を生やした。なるべく手入れがされていない生やしっ放しの感じで。髭により丸々とした顔の輪郭が隠れ痩せて見え、雰囲気が変わってしまうが若い時代ということで、かえって良いかもしれない。特徴的な尖った頭頂部だけでも隠さないよう頭髪はなしで。

 

 



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一日  


乞食(コツジキ)修行中だというのに晩年描かれた頂相のまま肥満体で作ることにしたら、好物のマクワウリを持っている割に、なかなかの貫禄に見える。脚が悪かった国師は、坐禅をするため自ら脚を折り、その時の血のついた法衣が残されているとか。実話とは思わないが、激しい人物ではあったのだろう。 未だ被写体を作っている段階である。しかもこれぞ。という1カットで終わることが多い。写真に全く興味なかった工芸学校時代、カメラマン志望の友人が、酔って「お前みたいな雑な奴が良い器なんか作れる訳がないだろ」というから「あの娘は元々可愛いし、あの山だってお前が雄大にした訳じゃないだろ!」といったバチが当たって人物どころか中国の深山風景まで作る羽目に。彼の預言は見事に当たったが、カメラマンにはならず、私は何十回と写真展を開いている。



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手に托鉢の鉢とマクワウリを持たせるものの、作ったところが隠れるのが嫌で、白隠の作と違い、コモやムシロ、頭の笠も被せず、巻いたムシロを背負うだけで少々寂しいので、腰に水筒である瓢箪をぶら下げることにした。真桑瓜を作ることにする。持たせる右手には、すでに鉢を持っているので、ツル付きでぶら下げることにしたい。今回実物を使わないのは、枝葉付きのものなど売っていないからで、展示のことを考えれば、いずれは作ることになる。 流れとしては次は坐禅姿を、というところだが、蘭渓道隆は中国は天童山の山中という設定だったし、無学祖元は蒙古兵に剣を向けられたり、伝説通りに袖から龍、膝の上には鳩、さらに白鹿を配したので、ただ坐禅では物足りない。かといって花園上皇と対座させるとなるとあまりに大事である。



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大燈国師のおおよその感じが形になりつつある。新作が良く見えるのは、目が慣れていないせいだ、という気がしないではないが、見たいと思っていたものが、目の前に立ち現れる、これ以上の醍醐味はない。ムシロを巻いたり外したりしているが、やはり作ったところが隠れてしまうのでムシロで覆わずに、巻いた物を背負わせることにした。 膝から下はまだない。前面だけ作って後から後ろ部分を作ったり、人像の作り方など知らずにひどい作り方をしていた頃の名残だが、撮影者も自分なので、納期の問題その他で、写る部分しか作らない場合に役に立った。後から何も作っていない背面を作り足しても全く問題が起きない。独自過ぎてあまり自慢にならない特技である。



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竹竿に骸骨の一休禅師を作った時、完成前に、その晩骸骨を枕に酔い潰れている場面を思い付いてしまった。まさに風狂僧だ、と。目を瞑らせるのに、竹竿に骸骨を完成させ、撮影してからにすれば良いものを、これが我慢できず、目を粘土で瞑らせてしまい、当然後で目を元に戻すのに厄介なことになった。制作中の大燈国師は、乞食修行中なので髭を生やさなければならない。一休の轍を踏まないよう、粘土の髭が簡単に取れるよう、下地に防護塗装をした。あらためて生やすのは簡単である。 草履か草鞋を考えていたが、鹿児島の昭和20年代生まれの知り合いの小学校入学式の写真が裸足だったのを思い出し裸足でもいいかな、と。

 

 

 

 

 



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先日アマゾンで粘土をチェックしたら一週間かかるという。この際粘土があると、部屋を片付けないから、我慢することにした。しかしイライラして結局は部屋の片付け遅々として進まず。幼稚園児の時、絵を描くために台風の中マンホールの蓋の東京都のマークを見に行った私である。何をやってもグズグズしているのに、唯一作ることだけ極度なせっかちに変身する。 そんな私の悪癖に、作りたいのに、わざと他のことをして自分を焦らして創作の快楽をより昂めよう、というのがあるが、粘土がないのだからどうしようもない。これが弓の引き絞り効果となり、集注力いやが上にも昂まり、完成が予定よ早まるだろう。こんなドタバタも、私は白隠禅師以外の『乞食大燈像』を見るのは初めてだからである。

 



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部屋を片付けるためには粘土を入手したら間違いなく大燈国師の制作を始めてしまうので注文をしないつもりが、数個出て来てしまった。白隠禅師作『乞食大燈像』同様、ムシロの様なものを背中から身体を覆う様に考えていたが、作った部分が隠れてしまう。網代笠を頭に、とも考えたが、これまた特徴的な頭頂部が隠れる。 昔フリーペーパーの表紙で九代目團十郎を作った。歌舞伎座の改修が始まるし、タチの悪いインフルエンザが流行っており、團十郎に睨まれると一年風邪ひかないといわれているので提案した。当初歌舞伎座を覆うように巨大化した『暫』の鎌倉権五郎景政が東京中を睨み倒すつもりだったが、せっかく作った顔が、あの隈取りに覆われると思ったら耐えられず断腸の思いで『助六』に変更した。そうしたものである。 途中で粘土が尽きる。明日は禁断症状との戦いになるだろう。



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