大徳寺の開山大燈国師の頭部おおよそ完成。建長寺の蘭渓道隆を思えば早かった。蘭渓道隆は陰影のない平面的という意味では同じだが曖昧なところがない分厄介であった。もっとも出来たと思ったが、だがしかし、とそこからが長いことはよくあるのだが。 白隠の『乞食大燈像』では片手に袋を持っているが好物のマクワウリが入っているのだろう。江戸時代では知られていたかもしれないが、あの袋はなんだ?となるくらいなら、剥き出しで持たせることにした。こういう場合、写真作品としては季節的にも間に合うし、実物のマクワウリを使うところだが今回は作ることにした。 建長寺からの流れのまま返す刀で完成した感じである。そこで部屋の片付けをすることに。なんて考えると耐え難い創作欲が襲ってくることになっている。気◯いに刃物を渡してならないように、粘土を注文してはならない。
