永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

ポップな精神世界。

2009-09-07 09:41:27 | 日記・エッセイ・コラム
日曜午後5時頃、TVにスゥイッチを入れたとたんに画面にビートルズが流れてきた。チャンネルはNHKの特集番組だった。ビートルズの歴史を追ったファンにとっては、泪が出るほどに貴重な映像であ。変革の連続だったビートルズは中学から高校へと進むぼくには、学校で学習することよりも、ビートルズのメロディーから詩から感受する精神的な学習の方がより確かなものだったような気がする。日常生活の出来事を作品に取り入れるビートルズの音楽作品・斬新なアルバムジャケットは、デザインを志しているぼくの当時の参考書でもある。
北九州市立体育館には、1980年頃にはよく海外大物ミュージシャンがコンサートにやってきた。今では、福岡にヤフードームなどが、コンサートの会場になるが、その頃、九州で規模が大きい会場と言えば北九州市立体育館くらいで、音楽ファンが度々、北九州・到津に集結していた。ビートルズのリンゴ・スターをはじめ、クリームのエリック・プラクトン、グラムロックのT・レックスなどがやってきた。T・レックスのマークボランは、その後わずかして母国イギリスで交通事故で亡くなった。ジョン・レノンもその後、凶弾に倒れて40才で亡くなってしまう。
TVから流れるビートルズの映像は、当時それまでの社会の文化の価値観をまったくひっくり返してしまったことをあらためて再確認させてくれた。そして、変わらない4人魅力の姿を映していた。ぼくは今でもデザインをしている時に、ビートルズだったらこのデザインのコンセプトをどう考えるかなと思ったりする。



平民食堂のハイシライス。

2009-09-05 20:30:06 | 日記・エッセイ・コラム
描いている絵がなかなか進まない。湿度の高い残暑のせいもあり、からだが仕事に集中させない。息抜きに読書。文春文庫刊・立花隆著『政治と情念』を読む。権力闘争の背景の凄まじさがよくわかる。今朝の朝刊に野坂昭如さん連載エッセイに、先日の選挙のことについて書いておられた。民が時の政治を選ぶみたいなことを書いておられた。そのエッセイの挿絵には全く個人的な理由で投票に行かなつたことについての文言を絵にしたことが描かれていた。その描かれている挿絵の作者の意味がよくわからなかった。
門司港に『“平民”食堂』というレストランがあった。先々代から続いていたそのレストランは現在は営業はしていない。大正から昭和・平成と続いていた歴史のあるレストランで、メニューには名物“ハイシライス”(ハヤシライスではなくハイシライス。初代のご主人は東京生れ、浅草西養軒の料理人を勤められた後、大正時代に繁栄している門司港に来て店を開かれた。その当時、GNPにおける都市比較では門司が東京を抜いていて日本一だったそうで、腕利きの多くの職人たちが門司港に集まっていたそうだ。たぶん、大企業の支店や日銀や銀行支店までが門司港に集中していたわけだから、勤めている企業人たちの舌をまかなっていたのだろう。優秀な洋服の仕立て職人も多くいたそうだ。初代は昭和になると、栄町の通りをはさんでレストランの建物を建設したそうだ。後になって、現在まで現存している建物はその一部。店内の床・階段・テーブルは総大理石づくり)があった。二代目の主人はシャキシャキしたおばあちゃんで、注文すると「ハイ! おまたせ」と、大理石でできたテーブルの上にポンとおいてくれた。ぼくは、ハイシライスを食べる前にチーズサラダを食べながらビールを呑むのが楽しみだった。店の奥側のテーブルにはいつも、二百山高地髷を結った先代の明治生れの女将さんがじっと座っておられた。その大おばあちゃんは大正・昭和・平成と門司で日本を体感されてきたわけである。屋号の冠に『平民』とついていた食堂・レストランだったことがずっと気になっていて、大正・昭和の時代にあえて『“平民”食堂』と名づけた理由を聞かずじまいのままに、その内、平成7・8年ごろからか店の扉が閉ったままになってしまった。大正時代は大らかな時代であり、大正モダンと言われた時代でもあるから、そんな意味もあるのかなと、ぼくは勝手に思っていた。
ぼくは平民食堂が好きで、個人的に“平民食堂”と“ハイシライス”をテーマにしたポスターをデザインしてシルクスクリーンで印刷したオリジナルポスターをおばあちゃんにプレゼントしたら、おばあちゃんはびっくりして、「こんなしやれたものをいただいて」と、深々とおじきされて、お礼にとビールとハイシライスのお代をとってくれなかった。そのポスターをある展覧会に出品したら、その時の審査員だったデザイナーの田中一光さんに絶賛していただき賞をいただいた。理由は作者の身近で個人的なテーマをよくポスターにデザインしたということだつた。
平民は平らな民。民は皆平等。ネット社会の今を表しているようにも読めるが、現代では人を比較することとして差別用語として記述には適さない言葉となっているが。当時は下から見ると皆同じ。上から見ると下部の人。お上が定めたことだからと、ほとんどの市民は違和感を感じていなかったのではと思う。権力は時代によっては言葉の意味まで拡大解釈して変化させ利用する。こんどの選挙の党首演説にも吹出しそうな言葉が平気で使われていた。言葉とは言っても広告コピーレベルの造語だ。
平民食堂で使われていた紙ナプキンは大正時代から使用されていたデザインで、淡いグレー色に近いベージュ1色でフォークとナイフをアールデコ風にデザインが施されていた。紙ナプキンから醸し出すハイブロウなデザインは資生堂のパッケージなどのデザインにも劣らないおしゃれなデザインだった。大衆からもてはやされるような粋な装飾を、平民食堂の先代さんは大衆のなにかを知っていたに違いない。



進行形。

2009-09-04 06:52:36 | 日記・エッセイ・コラム
Tさんが制作したオブジ作品の写真をメールで送ってくれる。女性らしく細やかな表現をしている。アブストラクトでウイツトもある。Tさんはの個展に、ぼくは行けなかったのでお詫びをいれていたからか写真を送ってくれた。Tさんと何年も会っていない。昔、芸術を志していて美大で勉強したことは知っていたが、その後制作したりすることは聞いていない。オブジェをつくっていたとは知らなかった。Tさんは「“アラカン”だから、からだには気をつけなさいよ」と言ってくれるが、ほくは、まだアラカンにはなっていない。でもぼくらの世代はそろそろからだに変調が出てくるのは確かで。アラカンを無事迎えれるように体調には気をつけねばならない。秋の展覧会に出す絵がなかなか進まない。目に疲れが出るからか。これもアラカンへの予兆なのか。でも7割は出来ているからもう少しのふんばりだ。


浮き世。

2009-09-01 20:31:19 | 日記・エッセイ・コラム
馴染みの道路をいつも通るところの家の塀にある政党の後援連絡所の掲示板が貼ってある。選挙結果が終ったとたん、昨日まで貼ってあったその掲示板とその掲示板に貼られていた候補者のポスターが忽然と姿を消していた。うん。と一瞬とまどつてしまった。たぶん、その掲示場所の塀の持ち主は政党掲示板と候補者のポスターを貼っていた党の支持をしている人だったのだろう。選挙結果で掲示板を外してしまつたのか。政治は意外と軽く理念を感じないものだと思ってしまった。なぜ掲示板を外したのか理由は解らないが、主張を結果でいとも簡単にその政党の掲示板を外してまうことに、長いものにはまかれろという今の世情を感じてしまう。〈変〉な時代になってしまつた。時代は浮き世なのだろうか。


ふたをあけても。

2009-09-01 06:34:15 | 日記・エッセイ・コラム
選挙が終る。連日、報道は連日煽るように状況を伝えていて、昨日朝刊は全面選挙結果と論評一色。日曜あけということもあってか、日常の社会のできごとは伝えていなく、選挙特集ということか。広告も一切なしで、奇妙な感じがする。報道は第二の権力というが、情報はスィッチひとつで切り替わる。『おもしろきことなき世の中をおもしろく』。維新の志士・高杉晋作の句が、いつの時代もかわりないことを教えてくれる。