かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠368(中欧)

2017年12月19日 | 短歌一首鑑賞
 馬場あき子の外国詠51(2012年4月実施)
  【中欧を行く ドナウ川のほとり】『世紀』(2001年刊)P96~
   参加者:N・K、崎尾廣子、鈴木良明、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:渡部慧子
   司会と記録:鹿取未放

368 イシュトヴァーンのされかうべに吾れも会ふべくやあやしざわめく人に蹤きゆく

      (レポート)
 ハンガリーにキリスト教をもたらした建国王である「イシュトヴァーンのされかうべ」へとこわいものみたさのざわめきであろう、とにかく「ざわめく人に蹤きゆく」。そしてこの行為を「吾れも会ふべくや」と述べるのだが、一首の中で「や」が大切な働きをし、つづく「あやし」に力を添えている。「や」につづく4、5句から作者の心の状態を思うに、たかぶりがちで疑問と感動の入り交じったものではないか。
 しかしここで「されかうべ」にこだわるのだが、イシュトヴァーンの右手のミイラは聖イシュトヴァーン大聖堂に保存されている「されかうべ」ではない。これは当時演じられていた「イシュトヴァーンのされかうべ」という演劇の題名ではないか。ならばそれを何かの括弧でくくってもよさそうなのにと思うのだが、どうであろう。(慧子)


     (当日発言)
★「あやし」の使い方が上手。(崎尾)
★「あやし」はどこに掛かるのか、分かりにくい。(藤本)
★下に掛かっていくと考えたらどうか。(鈴木)
★上下どちらにも掛かるのでは。ところで、「イシュトヴァーンのされかうべ」はどこにあ
  るのだろうか。(鹿取)
★教会の柱のところなどにあるのかもしれない。(藤本)
★まだ見ていないから、この段階では分からない。(鈴木)
★「イシュトヴァーンのされかうべ」がここに陳列されているわけではないが、流行の演劇に引っかけ
 てしゃれているのではないか。だから「あやし」と言っているのではないか。(鹿取)


     (まとめ)
Wikipediaによると、「一〇三八年、ハンガリー王国の礎を築いたイシュトヴァーンは他界し、その遺体はブダペストの西方にあるセーケシュフェヘールヴァールの大聖堂に埋葬された。現在は、この都市にイシュトヴァーン博物館が置かれている。」そうだ。また、「遺体から失われていた右手がトランシルヴァニアで発見されてから各地を転々とし、一七七一年マリア・テレジアによってブダに戻された」ということである。すると、聖イシュトヴァーン大聖堂には右手のみがあり、セーケシュフェヘールヴァールの大聖堂には右手の無い遺体が収められていることになる。セーケシュフェヘールヴァールはブダペストからは離れた場所にあり、ブダでは「イシュトヴァーンのされかうべ」には会えない。
 レポーターのいうように現地で上演されていた「イシュトヴァーンのされかうべ」という流行の演劇を観に行ったのかもしれない。あからさまに括弧でくくるとつまらないので、わざと括弧なしで韜晦を試みたのか。そうすれば「あやし」も生かされる。
 ちなみに、ウラル山脈あたりに住んでいたマジャル民族が西進してこの地に住み着いたのがハンガリーの起こりだそうだが、その部族長アールパードを「伝説の鳥」が生んだと伝えられている。初代国王イシュトヴァーンはその子孫にあたるそうだ。(鹿取)


 

馬場あき子の外国詠367(中欧)

2017年12月18日 | 短歌一首鑑賞
 馬場あき子の外国詠51(2012年4月実施)
  【中欧を行く ドナウ川のほとり】『世紀』(2001年刊)P96~
   参加者:N・K、崎尾廣子、鈴木良明、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:渡部慧子
   司会と記録:鹿取未放

367 影響力少なきゆゑ伝承は安らけし漁夫の砦に菩提樹は散る

     (レポート)
 後世の歴史に、そのことはあまり「影響力」をのこしてはいないらしい。先に書き記した内容から考えても「漁夫の砦」の「伝承」は慟哭や怒りを伴って思い起こされるものではないらしい。そんな漁夫の砦に「菩提樹は散る」のだが、葉ではなく細かな黄の花であろう。それが散って土に還ってゆく。「伝承は安らけし」とは、樹木の時間のようななりゆきであろう。(慧子)


     (当日発言)
★何の影響だろうか、分からない。(藤本)
★現代への影響。(慧子)
★同じようなことがいつの世も繰り返されていることを言っているのか。(崎尾)
★「漁夫の砦」に残されている伝承は、それほど大事件では無かったので、いまは静かな風景の
  中にあって安らかに菩提樹が散っているということだろうか。(鹿取)


      (まとめ)
 「伝承は安らけし」は、遙か昔だから安らかなのか、もともとそれほど残虐なことがらではなかったのか。十三世紀、モンゴル軍は残虐を極めたというからどうだろうか。もっともナチスやソ連軍のこともまだ近い過去であるから、とても「安らけし」とは振り返れないだろう。何か漠然としているが、レポーターの言うように「樹木の時間のようななりゆき」と受け取っておきたい。(鹿取)
   

 

馬場あき子の外国詠366(中欧)

2017年12月17日 | 短歌一首鑑賞
 馬場あき子の外国詠51(2012年4月実施)
  【中欧を行く ドナウ川のほとり】『世紀』(2001年刊)P96~
   参加者:N・K、崎尾廣子、鈴木良明、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:渡部慧子
   司会と記録:鹿取未放

366 ドナウ川秋がすみせり漁夫の砦にたたかひし漁民のことも忘れつ

     (レポート)
 「ドナウ川秋がすみせり」二句切れにつづく「漁夫の砦にたたかひし漁民のことも忘れつ」だがおそらく作者は「漁夫の砦」について事前に学んだのであろう。「秋がすみ」に見えたのかどうかは分からないが、初句、二句の状態の中にくると「漁民のことも忘れつ」という。靄や霞は景を見えなくするが、もとより見えなかったものを立ち上がらせる事もある。この場合初句、二句には虚のようなものが充ちていて、それが一首全体に及び、二句切れの強さに一首が支配される。そんな中で作者は「忘れつ」忘れてしまったよと詠っている。(慧子)
 

       (当日発言)
★素朴な建物。近くには弾丸の跡がたくさんあった。(N・K) 
★「忘れつ」と言っても忘れてはいない。「花も紅葉もなかりけり」と同じで一度見せてから打ち
 消す効果。(鈴木)


       (追記)(2015年7月改訂)
 「漁夫の砦」は1902年に完成した。名称は中世に漁業組合が王宮を守る任務を帯びていたことに由来する説を採ると、「漁夫の砦」自体は戦いと直接は関係がないようだ。N・Kさんの発言にある砦近くの弾丸の跡はいつの戦いのものだろうか。①ハンガリー動乱でソ連軍が侵攻してきた時か。②ナチス・ドイツがブダペストを砲撃した時か。数首後にハンガリー動乱を詠った歌が何首かあるので①かもしれない。
 しかし、ここでは特定の戦いに限定する必要はなく、ドナウ川のかなたにぼうぼうとして過ぎ去ったいくつかの戦いを思っているのかもしれない。レポーターは「靄や霞は景を見えなくするが、もとより見えなかったものを立ち上がらせる事もある。」と書いているが同感である。馬場のこの歌は春がすみのかなたに歴史上の大和のもろもろを透視している次の歌に通うところがある。
  (鹿取)   
 春がすみいよよ濃くなる真昼間のなにも見えねば大和と思へ 『大和』前川佐美雄

 

馬場あき子の外国詠365(中欧)

2017年12月15日 | 短歌一首鑑賞
 馬場あき子の外国詠51(2012年4月実施)
  【中欧を行く ドナウ川のほとり】『世紀』(2001年刊)P96~
   参加者:N・K、崎尾廣子、鈴木良明、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:渡部慧子
  司会と記録:鹿取未放

365 旅人は何を見るべきただ静かなハンガリーの秋を漁夫の砦に

           (レポート)
 ハンガリーには来たけれど、名高い漁夫の砦には来たけれど……こんな気分が初句、2句、結句から伺える。あらかじめ得ていた知識が役に立たないほど重厚で悠然たる景観に圧倒されたのか。作者の立つ「漁夫の砦」は王宮の丘と呼ばれる地にあって、ビューポイントとして最適らしい。そういう地は街音が届きにくいのであろう。他の季節ならばまた違った趣であろうを「ただ静かなハンガリーの秋」との3句、4句をうなずける気がする。ユーモラスな「漁夫の砦」への興味がそそられる一首。(慧子)
漁夫の砦:ドナウ川に沿ってネオロマネスク様式で建立された、数個の尖塔と廻廊。砦といっ
       ても闘いに使われたものではなく、マーチャーシュ教会を改修した建築家シュレッ
       クが街の美化計画の一環として建造した。この名はかつてここに魚の市がたってい
       たことや、城塞のこのあたりはドナウの漁師組合が守っていたいたことなどから付
       けられた。白い石灰石でできた建物自体も幻想的で美しいが、ここはドナウ川と対
       岸に広がるペスト地区を一望できる絶好のビューポイント。「地球の歩き方」

     (当日発言)
★1、2句が眼目。最初から風景に入っていくのが普通の歌い方だが、ここで気分をしらしめてい
 る。一呼吸おいてから焦点を絞っていく見せ方。(鈴木)
★「漁夫の砦」は、レポーターがいうようにユーモラスなネーミングとは思えない。(鹿取)
 

     (追記)(2013年10月)
 レポーターは1、2句にとまどわれたようだが、鈴木さんの発言にあるようにここがこの歌の眼目。例えば「ケンピンスキーホテルの一夜リスト流れ老女知るハンガリー動乱も夢」など一連の終わりの方も歌を読むと、365番歌の初句と2句がそれらの終わりの方の歌の伏線になっているのが分かる。つまり漁夫の砦からはドナウ川に沿って美しい町並みが広がっている。静かな秋の景観に旅人である〈われ〉はうっとりしてしまう。しかし美しい景観の背後にはハンガリー動乱はじめ歴史上の戦いの傷が隠されているのだ。〈われ〉はそれを見なければならないし、見ようと思う。それら戦いの記憶に、(たとえ戦さに使われたものでなかったとしても)「漁夫の砦」という名称の選びは意識の中で繋がっているのだろう。(鹿取)

 

馬場あき子の外国詠364(中欧)

2017年12月13日 | 短歌一首鑑賞
 馬場あき子の外国詠50(2012年3月実施)
  【中欧を行く 秋天】『世紀』(2001年刊)91頁~
   参加者:N・I、K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
       T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:崎尾廣子
   司会とまとめ:鹿取未放
   
364 いまの地球救ひうる一人缺けてゐる英雄広場の酸性の雨

     (まとめ)
 酸性の雨の降るうすら寒い英雄広場に立って、今の地球を救う一人が存在しないことを嘆いている。もし藤本さんのいうようにかつてのハンガリー革命の英雄の一人が欠けているということなら「いまの地球」という表現にはならないはずだ。また、『プラハの春』は1956年の事件を題材にしているので、ハンガリー革命の英雄とは結びつかない。
 ちなみに英雄像十四体の内、最後の像は一九四八年にハンガリー革命一〇〇年を記念して入れ替えられたそうだ。その入れ替えられた十四体めが、レポーターが362番で書いているハンガリー革命の指導者で亡命しイタリアで客死したコッシュートである。入れ替えられる前は、英雄広場建設当時のハプスブルク皇帝フランツ・ヨーゼフの像であった。(当時ハンガリーは、ハプスブルクとオーストリアとの二重帝国の時代だった。)
 この歌が歌われてから20年ほどが経過した現在、更に世界は昏迷を深め、今の地球を救う一人が存在しない感は深くなる一方だ。(鹿取)

     (レポート)
 この歌を読みすすめてゆくと散文を読んでいるように思えたりもしたが、3句、結句は歌の韻律を踏んでいる。ここに深い思いが感じられる。酸性の雨も降り始めの頃は声高に警告していた科学者もいたが、今日ではあまり話題にのぼらない。英雄広場に感じたであろう空しさに自身が日頃感じているであろうと思われる地球への愁いを重ねているようだ。だが「救いうる一人」の「うる」にかすかではあるが望みは失っていない胸の内が感じ取れる。今の日常に目を向けさせる歌である。「いま」のひらがなに地球のあやうさを、「缺けてゐる」に潜む地球への強い愁いを感じ取る。(崎尾)

     (当日発言)
★今は英雄という人がいない。(N・I)
★なぜ一人なのか?一人だけなのか?(T・H)
★T・Hさんの疑問はもっともで、期待する英雄は一人だけでなくたくさんいてほしいですよね。
 でもまあ、ここは修辞です。たとえば「いまの地球救ひうるあまた缺けてゐる」と言ったら歌に
 ならないでしょう。(鹿取)
★作者はこの旅行の前に『プラハの春』を読んで行ったそうだ。十四体以外に入るべき人がいる
  はずなのに入っていないと言っている。ハンガリー革命の英雄の一人か?(藤本)
★ここに十四体のかつての英雄が顕彰されているが、今現在の混沌とした世界を救う人物が存在し
 ないと嘆いている辛辣な歌。レポートについてですが、「救いうる」の「うる」は可能の助動詞
 で、救うことができる」という意味です。直後にその一人が「缺けてゐる」と否定されますが。
 また、「いま」をひらがな表記にしたことで、ことさら地球のあやうさを感じ取れるようにでき 
 ているとも思えない。ついでにいうと「3句、結句は歌の韻律を踏んでいる」というのは何のこ 
 とか分からない。「韻律」は踏んでいるとは言わな。それでは「韻を踏む」の間違いかと思って
 も3句、結句は韻は踏んでいません。(鹿取)

 

馬場あき子の外国詠363(中欧)

2017年12月12日 | 短歌一首鑑賞
 馬場あき子の外国詠50(2012年3月実施)
   【中欧を行く 秋天】『世紀』(2001年刊)91頁~
   参加者:N・I、K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
       T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:崎尾廣子
   司会とまとめ:鹿取未放
   
363 英雄はなべて髭濃し髭といふ男のちから女らは見る

     (まとめ)(2016年12月改訂)
 「ちから」と「見る」は、馬場のキーワードである。当日発言にもあるように、ある国において髭は全ての男性に科せられた制度のようなものかもしれないし、単なる装飾であるかもしれないし、時代の流行や要請であるかもしれない。しかし、権力の象徴である面は見逃せないし、弱さを隠す仮面でもあり、自分を鼓舞してより強い自分になるための装置という一面もあろう。作者は髭を蓄えて力強そうな英雄達の像を、虚飾も虚勢も全て了解の上で、英雄の持つ弱い部分をほほえましく容認しているのであろう。女達は案外すべてを見抜いているのだ。その上ですまして英雄達の髭を見ているのではないだろうか。(鹿取)
  

     (レポート)
 どんな英雄でも心の弱さはあったであろう。その弱さを隠すために男は髭をのばすのであろう。だがこの髭に女らは男性の強がりを見るのだと思う。濃い髭にこの虚勢を強く感じとる。また結句の「見る」に女性の冷ややかな目と、心の強さが出ている。苦笑いをしつつもその弱さに同情しているのであろうと思う。(崎尾)


     (当日発言)
★レポーターの「冷ややかな目」というのと「苦笑いをしつつもその弱さに同情して」ではニュア
 ンスが違う。「冷ややかな目」はやめて、後者だけにするほうがすっきりする。(鹿取)
★力が強くて精力的なのが英雄。髭で立派に見える。(曽我)
★レポーターは髭は弱さを隠す為と捉えているが違う。髭は装飾であった。(藤本)
★濃い髭に作者は男の虚勢を感じている。(T・H)
★「女らは見る」と言っているので、自分は違うと作者は思っている。(N・I)
★いや、「女らは見る」の中には作者も含まれているというか、「ら」はむしろ虚辞で自分が主体。
 自分が入らなければ「女ら」に聞いて回ったのか、ということになる。(鹿取)




馬場あき子の外国詠362(中国)

2017年12月11日 | 短歌一首鑑賞
 馬場あき子の外国詠50(2012年3月実施)
  【中欧を行く 秋天】『世紀』(2001年刊)91頁~
   参加者:N・I、K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
       T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:崎尾廣子
   司会とまとめ:鹿取未放
   
362 ハンガリー英雄広場の英雄像十四体に髭なきは無し

      (まとめ)
 ハンガリー英雄広場は、1896年ハンガリー建国一〇〇〇年を記念して建設された。中央の高いポールの上に大天使ガブリエルの像が聳えている。ハンガリー初代皇帝になるイシュトヴァーンの前に現れた天使である。天使像を中心にして右に国王達、左に政治家や将軍達の七体ずつの英雄が並んでいる。そして十四体の英雄達は全て髭を生やしているのだという。全てに髭がある、ではなく否定を重ねている叙述に思いがあるのだろう。すなわち、髭を蓄えることによってなされる権威付けへの問題提起である。それは次の363番歌(英雄はなべて髭濃し髭といふ男のちから女らは見る)にも繋がってゆく思いである。(鹿取)


         (レポート)
 英雄達には実際髭があったのであろうか。まずそんなことを考えた。十四体全部に髭がある像を目にすれば不気味さを感じてしまったであろう。この像を建てた人たちの自己顕示欲なのであろうか。東は東、西は西の感を持った。 (崎尾)

    英雄広場の像:まず「天使ガブリエル」だが天に向かって十字架と冠を揚げている。言い
           伝えによると、ローマ法王シルベステル二世の前に大天使ガブリエルが現
           れイシュトヴァーンをキリスト教国の王として認知するように告げた。そ
           れはちょうど西暦1000年のクリスマスの日だった。ガブリエルが揚げ
           る二重の十字架は、イシュトヴァーンがキリスト教徒であったことと同時
           に政治をも司ったことを意味している。(旅名人ブックス ハンガリー)

    コッシュート:1802~1894  ハンガリーの民族運動指導者。1832年にハン
           ガリー身分制議会の議員となり、48年のウイーンの三月革命に際し、責
           任内閣制をとる最初のハンガリー内閣の蔵相となった。まもなくウイーン
           政府と決裂して独立戦争が始まり、49年4月独立宣言を行ったが、オー
           ストリア、ロシアの挟撃にあって亡命し、イタリアで死んだ。
             (世界史事典  旺文社)

 コロネードに立つハンガリーの英雄十四体は次のとおり。
   ①聖イシュトヴァーン   ②聖ラースロー   ③アールマン   ④エンドレ2世
   ⑤ベーラ四世    ⑥カーロイ・ロペルト   ⑦ラヨシュ大王   
   ⑧フシャディ・ヤーノシロ   ⑨マーチャーシュ   ⑩ポチカイ・イシュトヴァーン
   ⑪ペトレン・ガーボル   ⑫テケリ・イムレ   ⑬ラーコ-ツィ・フェレンツⅡ世
   ⑭コッシュート・ラヨシュ

  ※「○世」など表記が統一されていませんが、レポーターの表記通りにしました。なお、レポ
   ートには各聖者の簡単な説明がありましたが、省略しました。(鹿取)

 
      (当日発言)
★レポーターは「英雄達には実際髭があったのであろうか」と書いていますが「十四体に髭なきは
 無し」(髭のないものは無い)と詠んでいるのだから、十四体全てに髭があるのです。迷う余地
 は全くありません。(鹿取)
★中東では髭のない男は男として認められない。(N・I)




馬場あき子の外国詠361(中国)

2017年12月10日 | 短歌一首鑑賞
 馬場あき子の外国詠50(2012年3月実施)
  【中欧を行く 秋天】『世紀』(2001年刊)91頁~
   参加者:N・I、K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
       T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:崎尾廣子
   司会とまとめ:鹿取未放
   
361 色寒きあしたの風はそら鳴りすハンガリー英雄広場人なく

     (まとめ)
 朝の人気のない、風だけが吹き抜ける英雄広場の寂しさを詠んでいる。それは並べられている英雄達の過ぎ去った生涯に対する愛惜でもあり、自分が寄ってたつ現代の空しさをも思っているようだ。(鹿取)


         (レポート)
 朝まだ人影もなく英雄像のみが立つ広場の、淋しげなむなしげな景が目に浮かぶ。上句に像を建てたがる人間の業を感じる。むなしさも。胸のうちには英雄達を歴史の中にそっと眠らせておいてやりたいとの思いがあったのであろうと思う。「色寒き」には冷たいがま肌にはささらないさまを、「そら鳴りす」には広場に吹くやや強い風を感じる。初句、3句に胸の内に吹く空しげな風を思う。印象深い一首だ。(崎尾)
  英雄広場:一八九六年、ハンガリー建国1000年を記念して造られた。ブダペスト最大の広
       場。扇状に並んでいる像は歴代国王などハンガリーの英雄達である。台座にはマジ
       ャル族などの部族長の騎馬像が並んでいる。全部で一四体ある。(インターネット)

     (当日意見)
★インターネットではあまりに漠然としているので、Wikipediaとか、もう少し絞った出典を書い
 てください。(鹿取)
★「英雄広場」は行ったことがあるが、寒いところだった。外国では英雄を好んで飾っている。ホ
 テルなどでも飾ってあった。(K・I)



馬場あき子の外国詠360(中欧)

2017年12月09日 | 短歌一首鑑賞
 馬場あき子の外国詠50(2012年3月実施)
  【中欧を行く 秋天】『世紀』(2001年刊)91頁~
   参加者:N・I、K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
       T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:崎尾廣子
   司会とまとめ:鹿取未放
   
360 つばさ大きく傾けてドナウ越えたれば楽音に似たり秋天の藍

     (まとめ)
 躍動感に満ちた歌である。美しい藍色の秋空に翼を大きく傾けてドナウの上を越えてゆく飛行機のダイナミックな感じに、いよいよ目的地が近づいた心躍りが感じられる、「楽音」とひっくり返した感覚も気分良く響く。(鹿取)


      (レポート)
 この初句は歌の調べを静かに雄大に奏で始めている。その調べは2句へと続き大河ドナウ越えを楽しく奏でる。初句の「大きく」と相俟って飛行機ならではの優雅な姿が見えるようだ。開放感に浸っている様子が伝わってくる。3句でこの調べに休止符を打つがその余韻は4句、5句へと残り、空中にあっても手の届かない天の藍の色を深めている。「楽音に似たり」とあるがどんなリズム、メロディであろうか。横笛の澄んだ高い音をこの藍に聞くようである。 (崎尾)
  ドナウ川:ヨーロッパの東南部を流れる川。ヨーロッパ第二の国際河川。ドイツの南西部のシ
       ュワルツワルトを水源とし、オーストリア、チェコスロバキア、ハンガリー、ユー
       ゴスラビア、ルーマニア、ブルガリアを流れて黒海に注ぐ。英語名ダニューブ。
  国際河川:数カ国の国境となり、また数カ国にまたがって流れる河川で国際条約により、全て
       の国の船舶の自由航行を認めたもの。(言泉 小学館)
    
 ※レポーター引用の辞典は古いもので、「ユーゴスラビア」は現在「セルビア共和国」と「モン
  テネグロ」となっています。(鹿取)


     (当日発言)
★シベリアからハンガリーに至ると全く違う世界になる。波がきらきらしている。(曽我)
★「楽音」は藍色の秋空に音楽的なイメージを感じているので、どの楽器のどの音かなど限定しな
 い方が雄大な感覚が出るだろう。(鹿取)


馬場あき子の外国詠359(中欧)

2017年12月08日 | 短歌一首鑑賞
 馬場あき子の外国詠50(2012年3月実施)
【中欧を行く 秋天】『世紀』(2001年刊)91頁~
    参加者:N・I、K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
       T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:崎尾廣子
   司会とまとめ:鹿取未放
   
359 パーサーはアップルジュース供したりシベリアはただ灰青の襞

(まとめ)
 「パーサー」は、「首席の客室係」と辞書に出ている。パーサーみずから客にアップルジュースをサービスしてくれたのだ。雲はもう切れてシベリアが見下ろせたのであろう。しかし高度のせいで細かい景は見えず「灰青の襞」として目に映った。
 学習会の席上では人間が登場してほっとする云々と言ったが、シベリアが出てくるとやはり抑留されていた日本人兵士達を連想させられる。おいしいアップルジュースを飲みながら、寒さと飢えで死んでいった兵士たちのことが脳裡をかすめたのであろう。「灰青の襞」のかなたに兵士達はうずもれているのである。356番歌(ハバロフスクの上空に見れば秋雪の界あり人として住む鳥は誰れ)で挙げたかつてのシベリア詠(例えば【シベリアの雲中をゆけば死者の魂(たま)つどひ寄るひかりあり静かに怖る】『飛種』など)を見ると、そのことは容易に想像できるだろう。
 「灰青」は辞書にはないので作者の造語と思われるが、レポーターの「日本人のみがもつ色彩感覚」という断定には賛成できない。民族によって色彩の捉え方は異なる。日本人の布などに見られる古代からの色彩感覚のすばらしさは肯うが、それは「日本人特有の」とか「日本人らしい」と形容されるもので、別の民族にはその民族特有の色彩感覚のすばらしさはあると思う。だから「日本人のみがもつ」という言い回しはまずいのではなかろうか。(鹿取)


(レポート)
 ボルガを越えればモスクワは間近である。ユーラシア大陸横断の旅もまもなく終わりとなるのであろう。楽しんでいる笑顔が目に浮かぶ。アップルジュースは甘かったであろうか。だが4句の「ただ」に目をとめたい。上空から見ればシベリアは起伏に富んだ青い地がえんえんと続いているのであろう。その景を「ただ」の2音で表し「灰青の襞」と結んでいる。「ただ」が広大さを表す言葉でもあると知る。その襞にはうっすらと雪があるのであろうか。縮み織りを連想する。「灰青の襞」、
灰色がかった美しい青を想わせるその襞、日本人のみがもつ色彩感覚をここに知る。(崎尾)


(当日発言)
★「灰青の襞」とはどういう状況か。(T・H)
★レポーターが書いているように、上空から眺めたシベリアの様子を表しているんでしょうね。
レポーターは「『ただ』が広大さを表す言葉」と書いていますが違います「ただ」は副詞であっ
 て、この副詞に「広大」の意味はありません。例えば「ただ小さな……」と小さいに繋げること
だってできます。一連で初めて人間が登場し、緊張した景からほっとさせる気分が出ている。力
を抜いた良い感じの歌。(鹿取)