かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

渡辺松男の一首鑑賞 2の45

2017年12月03日 | 短歌一首鑑賞

  渡辺松男研究2の6(2017年11月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【夢監視人】P32~
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、渡部慧子、A・Y、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆
     司会と記録:鹿取未放

45 蛇なりと思う途端に蛇となり宇宙の皺の片隅を這う

     (レポート)
 「宇宙の皺の片隅」というのは宇宙から地球を俯瞰したとき山脈が皺のようにみえるのを指すのだろうか。木切れをみて蛇だとおもった瞬間にそれは蛇におもえてしまう。人の恐怖心には疑いの真偽を正すことをもおそれ疑いを決めつけて攻撃にでる習性がある。戦争はそうやっておこるのではないだろうか。蛇に人の恐怖心を象徴しているように思えてならない。(真帆)

          (当日発言) 
★真帆さんの意見は恐怖心から蛇ではないものを蛇だと思った瞬間、それは蛇そのものになったと
 言うのですね。私は違う解釈で〈われ〉が蛇を見て、それを蛇だと認めた瞬間〈われ〉も蛇にな
 った。そして宇宙の皺の隅っこを這っている。宇宙の皺は厳密な言い方ではないので限定する必
 要もないと思います。(鹿取)


          (後日意見)
 ところで、この歌の蛇は何なんだろう。ニーチェの描くツァラツストラでは、お供に誇り高い鷲と賢明な蛇を連れている。しかし、ツァラツストラがその名前を借りたゾロアスター教では、善の神は鷲に、悪の神は蛇に喩えられているそうだ。ツァラツストラが善悪両方の神を連れているのは
二元論に対して異を唱える為だと言われている。そうするとこの蛇も悪とか戦争とか関わりなく、狸や化石の石斑魚と同じ線上にあるのだろうか。(鹿取)