かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠368(中欧)

2017年12月19日 | 短歌一首鑑賞
 馬場あき子の外国詠51(2012年4月実施)
  【中欧を行く ドナウ川のほとり】『世紀』(2001年刊)P96~
   参加者:N・K、崎尾廣子、鈴木良明、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:渡部慧子
   司会と記録:鹿取未放

368 イシュトヴァーンのされかうべに吾れも会ふべくやあやしざわめく人に蹤きゆく

      (レポート)
 ハンガリーにキリスト教をもたらした建国王である「イシュトヴァーンのされかうべ」へとこわいものみたさのざわめきであろう、とにかく「ざわめく人に蹤きゆく」。そしてこの行為を「吾れも会ふべくや」と述べるのだが、一首の中で「や」が大切な働きをし、つづく「あやし」に力を添えている。「や」につづく4、5句から作者の心の状態を思うに、たかぶりがちで疑問と感動の入り交じったものではないか。
 しかしここで「されかうべ」にこだわるのだが、イシュトヴァーンの右手のミイラは聖イシュトヴァーン大聖堂に保存されている「されかうべ」ではない。これは当時演じられていた「イシュトヴァーンのされかうべ」という演劇の題名ではないか。ならばそれを何かの括弧でくくってもよさそうなのにと思うのだが、どうであろう。(慧子)


     (当日発言)
★「あやし」の使い方が上手。(崎尾)
★「あやし」はどこに掛かるのか、分かりにくい。(藤本)
★下に掛かっていくと考えたらどうか。(鈴木)
★上下どちらにも掛かるのでは。ところで、「イシュトヴァーンのされかうべ」はどこにあ
  るのだろうか。(鹿取)
★教会の柱のところなどにあるのかもしれない。(藤本)
★まだ見ていないから、この段階では分からない。(鈴木)
★「イシュトヴァーンのされかうべ」がここに陳列されているわけではないが、流行の演劇に引っかけ
 てしゃれているのではないか。だから「あやし」と言っているのではないか。(鹿取)


     (まとめ)
Wikipediaによると、「一〇三八年、ハンガリー王国の礎を築いたイシュトヴァーンは他界し、その遺体はブダペストの西方にあるセーケシュフェヘールヴァールの大聖堂に埋葬された。現在は、この都市にイシュトヴァーン博物館が置かれている。」そうだ。また、「遺体から失われていた右手がトランシルヴァニアで発見されてから各地を転々とし、一七七一年マリア・テレジアによってブダに戻された」ということである。すると、聖イシュトヴァーン大聖堂には右手のみがあり、セーケシュフェヘールヴァールの大聖堂には右手の無い遺体が収められていることになる。セーケシュフェヘールヴァールはブダペストからは離れた場所にあり、ブダでは「イシュトヴァーンのされかうべ」には会えない。
 レポーターのいうように現地で上演されていた「イシュトヴァーンのされかうべ」という流行の演劇を観に行ったのかもしれない。あからさまに括弧でくくるとつまらないので、わざと括弧なしで韜晦を試みたのか。そうすれば「あやし」も生かされる。
 ちなみに、ウラル山脈あたりに住んでいたマジャル民族が西進してこの地に住み着いたのがハンガリーの起こりだそうだが、その部族長アールパードを「伝説の鳥」が生んだと伝えられている。初代国王イシュトヴァーンはその子孫にあたるそうだ。(鹿取)