かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

渡辺松男の一首鑑賞 2の44

2017年12月02日 | 短歌一首鑑賞

  渡辺松男研究2の6(2017年11月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【夢監視人】P32~
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、渡部慧子、A・Y、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆
     司会と記録:鹿取未放

44 吾亦紅(われもこう)じくじくっと空間を焦がしていたり 戦争ははだか

      (レポート)
 43番の歌(アウストラロピテクスとして石を蹴りわけのわからぬ悲哀こみあぐ)を受けているだろう。吾亦紅からじゅっと音をたて戦地に焼け焦げになっている人間を連想した。戦争は人を殺め死した裸を地にさらすのだ、アウシュビッツでもヒロシマでもそうであったように。(真帆)


          (まとめ) 
 全ての生き物は丸裸でこの世に投げ出されていて、お互いに食い合うことなしには生存できない。それは植物とて同じである。渡辺松男にある根源的な恥ずかしさの感覚は、この裸で投げ出されている存在の痛みからきているのであろう。そしてこの歌では、吾亦紅が〈われ〉であり、存在するもの全ての代表でもある。吾亦紅はいかにも剥き出しの裸のような花であって、焦げ茶色をしている。「じくっじくっ」の空間を焦がしつつ浸食するオノマトペと戦争の語の繋がりが巧みである。もちろんこの歌の戦争は兵器を使って殺し合うものだけでなく、生存競争も含んでいて、それゆえに一字あけの後に置かれた結句の「戦争ははだか」のあられもない言葉が重苦しくにがい心に響いてくる。(鹿取)