かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

渡辺松男の一首鑑賞 2の43

2017年12月01日 | 短歌一首鑑賞

  渡辺松男研究2の6(2017年11月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【夢監視人】P32~
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、渡部慧子、A・Y、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆
     司会と記録:鹿取未放

43 アウストラロピテクスとして石を蹴りわけのわからぬ悲哀こみあぐ

     (レポート)
 連作の中のうたとして読み、作者はいま荒船山かどこかの森にいるのだろうと感じた。自然の調和の中で、知恵をもったアウストラロピテクスであることが無性に寂しくなる。人を万物の霊長などというが内実はその逆で、戦争をおこし人類のみならず万物を滅ぼしてしまいそうな愚かな我々である。「石を蹴」る所作が作者のやりきれない心を巧みに表現していると思う。(真帆)


     (まとめ)
 基本的にレポーターの読みでいいと思うが、アウストラロピテクスは「哺乳類霊長目(サル目)ヒト科」の絶滅した属であり、化石人類の一群である。アフリカで生まれた初期の人類であり、約400万年前 - 約200万年前に生存していたとされる」(Wikipediaより抜粋)なので、現生人類と地続きではない。文字を持たなかったアウストラロピテクスは、どのような思考をしていたのだろうか。この一連、作者の思考は永遠に遊んでいて、ここではふっとアウストラロピテクスになってしまった。石を蹴る行為によって呼び起こされた悲哀は、生きとし生けるものの持つ命に根ざす不安やかなしみであろう。(鹿取)