自分がすべての物事の源泉にあるという意識を
持つことが大切だというのは、
現実のビジネス世界ではよく言われていることです。
現に今回受けたFC研修でも言われましたし、
前の職場の上長にも言われた記憶があります。
「自分が源泉」という言葉は
自分自身の心から出た言葉だと威力を発揮します。
これが他人から、特に会社の上司が部下に対して
「自分が源泉という意識をもて」と言った途端に
胡散臭い言葉になってしまいます。
「自分が源泉」という言葉は人に押し付けるものではなくて、
その言葉を発している上司そのものが身につける言葉でしょう。
自分が身にもつけていない言葉を
他人に押し付ける胡散臭さと欺瞞性。
アメリカ大統領ケネディが言った有名な言葉
「あなたの国家があなたのために何をしてくれるかではなく、
あなたがあなたの国家のために何ができるかを問おうではないか」は、
国家への依存心を戒め、自己責任を論じる文脈でよく引用されます。
確かにそれ自体は正しい。
しかし、国家や会社やリーダー自体が
「自分が源泉」を果たさず
国民や社員やフォロワーに「自己責任」を問うことは
間違っていると思っています。
実は、あのケネディの言葉の前後には、
ケネディ自身が大きな責任を引き受けることを
力強く宣言し、約束し、そして
「われわれがあなたに求めるのと同じ
高い水準の力と犠牲をわれわれに求めて欲しい」
と述べる言葉が続いているのです。
ケネディ自身が「自分が源泉」を実行する
と約束しているからこそ、あの言葉には重みがあるのです。
部下だけに「自分が源泉」であることを押し付けるリーダーを
誰が信頼し信用などするものか、と思います。
この本は、まずはビジネスリーダーが
自分のこととして読むことで
大きな威力を発揮するのだろうと思います。
では「自分が源泉」というのは、
具体的にはどういうことを言うのでしょうか?
本書に良い例が載っていました。
●「義務としての責任」と「源泉としての責任」の違い
物事の責任をとれば「自分が源泉」ということではありません。
義務として押し付けられた責任を果たすとき、
それは「自分が源泉」の責任を果たすということではありません。
ネガティブ評価の入った重荷ではなく、
①事実を事実として認め、
②その結果は自分が創ったという立場をとり、そして、
③それを持って何を創り出すかということが
「源泉としての責任」であると著者は言うのです。
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持つことが大切だというのは、
現実のビジネス世界ではよく言われていることです。
現に今回受けたFC研修でも言われましたし、
前の職場の上長にも言われた記憶があります。
「自分が源泉」という言葉は
自分自身の心から出た言葉だと威力を発揮します。
これが他人から、特に会社の上司が部下に対して
「自分が源泉という意識をもて」と言った途端に
胡散臭い言葉になってしまいます。
「自分が源泉」という言葉は人に押し付けるものではなくて、
その言葉を発している上司そのものが身につける言葉でしょう。
自分が身にもつけていない言葉を
他人に押し付ける胡散臭さと欺瞞性。
アメリカ大統領ケネディが言った有名な言葉
「あなたの国家があなたのために何をしてくれるかではなく、
あなたがあなたの国家のために何ができるかを問おうではないか」は、
国家への依存心を戒め、自己責任を論じる文脈でよく引用されます。
確かにそれ自体は正しい。
しかし、国家や会社やリーダー自体が
「自分が源泉」を果たさず
国民や社員やフォロワーに「自己責任」を問うことは
間違っていると思っています。
実は、あのケネディの言葉の前後には、
ケネディ自身が大きな責任を引き受けることを
力強く宣言し、約束し、そして
「われわれがあなたに求めるのと同じ
高い水準の力と犠牲をわれわれに求めて欲しい」
と述べる言葉が続いているのです。
ケネディ自身が「自分が源泉」を実行する
と約束しているからこそ、あの言葉には重みがあるのです。
部下だけに「自分が源泉」であることを押し付けるリーダーを
誰が信頼し信用などするものか、と思います。
この本は、まずはビジネスリーダーが
自分のこととして読むことで
大きな威力を発揮するのだろうと思います。
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では「自分が源泉」というのは、
具体的にはどういうことを言うのでしょうか?
本書に良い例が載っていました。
●「義務としての責任」と「源泉としての責任」の違い
物事の責任をとれば「自分が源泉」ということではありません。
義務として押し付けられた責任を果たすとき、
それは「自分が源泉」の責任を果たすということではありません。
ネガティブ評価の入った重荷ではなく、
①事実を事実として認め、
②その結果は自分が創ったという立場をとり、そして、
③それを持って何を創り出すかということが
「源泉としての責任」であると著者は言うのです。
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