五十路男の失敗日記

生涯独身男の青春の挽歌

秋日子かく語りき

2007年04月27日 | 雑記

鬱です。
以下、読んで具合の悪くなる恐れのある方は
ご注意ください。



2004年はじめ。
私はこの漫画と出会った。
きっかけは、NHKドラマ『ちょっと待って、神様』。
この漫画を原作としたドラマ。

これらの漫画やドラマを熱心に読んだり視聴することに
なったのは、ちょうど直前に生まれてはじめての
自傷行為(電気コード使用)に走っていたからだった。

良かったのか悪かったのか、あの世に召されることは
無かった。

失敗したとき、これまた生まれてはじめてというくらい
号泣した。なぜ泣いたのかは、自分でもわからない。

何故そんな馬鹿なことを?
今ならそう言えるけど、当時の私は若かったし、まだ
人生に希望も持っていた。
その希望が砕けたとき、このようなことになった。

この漫画(ドラマ)は、生きる事とは何か、自分が
死んだ後、家族はどうしているか、自分の存在とは
なんだったのか・・・そんな事を描いていて
当時の私には興味深かった。

あの世への待機場所には、ハスが生えている。
この漫画の最後のコマに描かれたハスを見るたびに
私は泣いた。悲しくも、希望のある絵だったから。

生きることは難しい。
実は、死ぬことよりも生きることのほうが
よほど難しいのだ。
自傷行為に走った自分を省みるに、神経が細かすぎた
と思うと同時に、細かいが故の良さもあったと思う。

今の私は、旅立とうなどとは微塵も思わない。
いや・・・あの頃も思っていなかったのだ。
それが、今思えば些細な出来事から、旅立とうと
してしまったのだった。

それでも、当時の私と今の私は違う。
「いかにして生きるか」
「生きてさえいれば、幸福はめぐってくる」
「幸福を呼ぶには、それなりの努力が要る」
そう思っている。

この漫画の最後のコマの独白。
「花や蝶になりたいというのでなければ
 我々はとっても近い今生(みらい)のうちに
 それぞれの夢をかなえることができるのだと
 固くそう思っていた」

若いな・・・と、この独白を読んで思う。
自分にはもう、こういう若さは戻って来ないと
思いながらも、生きてさえいればいつかは
「幸福な人生だった」
と思える最期を迎えることが出来るだろうと思っている。