■(第14話)キミとアイドルプリキュア♪「お母さんへ~こころからのメッセージ~」感想
プリキュアの教科書が如き構成の回だった。美しい。
母の日。故にお母さんのことを想う。
そして母との思い出は、父がいない時間の思い出でもある。
幼き頃に父を亡くし、辛い日々も母が支えてくれた。
これを「推し」行為と表現するのは異質ではあるものの、キミプリ的には「推し」。
キミがいるから頑張れる。推してもらって今の自分がある。
同時に、母が頑張れたのも紫雨さんが居たから。
これを「推し」が生きがいと表現するのは異質ではあるものの、キミプリ的には「推し」。
子供のために頑張る。望んでそうなったのではないにせよ、キミを守るために今がある。
母の日である上に、本日は紫雨さんのお誕生日。
詰め込みすぎにも思えますが、双方向性であることを思うと納得。
母に感謝を伝える日であると同時に、子を祝福する日。
(あとツマンナイことを言うなら、咲良さん達にも母が居るのにそちらにフォーカスしない理由立てになる)
それだけでも美しいのに、この状況下で販促を捻じ込んでくるのも見事です。
プリティホリックをどうぞ。CDをどうぞ。カメラで撮影もするよ。
しかもただの販促でもない。
プリティホリックはアイドル&ウインク時代にCMをやってます。
2人へのリスペクト全開の紫雨さんにとって、ピンポイントに嬉しいところを突いてるはず。
お母さんからのCDも色々と背景を察せられる。
紫雨さんは自分用・研究会用・布教用等々に複数枚を買いそう。しかし実際には買ってない。おそらく母もそれに気づいたと思われます。
一般論として、我が子が何かに熱中するのは嬉しいこと。幼少期に辛い出来事があったのなら猶更です。
だから紫雨さんがアイドルさんにハマったのは、お母さんとしては嬉しかったはず。
ところが子供の部屋にCDがない。金銭面で苦労をさせているのでは等、心配もしていそう。
何も考えずに娘の好きなCDを買っただけの可能性もあるにはありますが、娘を「推す」お母さんの気持ちを、勝手に色々読み取りたい。
あと余計なことを言うなら、たぶん紫雨さんはキュンキュンになった後、以前のようには自宅でアイドルさん達に熱中していないと思う。
傍から見ると「新メンバーのキュンキュンが加入した途端、ちょっと冷めたようにみえる」「キュンキュンには一切リスペクトを示さない」と認識されてそうで、例によって特大のキュンキュンアンチと思われてそう。下手をすると「キュンキュンがジャケットにいるからCD買わなかったのでは」ぐらいの超誤解をされてるかもしれない。
咲良さんたちとどういう関係だと説明したのかは、特には語られていない。
ご馳走を頼んだ店の娘…というだけでは、普通は誕生日を祝いに自宅にやってきたりはしません。少なくとも友人であることは話したと思われますが、学年も違うので一般には不自然。それを踏まえつつ「何のつながりでできた友人なのか」を説明するとしたら、研究会関連が入り口かと思われます。完全に嘘ではないのだし。
そうすると親視点では、公式からもサムライの如しと言われるほどの実直さや覚悟を持つ娘が、中学に入学してからはそれまでのダンスではなく、自らアイドル研究会を立ち上げて、そこから派生して別学年の友人とも仲良くしてることになる。
「同学年の子と上手くやっていけてるのかな?」の心配は沸くものの、世界が広がっていってるように感じられ、これ自体も嬉しいと思う。
子供の頃からやっていた、母との思い出も深いダンスの道からは外れてると思われますが、それはそれで良い。
これまでの紫雨さんのキャラ造形や、周囲の想いなども読み取れる美しい構成だったと思う。
あと手書きのメッセージカードに、ルビを振ってる紫雨さんの几帳面さも好き。子供向け番組の意識を決して切らさない。プロだ。
【その他】
・ザックリーも涙ぐんでいた。
究極の別れである死別は、チョッキリ団的には無条件で賛美してもおかしくなさそうですが、一般と同様の価値観を持ってるらしい。
・存在意義が危ぶまれる蒼風さん。いなくても問題なく話が進みます。むしろ、いないほうが話はすっきりする。紫雨さんの超絶リスペクト相手が咲良さん一人に集中する方が、説得力とか納得感はあるので。
それでいながら、端々で良い仕事をなさってます。お顔が愉快。今回はウインクバリア2連発の謎行動もしてくれました。ピンクトルマリン枠狙いか。
何がどうと言語化するのは難しいのに、何かがどうにかなって目が離せないので、ひとまず蒼風派で応援しています。
プリキュアの教科書が如き構成の回だった。美しい。
母の日。故にお母さんのことを想う。
そして母との思い出は、父がいない時間の思い出でもある。
幼き頃に父を亡くし、辛い日々も母が支えてくれた。
これを「推し」行為と表現するのは異質ではあるものの、キミプリ的には「推し」。
キミがいるから頑張れる。推してもらって今の自分がある。
同時に、母が頑張れたのも紫雨さんが居たから。
これを「推し」が生きがいと表現するのは異質ではあるものの、キミプリ的には「推し」。
子供のために頑張る。望んでそうなったのではないにせよ、キミを守るために今がある。
母の日である上に、本日は紫雨さんのお誕生日。
詰め込みすぎにも思えますが、双方向性であることを思うと納得。
母に感謝を伝える日であると同時に、子を祝福する日。
(あとツマンナイことを言うなら、咲良さん達にも母が居るのにそちらにフォーカスしない理由立てになる)
それだけでも美しいのに、この状況下で販促を捻じ込んでくるのも見事です。
プリティホリックをどうぞ。CDをどうぞ。カメラで撮影もするよ。
しかもただの販促でもない。
プリティホリックはアイドル&ウインク時代にCMをやってます。
2人へのリスペクト全開の紫雨さんにとって、ピンポイントに嬉しいところを突いてるはず。
お母さんからのCDも色々と背景を察せられる。
紫雨さんは自分用・研究会用・布教用等々に複数枚を買いそう。しかし実際には買ってない。おそらく母もそれに気づいたと思われます。
一般論として、我が子が何かに熱中するのは嬉しいこと。幼少期に辛い出来事があったのなら猶更です。
だから紫雨さんがアイドルさんにハマったのは、お母さんとしては嬉しかったはず。
ところが子供の部屋にCDがない。金銭面で苦労をさせているのでは等、心配もしていそう。
何も考えずに娘の好きなCDを買っただけの可能性もあるにはありますが、娘を「推す」お母さんの気持ちを、勝手に色々読み取りたい。
あと余計なことを言うなら、たぶん紫雨さんはキュンキュンになった後、以前のようには自宅でアイドルさん達に熱中していないと思う。
傍から見ると「新メンバーのキュンキュンが加入した途端、ちょっと冷めたようにみえる」「キュンキュンには一切リスペクトを示さない」と認識されてそうで、例によって特大のキュンキュンアンチと思われてそう。下手をすると「キュンキュンがジャケットにいるからCD買わなかったのでは」ぐらいの超誤解をされてるかもしれない。
咲良さんたちとどういう関係だと説明したのかは、特には語られていない。
ご馳走を頼んだ店の娘…というだけでは、普通は誕生日を祝いに自宅にやってきたりはしません。少なくとも友人であることは話したと思われますが、学年も違うので一般には不自然。それを踏まえつつ「何のつながりでできた友人なのか」を説明するとしたら、研究会関連が入り口かと思われます。完全に嘘ではないのだし。
そうすると親視点では、公式からもサムライの如しと言われるほどの実直さや覚悟を持つ娘が、中学に入学してからはそれまでのダンスではなく、自らアイドル研究会を立ち上げて、そこから派生して別学年の友人とも仲良くしてることになる。
「同学年の子と上手くやっていけてるのかな?」の心配は沸くものの、世界が広がっていってるように感じられ、これ自体も嬉しいと思う。
子供の頃からやっていた、母との思い出も深いダンスの道からは外れてると思われますが、それはそれで良い。
これまでの紫雨さんのキャラ造形や、周囲の想いなども読み取れる美しい構成だったと思う。
あと手書きのメッセージカードに、ルビを振ってる紫雨さんの几帳面さも好き。子供向け番組の意識を決して切らさない。プロだ。
【その他】
・ザックリーも涙ぐんでいた。
究極の別れである死別は、チョッキリ団的には無条件で賛美してもおかしくなさそうですが、一般と同様の価値観を持ってるらしい。
・存在意義が危ぶまれる蒼風さん。いなくても問題なく話が進みます。むしろ、いないほうが話はすっきりする。紫雨さんの超絶リスペクト相手が咲良さん一人に集中する方が、説得力とか納得感はあるので。
それでいながら、端々で良い仕事をなさってます。お顔が愉快。今回はウインクバリア2連発の謎行動もしてくれました。ピンクトルマリン枠狙いか。
何がどうと言語化するのは難しいのに、何かがどうにかなって目が離せないので、ひとまず蒼風派で応援しています。
・一応触れておくと、父の死が扱われたのはハトプリ、スマプリ以来で3例目。母の死(プリ5)も入れると4例目。22作品中の4例目なので、頻度としてはそこそこある。
祖父母の死(フレプリ、ドキプリ、デパプリ等)も入れると更に増える。意外と定番ネタだけど、それぞれのシリーズの特色を反映してて興味深い。
ついでに言うなら、人以外の親的存在の死(MHやまほプリ)、娘やパートナーの死(はぐプリ)、ペットの死(ハピチャやわんぷり)、上記プリキュア以外の親の死(ひろプリ等)の他、トロプリやヒープリのような死が物語に組み込まれているシリーズもあり、「死」が出てこない方が少なかったりする。
(明確には死者が出てはいない、例えばスイプリでも死を意図した描写がある。「世界を滅ぼす」的なざっくりした表現は除外したとしても、死が全く登場しないシリーズはないんじゃないかな)