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自宅にサーバー計画[その2]

2015-06-14 05:25:34 | idea
えー、お題の「自宅にサーバー計画[その2]」です。

工業高校に入学した私は、入学祝いに父から当時マイコンと呼ばれていたPCを買ってもらいました。
貧乏なウチには似合わない、高価な買い物でした。

そのPCで当時の私はゲームがやりたくて、プログラミングを覚えました。
今考えると、不純な動機でしたが、コンピューターの仕組みや、プログラミングの基礎を覚えるには、
もってこいの状況でした。

当時から、マイコンのソフトウェアは販売されてはいましたが、一つのアプリが五千円を超えるもので、
貧乏な私は、マイコン雑誌のソースリストを入力してカセットテープにプログラムを記録して、
それでいくつかのゲームを楽しんだのでした。

その内、私の将来の夢がシステムエンジニアになることが密かな夢となりました。

システムエンジニアになる為には、コンピューターのオペレーターから始めて、
プログラマーになり、業務経験を積んで、ソフトウェアの設計が出来るようになることが必要でした。

そこで私は、高校卒業と同時に名古屋の叔父の勤める繊維問屋のコンピューター室で働き始めました。

その会社では汎用コンピューターが稼働していましたが、そこでリレーショナルデータベースの基礎を学びました。
当時としては最先端のコンピューターシステムで、オフィスコンピューターの先駆けでした。

その会社で私は社内アプリケーションのプログラミングをさせてもらっていました。
もちろん、仕事ですから品質に問題が無い様に、かなりの手間をかけてテストとデバッグを行っていました。

しかし、勉強するという環境的にはその職場は良かったのですが、人間関係で私は問題を抱える事となりました。
当時の上司と私の叔父が社内の派閥で敵対しており、今で言うパワハラを上司から受けていたのです。

私は1年目にして、その会社を辞めたいと思う様になりました。若かった私は、対処方法など知るすべもなかったのです。
それからは仕事とパワハラに板挟みとなり、2年目にはモチベーションが下がってしまったのでした。

そこで、当時もう一人の叔父さんに相談していました。
その叔父さんは3年頑張ってみて、それでも辞めたいなら自分の思う様にやってみればいい、とアドバイスをくれました。

結局私は3年ちょうど勤めて、その会社を辞めて香川に帰る事となったのです。
それからはシステムエンジニアになる為の方法を模索していました。
当時、スキルアップの為の転職はまずソフトウェアハウスに入社してそこでプログラマーを勤め、
経験を積んでシステム設計が出来る様になる事が必要でした。

しかし、私の地元ではそんな会社はほとんど求人がありません。
そこで私は小さな会社でもいいので、経験を積める職場を探していました。
私は運良く、オフィスコンピュータのプログラマーの求人を見つけました。
そこでは社内の販売管理システムを設計、製作していました。
これも何かの縁だと思い、結局その会社にお世話になる事になったのです。

続きます。

ではでは。

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