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70億人が幸せになる方法[その20]

2015-09-01 06:16:22 | thought
えー、お題の「70億人が幸せになる方法[その20]」です。

名古屋で就職した私は、2人の叔母に世話になりました。

非常に世話になった叔母が、私が「姉ちゃん」と読んでいた、丸島町に(仮名です)住んでいた、
丸島の叔母と親戚から呼ばれていた叔母さんと、私の入社した会社の部長でもある叔父の奥さんの、
これまた私が「名古屋の叔母さん」と読んでいた、丸ヶ丘に(仮名です)住んでいた、
丸ヶ丘の叔母と親戚から呼ばれていた叔母さんの2人から、世話になりました。

丸島の叔母は、私が休みの日には、ほぼ毎週の様に泊まりに行っていました。
それはとても居心地がよく、私の日々のストレスが癒される場所でした。
こんな家族を私も持ちたいと強く願う様になったのです。

丸ヶ丘の叔母は、初めのうちは月に一度くらい休みの日に泊まりに行っていたのですが、
ある事件を境に、数ヶ月に一度くらいしか行かなくなったのです。

その事件とは私の中で「泊まってく?事件」と読んでいる事件でした。
それは月に一度の丸ヶ丘へと泊まりに行く約束をしていた日の事です。
その日、いつもの様に寮に外泊届を出した私は、土曜日の夜に叔母の家へ行きました。
そこで、従兄弟と叔母と一緒に夕食を摂り、さあ、これから従兄弟と一緒に、
従兄弟の部屋でフリートークをしようとしていた時の事です。

叔母から、突然、「今日、泊まってく?」と聞かれたのです。
私はそのつもりで外泊届も出していたし、叔母の家に行く、という事は、
泊まりに行くという事だと、認識していました。
それが、この質問で、一瞬、私は何が起こったのか把握できなくなったのです。

私が「え、泊まってくって?」と聞き返すと、叔母はもう一度、私に質問してきました。
「どうする?泊まってく?」と聞かれた私は、しばらくの間言葉が出ませんでした。
これは、どういう事だろう?と色々考えた私は、ああ、もしかしたら従兄弟が受験勉強する為に、
私と一緒にいたらよくないと叔母が思って、私に泊まらないで帰れと言っているのだ、と理解するのに
5分ほどかかりました。

私は、それを察して、少し戸惑いながら、「う、うん。今日は帰るね」と答えるのが精一杯でした。
私は宿泊届も出しているし、今晩どうしよう、と考えながら帰りの地下鉄で考えあぐねていました。
寮の最寄駅についた私は、もう一人の丸島の叔母に公衆電話から電話して、
「丸ヶ丘の叔母さんから、今日、泊まってく?と聞かれて、駅まで帰ってきた」と伝えたのです。
すると叔母は、「じゃあ、今晩うちにきたら?」と言ってくれました。
叔母もてっきり私が丸ヶ丘に泊まってくると思い込んでいました。

私は、その足で丸島の叔母の家へと電車を乗り換え、向かう事にしました。
夜の8時を回っていたのですが、叔母は、私を優しく迎え入れてくれました。
そして、事の顛末を話すと、叔母は、「あの人はそういう人だから」と私に丸ヶ丘の叔母の実態を教えてくれたのです。

実は、丸島の叔母と丸ヶ丘の叔母の間は、仲が良くなかったのでした。その原因は丸ヶ丘の叔母の性格にありました。
丸島の叔母は、私と同じ島の出身で、以前にも書きましたが、私の父の妹です。
そして丸ヶ丘の叔母は、これまた私と同じ島の出身で、私の父の姉でした。

丸島の叔母は私と同じように、香川から名古屋の私の勤める会社に、叔父の紹介で勤めていました。
その後結婚して、旦那さんの実家にある、丸島へと住む事になりました。(以後、この叔母を丸島の姉ちゃんと呼びます)
結婚するまでの間は、普通なら会社の女子寮に3年ほど寄宿する事になるのですが、丸島の姉ちゃんは、
なんと叔母の家(部長の叔父の家)に居候する事になっていたのです。

丸島の姉ちゃんは、私と同じように初めの1日目だけは暖かく迎え入れてくれたそうですが、
翌日、部長の叔父が仕事でいなくなった時から、(部長の叔父は忙しく、朝早くから夜遅くまで働いていました、
その上出張も多くて家を留守にする事が多かったのです。)叔母の態度は一変しました。

何かにつけ丸島の姉ちゃんに干渉してくるのです。その上、家賃と食費という名目で少ない給料からかなりの額を、
受け取っていたのでした。
それ以来、丸島の姉ちゃんは、常に叔母から嫌がらせや小言を言われていて、非常に肩身の狭い思いをしていたそうです。
そんな事実を私はその日まで知りませんでした。

私のこの事件があってから、私は丸島の姉ちゃんと本当に仲良くなっていったのです。
また、姉ちゃんの旦那さんの叔父さんも、実は父より1歳下だったのと、人格が本当に素晴らしい人でした。
なので、私はそれ以来毎週のように、丸島の姉ちゃんの家へと泊まりに行くようになりました。

名古屋の叔母さんは、私に何かにつけ、「お前はおじさんに世話になってるんだから」と言って、
私に干渉してきました。私はそれも嫌で仕方ありませんでした。その上、今回のような仕打ちを受けた私は、
それ以来、名古屋の叔母さんとは距離を置いて付き合う事にしたのです。

もちろん従兄弟は年が一つ違いで、学年は二つ違いの私の上の妹と同級生だったこともあり、
仲良くしていました。この従兄弟ともウマがあったのです。
本当は従兄弟ともっと一緒にいたいと思って、名古屋の叔母さんの家に泊まりに行っていたのですが、
それ以来、私は足が遠のいていきました。

[その21]へと続きます。

ではでは。

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