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70億人が幸せになる方法[その27]

2015-09-15 05:43:50 | thought
えー、お題の「70億人が幸せになる方法[その27]」です。

ある日、有給消化の為、ジーンズショップを辞めた私は、いつもよく行く書店へと、
本の立ち読みに行きました。すると、その隣の土地にある看板が出ていました。
その看板は1996年4月にパソコンショップがオープンするというもので、
私は、その看板を見て連絡先をメモに取り、気が付いたら面接の問い合わせをしていました。

家電量販店の就職が決まっていた私ですが、自分の好きで得意なパソコンのショップが出来ると知って、
いてもたってもいられなかったのです。

面接を受けに徳島へ行きました。そこでは社長が面接してくれました。
そのショップの雰囲気がなんとなく気に入りました。
そこで、ショップのオープニングスタッフとして面接を受けました。
結果は1週間後に電話で連絡してくれることになっていました。

1週間後、結果が出ました。合格でした。

私は、家電量販店の採用を辞退して、パソコンショップに、
正社員見習いとして、3ヶ月の試用期間に入ることになったのでした。

その後、パソコンショップのオープニングスタッフとして雇われた私は、
開店準備から立会い、オープン初日までの間、接客研修を受けて、
オープンの準備をしていました。

その新店舗では、新しく徳島本部で勤めていた、若い店長が店を管理することに、
なりました。また、私はそのショップでは、一番の年長者で、
みんなから「長老」と呼ばれる事に、なったのです。

ショップのオープニングスタッフになる経験なんて、そうそうあるもんでは無いです。
私は本当に忙しく、しかしとても楽しく仕事をする事が出来ました。
なぜならば、私の得意分野であり、趣味でもあるコンピューターの販売をする、
という経験は、以前ジーンズショップで社内システムエンジニアとして働いていて、
たまにジーンズショップのレジスタッフとしても手伝いをしていた私は、
販売員の仕事の楽しさを知っていたので、ファッションには疎かった私ですが、
得意分野のパソコンを、お客様にその楽しさと、活用方法を提案しながら、
販売できるこの仕事をずっと続けたいと思っていました。

しかし、3ヶ月を経過した頃、店内のPOPをリニューアルする作業に入った時に、
その時の若い店長から、「僕が社長に怒られるから作業をして」と、
口癖のように「僕が社長に怒られるから」と連呼していた事から、
私はそれは違うのでは無いか、お客様の事を第一に考えた仕事をしないと、
ダメなのでは、と店長に対して不信感を募らせていったのです。

仕事は「考えて」やるのであって、「自己保身の為」にやる事では無いと、
私は常々この店長に対して思っていて、店長としてあまり適任では無いな、
と思っていました。

そんなある日、社長から一通のFAXがショップに流されてきました。
そのFAXには、それまでに作ったPOPとは大幅に変わった内容に、
変更する事を指示して来たのです。

私を含めて、みんなで考えていた最初の案の方が、お客様にとっては、
解りやすいPOPである、と考えていたのがほとんどで、店長以外は、
みんな考えて仕事をしていたのです。

店長は自分では考える事は一切しないで、二言目には「めんどくさい」と言って、
私たちに社長の指示を丸投げにしていたのです。
こんな店長では誰も下に付いてこないです。

私は年長者として、店長のいい加減さに呆れていました。
あまりにも店の事情を何も考えないで仕事している、というか作業している、
店長に、業を煮やした私たちは、社長に相談する事にしたのです。
その対応を私がやる事になりました。

そして、徳島の本部に行く機会のあった私は、社長に店舗の状況と、
店長の仕事の仕方について説明し、相談したのでした。

すると社長は、「解った、それなら君が店長をやらないか」と提案して来たのです。
私は、「しばらく時間をください」とその場での即答はしないで、店へと帰ったのです。
これは一つのチャンスでもありました。

しかし、当時、私はパソコンショップの店長としての経験がほぼ無いので、
自分の実力では足手まといになる、と考えて、結局断ることにしたのです。

その事実を知った店長は、私と意見が対立するようになりました。
一つの店に二人のリーダーがいる事になってしまう事に、私は悩みました。
そして、一つの結論を出す事にしました。

それは、私がショップを辞める事、だったのです。
その方がお互いの為にもなるのではと考えたのでした。

私が辞めたい事を店長と社長に申し出ると、店長はただ一つ作業を淡々とこなす、
そんな感じの対応でした。

そして、私が辞める事から、簡単な送別会を兼ねた食事会を、
社長が開いてくれたのです。
その席で社長は「本当に残念だ、何かあったら相談に来なさい」と言ってくれました。
私は、有り難かったのと、仕方が無いか、と思ったのとで、複雑な心境でした。

[その28]に続きます。

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