Pastorale

サヴァトラ猫との今日いちにち

またまたヘッセ

2020年04月17日 | 読書、詩など

まだまだどっぷり浸かっているヘルマン・ヘッセ。

「ペーター・カーメンツィント」これは光文社の本ですが、

「郷愁」という邦題でも出ています、今のところ、この物語が一番好きです。

その証拠に、

心に残ったり、気に入ったところに貼る付箋がいっぱい。

 

「車輪の下」はずいぶん前に読んだはずなのに、あんまり記憶にない・・・

途中で挫折したのかな?とも思いましたが、後半のりんご果汁を搾るくだりに覚えが。

・・・食いしんぼだわねぇ。

でもあの衝撃の結末にも記憶がない。なんだったんだろう・・・

「感受性豊かな若い頃に読んだから感動したが、今読んでも・・・」

という意見をよく見かけるけれど、私は逆なのかも。

少女のころや若い頃には興味なかったものに感動することってよくある。

 

でもやはり今時はこういった本はあまり読まれないからか、

ふと立ち寄った本屋さんで探してもヘッセの本は品揃えがない。

せいぜい「車輪の下」「シッダールタ」、

「デミアン」「荒野のおおかみ」があればかなり大きな本屋さん。

「クヌルプ」はAmazonにもなくて、e-honというオンライン書店で手に入れた。

それも読んでしまい、今すぐ読みたい、と思って本屋を回った「知と愛」。

4件回ってもなくて、やっぱりAmazonで買うことに。

でも二日ほどかかるので、せっかく寄った4件目で見つけた本も買った。

「少年の日の思い出」 そう、教科書で読んだはずの、あの物語。

でも果たして自分の中学時代に読んだのか、息子たちの教科書で読んだのか、

またまた記憶があやしい・・・(私はよく息子たちの国語の教科書を読んでいた)

でも内容はしっかり覚えている。

懐かしさでつい読みたくなって買ってしまったが、大問題が。

誰でも知っているはずのこのお話・・・そう「虫・・・・・・・・・我」のお話し。

大の苦手なこの虫、漢字を見るのもおぞましい。

ナント、表紙にもその問題の虫が、それも二匹も!

本屋さんのレジには、本の端をつまんで裏向きで持っていきました。

そして写真のように、普段はお断わりしている紙のブックカバーをつけてもらって、

その上から自前のブックカバーもつけて読みました。

(後から本棚にしまった時のためにカッターナイフで題名がわかるように切りました)

でももっと大問題が 

ナント中表紙(っていうの?)ですが、表紙をめくると、ご丁寧にカラーで例の虫がたくさん

お話に出てくる彼らの種類が紹介されていた・・・・・・・・

おばあちゃんに頼んでお店でかけてもらった紙のカバーにその絵のページを押し込んでもらった。

(先の日記ではぶつぶつ怒っていましたが、実は非常に頼りにしているのでございます)

 

なんだかバカみたいな話でしょ? もちろん私のことですよ。

 

ヘッセのお話は・・・

「あんなおぞましい虫ごときのために泥棒までする?」

なんて言ってはいけません。

「デミアン」もそうでしたが、子供の世界って、大人にしたら小さなことでも、

世界がひっくり返っちゃうくらいのことがある。

大人、おばさんになったらなんにも怖いものなんてないのにね・・・

 

いやいや、おばさんにも怖いものはある。

 

何十年ぶりかで読んだ「少年の日の思い出」ですが、懐かしく読みました。

でも夢中で読んでいる間はいいのですが、ふと我に返ると、

「このカバーの下の下にアイツの絵が描かれている・・・」なんて思い出して、

端っこを持って読みました。

ベッドの中で読んでいると途中で寝落ちしてバサッと本が顔に落ちることがある。

そんな時、紙のカバーからバサッとアイツの絵がはみ出したら・・・なんて、

なかなかスリリングな読書でした。

今は本棚の中に落ち着いています。

 

そんなこんなの後で、やっと読み始めたこの物語。

新潮文庫では高橋健二さんの名訳で読みます。

なかなか難解なお話です、頭の中に渦が巻いています。

でも楽しい時間です。

 

先日、お掃除のときに、私はあんまり入らない夫の部屋の壁に・・・ナント、

ずいぶん前のワタクシの作品です。

20年くらい前に書いたものなので、もう忘れかけていました。

お習字を習い始めたころの作品なので、上出来とは言えませんが、

たくさん練習をして書いたものなので、自分では気に入っています。

(そのわりには忘れかけていたけれど・・・)

 

いつも私の中には探し求める光があります。

思い出だったり、希望だったり、ささやかでも夢だったり・・・

 

 

 


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