Pastorale

サヴァトラ猫との今日いちにち

ツルゲーネフ

2019年02月21日 | 読書、詩など

一月はプラハ響のコンサートと、ロマンティック・ロシア展、

そして昨秋から予定していた家族の食事会(といっても夫とばあさんと三人)も終わり、

もう今年のイベントはこれで終了くらいの息切れ状態。

食事会もメンバーは地味な感じでしたが、内容が濃厚で楽しかったのです。

それはまた次にでも忘備録。

 

先日のロシア展以来、個人的にロシアブーム再来の私。

本棚から古~い本を出してきました。

ツルゲーネフの「父と子」。

ツルゲーネフといえば「はつ恋」が有名でしょうか。

ロシア展では「あいびき」をモチーフにした少女の絵がありましたが。

この本は私が15歳くらいの時に買ったものです。

あまりにも難解で読みかけだったのですが、途中で挫折した理由は他にも・・・

文字も小さくて読みにくいのですが、格子縞の洋袴って・・・

すべてがこんな感じで古臭い、ロシアは露西亜だし・・・読みにくいったら。

 

で、新改訂版っていうのかしら、現代的に読みやすくなったのを買ってきました。

 

左が昭和26年発行のもの、右が平成10年発行。表紙は古いものの方が好みですが。

(格子縞の洋袴=チェックのズボン)

活字が新しく、多少文字も大きくなり、もちろん露西亜もロシアなので読みやすく、

一気に読んでしまいました。

残念ながら夏の時季のお話なので、大好きなトロイカのシーンなどはなかったのですが、

う~ん・・・なんといえばいいのかしら・・・

主人公のバザーロフは宗教をも否定するニヒリストなのに、

人間には抗い難い神の御意思には逆らえなかったのだな・・・と。

 

なぜ15の私がこのような本を買ったのかといえば、

そのころの私はニヒリストなるものに非常に関心を抱いていたのだった・・・

 

15の私・・・といえば、アンジェラ・アキさんの名曲、大好きです。

今でもいつでも、涙なしでは聴くことはできない・・・

自分自身が15のころに特別辛い出来事があったわけではなけれど、

年齢的に不安定なあのころ・・・まるでいつも大地がぐらぐらしているような感覚があった。

今振り返れば、不安定どころか、とてつもなく大きな未来が開けていたはずの15のころ。

今の私には遠い昔ですが。

 

最近、上司が転勤していきました。もうお会いすることはないでしょう・・・

5年以上一緒に仕事しました。

私が今の仕事に代わって数か月後にその上司はやってきました。

丸かぶりでした(南南東とかを向いて食べる巻き寿司ではありません)。

思い出すのも恐ろしい日々だったので詳しくは語りませんが、

そろそろ限界も見えてきたころ・・・神様は私の味方でした。

一生懸命がんばって、心の中では泣きながらも嫌な顔もせず仕事に励みました。

 

少し前、ちょっと限界が見え始めたあのころの私に、言いたい。

「がんばれ、あとちょっとだよ」って。

15でもない、もう50すぎの私に、だけど。

 

時々この日記にも書いていたと思う、上司の顔が怖い・・・などなど。

顔の造形が、ってことではなく、機嫌がよかったり悪かったり。

その機嫌が悪い時の相手かまわず不機嫌アピールがすごい。

人間性が嫌、人柄が信頼できない(総理と同じ理由で嫌われるなんてすごいことだけど)。

私はそういう面が見えてしまうと、仮に相手がご機嫌な時でも性根の部分が透けて見えるようで、

今思えば、心の中で拒否していた気持ちが相手にも伝わっていたかも。

なるべく避けていたし、別に頼らなくても仕事に支障はないし。

解らないこと、困ったことがあっても自分で調べて解決したし。

でも他の人は愛想笑いを浮かべて、頼ったふりして仕事を頼んでいたんだよ・・・

そうやって心の塀を乗り越えて仲良くやっていた、ように見えた。

私は自分で武装して、ますます塀を壁塗りして堅固なものにしていったのかも。

 

まぁもういないから、どうでもいいんだけど。

でも、時々移動先から返品されてくる社員がいるんだよね。

移動先の皆さんが、こちらのみんなのように忍耐強い人たちでありますように。

 

 

 

 

コメント
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