Pastorale

サヴァトラ猫との今日いちにち

苦難の日々

2020年01月21日 | 日記

夫が足を痛めて1週間ほど仕事を休んでいます。

朝、出勤前に朝ごはんと昼ごはんを用意して、

帰ったら夫が一日を過ごしているコタツの周りがゴミ屋敷。

私の顔を見るなり「なんかオヤツある?」

出かける前に「ほしいもの(主にオヤツ)あったらメールして」と言ったのに。

自分でも、動かないのに食べ過ぎ~と言っているから、

いらないと思って、0カロリーのコーラしか買ってきてないよ。

 

三日ほどして少しは動けるようになったものの、

「マトモに動けないなら来なくていい」とのことで。

丸っと一週間たった今日この頃、ウォーミングアップのため畑へ。

柿の木の皮むきの仕事に出かけました。

害虫が木の皮の中で冬眠しているので、水圧で皮をむいて追い出すのです。

タンクに水がたまるまで見張り番をするよう言われて、

ついでに庭を散策・・・(というほどの庭でもありませんが)

今年は暖かいのでクリスマスローズがもう咲き始めていました。

赤の次に咲き始めるピンク、まだ芽を出したばかり・・・

今年はいくつ咲くかな?

最後に咲き始める白いのはまだ土の中。

でも小さな葉っぱがたくさん出ていました。

楽しみです。

 

夫も明後日くらいから出勤、そちらもとっても楽しみです。

 

 


ハプスブルク展

2020年01月14日 | 美術館など

行ってきました、ハプスブルク展。

ずいぶん前にニュースで見て、家族みんなで行く?なんて言ってました。

でも東京へ行ってまでは・・・とヒートダウン。

年が明けて長男が「12、13日なら空いてるよ?」とメールが。

そこまで言われては、と二人で行ってきました。

次男は新幹線で日帰りするよりは、夜行バスでゆっくり行きたいみたい、

しかもハプスブルク家にはそこまで興味ないみたい・・・

私たち親子は宝塚の「エリザベート」を観て以来、興味を持ちましたが、

そういった人も多かったみたいで・・・

宝塚以外でも「エリザベート」やってますし、最近はちょっとミュージカルブーム?

だからか若い女の子も多かった・・・(・・・に色々な思いが含まれてます、煩いとか)

私たち親子は入り口で解散、出口集合。

入口付近では目が合い、少し話もしましたが、後は混んでいてバラバラに・・・。

いや~すごい人でしたよ。チケット買う列が1時間待ちくらいかな?

豊田で懲りたので、事前にチケットはGET、なので入場は待ち時間ナシでしたが。

息子も「チケットなかったら大変だった」 さすが母ちゃん、とは言われなかったけど。

 

宝塚宙組の「エリザベート」を観て以来、彼女に関する本はたくさん読んでいました。

その後は中野京子さんの本でハプスブルク家650年の歴史も予習しましたが、

いや~なかなか、650年の歴史は重い。

私に理解できるのはこのお三方くらい。

   

息子はナント、このフランツ・ヨーゼフさんのファンらしく、感動していました。

あのストイックさをお手本にしたいらしい。

まぁそこそこ頑張ってるんじゃないかな(親ばか

 

スペイン・ハプスブルク家の絵画は、ベラスケスなどたいそうな作品群でしたが、

エリザベートの肖像は有名なヴィンターハルターの方じゃなしいなぁ~

というのが東京までいってまでは・・・と思った理由でしたが、

やはりこの目で実物を拝むと、感慨深いものがありました。

マリーアントワネットの肖像はサイズもかなりのものでしたし、

あのヴィジェ=ルブランの目を通してアントワネットを見た気がする・・・

というと大げさでしょうか・・・

もちろんシシーの肖像も一番人気で、最後の展示場所でしたが、

なかなか彼女の前からは去りがたい人が多く・・・

実物の彼女の輝く瞳や肌もこんな風であっただろうなぁ・・・

やはりなんでも機会があれば実物を見るべき、と思いました。

誘ってくれた息子に感謝

 

ヴィジェ=ルブランといえば、名古屋の美術館で彼女が描いた肖像画をみた記憶が。

フランス革命から逃れたロシアで描いたロシアの皇女の肖像画。

長いこと美術館巡りしていると、こんな再会(?)もあるのね・・・

そんなこんな考えたり思い出したり、一人でのんびり観て回り、

観終わっても息子とははぐれたきり、

「外でロダン観てます」とラインして、美術館の外へ。

勉強不足で恥ずかしいのですが、

国立西洋美術館にもロダンの作品があるのを知らなくて。

前から観たかった「カレーの市民」

そして「地獄の門」

あ~これで静岡まで行かなくてもいいわ~

(次は静岡の美術館に行きたいと、行きの新幹線で思っていた)

ところで、隣の美術館ではゴッホ展やってるけど、

最終日の前日だから混んでるからハシゴは無理だよね~

なんて思っていましたが・・・想像以上でした。

無事息子と再会して、パンダ観覧は拒否され(シャンシャン帰っちゃうのに)、

ご飯でも食べようかと歩いていたら、ゴッホ展の長蛇の列。

「最後尾」の看板をみて「40分待ちなら並ぶ?」とゴッホ好きの息子。

よく見て、140分よ、2時間以上だよ。(今日のニュースで会期中45万人だと)

以前に名古屋で見た「ゴッホとゴーギャン展」

あれも素晴らしい展示だったので、140分待ってまでは・・・と帰路へ。

 

帰りの新幹線の中でふと思ったのが、

「ひょっとして二人で出かけたのって初めて? 最初で最後だね~」

楽しかったね、ありがとう。

 


仕事初め

2020年01月03日 | 日記

昨日の夕景。

いつもは夕方の買い物帰りに見る景色ですが、

お正月休みで時間にも余裕があり、夕飯を急かす人もいないので、

堤防の下に車を止めて、テクテクと橋の中ほどまで歩いて

川面に夕焼けが映って、いつもきれいだなぁ・・・と見ている景色を

カメラ(と言っても携帯の、ですが)に納めたくて。

二度と同じ景色はない一瞬を切り取った気がします。

 

今日から仕事でした。

まぁ初日から色々ありました。

食品スーパーに勤めていますが、グロッサリー担当なので、

他の部門に比べれば・・・ヒマ(大きな声では言えませんが)。

お寿司やオードブル、お刺身を作るところは大わらわ。

そんな中、もう秋口からマークされていた万引き犯が捕まって、

お巡りさんは来るわ、犯人は悪態はつくわ、刑事さんが来て怒鳴るわ・・・

生で「警察24時」見てる感じ。

ちょっと疲れたので、美しい夕焼けの写真でも見て・・・。

 

 


正月徒然

2020年01月02日 | ひとりごと

新しい年が明けました。

今日は1月2日、とても静かなお正月です。

 

とはいっても新年から波風はありました。

私の気鬱のネタは、夫です。

悪人ではありません、むしろ善人の部類ですが・・・

とにかく私には喜怒哀楽、すべての感情をぶつけて下さるので

お正月からはきつい・・・

 

ああ、年明けからがっつり愚痴ってしまった・・・

幸いなことに夫の母も、長男もいたので

思いっきりぶちまけてしまった、元旦から・・・

 

その夫の母も突然、自分の娘のいる栃木へでかけて行きました。

しかも年末に何度も「遊びにおいで」と誘われていたのに断り、

年明けとともに突然「やっぱり行ってくる」

このフリーダムな感じ・・・

この親子って・・・

 

次男は30日に夕飯を食べに来て以来、寄り付きません。

長男は幼なじみの地元の友人たちと近場の温泉へ・・・

昨夜突然ご機嫌が直った夫は、早朝から畑で剪定をして、

その後、銭湯へ出かけて行きました。

 

私は・・・

ど・れ・に・し・よ・う・か・な~♬

ひとりコタツでドストエフスキー三昧、よりどりみどり。

BGMはチャイコフスキーの4番。

(今朝布団の中で「ポツンと一軒家」を見ていたら、そこの家主が

 自作の巨大スピーカーで大音量で聴いていたのがチャイコフスキーの4番)

色々あったけれど、一人で静かに幸せなお正月。

 

夫の波風の原因は自分自身にあるのですが、

私に痛いところをつかれると逆ギレするんです。

自分でも自分が悪いのはわかっているそうな・・・

子年の彼は、それでも今年還暦です、恐ろしい・・・

年を取るっていったいどういうことなのでしょう。

ずいぶん前に読んだヘッセのエッセイに、人間にも春夏秋冬がある、

夏を乗り越え秋へと向かうには嵐が吹き荒れることもある、そう書いてあった。

その頃の夫はまさしく人生の秋を迎えるため、吹き荒れる嵐を起こしている最中だった。

今は・・・もうすぐ冬を迎えるのに・・・

ああ地球温暖化で異常気象だから・・・

 

私自身は実りの秋、というところですか。

今回は夫にも少し言いたいことは言ってみましたが、

私たちももうあと何年も一緒にいられるわけではないので

ケンカしてても仕方ないのでは?と言ってみました。

結婚して30年、そしてあとは長くても15年くらいかと・・・

 

そうそう、はやり(?)の年賀状じまい、というのも頂きました。

夫がずいぶん前にお世話になった会社のおばちゃん。

そろそろ90歳くらいではなかろうかと夫は言っていたけれど。

私も昔は苦労して年賀状を出してました。

書道を習っていたので、お習字で原稿を書いて、何度も赤で直されて、

それを印刷して、宛名書きも毛筆で・・・

でも反ってくるのはタダの印刷で、手書きで一言添えてあればまだ上等、

「機械で印刷して、機械であて名書きしてポストに突っ込むだけのなんか

 いらないよ~」って思ったものです。

今では自分でポストにさえ行かなくてもいいらしい?

それでも出さなきゃいけないの? なんて思うのは私だけではないはず。

テレビで志らくさんが言ってましたね、

「年賀状じまいできるのは、ある程度は色々頑張って出した者だけだ」と。

だから私は堂々と年賀状じまいできるのですが、

どうしても出さなきゃならない20枚まで減らすことができました。

もうタダでダウンロードしたやつですが。

 

今日は暇にまかせて、お正月の思い出を・・・

突然「やっぱり行って来る」と出掛けたばあさん。

いくら来いと言われていたからとはいえ、一度断ったのだから、

今一度先方の都合を聞いてみないと、と私と息子が言うまでは勝手に決めていたババ。

電話したらちょっとビックリしていたそうな・・・ そりゃそうだわ。

 

私の母親は亡くなってちょうど5年を迎えようとしています。

亡くなる直前のお正月は、今思い出しても恐ろしい・・・

母も年を取ったし、お正月は実家でみんなで集まろう、と弟が言い出しっぺ。

料理上手の弟のお嫁さんがおせち料理を作ってくれるとのこと。

私はお寿司でも買って行こうと思って予約しようとしたけれど、

さすが私、もう神がかり的な予感がしていたので、出かける時に買えばいいかと。

明けてお正月、今まさにお雑煮を食べようとした瞬間電話が鳴りました。

母が「やっぱり外で食べるから、お店を探して」

え~ 元旦からいきなり8名様予約なしで受け入れてくれて、

しかも口うるさい母のおなかが満足するお店~

でもとりあえずお雑煮を・・・とお餅嫌いの私が元旦くらいはと食べ終わるか終わらないかで

また電話が・・・「お店、見つかった?」

やっとの思いで予約したしゃぶしゃぶ屋さんで私は母から一番離れた席でやけ酒を飲んだ。

 

母の言い分では「お正月に集まるなら年末に来て用意しなくては」

めったに上がらなくなった2階から客用座布団や座敷机を下して、掃除して。

年末に弟がそれをしに来なかったので、元旦からプッチ~ン

 

でも数日後、改めて訪れると母がほめてくれました。

「よく弟を説得して、みんなで楽しく会食できるようにしてくれた」と。

そりゃ弟夫婦に頭を下げてお願いして、お店にも無理言って・・・

今となっては恐ろしくも楽しい思い出です。

母が亡くなったのはその20日後、突然でした。

家族葬でしたが、お別れがしたいと来てくださった母の友人は、

「お正月の事、とても喜んでいたよ」と教えてくれました。

今こうして初めて文章にして読んでみると、すごい母親だったなぁ・・・

子どものころからほめてくれる母ではなかったので、

その時ほめられたのと、それからこれは特別枠で、

私が大所帯に嫁いで大変な思いをしていることは、

いつも労ってほめてくれていた・・・自分にはできないことだと。

そんな恐ろしくも優しい母親だったので、私は親子孝行にも努めた。

だからなにも後悔はないけれど、ひとつだけ心残りは、

一晩くらいはお布団を並べて、お互い半眠りでもいいから

夜通しおしゃべりを聞いてあげればよかったなぁ・・・

でも自分自身が子供思いの母親だったから、

私もいつも「早く帰って子供たちにご飯を作ってあげなさい」と追い立てられた。

だから寂しかったかもしれないけれど、満足していたと思う。

私も最近は一人の時間も増えて、寂しさを感じないことはないけれど、

でも一人で楽しむことは母が教えてくれた。

一人で考えて、一人で歩いて、一人で楽しむ、

と言っても私の場合は高々遊びに出かけることにおいては、ですが。

 

母はすべて一人で私たち姉弟を育て導いてくれた。

ずっと心の中で毎日感謝し続けてはいましたが、

文章に綴ったのは、5年たってやっと・・・

もう慣れましたが、年末年始はやはり寂しい・・・

 

ああ、お正月から目がポンポン。

だから書きたくなかったんだなぁ・・・