今日は雨模様のお盆です。昼前墓参をした。帰宅してテレビを見たら
「人間(じんかん)到る処青山あり」と、都市部で深刻化する“墓不足”激変する“お墓”の最新事情というのをやっていた。
「じんかん」とは世間のこと、「せいざん」とは墳墓のこと。
世の中は広く、死んで骨を埋める場所ぐらいどこにでもあるのだから、大望を成し遂げるためにならどこにでも行って、大いに活躍するべきであるということ。大志を抱いて故郷を捨てて活躍すべきだ。と説いているのだという。
昨日供花は嫁がやってくれると言うので、お願いしますと頼んでおいた。仏壇にも花と果物の供え物が飾ってあったので、大きめの花瓶に変え水を入れ替えてお参りした。
墓の花瓶はステンレス製で大きく深い。底に水垢が付くので墓参のたび清掃する。用具は水場の屋根付き用具置き場に、誰かがタオルやブラシを置いてくれているのでこれを借りる。
嫁も花瓶を掃除して供花するよう教えねばならない。雑駁で気が付かないのだ。
それとクモの巣を払うこと、玉砂利のところの雑草を抜くこと。落ち葉を拾うことなどだ。
駐車場へ戻る途中、紅葉の植木を添え木ごと車でぶっつけて倒している。横着者の軽率な駐車の罰が当たったのだ。バンパーの壊れた一部がそのまま放置してあったので、市営火葬場の受付へ手直しして植樹を助けるよう伝えて置いた。係は礼を述べた。
その前に、いつもの喫茶店は休みなので違う店へ行った。その手前の交差点で一時停車を無視した車と、初心者マークの軽が衝突して、1メートル強のコンクリート段差のある田圃へ2台とも落ちていて、レッカー車が引き揚げているところだった。パトカーもきていた。
ここにも横着者がいたわけだ。
喫茶でモーニングを採り、店を出て事故現場を眺めていたら、店の従業員が追いかけてきて、忘れ物です、とバッグを持ってきてくれた。「私のではないの。隣席のおじいの物だと思うよ」。4人席の一方の椅子に初めから置きっぱなしでうるさいほど男女の老人が話し込んでいた。ここにも横着者がいた。足元に置けばいいものを。
お盆は静かだ。嫁と孫2人は在所の一人暮らしの母を訪ねたのだろう。上の孫はバイトで在宅している。
庭の草取りが暑くてできなかった。3坪ほどの雑草畑は防草シートを張り、除草剤を撒いたのに、球根のできるしぶとい強雑草がモヤシのように芽を出してくる。それを2日かけて掘り起こした。松の木の下の雑草引きまで手が回らなかったお盆です。
昨夜のお盆の夕食は、久しぶりにサツマイモのテンプラを作った。