たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

お彼岸法会5

2012年10月01日 | お寺参り

お彼岸法会はたくさんの資料と有益なお話を聞くことができました。その中である方の作文を一編お読みになりました。うろ覚えですが、

 能登の春の夜には少し暖かい夜、隣の部屋からおばあちゃんが孫の高校生を呼ぶので行くと「今夜あたり間違いなくお参りすると思うよ。死ぬということは何も特別のことではないがね、阿弥陀さまからいただいた命が、阿弥陀さまに迎えられてその元へと還っていくだけのことだけだがね」と、おばあちゃんは言い「お前は跡継ぎの長男なので妹二人の模範になるような生き方をしておくれ」と、わら布団の下から胴巻きを取り出し「取っておきなさい」と言い遺した。
 孫は母を呼びに行くと、おばあちゃんは母に向かって「今夜お参りするだろうよ。あなたは子供や夫がありながら、こんな婆の面倒をよく看てくれてありがとう。お礼をいうよ」と感謝した。
母は近くに住む、叔母と叔父二人を呼びに行くと云うと、おばあちゃんは「あの子達ももう70代なので、すぐ私の元へと来て一緒になれる。呼びには行かなくてもよい」と言った。
 それから間もなくおばあちゃんは息を引き取った。夜中に父と母と一家が時ならぬお勤めをした。

という作文で、作者が初老になってからのお婆ちゃんの思い出を何かに発表した。彼岸会の講師も他の人から貰ったものだと言われた。原文はもっと情緒豊かな表現だった。 

死ぬことは何も特別のことではない。阿弥陀さまからいただいた命が、阿弥陀さまの元へと還っていく。

昨年、親鸞聖人の750回忌御遠忌法要が行われ、テーマは
 『今、いのちがあなたを生きている』
であった。仏教講座の高名な講師は、このテーマは深い意味を含んでいる。「今、私の命が私の体の中を生きている」という単純なことを問うてはいない。「あなたを」という助詞で「あななに」ではない。この意味をよく考えて下さい。といわれた。東本願寺は何か大きな行事があると、テーマを決める習慣があるが、今回のテーマも意味深長でよいテーマです、と講義された。 

彼岸法会の講師は、このテーマの命とは、阿弥陀さまのことであると言われた。わたしに阿弥陀さまという命が生きているのである。 

最近、新聞のおくやみ欄を見ていると、ふるさとで世話になった先輩達がつぎつぎとお参りされる。年長の方ばかりなら、だんだん自分に近づいて来たな、と思うばかりだが、元会社のホームページの訃報を見ていると、名古屋勤務時代の同輩が71歳という若さでお参りしていた。
合掌


最新の画像もっと見る

コメントを投稿