たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

タイ旅行の思い出4

2012年09月01日 | 旅行

変なプレゼントを貰うの巻
チェンマイにも少し慣れ、旅は終わりに近くゴルフプレーの後ホテルへ帰り、一風呂浴び一休みして、その後街へ一人で散歩に出ます。
ぶらぶら歩いて、人や街をみたりホテル近くにあるコンビニで飴玉やお菓子などを買ってレジで清算していたら、後ろからポンと肩を叩かれ、英語で「オー・ジャパニーズ・ノー・プロブレム?」とタイ人の中年男性に声をかけられました。
私は「オー・サンキュー」と適当にあしらうと、男性は缶ビールを手にしていて「ビールが好きか」と聞いてきました。「アルコールは健康によくないので飲まない」と答えると「私はビールが大好き、息子も娘も好き」とつづけて、窓から見える隣の私のオフィスに寄っていかないかと熱心に誘いました。彼のオフィスは旅行社で看板が窓越しに見え、レジの大学生らしいバイトの男性は笑っていました。コンビニは日本のセブンイレブンです。

言葉の通じない外国で知らない人について行くのはご法度です。特に女性は危険です。旅行社ならまあいいかと、少し大胆になり付いて行くと、若い女性が机に一人勤めていました。
彼は店長席に座り机の引き出しからビデオのDVD2枚を取り出し、私にプレゼントすると言います。DVDは何と日本のアダルトビデオでケースの写真はいかがわしい裸体の豪華版です。
日本製なので性表現は合法物だろうと推定しました。
「ノ・ペイー?」と聞くと「イエス」といいます。少し心配して彼の名前と住所を書いて欲しいと頼むと、メモ用紙に名前を手書きし、住所はゴム印を押してくれました。

隣の若い女性事務員は笑っています。お礼を言って外でオフィスの写真を撮りホテルへ帰ると、折り良くホテルの中年女社長がいました。近所の旅行社なのでメモとビデオを「どう!貰ってきた」とふけらかすと、社長は笑って見ながら、「ノー・イミグレーション」と、フロント姉さんの二人は笑いました。そんなものはどうでもいいのでチップを頂戴と社長自ら云うので二人にそれぞれ100バーツ差し上げました。

翌日、DVDを貰ったと同行者に話すと彼は呆れて、「捨ててしまえ、税関で罰金物だ」と叱られました。ロングステイする彼と別れ、帰国の最後の外食で「あのビデオを持っているのか」と聞かれ、また叱られ捨てるように言われるので、彼の女性に「捨てて下さい」と渡すと、彼女は「写真がよくないね、ワタシ見る」と引き取ってくれました。
その後で用事があったのか彼女の家へ寄り、家に入り家族と挨拶しました。

11日間の旅が終わったのは11月の終わりで、年末にかけ日本は大雪に見舞われました。
その風景を写真に撮り、ビデオをくれた旅行社のマスターに年賀状でお礼を送りました。
年も明けた2006年の5日の消印で海外郵便の返事が来てビックリ、達筆な英文の筆記体で書かれています。英語が出来ない悲しさで一字一句をパソコンに入れ自動翻訳を試みても、ところどころ翻訳できません。
当時私は通院断酒治療を受けたすぐ後で、自助グループ「断酒会」に所属していて、その家族の娘さんが英語塾の先生だったので、ヘルプをケイタイに送信しました。
彼女はケイタイを片手でポンポンと翻訳し返信してくれました。

手紙は・新年挨拶と年賀状のお礼を述べ、・写真が素敵だ・あの事務所は私の事務所ではないのです。私の事務所はあそこから2ブロックほど行ったところです。(友人の事務所だったのだ)・もうすぐ日本の友人が5~7人くらいここに来ます。私は彼らに会ってお手伝いできることが本当に嬉しい・DVDは日本の友人がくれたお土産です。・チェンマイは今がとてもいい季節で寒すぎず、少し冷えるくらい・あなたがまたチェンマイを訪ねたら、是非私のところへ立ち寄って下さい・電話は××と、実に丁重な文面の手紙でした。

あの親切なマスターは今どうしているだろうかと、思い出すのです。

  
左から)タイのタクシー --- トゥクトゥク 4~5人乗り、近距離用
自転車が引っ張る人力タクシ --- サムロー 観光用で周りの景色を眺めて走る
チェンマイの乗り合いバス --- ソンテウ どこでも乗降自由、単独でも頼めるのでゴルフ場へはソンテウで来ている人がいた。プレーが終わった頃また迎えに来て貰う


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