たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

暁天講座2

2012年08月02日 | お寺参り

真宗大谷派・岐阜教区・岐阜東別院の2102年暁天講座2日目へお参りしてきました。

朝寝坊してはいけないと目覚ましをセットして就寝しましたが、夜中に2、3度頻尿のある身なので特に朝は弱い。体質が夜型で朝が弱いせいもあります。不健康体質なのです。昨夜は時に台風の低気圧が来て蒸し暑く寝苦しかった。

目覚ましは必要なく5時にはキチンと目が覚め時計を確認、でも眠くて針を15分遅らせ二度寝しました。顔は洗わない無精者ですが、今朝は洗顔して覚醒しました。

車で家を出るとこの団地は6千500人も住む大団地なので、早朝ウオーキングの人が10数人、今朝は犬の散歩の人も5.6組は歩いていました。こういう人は健康体質です。人生に悩むなんてことは無い人種の方でしょう。

さて、片道8Kmくらいか定刻どおりに到着するといつものように、墨染めの衣を着た若い僧を主体に堂内交通誘導に5,6人が迎えてくださった。
6時きっかりに講座は始まり、真宗宗歌の合唱、正信偈(しょうしんげ)のお勤めで、いつもの仏教講座と違い導師は3人です。

早朝のお勤めはなかなか清々しいですね。終わると予定時間きっかりの6時20分、ここで司会者でない役僧が暁天講座の挨拶をされます。
正面にホワイトボードと、演壇と椅子、を移動してきて水飲みを用意され、講師の紹介、6時半きっかりに講師が登壇され、先ず宮殿に向かって正座一礼、声を出して「なまんだぶつ」を3回称えられました。
ここから講師は演壇に移動、三帰依文(さんきえもん)を、前段・後段は講師の独唱、真ん中のところ「自ら僧に帰依したてまつる・・自ら法に・・自ら僧に・・と仏、法、僧に帰依することを皆で誓う唱和をします。

ここで講師が自己紹介し、講話に入っていかれます。講師は必ずしも僧でなく学者や評論家・文化人などが立たれるときは、墨染めの衣でもなく、宮殿に拝礼もされません。いきなり講話です。今日は仏教講座でなく仏教行事なので得度された導師で、終わっても質問はありません。
勿論いつものことで「講座は自らに受け入れること」なので、どんなに感動した講話でも拍手はいたしません。時々そうのように司会者が案内されます。

今朝の講師は名古屋からお出でいただいた、坊守さん、45歳とお若いお寺の奥さんです。
なかなか上品で美形、髪も今朝美容院へ行ってこられたのかと清楚な美人で、話し振りもお上品です。
いや、私の俗な観察でなく終わって、一服していたら傍へ来た寺院関係者か聴衆のひとりがそう話しかけました。

講題は「私の立ち処」、メッセージは「世の中を見わたしてみますと、すべての事の中心にあるのは損か得か?ということが重視されています。本当はそうではないなと思っていても、私も得になる方へ流されてしまいます。そのような姿を親鸞の教えに学ぶ」、という主旨でした。

この坊守さんはお寺に生まれ・育ち、生まれながら寺院を継ぐ運命にあった方とか、現住職はお婿さんであろう、京都で仏教大学へ通う大学生の1人息子がいると紹介されました。

こういう身分の方は、いいお婿さんを迎え、檀家の間を取り持ち、いい後継者を育て上げればもう云うことなしですが、この方はそこで納まらなかった。
こころが弱かったので、いつも、もやもやして自分を持て余していた。健康も損ね栄養士に相談したら。ストレスが万病の基、ストレスを無くするには自分が好きなことをやる、と教えられ、そこでハットして、仏教をもう一度学んでみよう、自分なりに理解してみようと発願し、そういう学校があるから行ってみようと、息子さんが幼稚園の頃、養育は母に預け1週間ほど留守にする勉強を続けてきたと話されました。

ご経歴は名古屋真宗学院を卒業、本山同朋会館補導を勤め、現在は教導とあります。
私はこの宗派の組織や身分は知りませんが、終わって一服の時傍へ来た方に聞いたら、教導とは門徒が本山へ上壇し(こう書くのか?)、1泊2日とか2泊3日のお参りをした際、同朋会館に泊まり、夜3分くらいのスピーチを参詣者それぞれに求めたりするようで、その指導者、インストラクターという身分のようでした。

いいお寺の奥様候でおれる身分なのに、自ら法に帰依されて努力される、身近な聞法(もんぽう)のお話しでした。

500円の入場券は手次寺のご配慮で入手し、講座が終わってパック牛乳とパンを頂いての2日間の暁天講座は終わりました。
今月は6日、7日は手次寺の盆会法要、9日は犬山寂光院の「九万九千日」の案内がきていて、『ひろ さちや』氏の講演会が午後にあります。亡母の初盆にふさわしいお盆です。


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