造営中の新ご神殿
今年は20年毎に行われる第62回式年遷宮(しきねんせんぐう)の年、シャトルバスの録音案内でも、遷宮の発案は天武天皇、それを実行した第1回が、持統天皇と説明していました。20年に一度新しい神殿を造営しご装束・神宝をととのえ、大神様におうつり願う儀式です。20×62=1240年間の月日です。
持統天皇は女性天皇です。また天武天皇のお妃でした。私は級友が吉野に別荘を持っていた縁で4、5回吉野へ、その隣の日本人の心のふるさと、明日香村に遊んでいます。
明日香村には天武・持統陵があります。陵(みささぎ)は夫婦合葬墓です。2回お参りしました。入り口に宮内庁の小さな管理事務所があります。
女性天皇と女系天皇は意味が違います。明日香村の近く、橿原市の橿原神宮にも2、3回お参りしました。受付にパンフが置いてあって、女性天皇は賛成でも、女系天皇には反対と書かれたものでした。橿原神宮は初代の神武天皇をおまつりしています。
女性天皇と女系天皇はどう違うのでしょうか。簡単に理解するのは「教えてgoo」の問答、ベストアンサーの回答に下記のように解説されます。(アクセスに時間がかるので全文引用します)。
“同じようなご質問は度々出ていますので、検索すれば見つかるはずですので、簡単に書きます。
【女性天皇】文字どおり女性の天皇。
【女系天皇】母方を天皇の血筋に持つ天皇。
女性天皇は、さらに「男系」と「女系」に分けられます。
歴史上、8代10人の女性天皇が実在しましたが、いずれも「男系の女性天皇」です。これを「万世一系」といいます。
もし、近い将来、愛子さまが即位されることがあるとすると、「男系の女性天皇」ですから、過去の事例に反するわけではありません。
しかし問題はその次で、愛子さまが平民と結婚されてその子供が即位すれば、男子であろうが女子であろうが、「女系の天皇」ということになります。これは神武天皇以来、2千数百年の歴史に一度もありません。
今年の大きな政治課題になることが確実な、皇室典範の改正に関する有識者会議の結論は、まさに皇室伝統の破壊、天皇制の崩壊をめざしているとも言えるのです。”
話題を振りますが、8代10人の女性天皇の一人が持統天皇 万葉歌人でもありました。
春過ぎて 夏来るらし 白妙の 衣干したり 天香具山(定訓) 持統天皇 御製
壬申(じんしん)の乱 夫君の天武天皇 幼名 大海人皇子(おおあまのおうじ)、先帝で兄の天智天皇 幼名 中大兄皇子(なかのおおえのおうじ) の子、大友皇子との皇位継承の争い。
この乱に私が住む美濃の国の地方豪族が深く関係しました。
中でも当市、各務原市の豪族、村国連男依(むらくにのむらじおより:各務原市、市役所ロビーに男依の塑像)、和珥部臣君手(わにべのおみきみて」、身毛君広(むげつきみひろ:岐阜県関市)など、大海人皇子の舎人(とねり)が大活躍し、地元に縁が深く、天武天皇、持統天皇とも極めて興味のある存在だからです。
・・・禍(わざわい)を挙(う)けむ、何ぞ黙(もだ)して身を亡さむや 汝ら、急(すみやか)に美濃国に往(まか)りて、安八磨(あはちま)の郡(こおり)の湯沐令多臣品司(ゆのうながしおおのおみほむじ)に告げて機要を宣(のたま)いて・・・不破の関(関が原)を塞げ、と下知を下したと日本書記は活写します。
安八磨の郡とは大垣市を含む、安八郡のこと、Wikiには湯沐令とは「日本の飛鳥時代に置かれた官職で、皇族の領地(私有地)である湯沐邑(ゆのむら)を管理した。・・・」とあるが、現今でも各務原市が開催した「木曽川学シンポジューム」 (H15.12.6)で一流の古代学者、門脇禎二、八賀晋先生がそれぞれの推論を述べておられる。ネットにも好事家の解説が見られる。
連(むらじ)臣(おみ)は氏姓制度により朝廷より氏(ウヂ)の名と姓(カバネ)の名とを授与され、その特権的地位を世襲した制度です。また新年から脱線しました。
おかげ横丁も大賑わい、伊勢の赤福を土産に買いました。3日以内に食して下さいと店員が言いましたが、翌日はもう硬くなってチンしたら崩れました。
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