5日菅官房長官と翁長沖縄県知事の会談が行われた際、「・・環境に配慮しながら工事を粛々と進めている」と長官が述べたのに対し、知事は「上から目線の『粛々』という言葉を使えば使うほど県民の心は離れ、怒りは増幅して行く」と反論した。最近稀に見る強烈な猫パンチを知事が放って気持ちよかった。
6日の長官記者会見では粛々という言葉は批判を受け以後使わないと言った。
8日の予算員会ではアベバカボン首相は懲りずに「・・粛々と工事を勧めている」と、答弁し、これを9日の同委員会で糾され「・・上から目線的な雰囲気があるのでやめてもらいたいと言うのであれば、あえて私も使う必要はない」と述べた。相変わらず高姿勢で私は生理的に好まぬ。
“粛々は大半が政治家が使っている言葉。中国最古の詩集「詩経」では鳥の羽音の疑似音で使われた。日本の有名な用例では、川中島の合戦を詠んだ頼山陽の詩の中の「鞭声粛々、夜、川を渡る」がある。政治家は「慌てずさわがず」事を進めるという意味で好んで使われるようになった。(毎日/余禄から)
ネット辞書では本来の意味を、“「粛々」は厳かな様子や、静かな様子などを表す言葉。「 粛々と進める」などと使われる。”とある。
それにしても沖縄基地問題は泥沼化し、困ったことだ。本土の我々も他人事と思ってはいけないだろう。拉致問題と同じでニッチもサッチもいかないね。
私は9月が79歳の誕生月で運転免許証の更新年に当たるが、今日早々と「講習案内」ハガキが届いた。もう4度目の車校運転実習だ。その前に眼科へ行って検眼と限底検査、メガネ合わせをしたいと思っている。今のメガネの弦は30年も使い通した。いかにも古い丸いデザインで古臭い遠近両用だ。今度は細めの銀か金縁にでもするか。
昨日は打ち放し練習場の近くの国道で16歳の無免許のとび職の子が、父の車を持ち出し、助手席に同い年の遊び友達の女の子、後部座席に同い年のとび職の男の子と、3人が乗った無免許車が暴走、標柱や街路樹に激突し、運転していた少年が死亡した。同乗の2人は軽傷で済んだ。こういうバカ者には困ったものだ。